第九話 五畿内騒乱と噂の新政。2

天正元(1573)年11月21日 京都仙洞御所

藤林疾風



 仙洞御所の中庭に面した一室の上座に、

正親町上皇、左側に九条摂政殿、二条大納言殿、恵空殿。右側に信長殿、義継殿、久秀殿

 そして下座に俺と従弟の霧信くんがいる。


 霧信くんは、殿上人ではないから本来ならこの場にいられないのだが、院から茶坊主として、お傍仕えを命じられている。もちろん護衛の意味もあるけど、俺との繋ぎ役だ。

 甲賀望月家にとっては名誉なことだしね。


 以前、坊主に扮し興福寺にいた覚慶(足利義昭)を救出している。今となっては、救出すべきじゃなかったかも知れないけどね。



『天正の間』と名付けられたこの一室からは秋の風情を感じさせる色づいた紅葉や銀杏の木々が見渡せる。


「皆、無事で何よりである。」


「陛下、のぶながは陛下のお側で話し相手をしていたに過ぎませぬぞ。儂にも出陣をお命じくだされ。」


「そちは北面の武士、朕の護衛が仕事じゃ。それにそちから色々聞かねば退屈じゃ。」


「ほほほっ、陛下とこのような戯言を話される日が来ようとは、誠に長生きはするものでおじゃる。」


 笑いながら話されたのは二条大納言殿だ。 

 神妙な顔をしているのは、俺と義継殿だけだ。霧信くんはにこにこして聞いてる。


「まずは、都の治安が取り戻せたこと、祝着至極にございますな。」


「恵空、先日来、都の寺社で、民に炊出しの施しを行っていること、安寧に思うぞ。」 


「いえ、都の再興を皆で決め拙僧は請負った役目をしているだけ。

 拙僧より義継殿が為されておることの方が余程、民の力になりましょう。」


「そうでおじゃる。橋や路の普請は都の修復だけでなく、民の生業なりわいの手助けとなっておじゃる。

 また、明年春から始まる新農法や新作物の数々は、都を驚くほど変えることでおじゃりましょう。」


「そう言えば、先の山崎での戦でござるが、義継殿の武名高らかにして、大層な評判でおじゃるなぁ。

 敵の大将を自ら討ち取ったとか。」


 あちゃ、その話題はまずいんだけどなぁ。


「そう言えば疾風殿、我が主に武功の機会を与えてくだされたこと礼を申す。

 しかし傍に疾風殿が付いてくれなんだこと、この久秀、生涯お恨み申しますぞっ。」


「爺、それは疾風殿のせいではないのだ。

俺も生涯に一度くらいは武勇を立てたくてなぁ、爺が居ないのが好機だと思ったのじゃ。

 疾風殿すまぬ、爺の恨みは食い物の次に、しつこいから、一生言われるかも知れぬ。」


「はっはっはっ義継、良い家臣を持ったの。久秀を大切にせよ。」


「はい、陛下の御前で内輪事をお見せして、恥入るばかりです。」


「まあ、なるべく思い出さぬように致しますわい。

 話は替わりますが、大和では『4公6民』の噂で賑わっておりますな。

 その代わり、この冬に新農法のための区画直しをさせることにしております。

 それに、筒井に従っていた、土豪や村々の離反が起きております。若殿の新政に従いたいとの離反にござる。

 いやはや、足利義昭には誠に気の毒なことでありますな。ははは。」


「疾風殿、足利をいつまで放置しておくのであらしゃるか。もう十分に弱り切っておると思うが。」


「九条殿、まだでございます。義昭公には、阿波の方々の釣り餌となって貰わねばなりませぬ。もう、そろそろでございます。」


「なんと、三好三人衆が攻めて来ると申されるか。摂津の防備は大丈夫でおじゃるか。」


「阿波の方々は、京へは参れませぬ。なにせ海を渡らなければなりませぬから。

 近頃、瀬戸内の海には恐ろしい海賊が出るのでございますよ。」




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 冬の荒波が少し治まったこの日、阿波から大小800隻余の船が摂津を目指し船出した。

 どの船にも甲冑に身を固めた武士達が乗り込み、船の舳先には、数多の家紋の登り旗が翻っていた。

 朝廷からもたらされた『義昭の征夷大将軍の解任』は平島公方を擁する阿波三好家にとって、摂津、河内の領地回復を狙う機会と捉えられた。

 武田信玄の上洛以後、四国に追いやられ、じっと雌伏の時を過ごして来た。

 信玄が上洛から甲斐に、退去しても石山本願寺と組んだ将軍足利義昭の前に、四国から出ることが叶わなかった。

 だが、足利義昭が将軍職を解任され、石山本願寺にも謹慎の勅が下ったそうだ。

 織田信長が再上洛したが、大和で義昭と戦の最中だ。そうそうこちらに手が回るまい。

 摂津河内を占領し、平島公方の将軍擁立を餌に和睦すれば良いのだ。


 阿波を出た三好三人衆の軍勢は、村上水軍などの支援を受け、漁船や小早舟を動員して摂津へ向かった。

 しかし淡路沖にて、堺湊と紀之湊から待ち構えていた伊賀水軍の戦艦2隻を中心とする120隻の艦隊が出撃し、挟撃包囲して襲い掛かったのである。

 村上水軍の20隻余の安宅船は、戦艦の砲撃を受けて次々と沈没。数百の小早や漁船も新造隻のパイプ砲や小型船からの手投げ焙烙玉や火炎瓶の攻撃で近寄ることもできず沈没や火災で炎上し、海戦は二刻ほどで終結。

 三好三人衆の軍勢は、海の藻屑となった。


 伊賀水軍の勝因は迫撃砲など武器の優位もあったが、風向きや潮の流れに左右されず、しかも村上水軍の帆船の2倍の速度を持つ、蒸気 水羽スクリュー船だったからである。


 そう言えば伊賀藤林の旗印は『荒鷲』なんだが、水軍の旗印は『日の丸』そして戦闘旗は九鬼嘉隆の希望で『髑髏どくろマーク』にしたのだった。見るからに海賊だったかも知れない。


 


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天正2(1574)年3月 長岡京 金山信貞



 ここは京の南西にある長岡京の農村じゃ。

三好義継様の奉行として新農法を教え広めるため、この辺り一帯の普請と作付の管理をしておる。

 去年秋から取り掛かった用水路と、方形の畦道が、見事にきれいな形で並んでおる。


「金山様、お申し付けの籾の塩水選別を終えまして、苗作りにかかる用意ができまして、ございます。」


「おお吉蔵、木職人に命じた転がしの枠は、どうじゃ。それと田植え後に、田へ放つ鯉の稚魚の捕獲は。」


「へえ、来月末までには農家の数が揃えられます。鯉の稚魚は村の子らが一生懸命になっておりますだ。

 なにせ、10匹で1文の小遣い稼ぎと聞いて、飛びついておりますよ。ははは。」


 吉蔵はこの村の庄屋で昔からの馴染みだ。

 それにしても、織田様と伊賀の財力には、驚くばかりじゃ。

 新農法の水路や畦作りの賦役に2食の飯を出し、労賃までも出すと言うのだから。

 そして、新農法を行なう者から4公6民にするという。上手いやり方じゃ、皆が必死で賦役をやり春に間に合わせようとする訳だ。


 藤林の御曹司の話では、4公6民にしても取れ高が3割増にはなるから、領主の石高は減らぬそうだ。そうなると民は7民以上か。

 それに、裏作や商品作物を新たに作ることで儲けが出るし、農民の暮らしが豊かになることで、農具や衣食住の品が売れ領地が豊かになると言うとった。

 今年新農法を行うのは畿内の2割程と聞いとるが、天候次第ではあるが灌漑用水路を作っておるから、干ばつの被害は受けまい。

 それに、伊勢から届く伊勢芋や、唐吉備トウキビ、葉野菜が楽しみじゃ。


 最近は我が家でも、味噌の他に砂糖や醤油も使うようになり、遠く蝦夷地の昆布や伊勢の鰹節の出汁で飯が格段に旨くなっておる。

 うちのかかあ達も城に集まり、料理の修行をしておるそうな。もっとも焙じ茶を飲み、甘い茶菓子を馳走になって、四方山話ばかりしておるようだがな。 

 つい先頃までは、明日の命もわからぬ身であったが、近頃はかかあが来年のことなど、言い出しおる。

 少し寿命が延びたと思うておるのかのう。




【 茶菓子 】

 6月16日は『和菓子の日』。それは古く『嘉祥かじょうの儀』に由来する。

 承和15(848)年に、朝廷に白亀が献上されこれを瑞祥として、仁明天皇がこの年を

嘉祥かじょう」と改元し、群臣に十六種類の食物を賜ったことに由来する。

 室町時代以降となりこの宮中行事が武家にも拡がり、この日は16文で菓子を求めて食するようになった。旧暦六月といえば暑さの厳しい時期、一種の暑気払い行事になった。


 桶狭間の戦いで今川義元に従い敗れた徳川家康が母のいる坂部城に逃れる途中、疲労と空腹の家康は、百姓の家の庭に干してあるせんべいを見つけて所望した。

「そのせんべいはまだ生でごぜえます。」と言われるも、構わず頬張った家康。その後に献上するように申しつけたと言われる。

 その菓子の名は『生せんべい』米粉を水で練って蒸して団子にし、ハチミツや黒砂糖を混ぜたものだ。

 戦国時代に庶民も菓子作りをして、食べていたということがわかる逸話だ。

 ただし、蜂蜜や砂糖はなかったと思うよ。







 

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