第九章 伊賀忍者 藤林疾風 戦国熊襲征伐
第一話 伊賀藤林疾風『朝廷の故郷奪還』
天正4(1576)年4月上旬 伊勢国伊勢湊
藤林疾風
伊勢湊には、新たに建造され10隻となった戦艦と新造船と言われて久しい中型船が30隻、大型商船と呼ばれるキャラック船20隻が、広い埠頭を埋め尽くしている。
俺(ハヤテ)が率いる戦艦3隻、新造船5隻、大型商船5隻の日向へ向かう伊賀勢が2,000余。
織田軍の別働隊の柴田勝家、明智光秀、羽柴秀吉らは戦艦3隻、新造船18隻、大型商船10隻、兵員が5,000余で、周防に向かい毛利勢と合流して北九州に上陸する。
そして信長公の本隊は、信長公の嫡子信忠、弟の織田信興が参陣し、戦艦4隻、新造船5隻、大型商船5隻、兵員3,000余で薩摩に向かう。
古いにしえ、帝のご先祖は、九州の日向の地にあった。
そして、初代神武天皇が東征を行い、大和の地へ移られたそうな。
それから代を重ねて、第14代仲哀天皇が亡き後、后の神功皇后はその遺志を継ぎ、熊襲征伐さらには朝鮮に攻め入り、三韓征伐(新羅、百済、高句麗)を成し遂げたそうな。
一説によると、天皇陛下に神の諡おくりなをするのは、朝廷の真の祖先に贈られるとか。
神武天皇に次いで、神功皇后と応神天皇。
この二人には、神の諡がある。
応神天皇を懐妊したまま熊襲征伐や三韓征伐を成すことは、神功皇后一人の力だけでは到底できないはず。
神功皇后は朝鮮の有力者と余程の繋がりがあったと考えるのが妥当だろう。
では朝廷の先祖は朝鮮系かというと違うようだ。近年の遺伝子研究によると、男系遺伝子のȲ染色体が日本人男性の多くにあるが、朝鮮には見当たらないそうだ。
日本人の祖先として考えられる一つに、入れ墨の風習を持つ海洋民族がある。
邪馬台国を記した魏志倭人伝には、『倭の水人は好んで潜って魚や貝を採り、入墨をして大魚や水鳥の危害を払う。後に入墨は飾りとなる。』とある。
邪馬台国の敵対種族であった熊襲、隼人などは、縄文人との説もあるが、魏志倭人伝には宇佐や筑紫には海洋民族の風習を持つ一族が居たと記されているし、古代九州には海洋民族が多いとすれば、神武天皇の一族もそうであったのかも知れない。
何故なら、遠方にあることで我らへの対策を立てておらず、速攻により九州勢力が手を組む時を与えないためだ。それに、伊賀には日本一の水軍がある。
この頃、日向の地では伊東義祐が、島津忠親との日向国南部の飫肥城おびじょうを巡る戦(第九飫肥役)に勝利し佐土原城を本拠に、四十八の支城を国内に擁して、歴代最高位の従三位を賜るなど、伊東家の最盛期を築いていた。
日向伊東家は、鎌倉幕府の御家人であった本家が日向の地に地頭職を得て、伊東家の庶家を下向させたことに始まる。
やがて在地豪族との関係を深め、日向に東国武士の勢力を扶植していった。
伊東家本家が日向を実効支配したのは、足利尊氏の妻 赤橋登子の所領(穆佐院)を守る為、日向国の都於郡300町を賜ってかららしい。
当代の伊東義祐は、勢いを得て奢侈と京風文化に溺れ、本拠の佐土原は「九州の小京都」とまで呼ばれるまでに発展していた。
しかし栄華に溺れて、軍備の革新を怠った義祐に没落の兆しが訪れる。
今年に入り、伊東四十八城の高原城が島津義久の3万の兵に攻められ、圧倒的な兵数差のため降伏。
翌日には小林城と須木城を治める米良矩重が義祐への遺恨から離反して、近隣の三ツ山城、野首城、岩牟礼城までも島津に帰した。
これにより、島津氏領との境界にある野尻城と、青井岳城が危機に陥った。
野尻城主の福永祐友は何度も事態打開を訴えたが直参家臣に握り潰され届いていなかった。
義祐が諫言する家臣を遠ざけ、迎合する家臣だけを側近にしたためだ。
俺は福永祐友に伊東家を離反して、朝廷の新政に従うことを条件に救済すると、使者を送って伝えていた。
福永祐友は伊東家と姻戚関係にあるが、度重なる不始末の義祐に見切りをつけ、内山城主の野村文綱紙屋城主の米良主税助と共に、朝廷の新政に従うと申し出てきた。
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天正4(1576)年4月中旬 日向国宮崎郷
藤林疾風
夜明け共に日向の赤江川(大淀川)河口に接近し、大型商船に積んでいた小型船100隻余が降ろされ、河口に待機していた福永祐友配下の武将数人と水先案内の者達と合流して、赤江川を遡り野尻城の5km付近まで福永勢1,500人を迎えに行く。
そうして、伊賀の軍船団と合流を果たし、そのまま佐土原城のある海岸の沖合いへと進んだ。
合流した戦艦の船上では、福永祐友、野村文綱、米良主税助の三人が揃って挨拶に来た。
「疾風様、初にお目どうり致しまする。
福永祐友にございまする。野村文綱、米良主税助にございます。」
「伊賀の藤林疾風と申す。」
「我ら九州の田舎者故、お使者の方からお聞きして畿内関東での仕置き、そして疾風様の東国でのご活躍を知り申した。遅ればせながら我ら三名、帝の新政に従いまする。」
「うむ。九州の大名達は帝のお言葉を聞き流しおる故、討伐に罷り越し致した。
この一年のうちに、伊東家、島津家、大友家、龍造寺家を滅ぼし、土豪達を調伏致す。
皆様は、我が陣にあって先導致されよ。」
「「はっ、畏まりましてございます。」」
福永勢をわざわざ迎えに行ったのは、陸路で福永勢の動きを捉えられることを避けるためだ。
たとえ川沿いで兵の移動を見た者があっても、俺達の佐土原城攻めの方が早い。
未の刻(午後1時)過ぎに佐土原城の海岸沖合いに到着し、小型船の福永達日向勢1,500人が上陸して、小型船の往復で半刻足らずで陣容を整え《錦の御旗》と《荒鷲の旗》を掲げて、佐土原城を包囲布陣した。
すぐ様、降伏勧告の書状を届けさせ、降伏刻限の半刻を待つ。
降伏勧告の書状には、帝の新政に返書もないことは許し難く、伊東家を朝敵としたこと。
この上は、半刻以内に伊東義祐の一族切腹の上、佐土原城を開城せよとしたためた。
もちろん従うなどとは考えていない。女子供らの逃げ出す刻を与えただけだ。
刻限前に城から使者が出て来たが、
『朝敵となる意志などない。帝の新政に従うので、伊東家を許されたい。』
という今さらの口上であったので、
『降伏の条件は書状で示したとおりである。
伊東義祐の首を持参せずは、降伏の意志がなしと認める。』と申し渡し、城への砲撃開始を指示した。
最初の四半刻は、間隔を置いて単発で本丸の周囲へ警告射撃を行う。その間に城内の女子供や下仕えの者達が逃げ出すのを待つ。
物見から女子供達が城を出たとの報告を受け、30門の迫撃砲から砲火を浴びせると、佐土原城は、半刻ののち灰燼と帰した。
城兵の中には、纏まって打って出た者達もいたが、包囲した伊賀の鉄砲隊により討ち取られただけだ。
翌日から、周辺の伊東四十八城に降伏勧告の書状とともに福永祐友らを遣わし、躊躇している城から順に、次々と砲撃で粉砕して行った。
このため一週間足らずで21の城と豪族が消滅し他は当主自身が人質となり降伏した。
この伊東家の混乱に乗じて、伊東家の領地を掠め取るべきと判断した島津義久は弟の義弘に急遽2万の軍勢を日向に向け出陣させた。
しかし、この機会を待っていた織田信長公の軍勢が内城に襲いかかった。
島津家本拠の内城は、海岸から1.5km程にあり、射程2kmの戦艦の迫撃砲の的であった。
戦艦4隻の片舷だけだが40門の砲火にさらされた内城は、四半刻で見る影もなくなった。
この事態に、湊から薩摩の水軍がバラバラと出港して来たが、伊賀水軍の新造船の攻撃により停泊中の船諸とも海の藻屑となっていた。
砲撃開始とともに上陸した3,000の織田軍は、三方に別れて島津家の支城制圧を開始した。
伊東家の領地を奪おうと向かった島津の軍勢は一泊目の野営地でこの報を知り、急遽薩摩に戻ることにしたが、帰路次々と悲惨な知らせが届いていた。
【 以下、薩摩弁を通訳。 】
「申し上げます。内城は突如現れた船団からの攻撃を受け、城が大筒の攻撃で半刻も経たないうちに、破壊され申した。」
「島津義久様ほか、城内にいた重臣の方々も生存が確認されておりません。」
「攻め寄せた軍勢には、《錦の御旗》と《織田家ののぼり旗》が立っており、伊東家に攻め寄せた帝の軍勢の一軍かと思われまする。」
「敵の軍勢の数はおよそ3千、3隊に別れて周辺の支城を瞬く間に制圧してございます。
敵勢には鉄砲多数、籠城しても城を破壊する兵器があり、抗うこと敵いません。」
一方、伊東家の領地を制圧した俺は、福永達三人に事後処理を預け、海路で大隅の東側の志布志湾に入り、大隅の高山城、志布志城の攻略を開始した。
両城はいずれも海岸から100m以内にあり砲撃の的であった。
島津軍を率いる島津義弘は、鹿児島湾の北にある廻城まわりじょうに入るべく、廻城の目前まで来たが既に瓦礫となった城を見て愕然とした。
廻城は信長が率いる戦艦により、既に砲撃を受け壊滅していたのである。
「殿、この廻城の東にある都之城も攻撃を受けているとのことにございます。もう我らに残された城もなく、兵糧とて今あるものばかり。この上は、内城に向かい野戦を仕掛けるしかないかと思いまする。」
「野戦を仕掛けて、その後はどうするのだ。
勝ったとしても入るべき城がないのだぞ。
降伏致す。朝廷は、帝は、我らの及びもつかぬ、武力をお持ちなのだ。九州の田舎におって兄上も俺もお国の時勢を見誤ったわ。」
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