そのライトノベルは人を喰う

孔明ノワナ

第1話 娯楽由来の危険物

『ラノベなど読んではいけません。ゲームなんて以ての外よ』


 それは子供の頃に幾度となく聞かされた、大好きだった母の言葉だ。俺はその言葉を、何よりも鮮明に覚えていた。


 なぜ俺だけはラノベを読んではならないのだろう?

 なぜ俺だけはゲームをしてはならないのだろう?


 友達は皆、それらのことを楽しげに話すから、きっと面白いモノなのだと思う。でも母は決して触るなと言った。会話に交じれないせいで仲間外れにされたりと、あの頃の俺には嫌な記憶が多い。


 小さな俺は、涙ながらに母に問うた。どうして俺だけ、と半ば駄々を捏ねるように問うたのだ。

 はて、どんな答えが帰ってきたのだったか――


『―――。――――。』


――残念ながら、今の俺はその答えを覚えていない。でも確か悲しそうな顔で、ごめんねごめんねと謝っていたような……そんな記憶が、微かに残っている。


 だが結論から言うと、俺はラノベに触れてしまった。そしてもう一つ結論を付け加えると、俺は心底に後悔した。


 触れた瞬間、指がラノベに沈み込んだのだ。


 動かぬと思い込んでいた無機物が、唐突に唸りを上げ始める恐怖。正体不明の何かに、身体全体を覆われる恐怖。視界が完全なる暗闇に染まる恐怖。

 即ち「喰われる恐ろしさ」を、俺は喰われて初めて思い知った。あぁそうか、だから母は近づくなといったのか。



――そのライトノベルは人を喰う。




#######



 シナリオとは。ゲームや映画や漫画など、あらゆる娯楽の主軸となる脚本のことである。だが現在それらの制作は、全て法律で禁じられていた。

 十年前、ある小さな古本屋の一角が黒い渦に飲み込まれたのをキッカケに、シナリオという存在の危険性が明らかになったのだ。濃密なモヤの黒渦は、大きな音を立てながら書物を巻き込み巨大化していき――そして、一人の人間を喰い殺した。


 後日、店主だったと思われる人物の死体は、まるで宇宙に放り出されたかのような状態で発見される。

 幸いにも黒モヤは一定のサイズに至った途端、空へと舞い上がったため被害者はその男一人のみで済んだが、しかしその後の調査で事態の深刻さが判明した。


――シナリオを持つ創作物全てが、同一被害を発生させる可能性を含む、と。


 現場に残されていたのは、嵐に巻き込まれたかの如く散らかった大量の書物と、その中心に置かれた『銀河鉄道の夜』。そしてさらに情報を加えるなら、その一冊は『初版第一刷における、最初の完成品』だったという。


 当時の警察は、それが『呪い』であると結論を下し――


「あのさ、もう分かったって。というか知ってる。小学生でも知ってっからその話」

 

「おや、そうかい?兄さんのことだから、小学生の常識も記憶の既に彼方かなぁ、なんてボクは思っていたのだけれど」


「バカにしてんのか?」


 開幕から問答無用に小馬鹿にされて、頬を引き攣らせる一人の男。と、開幕から問答無用に男を小馬鹿にしてみせた一人の女。男と女の二人組は、傍から見れば喧嘩としか思えない様相で笑い合う。


「なぁ妹」


「なんだい兄さん?」


「やっぱりお前、俺のこと嫌いだろ」


 年の差一つの兄妹二人。兄の名は振折ふりおり 志黒しぐろ。鋭い目つきが特徴的な、やや筋肉質の白髪な男である。外に振りまく印象は、五年くらい屋内で飼われて牙を失ってしまった元野犬、といったところ。


「ははっ、そんな筈ないじゃないか。ボクの脳の約三割は、常に兄さんを想う為に稼働していると言っても過言ではないよ」


 対して一人の少女は短く切り揃えられた黒髪に、気弱そうに見える色の薄い瞳。人によっては、泣き顔が一番想像しやすい、なんて評価をしかねない儚げな雰囲気を持っている。

 振折ふりおり 八紐やひも。彼女は志黒の同僚であり――そして、志黒の妹でもあった。


「……あー、うっぜぇ。まずその言い回しがうぜぇんだよ」


「そうかなぁ。兄さんはボクのこと嫌いかい?」


「分かりきったこと聞くなボケ」


「それは好きという解釈で問題ないかな」


「んなこと言ってねぇだろ死ね」


 志黒はもう黙れ、とでも言いたげに舌打ちに合わせて手を振る。そんな志黒を見ながら、八紐はククッと笑っていた。


「……まぁどうでもいいわ。で、俺らはどこ行けば良いんだよ。指令にはなんてある?」


「次の目的地は新潟県の、魚沼市って場所にある古本屋。少し遠いかもしれないね」


「あぁ知ってる、米が美味いとこだな。どのくらいかかる?」


「電車で二時間くらいかな」


「だっりぃ……」


 志黒は頭を掻きながら顔をしかめる。面倒だ、という感情を隠すつもりは微塵もないらしい。


「悪いことばかりでもないさ。二時間もあれば、電車の中で一巻分は読める。ボクらの次のターゲット、『果てのアクアシア』をね」


「移動中にまでラノベ読みたくねぇ」


「いいや時間は有限なんだよ兄さん。ボクは既に三周しているから、さぁ好きな巻を選ぶといい」


「読まねぇ。寝る」


「その一度のサボりでボクが殺されたら、きっと後悔してもしきれないんじゃないかなぁ」


「……それ言うのマジで反則だろ」


「事実さ」


 今回二人の目的は、該当の廃古本屋から出来る限りのローナンバー(製造順が早いもの)の書物を発見、回収することである。

 勿論『始まりの一冊』を見つけられるに越したことはないが、しかしそれが焼失などしていた場合は、二冊目三冊目と順に呪いの発生元が移動していくため、『初版第一刷』の全てが危険物として扱われていた。


 駅に着いた二人は改札を通り、電車に乗る。するとガラガラの車両がいくつも続いていることに気づいた。満員電車なんて表現からは対極な、広々とした空間を見て、志黒は静かに休めそうだと安堵する。


「やっぱり東京とは違ぇな。貸切だ。俺はこっちの方が気楽で助かる」


「そうかい?ボクは少し寂しい気がするけれどね」


「は?電車でゲボ吐くジジイ見て寂しさが紛れんのか?」


「そこまでは言ってないだろう……」


「お、向かい合って座れるボックス席なんて久しぶりに見たわ。そこ座ろうぜ」


「……あぁ分かったよ」


 電車に取り付けられた座席は、ほどよく柔らかい。

 揺れる電車内に聞こえてくるのは、線路とパンタグラフが響かせる心地よいリズムのみである。住宅街と交互に姿を見せる田園風景と相まって、志黒は満足気に頷いていた。


「意外だ。兄さんはこういう雰囲気が好きなんだね」


「あ?」


「いやほら、兄さん片っ端から喧嘩売りそうな面してるだろう?『長閑』なんて単語、どう頑張っても似合わない」


「そうか?……まぁ、そうだな」


 八紐は手に取ったライトノベルに集中し始める。それはもう没入という表現が正しく、志黒の大欠伸にも気づかない程だった。


「おい八紐。三巻目寄越せ」


「兄さんの鞄に入っているよ。確認してごらん」


「はぁ?……っておい、マジで全部入ってんじゃねぇか。ざけんなテメェ、いつの間に」


「家を出たときからさ。まさかそんな重い荷物を、か弱い妹に持たせるつもりだったのかい?」


「重いってたかがラノベ三冊だろ……」


 無断で兄の荷物を増量してみせたその所業に、志黒はため息を洩らす。そしてガタンゴトンと繰り返される一定の音に耳を澄ませながら、静かにラノベに目を落とすのだった。



######



「――兄さん着いたよ。ほらほら早く起きたまえ」


 人を起こすには丁度いい、やや鬱陶しくて煩わしい肩への振動に志黒は目を覚ます。ゆっくりと瞼を持ち上げると、八紐の色の薄い瞳がすぐ目の前に見えた。


「……ん、もう着いたのか?」


「あぁ着いたとも。全くグースカと、ちゃんと三巻は読み終わったのかい?」


 志黒は僅かに霞む視界を擦りながら、のっそりと立ち上がる。残る眠気に欠伸が止まらないが、しかし電車から出た途端に浴びた陽の光で、思考が一気に覚醒していくのを感じた。


「クッソ眩しいな死ねや太陽。……八紐、今何時だ」


「十二時を少し回った頃だねぇ。……ちなみに日光嫌いはボクも同じだよ。永遠に沈んでいろと思う」


「なんで」


「陽の光は、ボクの大好きな本の天敵だからね」


「……あぁ」


 もし仕事が無ければ、俺の妹は一生部屋に引き篭って本を貪ってるんだろうな、と志黒は悲しげに目を細めた。


 駅を出た二人は、そのまま正面に繋がる商店街を歩いていく。件の古本屋はこの商店街の一角に存在するらしく、データで届いた地図によれば、真っ直ぐ進むだけで辿り着くのだとか。

 古本屋の周囲五十メートルは立ち入り禁止区画となっているが、その範囲外は通常通りに営業している様子だった。


「活気はあんまりねぇな。古本屋の影響か、それとも普段からこんな感じなのか」


「さぁね。ボクも知らない」


 二人は意味もない雑談を挟みながら、目的地へと近づいていく。そうして幾らか歩くと、道路を塞ぐ黄色いテープに辿り着いた。つまり古本屋まではあと五十メートル。


 二人は気にせずにテープを潜り、先へと進む。すると本の山を中に潜ませた、寂れた建物を見つける。見通しの良い入口ガラスの先で、数え切れない書物が転がっていた。

 その書店では、本棚に入り切らない分を縦に積んでいたのだろう。いつかの地震で崩れ散らかったのか、と志黒は推測をした。


「うっわぁ。なぁ兄さん、ボクらだけでこれを全部確認するのかい?」


「そうなるな」


「今日中に終わるだろうか?」


「八紐の頑張り次第」


「ははっ、だろうね。……もう家に帰りたいのだが」


「真顔になるのやめろ。俺だって帰りてぇよ」


 そうして、終わりの見えない作業が始まった。

 二人は一冊一冊を手に取りながら、『初版第一刷』――特に製造番号が小さい数字のものを探していく。二桁台は即回収、三桁台もまたシナリオ危険度にもよるが、基本的には回収が必要となる。


「違う、これも違う。これは……第二版だね。セーフ」


「確認したやつは並べとけよ。混ざると面倒だから」


「おや、これは……?兄さん兄さん、見てくれよ。ボクこの本好きなんだ。読んだことあるかい?」


「集中しろや」


「はいはい」


 パタンパタンと、本の閉じられる音が幾度となく響く。二人の会話が止まると、その音は一層大きく空気を満たした。

 山のように積まれていた本の数々を、一つ隣の位置にもう一度積み直されていく。そしてその新たに生まれた山は、二人がかけた労力そのものである。


 移動した書物の山が増える毎に「俺ら頑張ったな」と誇らしく思うが、しかし残った山を見ると憂鬱になる。そんなことを繰り返していると、いつの間やら外は赤く染まり始めるのだった。


「あぁぁぁぁー……。疲れた」


 志黒は背伸びをしながら、喉の奥から声を洩らす。

 飽きる。というかもう飽きた。とりあえず外の風を浴びたかった。


「単純作業、うぜぇな」


「至極同意見。しかも命がけの作業ともなれば尚更さ」


「マジでそれ。少し休むか?」


「なんならボクは、ずっとその言葉を待っていたよ。二時間ほど前からね」


 そんな訳で、二人は区分けした本の位置をしっかりと把握したあと、外へ繋がるガラス扉から出ていくのだった。

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