第四話 長島一向一揆と雑賀焼失。2

元亀4(1573)年6月下旬 北伊勢中野城

百地丹波



 北伊勢の対長島最前線となっている、赤堀三重守の中野城にいる。

 北伊勢は伊賀が北畠家を葬った後、中伊勢以南は伊賀の直轄地となったが、商人の湊町桑名は商売上の繋がりから、名目上の臣従をしている。

 また、北伊勢の三重郡など中伊勢に接する赤堀家など一部諸家は本領安堵を望み恭順を申し出たが、領地は召し上げて俸禄に替えた上で、旧領地の奉行としてそのまま領地経営を認めているのだ。

 それらの領民は伊賀の農法や産品の恩恵を享受し、沿岸の漁民達も漁法や海産物などの指導の恩恵から暮らしが豊かになり、一向衆徒であっても一揆には加わっていない。


 伊勢の防衛を任されておる儂は、今春の農繁期に手薄となった長島の大小20余の城や寺に伊賀者を忍ばせ、絵図面の作成と火薬の保管場所を探らせていた。

 また、伊勢湊の造船所では昨年から長島攻略用の小型蒸気水羽スクリュー船100隻の造船を進めていた。


 4t級小型船は小型炉ボイラーを積み蒸気圧タービンで無風でも逆流でも進める水羽スクリュー方式の船だ。


 この小型船には10人の鉄砲隊が乗り組み長島の砂州にある城を川から包囲して補給を断つのだ。

 戦が終わり平和な世になれば、伊勢の漁民に譲り渡すのだと、御曹司は言うておった。




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元亀4(1573)年6月下旬 尾張津島神社 

服部正成 



 まさなりは今、ここ津島神社に本陣を張る織田信長公の傍にて、伊勢や長島周辺から来る、情報を信長公に知らせ、また伊賀へ織田家の状況を報告している。

 尾張では饗談きょうだんと呼ばれる我らは、武士達から蔑まれて見られている。

 しかし『御曹司には誰にも対等に接しろ、それで侮るなら引き上げて来い。』と言われている。

 信長公に臣従した訳ではない。伊賀を護るために、今は情報を与えているだけだ。

 織田家の家来達が無礼な態度を見せれば、即、引き上げるだけだ。

 また、情報を知らせる以外の役目は、我らを率いる藤阿弥である伊賀の御曹司に、直接申せと、信長公の御前の評定の場で申し上げた。その取次ぎなど致さぬとも。


 信長公は6月23日に、美濃からここへ移られると、織田領の全域から全力とも言える総勢5万にも及ぶ兵に集結を命じ、長島攻めの備えをされた。

 軍師 藤阿弥でもある我が御曹司が練られた策は、長島の一揆勢が伊勢侵攻を開始すると同時に、織田勢が陸路三方向から侵攻し、長島周辺の一揆勢諸城の攻略制圧だ。

 長島には海から、伊賀水軍の100隻が川を制圧して包囲孤立させ、長島に侵攻する織田軍と伊賀軍勢で挟撃するというものだ。

 その後に、長島の砂州にある城と寺の火薬庫を爆破、弾薬の消耗枯渇を図り、総攻めを行なう手はずとしている。



「正成、一揆勢どもの動きはどうだ。」


「変化はありませぬ。三日前、願証寺に本願寺の坊官下間頼旦らが集まり、伊勢侵攻開始を7月4日とする確認をしております。」


「うむ、藤阿弥ハヤテは今どこにおる。」


「京、大和の巡礼を終え、二日前にお約束の場所に向かったと知らせがありました。」


「であるか。ならば儂も向かうとするか。」




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 伊賀軍の北伊勢防衛最前線となる中野城、長深城、萱生城、広永城、大谷地城では、

近隣の城からも兵を集約して各々1千〜1千2百の兵が籠っている。

 また、これらの城より前方にある島田城と井坂城は、見張りの兵を50名ずつ置いただけで、一揆勢が攻め寄せれば退却し城を占拠させた上で、城に仕掛けた爆薬と油で城ごと燃やし尽くす計画である。

 籠城する各城の周囲には、鉄条網の柵を張り巡らせ鉄砲隊が籠る塹壕が掘られている。外縁部には、ところどころに砂利で覆われた火薬の樽の土盛りも散見される。



 7月4日に、矢田城郊外に集結した一揆勢は4万の軍勢を5隊に別けて進軍して来た。

 敵も伊賀勢が籠城する城を知った上で軍勢を各城に別けて来たようだ。

 その日は籠城する各城の前方に陣を張り、また、空き城となった島田城と井坂城を接収して、中心にある井坂城を本陣としたようである。


 翌朝、日の出から1刻後、ここ中野城にも一揆勢1万余が押し寄せて来た。

 先陣に続く第ニ陣には雑賀衆の『八咫烏』の家紋が見える。どうやら、我が伊賀藤林家の家紋『荒鷲』を見て、この城を目標に定めたのだろう。


「信号兵、伊賀へ連絡じゃ。雑賀が一揆勢に加わり攻めて来たとな。急げっ。」


「一揆勢約2千、三方から攻め寄せます。」


「外壕の鉄砲隊が迎撃を開始、一揆勢の先陣は前進続行中。」


「敵勢、鉄条網に着くも突破できず、被害甚大。」


「一揆勢、鉄条網から撤退して行きます。」


 塹壕の中には、射手1名につき2名の弾込め役が組となり、総勢720名が潜んでおり、240丁の鉄砲が3方に別れて応戦している。

 先陣2千のうち、10回の斉射で半数余は倒したのではあるまいか。

 一揆勢は一度引いたな。鉄条網を破るため丸太か何かを用意するのじゃろう。鉄条網は三重じゃ、易々とは破れぬぞ。


 あれからおよそ四刻も経つ、そろそろ夕暮れ時、さては闇に紛れて、鉄条網に近づき壊すつもりか。


「申し上げます。一揆勢、後方に丸太を積み上げ、半数は城に籠りました。」


「む、今夜は鉄条網の破壊のみ行い、城への攻撃は明日にするつもりじゃな。 

 好機じゃ、日が暮れたら井坂城へ火を掛けるぞ。待機している音羽半六達に伝えよ。

 日暮れとともに裏門から出撃せよとな。」




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 7月5日、賀鳥口の手前で待機するかついえの率いる柴田勢の下に『一向一揆勢4万の軍勢が伊勢に侵攻した。』との知らせとともに、信長公から『長島攻略開始』の命が下った。


 西の賀鳥口から侵攻した柴田勢1万2千の軍勢は木曽川の西岸を南下し、一揆勢5千の籠もる大鳥居城攻城戦では激しい攻防を繰り広げたが、進撃を続け大小11の城を落とし 

 そして5日目には、総大将 下間頼旦以下8千の一揆勢が籠る桑名城を包囲していた。



 その陣には佐久間信盛、稲葉良通、蜂屋頼隆らとともに、桑名城奉行の伊藤武右衛門がいた。


「では武右衛門殿、武器庫や二の郭、本丸に通ずる抜け穴がござるのだな。」


「はい、一揆が起きる前に御曹司が訪ねて来られましてな、一揆勢が攻め寄せたら下手に抵抗をせず、開城して退去せよと。

 その代わり城を取り戻す時のために抜け穴と城門城壁に細工をしておけと、ご指示を受けましてな。

 ははは、でもまさか、この城に敵の大将が籠るとは思いませんでしたがな。」


「なんと、深謀遠慮なお方よ。桑名城に着いたら、面白い話があるから武右衛門殿に聞けと言われたが、まさか攻略のお膳立てがしてあるとはな。

 かついえの武功など、片隅に追いやられてしまうわ。わはははっ。」


「では今宵、城内に送り込む兵を選抜して、仕掛けのある城壁と裏門に兵を配し、明朝、総攻めと参ろう。

 皆の者っ、聞いたであろう。軍師殿のお膳立て、十分に馳走になろうぞっ。」


 「「「「「おおぅ。」」」」」



 翌朝夜明けとともに、城に仕掛けた抜け穴から続々と本丸、二の郭、武器庫に侵入し。

 また裏門と3ヶ所の城壁を崩壊して城内に攻め入った柴田勢の前に、桑名城は呆気なく落城した。

 地下から続く抜け穴は、本丸や二の郭にある二重壁で隠された廊下に続き、各所の板壁は、忍者屋敷の『からくり』となっていて、城内の僧や一揆衆は思いもしない所から、次々と現れる柴田勢に討ち取られて行った。

 桑名城の攻略は、ものの一刻も掛からずに終了した。


 『僧侶、坊官は残らず打ち果たせ。』との軍師殿の命により、総大将 下間頼旦以下の指揮官達は皆討ち取られ、長島一向一揆はここに大半の指導者を失ったのである。




【 忍者屋敷のからくり 】

 一見は普通の農家。雨戸を開けると薄暗い廊下。板張り廊下には落し穴が潜んでいる。

 何の変哲もない土壁の一角や襖が力を入れると回転して、そこに居た、人が消えたように見える『どんでん返し』もある。

 廊下は、壁の向こうにもある二重の廊下で油断すると、槍や弓矢が飛び出してくる。

 押入れや戸棚の奥には、隠し階段があり、上がると背丈より低く、狭い中二階がある。

そこでは、普通の刀や槍が振り回せない。

 さらには、縄梯子で上がる三階は、縄梯子を引き上げれば辿り着けない空間だ。

 三階の格子窓から縄梯子で脱出もできた。

 庭には、玉砂利や秋には枯葉が敷き詰められ、近づく者を知らしめる。もちろん鳴子や落し穴もある。


 だが、忍者屋敷は、戦うための屋敷ではない。襲撃を察知し逃げるための屋敷なのだ。

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