第五話 諸国行脚『相模の風魔』
永禄3年 (1560年)5月下旬 相模小田原城下
藤林疾風
風魔一族に関しての未来知識では、北条氏五代に仕え、
相模国 足柄下郡の山間、
風魔一族は他の忍びと違い、騎馬の戦術を得意とする忍びの集団であった。
風間谷での農耕と馬の放牧で暮らしで、身につけた騎馬技術と忍びの技を、北条早雲に認められて奇襲や間諜、合戦の場では騎馬の奇襲部隊として活躍した。
一族の長は代々風間小太郎の名を襲名する。
集団で戦う風魔一党には紛れ込んだ間者を炙り出す、面白い合図があった。
『立ちすぐり居すぐり』と呼ばれるもので、合図で一斉に立ち座りをし、それを知らない間者は動作が遅れ、正体が露見するというものだ。
勘鋭く周りの風魔をまねて誤魔化せても、第二の合言葉で一斉に座る「居すぐり」に、反応が遅れれば見破られてしまうのだ。
「それで、伊賀の御仁が当地に、立寄られたご用向きは何かな。」
「風魔の忍びのこと。いささか、知りとうて参りました。」
「風魔のこと? 軍機なれば探れませぬぞ。」
「いえ、里の暮らしぶり北条家での扶持など。
武士とは認められておらぬ、言わば我らの同族なれば。」
「 · · · それを聞いてなんとなさる。」
「捨て扶持でこき使われてるならば、我らの領地に招きたいと。」
「それはなるまい。風魔は北条の大事な戦力じゃ。」
「しからば何故に捨て扶持でございますか。命を掛けての忍び働きが、捨て扶持でございますか。
合戦において、その兆候から初動まで探り当て、早く備えることが肝要にございます。
敵の数や動きを知る必要がありますな。
ましてや、戦場において逐一指示することなく敵勢の動きを掴んで知らせる忍び働きは貴重な働きでございましょう。
武士は『恩とご奉公。』鎌倉以来の節理でございます。
武勇に引けを取らない忍び働きを、幻庵和尚殿は、いかように思われますか。」
「これは参った。しかし、風魔にはこれまでの北条の恩顧がある。その方の誘いには乗るまいな。」
「構いませぬ。北条が滅びてから、いや滅びかけてから招きまするから。
戦の為に招くのではありませぬ。戦国の世で、あたら命を散らす同族を見捨てておけぬからでございます。」
「しかし儂は風魔を重用しておる。戦場での手柄は、武士とかわらぬ褒美を与えとる。」
「戦場での手柄は、でございましょう。
小太郎殿、聞いておられるか。幻庵和尚殿には重用していただけても、北条家としてはどうか。
幻庵和尚殿が亡くなった後はどうなるか。
伊賀は、いつでも頼られるのを待っておりますぞ。」
そう言って、屋敷を後にした。
「帰ったか。あの伊賀者達、消すことできるか。」
「かなりの犠牲が出ましょうな。それに葬れば、伊賀者が総力を上げて、北条家の方々を葬りましょう。
それに我らは、かの御仁を護っても殺めることはございません。
いずれ、頼るかも知れぬ御仁ゆえ。」
「そうか。あの者は戦国を変えるやも知れぬな。武士とは違うものの考えをしておる。」
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「おお、丹波殿参ったか。御曹子から、我ら両名宛てに文が届いた。これじゃ。」
「なんじゃ、半蔵殿。封を切っておらぬではないか。」
「わざわざ、我ら両名宛てにした文じゃ。
同じ内容を知らせる意図じゃろう。
ならばお主と同じ文を読まねばならぬ。」
「御曹子もずいぶんと気遣いするものよ。」
封を開けて、立ったままの丹波殿が床まで三度垂らしてなお余りある巻紙の文を読む。
ときどき顔を上げて考え込み、また文に目を落とす。
読み終わると儂に文を寄越した。儂が読み終わるのを待って丹波殿が話し掛けてくる。
「桶狭間での戦いの様子が、手に取るように書いてあるのぉ。」
「いや、織田と今川の戦の全てがじゃ。陣立てから砦攻めの戦法まで、よう見ていたものじゃよ。」
「大将の義元が討たれたとは言え、今川家の武将達の大半は健在。いずれ戦うことを見越してのことであろう。」
「それにしても、清須城内に20日もおって、毎日のように信長と話したとはのぉ。」
「毎日のようにではない毎日じゃ。ははっ。
あの寡黙と評判の信長と打ち解けて話したとあるぞ。」
「信長の人となり、そして考えていることをずいぶんと聞き出したものよ。」
「残念ながら、義元公とは言葉を交わせなかったとあるが、なにが残念なものか。
これ以上の情報は、信長本人以外には知りえぬことぞ。」
「御曹子には、人たらしの才があるのかも知れぬ。」
「これぞ陽忍の術というところか。しかし、生まれつきの陽忍ぞ。天然ものとでも言うべきなっ。」
「「はっはっはっ。」」
俺はその頃くしゃみが出ていて、お銀から『若旦那、あんなこと言うから、風魔に噂されているに違いありませんよ。
敵地で、それも忍びの大将の前で勧誘するなんて、正気の沙汰じゃありませんからね。』と、小言を言われていた。
【 風魔小太郎 】
代々の風魔の長にあっても五代目風魔小太郎は、2mもの長身で筋肉隆々、顔にも瘤が多数あり、恐ろしい面構えだったという。
そのこともあり、風魔はロシアのコザック兵の流れではないかという異説もある。
風魔の騎馬戦術は、当時騎馬武者も合戦時には下馬して戦うのが常識であった中、騎乗したまま陣中を暴れ回るものであった。
また、馬の横腹に身を隠しての騎乗など卓越した乗馬技術を持っていたと伝わる。
風間の一族は200人程の集団と聞くから、おそらく他の忍者集団も風魔として加えられているのだろう。
一説に古の平将門の乱に破れた飯母呂一族が関東から山陰へ逃れ、山陰へ逃れた者達が鉢屋衆となり、関東に残った者達が風魔となったというから、北条幻庵が、この者達と統合して風魔集団としたのかも知れない。
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