第三章 伊賀忍者 藤林疾風 戦国を生きる
第一話 伊賀の家族と外交方針
永禄3(1560)年 9月上旬 伊賀藤林砦
藤林疾風
帰って来ましたよっ、懐かしの我が家へ。帰って来るなり、2才半になった妹の
さらに後ろには、子守り役の絋も漏れなくついてくるのだから、皆に笑われてる。
母上など『あらあら、疾風は忍びの者なのに、居場所がすぐに分かってしまうわねぇ。
綺羅の笑い声がするところに、いるんですもの。うふふ。』
なんて
『三子の魂、なんとやら。』ですから。
でもね、それを言うと『兄の愛情たっぷりをお願いねっ。』とか言われそうで言えない。
それから又、気のせいか皆が俺の帰りより土産を喜んでいるような気がする。
母上には、相模で求めた
俺の乳母の梅には『若様も、
ちなみに、お銀は鼈甲の簪も帯留めも笄も持っている。
綺羅には、鎌倉で求めた雛人形。平安の昔から、
唐の時代に伝わる五節句のうち、
この中国伝来の風習と、日本古来の
半蔵殿には、相州(相模)の刀工 国光の槍。丹波殿には同じく相州の正宗の刀。父上には国廣の脇差しをお土産にした。
二人は、とても喜んでくれているのだが、父上だけが「なぜ、儂は刀ではないのじゃ」と不平を言うので「各々が、一番使うものを選んだのです。違いましたか。」と言うと、
丹波殿にも「そうそう、大殿は身分のある方や使者との謁見が多いじゃろうし、実用と見栄えからも脇差しが一番でしょうなぁ。」と言われて、機嫌を直していた。
ちなみに、お土産は伊勢屋に頼んで届けてあったので、俺達より先に着いていたのだが木箱に入ったまま、開けられてなかった。
おかげで、母上や絋達は俺達が帰るまで、荷が気になって、落ち着かなかったそうだ。
帰って二日目の日は、父上の下に半蔵殿、丹波殿、俺の4人で、俺が旅で出会った諸国の人物達の報告を文で知らせてはあったが、あらためて話をした。
半蔵殿からは伊勢の統治の状況を、丹波殿からは伊賀の鉱山の発見と採掘状況などを、聞いたが、
「それでの、疾風。二つ厄介な問題が起きておる。謀反とか戦のことではないぞ。」
「父上。いったいなんでしょうか。」
「一つは甲賀衆のことじゃ。元々藤林と関わりの深い、大原、和田、上野、高峰、多喜、池田のいわゆる南山六家じゃが、少し前から伊賀に臣従したいと言うて来おってな。
そのことを、甲賀郡中惣の評定で、諮りに掛けたところ、甲賀五十三家のうち三十八家が臣従したいと申し出て来たのじゃ。
残る十五家は、六角と繋がりの深い有力者ばかりじゃがな。」
「父上、今はまずいですよ。六角家がそれを理由に、伊賀を攻めかねません。
三年待てば、六角家は内紛で崩れます。
それまでは、伊賀の依頼で間諜と行商の忍び働きをしてもらい、甲賀の里へは産品を送り支援をしましょう。」
史実では、永禄6(1563)年10月に六角家での内紛『観音寺崩れ』が起きている。
「うむ、分かったぞ。そうしよう。」
「大殿。それでは、表向きは六角家に敵対したくないので断ったことにして、臣従をする家には、三年の間、待つように伝えます。」
「もう一つの方じゃが、将軍家から北畠家を滅ぼしたことの申し開きに上洛せよと、御内書が届いた。どうするかのぉ。」
「はぁ、御内書? 当家は、名乗りに武士の肩書きを使ってはいますが、武家ではありませぬ。将軍家に仕えた覚えもありませぬ。
およそ、将軍家が百姓一揆に御内書などを出されて、なんとするつもりでしょうか。
上洛など不要です。する身分もありませぬ。」
「はははっ、そうか当家は一揆勢でござったか。今、初めて知り申したぞっ。」
「百地殿、伊賀は武士などにはなりませぬ。
戦乱を起こし、民を虐げる武士になどに、なってはいけないのです。
伊賀は民の暮らしを豊かにし、護るための国です。」
「御曹子の考え。半蔵しかと承りましたぞ」
後年、戦場で一騎討ちを挑まれた半蔵は、
『我らは落武者狩りの民である。己の欲望のために殺し合いをする武士を滅ぼすのみ。』
そう言って、率いた鉄砲隊でその武士を、蜂の巣に始末した。
【
だから、笄は一本の棒の片端が細く尖っているが、簪は両端とも太い。ただ、現代では簪にも中央から二つに分け、刺せるように尖ったセパレートタイプもあるから、素人には見分けが難しい。
日本刀の
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