第四話 諸国行脚『忍びとの邂逅 』

永禄3年 (1560年) 5月下旬 伊賀藤林砦

藤林長門守



「お〜ぃ、疾風から文が届いたぞ。」


 妻と娘の綺羅きらが、お気に入りの東の庭で、戯れておる。一月ぶりに息子から便りが届いた。


「あら、なんて書いてあるの。」


「信長に会って、桶狭間の戦場まで、付いていきおったそうな。相変らず無茶をしおる。

 しおりにも文があるぞ。母上様へ親展とある。儂に秘密でもあるのか。」


「ふふふ。大方、甘えたことが書いてあるのよ。父親には知られたくないのでしょう。」


 妻に文を渡すと一度胸に抱きしめて、徐に封を切る。しゃがんだ妻に寄り添い、綺羅も覗き込んどるが、まだ字が読めまいに。


「うふふ、出陣の時に、信長様の室の濃姫様に湯漬けを馳走になったので、桶狭間まで、信長様のお供をしたそうよ。あとは秘密。」


「なんじゃ。どうせ、おなごの好みでも書いてあるのであろう。疾風も年頃じゃからな。はははっ。」


「濃姫様は、私に似た心根の優しいお方とあるわ。疾風にはやっぱり、私が一番なのよ。うふふっ。」


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永禄3年 (1560年)5月中旬 尾張国熱田湊

藤林疾風


「正成。この文を伊賀に届けてくれ。父上と母上に、もう一通は、半蔵殿と丹波殿宛てだ。」


「承知っ。御曹子はこのあと、いかがなされるのですか。」


「鶴岡八幡宮と、善光寺をお参りしてから、越前一乗谷、そして野良田に参る。」


「そうですか。某は織田を離れる訳にゆかぬので、影供を5名付けます。こちらに控える『お銀』をお供にお加えください。」


「百地のお銀と申します。」


「もしかして『狐火のお銀』殿か。お転婆の武勇伝は聞こえておるぞ。」


「あら、百地一の『しとやか姫』と、自負しておりますのに。ほほほっ。」


 お銀、通称『狐火のお銀』は、20を過ぎたばかりの女盛り。

 くノ一ながら百地の中忍で、先年伊賀北部に侵入しようとした六角の軍勢を手玉に取り撃退したことで、伊賀の忍び仲間では評判が高い。

 お銀を加えた俺達の一行は、三河、今川で商家との顔つなぎをしながら、6月下旬には鎌倉に入った。


「後をつけられておりますな。駿河屋を出た辺りからでしょうか。」


「なにも違和感を感じさせぬな。中々の手練のようだ。茶店の手前で先に行かせよう。」


 茶店の手前で、お銀が用を足しているように見せかけて、行商人のなりをした男を先行させる。

 案の定、男は茶店に入り、俺達が歩き出すのを待っている。

 俺はのんびり茶店に入ると男の傍に座る。

 茶店の名物を尋ね、小豆饅頭というものを注文した。そして何気なく男に話し掛ける。


「どこからお出でございますかな。私どもは伊勢から参りまして、小間物の商をしております。」


「これはご丁寧に。私は遠江から参っております。先頃、今川の太守様が織田様に討たれたそうで、今川領での商いはあきませんですな。」


「そうですな。私どもも今川領を通って参りましたが、商いの方はさっぱりでした。

 そこへ行くと、北条様のご領地は、景気がよろしいのでございましょうな?」


「ぼちぼちでしょうか。さて、先を急ぎますので、失礼させていただきます。」


「そうですか、商いを頑張りなされ。」


男が立ち去ると、お銀が寄ってきた。


「呆れましたね。わざわざこちらから正体を明かすとは。」


「織田の間者ではないと教えただけだぞ。

 だから、もう付いてくるなと言ったつもりだがな。」


「あの男の正体を見抜いてると、知らせただけでも、もっと怪しまれたと思いますよ。

 八兵衛様の型破りぶりには、呆れるしかありませんわ。」


「お銀さん、八兵衛様は陽忍なのです。

 それも天然の。ですから慣れるしかありませぬ。」


 才蔵。天然てなんだ。俺は確かに天真爛漫だけどな、ちゃんと考えてるんだぞ。


 旅籠に荷物をおいて、鶴岡八幡宮に詣でた帰り道、昼間茶店で話した男が待っていた。


「我が主がお会いしたいと申しております。屋敷まで案内仕ります。」


 周囲にはかなりの人数が潜んでいる。とっくに気づいていたが、構わずここまできた。


「大層なお出迎えですな。主殿のお名は尋ねても聞かせては、もらえぬようですな。

 夕餉を馳走になれるなら参りましょう。」


 鎌倉の寺社に囲まれたひなびた屋敷に案内されると、中年を過ぎるかと思われる和尚がいた。白湯を静かに飲んだあと言葉を交わす。


「幻庵坊主にござる。伊勢から参った御仁とか。

 風魔の腕利き、弥平次に恥をかかせるとは、如何なる御仁ですかな。」


「伊勢の商人、八兵衛と名乗っております。

 伊賀から参りました。諸国見聞のためであります。

 このようにお招きをいただき、恐縮しております。」


「なるほど伊賀の御仁ですか。先ごろの織田と今川の合戦、見聞なされたのですかな。」


「偶然見かけましたもので。義元公が沓掛城から大高城へ移動するところを襲われたようにお見受けしました。」


「ほう、つぶさに見物なされたのですな。

信長殿とは、如何なる御仁でしたかな。」


「出陣の前、敦盛を謡われました。舞も見事でした。」


「 · · やれやれ、とんだ御仁じゃ。これでは弥平次が、呆れるわけじゃわい。」


「何故か、私の供達にも呆れられております故に、お気になされずに。」


「はっはっはっ(はははっ)。」


 後ろの三人が一斉に、俯いて頭を下げているのは、何故だろう。肩が震えているように見えるけど。




【 北条幻庵 】

 北条家初代 北条早雲の四男で末っ子。

幼少時に僧籍に入れられ箱根権現社に入る。 

 箱根権現は関東の守護神として東国武士に畏敬されており、関東支配を意図したもの。

 武勇教養に優れ鞍鐙作りの名人で「鞍打幻庵」とも呼ばれた。他にも一節切り尺八も自作、独特の作りは幻庵切りと呼ばれた。

 長寿で、北条の初代から五代までの全ての当主に唯一仕えた家臣だ。

 そして、風間一族を見出して重用し、風魔として、その名を轟かせた。

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