第二話 織田信長の苦悩と墨俣一夜城

永禄9(1566)年10月 尾張津島 織田信長



 なにもかもうまくゆかぬ。先月足利義秋公から幕府再興の命を受け、上洛の兵を起こしたが、美濃の斎藤龍興の襲撃に会い、尾張に撤退させられた。

 諸大名に上洛を掲げながらも失敗するとは天下に大恥を晒した。この上はなんとしても早期に上洛を果たさねばならぬ。


 義秋公を庇護していた六角が、三好三人衆と内通したため、義秋公は妹婿の武田義統を頼り若狭国へ移った。義秋公を尾張にお連れすることもできぬ。

 やはり美濃の攻略を成し遂げねばならぬ。調略は進んでいるが、稲葉山城を落とすにはまだ足らぬ。



 そんなことを考えつつ、津島の町を歩いていると、どこかで見かけたことのある女がいた。

 そこは伊勢屋の店先、そうか、あの時の饗談きょうだん(忍者)八兵衛の連れではないか。

 八兵衛は商人をしておった。連れは伊勢屋の女であったか。


 目が会った女は、にこりと微笑を返した。


「お武家様、なにかご用でございますか。」


「そなた八兵衛の連れであったな。八兵衛はどこにおるのか。」


 女はわずかに、目を見開いたようであるが、さり気なく答えた。


「八兵衛様は伊勢におられます。ご用がお有りで、ございましょうか。」


「儂が会いたいと伝えてくれ。」


 それだけ言って、立ち去った。




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永禄9(1566)年10月 尾張津島 藤林疾風



 俺の下に、(狐火の)お銀から文が届いた。津島の伊勢屋で信長に声を掛けられ、俺に会いたいとの伝言を預かったそうだ。


 野良田の戦いの後、清須へ寄ったときに、一緒にいたのを覚えられていたらしい。

 連れの商人として城には入らず門前で帰したが、迎えに出た信長に見られている。



 津島に着いた俺は、小牧山城にいる信長に伊勢屋から使いを出し、しばらく津島に逗留していると伝えた。

 せっかちなことに、使いを出した2日後、信長が津島にやって来た。


「八兵衛、知恵を貸せ。」


 伊勢屋の奥の部屋に座るなり、そう言われた。


「どうされたのです。訳を言うてくれなければ、答えられませぬ。」


「美濃の事、上洛の事、近江の事もじゃ。」


「 · · お答えする前に、尋ねておきたいことが、ございます。

 信長様は、この戦国の世をどうされたいのでございますか。」


「 · · 儂は戦乱を終わらせ、戦のない世にしたい。そのあとのことは、まだ考えてはおらぬ。」


「相変わらず、言葉足らずなお方で、ございますね。

 ですが見ているものは俺と同じ景色かと。

 されば申し上げます。信長様の悩み事は、承知しております。

 美濃を落とすのには、稲葉山城を落とさねばなりませぬ。それには、稲葉山城を攻める拠点を築かなければなりませぬ。

 上洛の事は、美濃を取れば義秋公も織田を頼みにしましょう。そして、近江のことは、浅井長政殿を頼りにすればよろしい。」


「美濃の拠点とはどこだ。」


「墨俣でよろしいかと。」


「既に勝家が失敗しておる。勝家にできぬものなら誰にもできぬ。」


「柴田殿には、策がありませなんだ。」


「策があると申すか。」


 それから俺は一夜砦を作るべく、尾張領内で部材を作り置くこと。川並衆を使い長良川を逆上りいかだで部材を運ぶこと。

 そして宵のうちに築砦に掛かること。柵を作ることが、第一であることなどを話した。

 川並衆に上から目線の武将ではだめだとも話した。


 このあと小牧山城へ来ぬかと誘われたが、商売があるからと断った。

 そして別れ際に、もし伊勢の民達に危害を加えるならば、俺が敵となると伝えた。




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永禄9(1566)年11月 美濃墨俣 木下藤吉郎



「急げっ、柵を立てるのじゃ。明日には敵が攻め寄せて来るぞっ。柵じゃ柵、柵を立てるのじゃ。」


「藤吉郎、筏は皆着いたぞ。岸辺でばらしておる。」


 明方には、砦を囲む柵と板張りの城壁が出来上がっていた。尚も砦作りを進めていると昼前には美濃勢の一隊が攻め寄せて来た。


『ズドーン、ズドーン。』


「鉄砲は、川を渡る兵を狙えっ。弓は向う岸に放てっ。」


「柵は簡単には、登れんぞっ。慌てず槍で突き殺せ〜。」


「殿〜、敵勢が引いて行きます〜。お味方勝利ですぞ〜。」


「者どもっ、勝鬨を上げぃ。勝利じゃっ。」


『『『エイエイ、オ〜。エイエイ、オ〜。

   ワァー、ワァー、ワァー。』』』


 敵勢の襲撃を退けて、築砦はどんどん進み二日目には、川を利用した堀と柵で囲まれた簡単には攻め込めぬ砦ができていた。


 美濃墨俣に砦を築くことに成功した信長はここを拠点に西美濃を調略し、次第に美濃の領主 斎藤龍興を追い詰めていった。





【 築  砦 】

 砦の塀として柵を作る木材は、垂木たるき(直径4.5〜6.0cm)程度の太さではなく、実際は太い丸太(直径20〜25cm)で長さは3m程のものが用いられる。

 ただし、史実で有名な『長篠の戦い』では信長が武田の騎馬隊を防ぐために、三重の柵を築き、そのために兵に丸太を1本ずつ持たせたというが、重さを考えるとこの時の丸太は垂木程度のものと思われる。

 余談になるが、当時の馬はポニーの馬体程しかなく、騎乗するのも指揮をする武者だけであり、騎馬だけでの突撃は、後世の創作と見られている。

 また、火縄銃の三連射も2回転ぐらいはできたと思うが、火縄が消えたり内部にかすが残って詰まることが頻繁に起きて、淀みなく連射することは無理があり、これも少なからずの、誇張がなされている。

 柵の柱とする丸太は両端を尖らせ、杭として打ち込むように加工する。

 それをいかだに組むには縄で縛るのだが、その結び方は丈夫で素早く解ける結びでなければならない。

 結び方には用途に応じていろいろあるが、筏には強度があり解きやすい『かま結び』が使われたのではないかと思う。

 柵の丸太を十時に結ぶには『いぼ結び』が適しているが、この結びには一定の熟練を、必要とした。

 釘も奈良時代以降に、和釘という角柱形の釘が使われていたが、刀と同じに鍛造であり手間が掛かるため量産はされていなかった。



 

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