第九話 諸国行脚『越前 一乗谷 』

永禄3年 (1560年)7月中旬 越前一乗谷

藤林疾風



 越前の守護 朝倉義景は御年27才。16才で父親を亡くし家督を継いでいる。

 5年前までは大叔父である朝倉宗滴が軍事内政を補佐していたが、亡くなっている。

 宗滴があまりにも、軍事内政全般に優れていたために、今は家中を纏める者がいないというのが、世間の評判だ。


 朝倉家の本拠地、一乗谷の城下に入ると、祭りのような賑わいで、商家の並ぶ町並みは人で溢れていた。


「若旦那。大した賑わいですな。何かの催しでもあるのでしょうか。」


「才蔵さん。そこの店の丁稚さんに聞いたら朝倉のお殿様が、京のお公卿様をお招きになって、猿楽の一座を招いたそうだよ。

 町外れの河原の舞台で、日が暮れたら興行するらしいよ。」


「よし、お銀。見に行こう。」


「ええ〜、若旦那いいんですかぁ。商売とか他の用事とかないんですか。」


「ない。お銀は見たことがあるかも知れんが俺達は、猿楽を見たことがない。」


「いえ、あたしだって、田楽なら見たことがありますけど、猿楽なんてありませんよ。」


「じゃあ、決まりだな。」


 それから俺達は、空いている宿を探すのに一苦労したが、なんとか見つけ早めに夕餉を取って、夕暮れの河原に向かった。

 舞台は、客席を求める人で混雑していたが値の張る2階席が取れて、階段になっている席に座れた。


 日が暮れると舞台の周囲には、かがり火が焚かれ、赤い炎が揺れて、皆が静まり返ったそこは幻想的な世界に来たと錯覚させた。

 どこからともなく、哀愁を帯びた笛の音が聞こえ、一人の白拍子が現れて舞う。

 白拍子が舞台から去り、鬼面を付けた武将らしき男が現れ、所作に合せて謡が入る。

 どうやら、男は源平の昔に戦で討たれて、死んだ武将らしい。

 男は、この世の無情を低い抑揚で語るように謡う。

 そして、舞台にまた一人、面を付けた男が現れて鬼面の武将に驚き、なぜ成仏しないのかと尋ねる。

 その問いに、鬼面の武将は現世の時の身の哀れを嘆き、この世への未練と後悔を語り踊る。

 それを聞き男は、ただ同情し頷くばかり。鬼面の武将は語り終えると我が心の内を知って欲しかったのだと、言い残し消えてゆく。


 他にも、笛、太鼓に合せたきらびやかな娘集団の舞や、京の賢い童と、田舎者の男の、噛み合わない笑いを誘うやり取りなどが演目にあった。



 俺達は、舞台の余韻に浸りながら、観客の皆が引けるのを待っていた。

 あらかた去った頃、一座の者と思しき老人に、話し掛けられた。


「いかがでしたかな、観世流一座の猿楽は。お楽しみなされたかな。」


「恥ずかしながら初見にて、見惚れておりました。なにか「幽玄」を見ていたような気がしております。」


「それはそれは。この上ないお言葉ですな。

商人さんとお見受けしますが。」


「伊勢の商人、八兵衛と申します。」


「幽玄とはまた。わてらのご先祖の世阿弥が伝え残した『風姿花伝』にもある言葉。

 わてらが目指す猿楽の境地でもあります。

そんな言葉をいただけるとは。


 わては、この一座を率いております、観世宗節かんぜ そうせつでございます。今宵は良いお方に、見ていただきましたな。ははは。」



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永禄3年(1560)年 6月中旬 伊賀藤林砦

藤林長門守



「おお、家老二人して何の話じゃ。ところで例の硯箱はどうじゃ、使うておるか。」


「大殿に、ご報告がありましてな。二人して参りましたのよ。

 御曹子からの硯箱は、家宝として飾っておりますなぁ。ははは。」


「御曹子が、伊勢で作らせました『油筆』が出回りましてな、そちらの使い勝手が良いものですから、硯箱は飾ってますなあ。」


「なにせ、捨てていた魚油に墨を混ぜた乾きにくい筆で、墨を磨らずに使えるのですから皆、そちらを使っておりますよ。

 筆と筆覆いがあれば良いのですからな。

硯は用なしですわい。」


「ところで大殿。御曹子が山師達に探させていた鉱山ですが、先に見つかった名張の鉄石以外にも、続々と見つかっておりますぞ。

 紀和の金・銀・銅・鉛・錫に勢和の水銀、藤原の銀、大山田と鳥羽の銅と、主なところだけでも、宝の山ばかりですぞっ。」


「既に採掘を進めとりますが、鉄の精錬とか銅から金銀を取り出すのは、御曹子の帰りを待たねば、どうしようもありませんな。」


「まったく、神憑りにもほどがありますな。

 隠さねばならぬ秘密ばかりで、伊賀者達がてんてこ舞いですわい。」


「それで、二人とも困っておるのか。」


「いや、国境の関での荷改めは、元々やっておるから変らずで良いのじゃが、鉱石を運ぶ荷車が増え過ぎて、目立ち過ぎるのでござるよ。今は畑の肥料作りの石灰だと誤魔化しておるが、この先、開発が進めば誤魔化しきれん。」


「金銀のお宝が出るのは、嬉しい以外の何ものでもありませぬが、他国から狙われる脅威も又増えましょうな。」


「疾風は、金銀の稼ぎで船を作り伊賀を護るとか言うとったな。詳しく聞かなんだが。」


「はぁ、伊勢はともかく伊賀には海はありませねぞ。川舟でどうにかなるとでも?」


「御曹司の言うことじゃから、なんとかなるのじゃろうな。山国に船とは。はははは。」


「それにしても、御曹司は無事に帰って来てくれるのでござろうな。御曹司に万一のことあれば、今の伊賀は立ち行きませんぞ。」


「そうじゃなぁ、今年の秋には伊勢の実りも加わり、伊賀は150万石を超えるかも知れぬ。一国で畿内全ての石高に並ぶなど、狂気の沙汰としか思えんわい。」


「我らが麒麟児殿は、我らを何処に連れて行くというのであろかなぁ。」


「「「はぁ。」」」



 ハヤテは、父上達がそんなため息を吐いているとはつゆ知らず、『野良田の戦い』の地へと向かっていた。




【 風姿花伝ふうしかでん 】

 能の観世流 世阿弥が記した能の理論書。 

 父観阿弥の教えを基に、修行、心得、演技演出、能の美学などの芸道を、世阿弥の流儀で記されている秘伝書。

『幽玄』『物真似』『花』という芸の神髄を語る表現がここにある。

 

『 初心忘れるべからず。男時おどき女時めどき

 家、家にあらず継ぐをもて家とす。

 稽古は強かれ、情識はなかれ。 

 離見の見。秘すれば花。』


 知らずに、聞いている言葉かも知れない。

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