第2話 不朽の名作・ビーステッド


 侵入禁止区域を出ると、そこは商店街らしい風景が広がっていた。様々な店からオレンジ色の光が漏れ、通りの道をオレンジ色に染める。夕食時だからか、特に飲食店からはガヤガヤとした声が聞こえてきた。

 スンと鼻をきかせると、香ばしい匂いが脳を満たす。焼き魚や肉……それにこれは、炊き上がったばかりの米だろうか。恐ろしいほどに食欲を掻き立てる煙が、志黒の視線を右へ左へと引っ張り回した。


 ふと横から、きゅるると可愛らしく腹の鳴る音が聞こえる。見ると口を半開きにした八紐が、涎を垂らしそうになるのを必死に堪えていた。

 八紐は早く飯を食わせろ、とばかりに志黒の服の裾を掴む。


「八紐は何が食いてぇの?」


「なんでもいい……と言いたいところだが、米は外せない。米に合う何かを希望する」


「まぁわざわざ新潟まで来てるしな」


 米、米、米。はてさて何と組み合わせるのが良いだろうか――と、呟きながら二人は進む。そも飲食店の数が多いため、目移りするのも仕方あるまい。

 そんな風に歩いていると、志黒はとある店の前で気になる張り紙を見つけた。


「……。『元クリエイターは半額』、ね」


 恐らくはかつて小説やらゲームやらを作っていたが、法改正を経て職を失った人たち……を助けようとする試みである。シナリオ制作が禁じられたのは十年も前のことなので、歳若い志黒らには何の関係もないセールではあったが、しかし。


「八紐。あの『回想亭』ってところ、入ってみないか?」


「いいとも」


 志黒はなんとなく興味を惹かれ、その店を選ぶことにした。


 古風なスライド式のドアを開けると、濃厚な甘ダレの香りが二人を覆う。その内装は、志黒が店名で予想したものとは異なり、定食屋と呼べる庶民的な風貌であった。

 きょろきょろと周りを見回していると、ふと八紐の口角が僅かに持ち上がったことに気づく。


「ふふっ、ボクにはもう分かるよ。この店は当たり」


「なんでだよ」


「あの店主、一人で管理してる鍋の数が明らかに異常だ。間違いなく歴戦の猛者だろうね」


「それ関係あんのか……?」


 よく分からない基準だが、しかし一理あるように思えなくもない。志黒はとりあえず頷くことにした。


 さてと志黒は店主を見つめる。勝手に好きな席に座っていいのか、或いは決められた席へと案内されるものなのか、判断がつかない。とりあえず数秒、様子を伺ってみる。

 すると厨房の店主は二人に気づき、調理を続けたまま口を開いた。


「らっしゃい。二人か?」


「ああ」


「座れ。そこだ。俺の目の前の席」


「おお?……わ、分かった」


 なぜわざわざ目の前に座らされるのだろうと疑問に思うと同時、隠しきれない動揺が僅かに洩れる。空席が沢山あるだけに、意図が全く汲み取れなかった。


 志黒と八紐は首を傾げつつも、まぁいいかと屈強な店主が指さすカウンター席に、腰を下ろすことにした。


「……なぁ八紐」


「……うむ」


 二人は座ってから気づく。店主から伝わる、シンプルな圧迫感に。不意に謎の熱気を感じたのは、調理で火を扱っているからか、或いは店主の肉体から迸る熱量ゆえか。


「メニューだ。選べ」


「……どうもです」


 従うしかない雰囲気に、志黒は大人しく頷くのだった。


「店主さん、おすすめは何かあるかい?」


「日本酒。辛口。メニュー下から二番目」


「おおっ」


「おおっ、じゃねぇよバカ。仕事中だぞ」


「……良いじゃないか少しくらい」


 オススメと聞いて、いの一番に「日本酒」と返ってくるのは予想外。最近に二十歳を越えて酒を覚えた八紐は目を輝かせるが、しかし志黒は頬を引き攣らせていた。


「食べ物で何かないんすか?」


「ある。鯉こく定食」


「鯉こく?」


「確か鯉の味噌汁だ。ボクはそれにするよ」


「へぇ。じゃあ俺もそれで」


 鯉料理とは珍しい。とはいえ店主がオススメというのならば問題はあるまいと、志黒らは迷うことなく注文する。


 二人の他には、三組の客が店内に座っていた。父母子の一組と、仕事帰りのような中年男性が一人に、静かに本を読む赤毛の女性が一人。何やら三組とも居慣れた雰囲気で、常連らしさを感じさせる。


「なぁなぁ兄さん」


「なんだよ」


 ふと妹に呼ばれ、志黒は横に振り向く。


「今回の仕事、あとどのくらいで終わると思う?」


「半分くらい片付いたし、もう五時間くらいじゃねぇの」


「ふむ。ちなみに兄さん一人だと?」


「普通に考えて倍の十時間……って絶対に逃がさねぇからな」


 料理を待ちながら、二人は気怠げに会話を続けた。愚痴ばかりなのは、共に居る時間が長すぎるせいか。


 やや暇を覚え始めた志黒は、何となく周囲の会話に耳を傾けることにする。すると背後に座る家族から、聞き覚えのあるワードが志黒の耳に届いた。


『あなたの言ってた通り、「ビーステッドⅦ」は本当に面白かったわ!神ゲーと呼ばれるのも納得よ』


『そうだろ!母さんなら絶対にハマると思ったんだ』


 楽しげな夫婦の声。『ビーステッド』とは、世界的に名の知れたゲームの一つである。『ビーストテッドⅠ』から『ビーズテッドⅦ』までシリーズとして続いたものの、創作禁止の法改正を経て未完のままに終わりを迎えた作品だ。


 志黒と八紐の二人もまた『ビーズテッドシリーズ』は神ゲーと呼ぶに相応しいと考えるが、しかし同時に『呪刻深度S』に分類される危険なシナリオでもある。二人にとっては、名を出すにも抵抗のある作品だった。


「……俺らが来週解呪しに行く、『果てのアクシア』の呪刻深度って覚えてるか」


「E。一番下だね」


 呪刻深度とは、その作品の知名度及び世界観の過酷さによって決まる、解呪の難易度を示すランクである。有名になればなるほど、そして容易に人が死ぬ世界観があればあるほど、シナリオの危険性を示す呪刻深度は上がっていく。Eから始まりAまで続き、その範囲で収まらぬシナリオをSとする。『ビーズテッドシリーズ』もまた、未だ解呪成功の報告が出る気配のない作品の一つだった。


「……まぁ、俺らラノベ部門には関係ないけどな。さっさと解呪しろやゲーム部門」


「そんな偉そうなこと言える立場かい?ボクらまだ、Eしか担当させて貰えない新人だけども」


「うっせぇ俺らならSも余裕だっつーの」


 志黒は牙を剥きながら手拍子で返す。そんな会話をしていると、ふと夫婦の娘と思われる女の子の声が聞こえてきた。


『おかーさん。びーすてっど、ってなに?』


 それはたどたどしく、可愛らしい問い掛け。


『あら、ナツも興味あるの?ビーステッドっていうのはゲームよゲーム。ほら、お母さんがテレビでピコピコ鳴らしてるあれ』


『あー!!あれ!あのたたかうやつ!?』


『おお、よく思い出せたね。ナツは賢いなぁ』


 父親は娘を褒めながら、その頭を優しく撫でた。


 ナツと呼ばれる幼女が口にした「たたかうやつ」という表現は、『ビーストテッド』を語るに的を得る。三次元に自由走り回れる広大なマップに落とし込まれた、派手で爽快なバトルアクションこそが、『ビーストテッド』が話題になった一番の要因であるからだ。

 

 眼球に特殊な薬物を滴下することで『魔術』を行使できるようになり、どんな弱者でも戦う力を得られる――が、代わりに寿命の半分を失うという世界設定。

 誰もがその薬を用いる権利を持つものの、使うか使わないかは自分次第である。しかし大切な人を守るためだったり、魔術を行使する悪に抵抗するために、その世界の人物たちは寿命を捨てる選択を余儀なくされるパターンが多い。


「……確かノベライズもしてるんだったか?」


「よく覚えていたねぇ兄さん。ちなみにボクはゲームも小説もバッチリ堪能済みだ」


「あっそ。俺はゲームだけ」


「不勉強だなぁ。ちなみに小説版は、ゲームとはかなり違うストーリーが描かれている。まず間違いなく小説は小説で呪いが発現するから、いつか読んでおくべきだろうね」


「あぁ。そのうちな」


 万が一想定外のタイミングで呪いに飲み込まれたとしても、シナリオを知っていれば生還できる可能性が残る。だからこそ機関の人間は「出来る限り多くの本を読め」と言われるし、一般人もまた既存創作物を楽しむことを推奨されるのだ。


『ナツも大人になれば、ビーストテッドの面白さが分かるかもな』


『そうねぇ。暗い話が多いから今のナツには難しいかもしれないけど、いつかね。……ただ、絶対に続きが出ないゲームをプレイさせるのも、なんだか可哀想に思えない?』


『……それは仕方ないさ。そういうものだと割り切るしかない』


 新作を待望されたままに、制作を終了した作品は無数に存在する。一昔前は呪いなど知るかとばかりに続きを求める声もあったらしいが、最近はもう落ち着きを取り戻していた。


 夫婦の会話を聞いた幼女は、首を傾げて母親に問う。


『……つづき、でないの?おもしろいのに?』


『きっと出ないわねー……。Ⅶが発売したのも、お母さんたちが生まれたばかりの頃の話なのよ』


『どうして?』


『国の偉い人が、ダメって決めたの』


『えらい人は、つづきやりたくないの?』


『いいえ、きっと偉い人も本当は新しいゲームで遊びたいと思うわ。でも仕方ないのよ』


 幼女の首の傾きは、ますます角度を増していく。なぜ、どうしてと疑問ばかりが募りゆく。

 それは好奇心旺盛な子どもであれば、珍しくもない光景であり、傍目から見ればむしろ微笑ましいとすら思える一幕とも言えた。


 だがそれは、次に幼女の口から飛び出す言葉が違えばの話。


『じゃあね、おおきくなったら!びーすてっどのつづき!』


 明らかなタブーワードだった。

 

「あー……兄さん。ほら、まだ子どもだからさ」


「分かってるよ。俺は何も聞いてねぇ」


 二人は小声で言葉を交わす。

 

 幼女がたった今、口にした無邪気な一言は、現代を生きる志黒たちにとっては『大人になったら人を殺したい!』に近しい発言――もしくはそれ以上の意味となる。

 機関のマニュアルに従うなら、保護者に対する厳重注意と、所定日数のを行わねばならない。この規則は小学生以上を対象にするが、しかしパッと見で正確な年齢など分からないこともあり、声掛けの線引きに関しては個々人に任されていた。


『ナツ、ダメだ。二度とゲームを作るなんて言っちゃいけない』


『……ふぇ?』


 急に雰囲気の変わった父親を見て、幼女は不安げに母親に触れる。きっと父親に叱られる理由など、彼女には微塵も理解出来ないのだろうと志黒は思った。


「出来た。鯉こく定食。二人前」


 ふと図太い声が目の前から聞こえ、志黒はハッと意識を戻す。

 いつの間にやら正面には、甘い匂いを漂わせる椀が置かれていた。光る米はその艶だけで、その上等さを伝えてくる。


「へぇ、美味そうだな。さっさと食べて仕事に戻んぞ」


「休憩中に“仕事”ってワード出さないで貰えるかな、兄さん」


 背中から聞こえる軽いお説教に気を取られながら、志黒たちは絶品料理に舌鼓を打つのだった。

 そうして数十分後、米粒一つ残らない茶碗を並べて立ち上がる。期待通りの味だった、と二人は満足気に思う。


「とても美味しかったよ、店主さん。ご馳走様」


「あぁ、美味かった」


 会計を済ませた二人は、そのまま出口へと向かっていく。横開きの扉を開き、暖簾を潜った。

 そして帰り際、志黒がちらりを後ろを見ると、不意に店主と目が合う。


「また来い。次はタダで良い」


「「……?」」


 志黒は「何故?」と疑問に思うが、特に何かを問うことはせず、そのまま廃古本屋へと戻っていった。

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