閑話 伊賀のくの一『狐火のお銀』
天正3(1575)年6月上旬 信州国禰津村
狐火のお銀
武田信玄公の五女姫に松姫というお方がおられます。去る永禄10(1567)年に織田家との同盟に伴い信長公の嫡男信忠殿と婚約したが昨年に織田家と同盟する三河の徳川家康との間で戦いが起き、それに伴い婚約を解消されています。
でもお二人は互いに生涯を誓い合い、それは敵味方となった今も変らぬというのです。
天正元年に武田信玄公が死去し、異母兄の武田勝頼が家督を継承すると、松姫は実兄の仁科盛信の庇護のもと信濃国伊那郡高遠城下(長野県伊那市)の館に移っているのです。
疾風様の話では、信玄公の遺言には勝頼殿が当主となることなく、孫の後見をせよとのことでしたが、勝頼殿はその遺言を守らず、自らの野望を遂げるために、今川家を滅ぼし、さらには三河に攻め掛かったようです。
疾風様は信玄公にもお会いなされており、武田家の行く末を案じておられましたが、
その想いは届かなかったようです。
疾風様から申しつかった密命は二つ。
武田勝頼が戦に出た後、松姫様と武田家の女子供衆を伊賀にお連れすること。武田忍びの『三ツ者』と『歩き巫女』の衆を、伊勢に逃し移住させること。
それで、私は伊賀のくの一『紅雀隊』10名を率いて、越後から信濃入りしました。
但し、一名だけ女装しておりますが、甲賀望月家の次男霧笛丸殿、元服して霧笛二郎殿が混じっています。
『甲斐信濃巫女修練道場』という看板が掲げられている正門の前で並び声を上げます。
『シャンシャンシャン。巫女の口ききなさらんかぁ、病のご祈祷なさらんかぁ。』
驚いた道場の者が奥へ知らせ、まもなく、巫女頭千代女と思しき女性が現れました。
「何事ですか、ここは甲斐の歩き巫女の道場です。そなたらに訪ねられる謂れはありませぬ。」
「これは、望月千代女殿でありましょうか。私は伊勢巫女のお銀と申します。千代女殿には伊賀藤林家の疾風様から手紙を託されて參りました。それからこの方は甲賀望月家のご子息望月霧笛二郎殿であります。」
「初めてお会いします。甲賀望月家の霧笛二郎です。此度はハトコ殿を救いに參りました。」
「なんと。そうですか。では皆様お入りください。要件は中で伺います。」
道場の唯一の広間と思しき部屋に案内され千代女殿と数人の巫女が上座に座り、千代女殿は渡した疾風様からの文を読まれた。
読み終わると他の巫女に回し読みをさせ、徐に口を開いた。
「そうですか。やはり武田家は滅ぶのですね。信玄公が亡くなられていたのは、気づいておりました。直筆の文での命がありませなんだので。
そうして、勝頼様が継がれてからは、この道場への支援も形ばかりとなり、巫女達の集める寄進で細々と耐えておりました。
信玄公には御恩はあっても、勝頼様にはありませぬ。伊賀の疾風様のお招き、有り難くお受け致します。」
「おそらく今月の末には、出陣されるかと。千代女殿は、それまでに皆を連れ、越後へ往かれてください。越後今町湊に伊勢の商船がお待ちしております。地方へ出られている歩き巫女の皆様には越後へ向かわれる際に、伊勢湊や伊賀甲賀に戻られるようにお伝えください。
これは路銀にございます。越後今町湊に出てからは、路銀の心配はありませぬ。地方へ知らせる巫女の皆様にお与えください。」
「忝のうございます。有り難く使わせていただきます。ですが私どもは伊勢に行ってからどうなるのでございましょうか。」
「ご心配には及びませぬ。初めは商家などに奉公するか、伊勢巫女として修行していただくことになりましょう。
その後は疾風様が言われるには、好きな男衆を捕まえて所帯を持つのが良かろうかと。
行き遅れの私の前で、そう申したのですよ。ほほほっ。」
「千代女殿には是非甲賀にお越しいただき、信濃望月家を再興いただきたいと父上は申しておりまする。」
「あら、こんな後家に再婚話でもあるのかしら。ほほほほっ。」
禰津村の『甲斐信濃巫女修練道場』を出た私達は霧笛二郎殿と別れ、一路信濃の高遠城下へと向かった。
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天正3(1575)年6月中旬 甲斐国信濃国境
望月霧笛二郎
いたいた旅の商人の風体だが、一向に急ぐ様子もなく、さっきから同じところを行きつ戻りつしている。武田の三ツ者に地外ない。
さりげなく近づいて声を掛ける。
「もしっ、お尋ねしたいのだが、お仲間に武三郎という御仁は居られるかな。」
「何者だっ。何故武三郎殿を知っている。」
「ありゃ、お主。そんなに驚いて、三ツ者と正体をばらしてはだめだろう。俺は、伊賀の疾風様の使いで、日向源藤殿に会いに来た。仔細は武三郎殿が知っている。案内願いたい。」
男が指笛を吹くと遠くで指笛が聞こえ、四半刻もすると、数人の三ツ者が現れた。
再び要件を話すと、2里程離れた忍び小屋へ案内され、程なく武三郎殿が現れた。
疾風様からの文を渡し、日向源藤殿に会って話したいと言うと、甲斐の城下近くの武家屋敷に案内され、日向源藤殿に会うことができた。
文を読んだ日向源藤殿は、口を開いた。
「先年お館様がなくなり、我らを差配される山本様は当代のお館様に疎んじられ、我ら共々遠ざけられてこざる。
それでも山本様は、先代の御恩に報いるため此度の戦にも出られるお覚悟でござる。
じつは、近頃もいつぞやの疾風殿の言葉を思い返していたところでござる。」
「疾風様が申しておられました。主君の恩義に尽くすのは生きていてこそ。主家が滅ぶのに一族を巻き込んではなりませぬと。
一族の皆様と、こぞって伊賀へお出でくだされ。伊賀の者は同族にございます。」
「分かり申した。一族の里の者達、疾風殿の好意にお縋りして、伊賀へ移り申す。越後の今町湊へ行けばよろしいのですな。
しかし、我らにできることあらば、申し付けくだされ。主家と戦うことはできませぬが少しでもお役に立ちとうござる。」
「ならば、お言葉に甘えたきことが一つござる。伊賀の者が武田の女子供衆を助けるべく信濃の高遠城下に向かってござる。俺もこれから向かうのですが、助成願えれば。」
「おおっ、それなれば先代様の御恩に報いることになり申し願ってもないこと、三ツ者の精鋭を遣わし申す。」
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天正3(1575)年6月中旬 信濃国高遠城下
狐火のお銀
信濃国高遠城下に入った私は、翌日の深夜に配下三人を連れ、高遠城の奥御殿に忍び込んだ。
城主仁科盛信に密かに面会するためだ。
隣室の宿直の二人を眠り薬で眠らせると、一人で盛信殿の枕元に座り声を掛けた。
「盛信殿、起きてください。帝の使いで參りました。」
「う〜む、、、なんだと、誠か。」
「勅書にございます、ご覧ください。」
勅書を渡し、燭台のロウソクに灯をともした。読んだ信盛殿は、顔を上げて言った。
「申し訳ござらぬ。主君の命には従わねばならぬ。たとえ朝敵として滅びる運命でも、俺にはそれしかできぬ。
しかし、武田家の女子共を殺してはならぬとの帝の思し召し、ありがたく頂戴致しまする。
明日の昼過ぎにお越しくだされ、用意してお待ち申す。」
「では明日、伊勢巫女を名乗り伺いまする。
宿直の方は朝には目を覚ますのでご安心を。
翌日改めて正門から訪ねると、すぐに本丸に案内され、松姫と仁科盛信の娘の小督姫幼き仁科信基を連れて甲斐へと旅立った。
そうして数日後、勝頼の出陣を見送ると、居城である躑躅ヶ崎館を訪れ、松姫が武田勝頼の娘の貞姫と小山田信茂の養女の天光院殿を連れ出すことができた。
この数日後、武田勝頼は長篠の戦いで織田徳川連合軍に惨敗し、躑躅ヶ崎館に逃げ帰るが、浅井軍の侵攻を受け、新府城から天目山へ逃れついに逃げ場を失い自刃して果てた。
そうして、武田家は滅んだのである。仁科盛信は勝頼を逃すため、最後まで高遠城に籠城して戦ったが、織田軍の多勢の前に敢え無く討ち死にをした。
余談だが松姫は八重緑の2才下で新たに俺の妹となったが、侍女カルテットが又妹を拾ってきたと、今回はお銀が拾って(助けて)来たのに、俺が非難されてる。
なんで、助けたのに嫁でもないのに、非難されるんだか、さっぱりわからん。
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