第五話 長島一向一揆と雑賀焼失。3
元亀4(1573)年7月1日 尾張小木江城
藤林疾風
大和から大津に抜け中山道を通って5日前に尾張の小木江城に入った。
信長殿も3日前に武将達を率いて着陣していた。
長島攻めの策略は、既に二日前の戦評定で武将の皆に周知を終えている。
西の賀鳥口から攻め入る柴田勝家殿の軍勢は昨日のうちに出陣、東の市江口から攻め込む織田信忠殿の軍勢は今日、配置に就くべく向かっている。
各々の軍勢には、伊賀の信号隊が同行して中継を含めて夜間限定だが連絡網を構築している。
人払いをした城の天守閣で、俺は信長公に朝廷と松永久秀殿との話を伝えた。
「であるか。武田信玄、北条氏康亡きあと、関東に残る英傑は、越後の謙信公だけであろう。」
「謙信公は、領土を広げる野心を持たぬお方です。
ですが、争いが絶えない関東、奥州を平定して野心に燃える梟雄どもを、従えてもらわねばなりません。
この戦いを終えて後、朝廷の下、織田家と天下統一のための同盟を結んでいただくよう申し入れ致します。」
「しかし、恐れ入ったものよ。帝を味方に付けるとはな。
藤阿弥、そなたの呼称はな、将軍に仕える同朋衆のものぞ。それが将軍を追い払うとはとんだ痴れ者であるな。ふふふ。」
7月4日に長島の一揆勢4万が、伊勢へ向かったとの知らせが入る。翌日には中野城に攻め掛かったとの知らせ。
信長公は6日をもって、長島攻め開始を命じ、自らは中央の早尾口から本隊2万を率いて出陣した。
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元亀4(1573)年7月上旬 北伊勢中野城
百地丹波
7月5日深夜、中野城を密かに出た15名の伊賀者は、一揆勢が本陣とした井坂城に、忍び寄っていた。
一揆勢の侵攻が始まって、空き城として一揆勢に開け渡した井坂城には、各所に火薬と臭水を仕掛けており、それを四方から一斉に点火するのだ。
城壁の外に巧妙に隠した点火口には、水を弾く漆紙に包まれた、消え難く火移りの速い火薬を練り込んだ火縄が延びている。
四方に散った伊賀者達は『ワオ~ン、ワオ~ン』という山犬の遠吠えを合図に、
伊賀者が去って間もなく、城壁内側の各所で爆発と火の手が上がる。続いて城門の左右と各郭が爆発と火炎に包まれる。それは本丸へと続いた。
大量の臭水が仕掛けられた城は、瞬く間に猛火に包まれ、城内にいる者達は逃げ出す隙もなく城と共に焼死を遂げた。
これにより、伊勢攻めの一揆勢の指揮官の半数近くを失ったのである。
この夜襲騒動により、井坂城を本陣とした一揆勢は長島から増援の指揮官達を待たなければならなくなり、同じに接収した島田城では、仕掛けがあるのではと、城を飛び出しての大騒ぎとなった。
島田城にも仕掛けはあるが、一揆勢の保管している兵糧を全部奪ってしまえば、錯乱した一揆勢が伊勢で暴走しかねず、本陣を敷いた井坂城のみの夜襲に留めたのである。
4日後、長島から増援の指揮官達が着陣したが、野営していて井坂城夜襲の難を逃れた雑賀衆の下に急報が届いた。
曰く『雑賀荘、十ヵ郷に伊賀の軍勢急襲、至急帰還されたし。』
この一報を手にした雑賀の指揮官である鈴木孫一(雑賀孫市)は帰還を即断。5百名余の雑賀衆は戦場から離脱して行った。
さらに、着陣したばかりの一揆衆の指揮官達の下へ、織田軍の侵攻が起きたとの知らせが追うように届いた。そして、その二刻後には、全軍で引き返せとの命である。
翌朝、一揆勢は農民兵ばかり3千程の
その数5千名余。その全てが新旧の鉄砲を持ち、その隊列は見る者を畏怖せずには置かない。
軍勢は、威嚇の轟音を響かせながら、殿の一揆勢を包囲して一か所に集めて行った。
そして、儂が
「一揆に加わった伊勢の領民どもよ。お前達の護りたいものはなんだ。
数多知れぬ寺にある木彫りの仏か。違うであろう、親や子ども家族の命ではないのか。
お前達がここで死ねば、その家族の生活はどうなる。
この世で地獄のような苦しみを受けるしかないぞ。
我らは人の物を奪い人の命を奪うことを許さぬ。それは、釈迦の教えぞっ。
我らとともに生きようと思う者は、今すぐ武器を捨てて逃げよ。逃げる者は助ける。
分かったかぁ〜。」
一揆勢の後の方で坊主どもが喚いておるが5百丁の鉄砲の一斉射撃で、脅しを掛ける。
死を恐れぬ一向衆であるが、伊勢の近隣の領民であり、伊賀領の領民の穏やかな暮らしぶりを知っておる者達だ。領民どうしの親交がある者も多くいるじゃろう。
一向宗徒であるから一義的に一向衆の坊主どもに従っておるが、穏やかな暮らしを望む者達だ。
圧倒的な伊賀軍の鉄砲隊を目にして、死を思ったのであろう。そして最後の決断をしたようだ。
始めは前衛の一揆勢の中から、数人が武器を捨てて駆け出し、それを見て続いて逃亡する者が続々と現れ、あっという間に、軍勢は見る影もなく散って行った。
後に残ったのは、数人の坊主と土豪の郎党どもがわずかに50人ばかり。
過剰戦力なので、100名の隊だけの一斉射撃で、全員を葬り去った。
『己らの称となえる、極楽浄土に行くがよい。』
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7月11日、その日の朝に伊勢から引き返して来た、下間頼成に率いられた一揆勢3万5千は、出発地である矢田城郊外に帰陣したが、矢田城と隣の本陣である桑名城も落城していることに、あ然としていた。
しかも桑名城の落城とともに総大将の下間頼旦が討ち死にしたとの報に、一揆勢の間には少なくない動揺が走っていた。
また、一揆勢には致命的な問題が起きていた。兵糧がないのである。伊勢に攻め入る際に携行した兵糧は5日分であったが、井坂城と島田城に保管していたため、半分の兵糧が井坂城の焼失とともに、失われたのである。
加えて、島田城の兵糧も伊勢に退陣中に、全て消費してしまっていた。
長島に帰陣中に帰路の農民から兵糧を徴収したが、それは3万5千の一揆勢の帰路の分の兵糧にしかならなかった。
下間頼成は桑名城奪還を諦め、長島の輪中の中にある本拠地への帰還を決めるが、川岸に辿り着いた一揆勢は、川面に浮かぶ無数の船から猛烈な鉄砲の一斉射撃を受け、足止め状態となった。
さらに桑名城を出た柴田軍が南下して迫り南からも伊賀の軍勢が現れるに至り、鉄砲の数の少ない柴田軍への攻撃を決定した。
しかし、兵糧も尽きて飢えに苦しみ、動揺激しい一揆勢の兵は、柴田軍と伊賀軍から『武器を捨てて、逃亡すれば見逃す。』との勧告に、時間が経つ従い逃亡離脱する者が後を絶たず、3万5千の一揆勢は見る間に崩壊して行った。
残ったのは、一揆に加担した土豪と僧に、従う者達4千ばかり。焙烙弾と火炎瓶の援護を受けた柴田軍と伊賀軍の鉄砲隊の前に1刻余のうちに壊滅した。
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東の市江口から攻め込んだ織田信忠の織田軍は、伊賀水軍の支援を受けて長島東岸から渡河を続け、市江島、うぐいら、五明と長島の東の輪中を攻略し7日目には長島の本拠に対峙していた。
また、信長公率いる本隊も早尾口から侵攻して、前ヶ須・海老江島・加路戸・鯏浦島の一揆衆の砦を制圧して五明に着陣した。
11日に伊勢に侵攻した一揆勢を掃討した柴田勢と伊賀軍はそのまま長島西岸に布陣。信長公と合流した信忠の軍勢は五明に本陣を敷き、長島周囲の島に布陣した。
周囲の川面一帯には、100隻余の伊賀水軍の小型船がひしめき、長島に籠る一揆勢は、極度の警戒を強いられたが、それから二日間織田軍は攻め込まずに、ただ包囲を続けた。
一揆勢はそれを兵糧攻めと判断し、夜陰に紛れて救援要請の使者を出すが、完全包囲をした織田軍に討ち取られるばかりだった。
しかし包囲4日目未明に伊賀者が動いた。
長島輪中の各城寺に忍び入り、瓶や木箱で偽装したぜんまい仕掛けの時限爆弾を大量に仕掛けたのだ。
時限爆弾が仕掛けて1刻後、爆弾が一斉に爆発を始め、混乱する中を織田勢が総攻撃を開始した。
容赦なく鉄砲隊が斉射を浴びせ、手投げの焙烙弾と火炎瓶が投げ入れられた。
長島に籠った2万余の一揆勢には降伏する者も多く、二刻の後には制圧を遂げた。
謙忍や空明らの僧、日根野弘就、大島親崇など、長島の一向一揆の主導者達の降伏は、許さず全て討ち果たし、一向一揆に加わった寺は全て焼き払った。
二度と長島で、一向一揆を起こさせぬためと、石山本願寺の顕如に生かしては置かぬと知らしめるためだ。
俺の怒りは小さくない。仏の名で人殺しをするなど、釈迦もお怒りだっ。
【 僧侶と大名 】
戦国時代の知識階級は、寺院の僧侶だった。身分の高い家柄の戦国武将は、幼少時より英才教育を受けた。
文学、算術、医術、論理学、法律、哲学などの幅広い学問だ。
仏教哲学である「般若心経」や「観音経」一般常識の教科書「庭訓往来」、法律書となる「貞永式目」、儒教の「四書五経」「六韜三略」の兵法書、「源氏物語」や「万葉集」などの教養書など。
戦国大名には、幼少期に寺で学んだ者が、多くいる。
上杉謙信は跡目争いを避けるため、7歳で曹洞宗の「林泉寺」へ預けられ「只管打座」という打算的な心や私利私欲を捨てることを目的とした修行をしたという。
六代住職「天室光育」と七代「益翁宗謙」を生涯の師としたという。
今川義元も、跡目争いを避けるため、4歳の頃に臨済宗の僧侶「太原雪斎」に預けられ「建仁寺」「妙心寺」で修行している。
戦国武将ではないが、源義経は鞍馬寺で学問僧として期待される程だったが、出自を知り、還俗して平家打倒をなした。
戦術の極意書である中国の六韜三略を読破していたという。
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