第五話 伊賀流蝦夷征討『南蛮の戦』

天正3(1575)年6月24日 陸奥国愛宕山 藤林疾風 



 出羽国雲厳寺の参集の翌日、東国諸大名を率い、土崎湊(秋田港)へ出て津軽からの商船団を待った。待つ間、土崎湊でニ泊し一行を船団に分乗させ海路で蒲原津(越後阿賀野川河口港)へ移動。  

 そこから川舟に乗換え、阿賀野川を遡上し陸路で、伊達家の本拠米沢城を見通せる山裾へ着いた。

 そこは米沢城の西に位置する愛宕山山麓に布陣した織田信忠殿の本陣の後方にある愛宕山の中腹で、城攻めを見せるために一行を連れて行ったのだ。



 俺は信忠殿の本陣へ行き、状況を確認する。


「信忠殿、伊達輝宗は戻りましたか。」


「おお、軍師殿。ご無事で何よりじゃ。伊達輝宗は一昨日のうちに城ヘ戻りましたぞ。

 昨日の早朝には、慌ただしく使者達がどこぞヘ向かいましたがな。間に合うと思うておるのかな。

 それに我らの進軍が早かった為もあるが、雑兵の集まりが良くないようだ。周囲に放った郷談きょうだん(忍者)から、村々で徴兵にあたる土豪と諍いが起きておると報告があった。かの噂の効き目だろう。」


「本陣の後ろの愛宕山の中腹には、伊達家と大浦家を除く東国諸大名が揃っております。

 北面の武士の戦ぶり、お目に掛けてください。」


「うむ。明朝、陣を進めて城外に布陣致す。包囲が完了次第、砲撃を開始する。」



 その夜は愛宕山で野営だ。織田軍が運び入れた仮小屋テントと夜具には藁を仕込んであるという寝袋、それに焚き火を囲んでの焼き肉や汁料理スープの豪華さに皆驚いていた。

 そして翌朝、白米に猪汁とんじる、焼いた鯵の干物、野菜の煮しめの朝餉を終えた頃に織田軍の布陣が整ったとの知らせが届く。


 已の刻(午前10時)になり、城外に布陣した二方向から一斉に砲撃が開始された。

 30門の迫撃の砲撃により、城は瞬く間に崩れていき、火災など間に合わぬうちに跡形もなく灰燼に帰した。その間、およそ半刻。

 愛宕山から見ていた東国諸大名は、ただ、唖然として眺め、誰一人として口を利く者はなかった。

 

 米沢城が灰燼に帰したのを見届け、一同を集めて指示を出す。


「最上義光、小野寺景道。領国に帰り伊達領を統治するために、各々100名の兵を出せ。  

 そして織田軍から引き継ぎを行い伊達領の新政を差配せよ。


 諸将に申し付ける。今年は田植えの時期も終わっているので田には手を付けぬが、今月中に伊勢芋ジャガイモ田舎芋サトイモ、長芋、南瓜カボチャ、白菜、大根などを届ける。

 これを村々に配して作付せよ。収穫の折りには、半分を翌年の種とせよ。半分は領民の糧とする。

 また、武士町民に別途麦などを支援致す。詳細は物資と共に知らせる。

 夏の農閑期に食事を出す賦役をして、道の整備をせよ。秋の収穫後には、農地の改良を賦役で行え。

 明年は、整った農地から白米を作付する。向こう三年間は辛抱せよ、必ず東国を豊かにして見せる。

 その代わりその方らは、役目の者や村長などに、中抜きや掠奪などをさせぬよう、厳重に差配せよ。

 それができぬ者は追放致す。また中抜きや掠奪を行なった者は死罪と致す。

 俺の配下の者が直接に食糧を受け取った者から、調べを行うから、隠し通せるとは思わぬことだ。

 帝の新政を貶める者は許さぬ。愚かな者には命で償わせる。しかと申し付けたぞ。」



 そこへ信号部隊の兵が知らせに来た。傍に控える才蔵に耳打ちし、才蔵が俺に発言しても良いかと、目で聞いて来る。


「長篠のことか。(才蔵が頷く。)良い、申せ。」


「はっ一昨日、三河の長篠城近く、設楽ヶ原にて、武田軍1万5千と織田徳川連合軍2万が合戦に及び織田徳川連合軍が大勝したとのことにございます。

武田軍は半数以上が討ち死にとのこと。

 敵大将の武田勝頼は、わずかな兵を連れて甲斐へ向かったよし。

 また知らせを受け、浅井軍が甲斐へ進軍を開始したとのことでございます。

 家康殿より大将軍閣下に『馳走感謝致す』とのことにございます。」


「「おおっなんと。あの武田が大敗か。」」


 皆の者、聞いたであろう。世は移り変わりを始めておる。その流れに皆も乗り遅れるでないぞ。」


「「「はっ、ははあ〜。」」」




✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣



天正3(1575)年7月上旬 陸奥国米沢 

藤林疾風 



 あれから数日後、津軽の大浦為信の大浦城が柴田勝家殿の部隊によって、為信もろとも灰燼に帰し、抵抗する土豪勢力を討伐中との知らせが届いた。

 また、甲斐の残党勢力である土豪の穴山家と小山田家も浅井軍によって滅ぼされたとのこと。

 さらには、上杉謙信公が関東出兵を開始し関東諸大名には帝の勅書が遣わされた。

 北条家傘下の諸侯は、抵抗するつもりか、準備しているようだ。蘆名家としきりに使者を交している。



 東国各地の湊には、5月末から続々と伊勢の商船が到着し、伊勢の代官配下の者達と第一陣の物資、農具と各種種芋、救援食糧の麦や蕎麦が各地へ送られて来ている。

 村々では、蕎麦打ちうどん打ちの講習が行われ、安価で麺料理が提供される店が官営で設けれた。

 一部田植え前の地域では餅米の栽培が導入され、作柄が良くない土地には大豆や小豆が作付された。

 貧しい者らを救済する目的で、棒道(直線道路)の普請も開始され、食事と賃金の支払いがなされている。

 その食事の賄いには女衆を雇い、年少の子らには鯉や鮒の釣り、ざるで稚魚をすくい、溜池へ放流をさせた。

 翌年以降の水田に放流するためだで、成魚は食糧にも魚醤作りにも活用する。

 もちろん子らにも賃金を支給した。


 その一方で東国諸家から一定の割合で武士郎党を徴兵し、米沢に集めて軍事訓練を行なった。

 秋に蘆名家など関東の抵抗勢力を、東国の軍勢で討伐するためだ。彼らにも誇りと活躍の場を与えなければならないし、他家との親和を図らせて領国の垣根を取り除くためだ。


 東国諸国の支援、開拓に費やす膨大な資金を賄うために、金銀銅錫鉄の鉱山や炭鉱、石灰岩の開発を行なっている。

 賦役ではなく専業鉱夫を募集した。

 金銀は財貨のため、銅錫鉄は、各種農具や鍋などの生活雑貨のため、石炭は暖房用の燃料、石灰は道や橋、堤防の建設資材である。


 東国の冬は寒さが厳しい。暑さで死ぬのは稀だが寒さで凍え死ぬのは恒常的だ。だから真っ先に石炭と石炭ストーブ及び煙突の量産に力を入れた。

 次に衣服の綿入れ、上下の綿入れを津軽出羽の順に伊勢で量産させ、一人一着を行き渡らせるべく号令を掛けた。布地不足は古着を再生して賄った。

 子らの防寒衣服は成長に併せ、秋に村々の範囲を超えた無料取引所で交換と修繕をさせ、着回しする仕組みを設けた。


 そして住居だが、かんなを村に支給し木屑を作らせ、漆喰に混ぜて目貼りをさせた。

 また明かり取りの窓は小さいが、曇り二重硝子の窓を順次普及させた。

 出入口の玄関は二重にさせ、その隙間は密閉性を高めるために木屑漆喰を這わせた。

 室内の明かりを確保するためのランプと油も安価で普及させた。これが今年できた精一杯だった。


 こうした新政の実施で、東国の民も目まぐるしく働いた。男達だけでなく、女も子供も老人も不具の者も仕事が与えられ、賃金が支払われる。その収入で食料や生活必需品を手に入れることができるのだ。

 主要な城下には、都にある伊賀市場が設けられた。こちらは都と違い小売市場である。

 人々はこぞって便利な品を買い求め、男衆は農具や大工道具を、女衆は調理や裁縫の道具を、子らは釣り道具や虫取網、各種菓子を手に入れ喜んでいる。

 これにより、資金回収もなされている。


 農村だけでなくら、漁村も新漁法や魚介の加工食品が広められ、山村でも炭焼や茸栽培、茶畑や果樹栽培などが始まって、人々は日々豊かになって行くのを実感している。




 そんな初秋のある日、米沢の館に伊勢から姦しい一行がやって来た。 

 その一行とは、伊勢屋七兵衛と伊賀藤林砦の母上と台与達の女衆である。


「御曹司っお久しゅうございます。もう御曹司ではございませぬな、鎮守府大将軍様で。」


「よせやい、七兵衛。大将軍は仮の姿、俺は伊賀の疾風だ、揶揄ないでくれよ。」


「いやはや、初めてお会いした時には、今のお姿を想像もできませんでしたぞ。ははは」


「そんなことはどうでもいい。商いは順調か。」


「如何せん、都や畿内に続き、東国に莫大な投資をしとりますでな、借金だらけでございますよ。

 ただ、膨大な借金のおかげで、日の本一の商人と呼ばれてますがな。はっはっはっ。」


「すまん、苦労を掛ける。だがいずれ借財は返す、いや大儲けさせるから、暫し我慢してくれ。」


「なんの、気になされますな。御曹司のおかげで、この伊勢屋は、とてつもない夢を見させてもらっておりますれば。あの世に行っても自慢できます。」


「疾風っ、そろそろいいかしら。」


「母上、こんな遠くまで来るなんて驚きましたよ。父上のお世話は良かったのですか。」


「ええ、夫のことより息子への説教が大事なので、やって来たのよ。薬草探しもできるしね。」


「ええっ、俺が何かしでかしましたか。」


「ええ、しでかしましたとも。疾風、やっぱり自覚してないのね。

 いくらお役目でも、妻を放ったらかしにして良いと思っているの。早く孫の顔を見たい私達の気持ちをわからないのですかっ。

 この親不孝息子めっ。」


 あちゃ『親不孝息子めっ』て言われちゃったよ。これ母上のお怒り最高潮ってことだ。

 それから半刻、母上の小言が絶え間なく、続いた。言い訳無用、日の本一の親不孝息子だってさ。


「ははは、天下の鎮守府大将軍様でも、敵いませぬお方がおられるのですなあ。めったに見られぬものを拝見しました。某はこれにて退出致しまする。」


「七兵衛、済まぬ。いずれ又な。」


「疾風様、次はとよの番ですわ。覚悟なさってね。」


 うわぁ、今日は人生最大の厄日かもっ。

 台与の侍女の志乃と由貴は呆れながら見ている。

 あれっいつの間にか才蔵と佐助が居ないじゃん。あいつ等、主人を見捨てて逃げたな。

 この仕返しはいつか必ずしてやるからな。覚えてろ。






【 大筒 】

 火薬を使って砲弾を飛ばす大砲は、戦国時代末期に導入され大筒と呼ばれた。

 この時期、中世ヨーロッパの武器が割とリアルに導入されたようである。廃れはしたが、後填砲であるフランキ砲も大友宗麟が購入している。

 この後、日本が武器後進国となるのは、江戸幕府300年の鎖国を待つことになる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る