第六話 消滅した朝倉討伐と将軍家絶縁。
永禄12(1569)年2月 京本圀寺
藤林疾風
広間に将軍足利義昭公と幕臣達が居並び、信長殿と相対している。俺は信長殿の真後ろに控え義昭公からは死角となるように座っている。幕臣細川藤孝が口を開いた。
「信長殿、実は、本日出仕いただいたのは若狭武田家のことでござるよ。
三好三人衆に加担した、若狭武田家を見過ごす訳には行かぬのです、討伐をされよ。」
「若狭武田家は実質朝倉家が支配しており、攻めれば、朝倉家が敵となる。」
「出来ぬと申されるか、ここで将軍家の武威を示さねば、諸国の大名に侮られるではないか。」
「細川殿。今がどういう状況か、お解りになって、おりませぬな。
若狭武田を攻め取りたいのは、幕臣の方々の知行地が目的ではありませぬか。」
「なんじゃその方は、口を挟むとは無礼であろう。」
「織田殿の同朋衆 藤阿弥と申します。某には義昭公と幕臣の方々には、貸しがございますれば。」
「貸しだと、何のことだっ。」
「命の貸しにございます。過日、興福寺より出られた折り雑賀衆を差し向け、また身代りを手配したのも某の手配りでございます。」
「えっ、なんと、しかし何故じゃ。」
「細川殿は、和田惟政殿に手紙を出されましたな。和田殿は我が同胞にございます。
和田殿は、先代足利将軍家の御恩に報いるため、お助けしたいとのことでありました。
某もただ無為に覚慶殿が命を落とすこと、哀れと思いました故に、お助け致しました。
せっかく助けた命、悔いの残る生き様は、不憫に思いまする。」
「そのようなことには、なるまいっ。」
「ほう、つい先日死にそうな目に会われましたな。将軍受任に浮かれて、周囲に見張りもせず、防備もできずにいる無能な幕臣の方々が、頼りになるとでも。
どうしても若狭武田攻めをせよと申されるなら、織田家は将軍家と縁を絶ちまする。
将軍家と共に滅ぶのは、ごめんでございます故。」
「織田殿、家臣にかような発言を許すのか。」
「命を救ってくれた藤阿弥に言う言葉ではないな。それに、藤阿弥は家臣ではない。同胞にして我が軍師である。
これ以上の問答は無用。只今よりこの織田信長、将軍家とは絶縁致す。」
「待て、訳を説明せよ。何故朝倉と戦うてはいかんのじゃ。」
「藤阿弥、説明してやるか。」
「阿呆に説明してもその時限り。将軍となられる前の覚慶殿に申す、ご自分でしかと考えられよ。
人は間違い嘘をつき、自分に都合良く考えるものであります。人の上に立つ者は、人を信じても、任せてはなりませぬ。」
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史実より早く、足利将軍家と袂を分かってしまったが、将軍義昭の画策で織田包囲網を築かせるより敵対勢力を限定した方がいい。
宿所に帰り、信長殿と今後のことを話す。
「藤阿弥、朝倉を敵に回すのはやはりまずいか。」
「朝倉家だけなら、なんとかなりましょうが。」
「武田(信玄)か。上杉か。」
「いいえ、お市様です。」
「浅井か、浅井長政が裏切ると申すかっ。」
「長政殿は、六角家を手を切った時、朝倉家に支えて貰い、助けられた恩義があります。
それ故に織田と同盟した時には、朝倉を攻めぬこととを条件にしたはずです。
信長殿がそれを破れば、浅井は敵となりましょう。裏切りではありませぬ、浅井にとっては、織田より朝倉なのです。」
「朝倉はともかく、長政は手強いな。」
「それだけでは済みませぬぞ、浅井も武田も本願寺も、三好三人衆に味方する者達も。
そして日和見している者達も、織田を倒す絶好の機会と一斉に蜂起致しましょう。
信長殿は勝てますか、ご兄弟家臣の半分は失いましょう、勝っても負けても悲惨です。
負けた時には、信長殿の首もその中に入っていましょうな。」
「儂は天下を取るまでは、絶対に死なぬ。」
「いずれにせよ、もう直、動きがありましょう。さしずめ、本願寺あたりが大将ですね。長島も手当せねばなりませぬ。」
「将軍家を放置しておいて、良いのか。」
「敵味方も判らず、
信長殿の天下取りの、邪魔でしかありませぬ。」
「これから儂は、どうすれば良い。」
「畿内の争いには加わらず、東海道·関東を平らげましょう。それには浅井家との同盟を断ってはなりませぬ。」
「若狭武田のことは、どう始末する。」
「浅井長政殿に任せましょう。織田家に敵対する者とは同盟は出来ませぬ。
長政殿が朝倉をどう見るか、時間を掛けても罰は当たりませぬ。」
「そうか危うかったな。そちはどれほど先まで見ておるのだ。」
「信長殿が天下を取り、伊賀が安心して臣従できるまででございますよ。」
「「はっはっはっ。」」
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次の日、二条城の築城工事現場には人影がなく、御所の警備の織田の兵も消えていた。
焦った幕臣達が信長の宿所に来たが、もう美濃へ帰還した後で、後始末に残っていた木下秀吉が応対した。
「木下殿、織田殿はどちらにおられるのか。」
「殿は美濃へ帰られましたがや。もう幕府とは縁を切られましたからにゃあ。」
「なんと、すぐ呼び戻してはくれぬか。」
「何故でござるか、将軍家は朝倉と戦をするのではなかったかにゃ。殿は負け戦はなさらんのじゃ。」
「織田殿が朝倉ごときに、負けるはずがないではないか。」
「朝倉家には、浅井家が味方するですにゃ。浅井長政殿は強うござりますにゃあ。
ましてや妹の市姫様を輿入れされてござる。
殿が溺愛されるお市様と将軍家のどちらを選ばれると思いますかにゃ。」
「まさか、浅井殿が織田殿の敵になると?」
「そんなことも分からんかったんかい。
浅井殿との同盟には、朝倉を攻めんちゅう約定がありなさる。
朝倉を攻めれば周り中、敵だらけになってしもうわ。」
「織田殿は、何故それを言わぬのだっ。」
「そんなことも分からぬ幕府の方々を見限ったからに決まっておろうがっ。
これは殿から、幕臣の皆様への伝言でござる。
『将軍家の威を借る
猛虎の相手にはならぬ』と。」
以後、信長は将軍の前に現れることはなかった。義昭は三度、美濃の信長に使者を出すがその使者は尾張に幽閉され戻らなかった。
しまいには幕臣達が使者を拒み、後ろ楯を失った義昭は震える日々を過ごすことになった。
この年の7月、浅井長政殿の仲介で織田家浅井家、朝倉家の三国同盟が結ばれた。
現状の三国の領地を、侵略する者に対する軍事同盟で、その名は『
【 浅井長政の裏切りの理由 】
信長が将軍の名で朝倉義景に上洛を何度も命じたが、従うことはなく信長は朝倉討伐に出兵した。
上洛の命に背いたのは、朝倉義景本人の意志ではないだろう。義景にそんな統率力はない。従前から度々出兵を命じても聞かぬ家臣が少なくなかったからだ。
現に防衛決戦である『姉川の戦い』では、総大将が朝倉景健だった。
おそらく、武田や北条、三好、毛利といった諸大名が臣従した訳でもないのに、なんで朝倉家が信長の命に従うのか。などの家臣達の反発もあったろう。
義景本人も将軍には冷淡であり、自領の現状維持で良いという考えだったようだ。
一方浅井長政は、浅からぬ朝倉家との繋がりから、そんな内情も知り得ていたろうし、強者に付くという戦国の掟も承知していたはずだ。だから、信長と同盟を結んだ。
ここからは筆者の想像であるが、浅井長政という人物は、覇気を抑えきれなかったのではないか。15才で家督を継ぎ、多勢で勝ち目の薄い六角家に戦いを挑んだ。
娘を三人も産んだお市がいつまでも信長の側にあり、自分を認めない。現に、浅井家の裏切りを信長に知らせている。
そして、信長に対する妬み。同盟者である信長に家臣の如く扱われることに、我慢ならなかったのではないだろうか。
確証はない。ないが何度も信長の降伏勧告を拒否しているのは、意地としか思えない。
生き残って、信長の家臣となることを拒絶したのだろう。
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