漆黒の空の下で
松本玲佳
漆黒の空の下で
透き通った柔肌に伝わってくるのは、一種の麻薬的作用だった。
愛されて、初めて成り立つ私のアイデンティティ。一時期は、愛することに幸せを感じていたが、今はどうだろう。どんな私を見せても、どんな私を演じても、全て受け入れてくれないと壊れてしまいそうで。
そんな計画を実行するのは、明日。バレンタインデー。
「ねえ、
突然、声をかけてきたのは私の嫌いな同僚だった。
「いや、別に」
素っ気ない返事の裏側に、闇を抱えている私。
「あ、もしかして瀬戸さんのことを考えてたんでしょ」
私は「いや、別に」を繰り返し、その場を立ち去る。そのまま化粧直しに洗面所に向かうが、朝のマスカラがダマになっているのを発見し、眉間に皺を寄せる。舌打ちが空間に虚しく響き渡った。
明日になれば、私は彼と一緒になれるんだ。
チョコレートは二種類用意してある。一つ目はゴディバの高級チョコレート。二つ目は手作りの毒入りチョコレート。計画としてはこうだ。
まずは最初、彼をデートに誘い出す。彼は無類の遊園地好きなので、当然その場所を指定する。そこで、最初から毒入りチョコレートを渡しては怪しまれる可能性があるので、安全圏のゴディバを渡す。遊園地で密室となるのは、観覧車だ。ずっと想い続けてきた気持ちを告白するのにも、ちょうど良い場所。明日、そこで私たちは本当の意味で結ばれる。もう、迷いなどなく、この想いは誰に何と言われようと揺るがないのだ。
翌朝は、眠りが深かった為か、随分と目覚めが良かった。こんなに恐ろしい計画を立てている自分だというのに。私はよそ行きの服に着替え、冷蔵庫にしまっておいた二種類のチョコレートをバッグに忍びこませてから、家を後にした。
オフィスでは彼と遭遇することも、すれ違うこともなかった。
そして、昼休み。
食堂に行くと、いつにも増して華やかなスーツ姿の彼を見た。私は出来るだけ自然体を装い、彼に近づいてゆく。
「瀬戸さん、ここ空いてますか?」
「お、こんにちは、朱美ちゃん。もちろん空いてるよ」
会話の滑り出しは順調だった。
「そういえば今日って仕事のあと空いてますか?」
少し焦ってしまったかな、と危惧する。
「空いてるよ。どうしたの?」
「突然ですが、遊園地にでも行きませんか? ほら、バレンタインですから」
すると彼は、「いいね、でも実は俺、他の人にも予定聞かれちゃっててさ」と浮かれた顔をした。
私はあえて寂しそうな表情を見せた。
「私じゃ、だめですか?」
「いやいや、朱美ちゃんのそんな悲しげな顔を見て、断るなんてできるわけがないよ。遊園地も観覧車は夜遅くまでやってるもんね。行こう行こう!」
「わあ! 嬉しいです。では何時頃待ち合わせしますか?」
「七時でどう?」
「ありがとうございます! 楽しみにしてますね!」
彼ったらもうすぐ死ぬなんて知らずに、浮かれちゃって。これから天国で私と結婚式を挙げるんだ。そんなことを考えながら、あとの会話は適当にやり過ごした。もちろん普通に告白して付き合える可能性もあったのだが、彼の周りには常に女が群がっていたことを考えると、それも長くは続かなそうだと判断したのだ。
就業時間が終わり、腕時計の針が六時二十分を指した。いよいよだ。いよいよ彼と結ばれる時がくる。遊園地の入り口まで小走りで駆け寄ると、「おーい!」と手を振る彼の姿があった。この季節だけに、陽が落ちるのも早く、辺りは漆黒の闇に包まれていた。
「お待たせしました」
「大丈夫、大丈夫。俺もさっき着いたばかりだから」
私はバッグを覗き込み、ゴディバの方を手に取って、そのまま彼に差し出した。
「あのう、これ」
「あ、もしかしてチョコ? ありがとう! 嬉しいな!」
まずは第一弾。包装紙が明らかに違うので、間違わずに渡せて安堵する。
「観覧車乗りませんか?」
「いいねえ、 乗ろう乗ろう!」
観覧車のチケットを買ったとき、これはあの世行きへの切符だと思った。でも、何も怖くはない。大好きな彼と一緒に行けるんだから、幸せで堪らないのだ。
早速、観覧車に乗り込んだ私たち。何も知らない係員は無表情で仕事をこなす。私は早くも、第二弾を渡すタイミングを見計らっていた。
「こんな時間だし、お腹空かない? 朱美ちゃんに貰ったチョコ食べちゃっていいかな?」
彼は無邪気に笑う。
「あ──瀬戸さん、実はね、手作りチョコも持ってきたんです。結構、自信作なんで一緒に食べませんか?」
不安と緊張が入り混じり、心臓の音がバクバクと聴こえてくる様だった。
「お、いいねえ。手作りチョコ大好きだよ、食べよう食べよう!」
観覧車は動き出したばかりだというのに、私たちの運命が動くのは早かった。私は笑顔を作って、バッグの中から、あのチョコレートを彼に渡す。
「これです、どうぞ」
「ありがとう! では早速!」
彼はそう言って、素早い手つきで包装紙を破り取る。
「私の分も一個くださいね」
「もちろん」
そう言って、彼がチョコレートを渡してきたその時。
「──実は俺、君のことが好きだったんだ」
「え?」
私は言葉を失うと同時に、激しい発作に見舞われた。こんなときになってパニック発作が襲いかかってきたのだ。苦しい。苦しくて堪らない。悶える私を他所に、彼は何かに取り憑かれたかのようにチョコレートを口に運んでゆく。そこで私は受け取った一粒のチョコレートを食べようとした。しかし、不思議と手が止まってしまう。
観覧車が、ちょうど絶頂に上ったとき、彼の全身が震え始めた。やがてその顔色は青白く変わってゆく。
私は頬を濡らしながら彼を見つめ、
「瀬戸さん……私も瀬戸さんのこと、ずっと前から好きでした……ずっと、ずっと前から愛してました……」と繰り返す。
次の瞬間、彼は大量の血を吐いた。そして、スローモーションのように倒れ込む。
この漆黒の空の下で──。
私はすぐさま彼を抱き締めて号泣した。
「ごめんなさい……。一緒に死にたいくらい愛してました……」
観覧車が永久に回り続けない限り、私は殺人罪で逮捕されるだろう。
さようなら、愛しき人よ。私が一番愛してたのは、自分でした。
漆黒の空の下で 松本玲佳 @reika_fumizuki
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