21 偽りのパーティ

   21

 フォギータウン唯一のダンスホール。壇上では楽団がリハーサルに余念がなく、フロアではホールの職員たちが床掃除やテーブルの準備をあわただしく行っている。その様子を二階のバルコニー席からヴァリスとマルカが見守っている。間もなくマニエラ・マルテルマンの慈善パーティ開場の時間なのだ。


「ずいぶん大がかりですね。お金がかなりかかるんじゃないですか?」マルカはちょっと心配そうだった。

「まあな。国でも一流のイベント業者に演出を任せたし、料理も高級な食材を揃えさせたよ。招待客もツェツェ以外は皆、金で雇ったサクラだ。出費はかさむが、あのツェツェをだまくらかすにはこれぐらいしないとな」

「それで、主役のお金持ちを演じるコーダとかいう女性は大丈夫なんですか?」

「ああ、色々と問題があるんでな。うちのお抱え魔術師に相談して、協力してもらうことにした。今頃、上の控室でコーダに調合してきた薬を飲ませているだろう」


 ヴァリスの言う通り、控室では、マニエラ・マルテルマンとして着飾ったコーダが魔術師に指示された通り薬を飲もうとしているところだった。


 魔術師はリーチ・ヨルトンが若い頃からずっと仕えている男で、名をクイエートという。生まれて間もなく死亡したヴィエナの魂を猫の体に移したのは彼だ。クイエートは既にかなりの高齢で、森の奥で隠居生活を送っていたところをヴァリスに呼び出された。二種類の薬を調合して、このダンスホールまで持ってきてほしいと言うのだ。


 クイエートはコーダのいる控室に入って、診察室の医者のようにコーダと向き合って座った。


「君は、男が近づくと全身にじんましんができるそうだな」クイエートはコーダに尋ねた。

「はい。ぞーっとして体中真っ赤になってかゆくてたまらなくなります」

「いちおう私も男だが、今、私の目の前にいても君の体に変化は見られないようだが」

「それはあなたがお年寄りだからです。男であっても、子どもとお年寄りは大丈夫なんです」

「なるほどね。性的に未熟な者や衰えた者は警戒する必要がないということか」クイエートはそばに置いたかばんから紙に包んだ黒い丸薬を取り出して、コーダに手渡した。「この薬を飲みなさい。これを飲めば、若い男が近づいてきて君に触ってもアレルギーは起らなくなるだろう。少なくとも、今夜眠るまでは効果が持続するはずだ」

「わかりました」


 コーダは丸薬を口の中に放り込み、グイっと飲み込んだ。


「続いてもう一つ」クイエートはかばんの中からもう一つ丸薬を取り出した。今度のは赤い色をしており、先ほどの薬よりひと回り大きい。「これはツェツェとかいう吸血鬼の毒にやられないようにするためのものだ。ヴァリスから聞いたところによれば、ツェツェの血液には吸血バエの毒と同じ成分が含まれているらしい。奴は君と握手をする時に体毛で君の血を吸い、逆に奴の血を君の中に注ぎ込む。しかし、これを飲んでおけば奴に操られることはない。ただし、毒が効かなくても効いているようなフリをしておいた方が無難だよ」

「わかりました」


 コーダは赤い丸薬を受け取って口の中に放り込んだ。さっきの薬よりサイズが大きいのでなかなか飲み込めない。クイエートはテーブルの上の水差しの水をグラスに注いでコーダに渡した。コーダは水を一気に飲んで、丸薬を胃の中に落とし込んだ。

「よし、これで大丈夫だ」クイエートは微笑んだ


「おう、準備はできたか?」ノックもせずにドアを勢いよく開けてヴァリスが入ってきた。片手にウイスキーの小瓶を持っている。

 クイエートはうなずいた。


「よし、コーダ。そろそろ開場の時間だが、その前に、酒でも飲んで景気をつけとくか。ツェツェ以外全員がサクラとは言え、大勢の客の前で上がったりしないようにな」ヴァリスはコーダにウイスキーを差し出した。


 コーダはキッとした表情でそれを拒否した。「薬とお酒を一緒に飲むなんて論外です。ご心配なさらずとも、私は上がったりなどしません。これまで演劇論や戯曲を数多く読破してきましたから演技の何たるかは心得ているつもりです」

「そりゃ頼もしい。名女優ぶりを拝ませてもらうとしよう。じゃあ、舞台裏に行くぞ」


 ヴァリスはコーダを部屋から出して、残ったクイエートにウイスキーの小瓶を放って渡した。

「ありがとうよ、クイエート。それはあんたへのお土産にしとくよ」

 ヴァリスはドアを閉め、コーダを伴って階下へ向かった。


 壇上の楽団がファンファーレを奏で、定刻通り、パーティーが始まった。急いで二階から降りてきたコーダは悠然と舞台に進み出た。フロアには多くの老若男女が立ってコーダの方を見ていたが、メガネを外しているコーダは強度の近眼で、その光景は抽象画のようにしか見えない。


 舞台の袖からフロアを覗き見ているヴァリスは、大勢のサクラたちに混じって、タキシード姿のツェツェが出席していることを確認した。


 コーダ扮するマニエラ・マルテルマンは出席者たちにニッコリと微笑みかけた。

「皆様、本日はお忙しい中、ようこそおいでくださいました。私がミスティタウンより参りましたマニエラ・マルテルマンでございます。私は微力ながら、世界中の貧しい子供たちや病に苦しんでいる子供たちに手を差し伸べる活動に携わっております。皆様よりいただきました本日のダンスパーティーの参加費も子供たちに食品や薬などを送るために使わせていただきます。ご協力に感謝いたします。今夜は、短い時間ではございますが、どうぞ心行くまでダンスとお食事、お酒をお楽しみくださいませ」


 コーダは一礼して舞台を降りた。


 なかなか堂に入った主催者ぶりじゃないか。たいしたもんだ。図書館司書とは思えないな。さすが、偉そうなことを言っていただけのことはある。後ろから見守っていたヴァリスは感心した。だが、これからが本番だ。奴をうまく釣れるかどうか。


 壇上の楽団がスローテンポで甘いダンスミュージックを奏で始めた。それとともに、天井のシャンデリアの明かりが抑えられ、あらかじめ打ち合わせていた通りに、何組かの男女がフロアの中央で踊り始めた。


 舞台から降りたコーダも打ち合わせ通り、サクラの一人、学者風の中年男と踊り始めた。アレルギーの症状は出ない。クイエートの用意した薬が効いているのだ。コーダは男と身体をピッタリ合わせてゆっくり回転した。メガネを外していて見えないが、ツェツェという男はこちらを見ているだろうか?


 舞台の袖にずっと立ちっぱなしのヴァリスはツェツェの様子を監視していた。ツェツェはまだ踊っていない。フロアの端の方でカクテルを飲みながら、コーダの動きをずっと注視している。


 最初の曲が終わった。踊っていた者たちは動きを止める。その短い間に、ツェツェはフロアの端から中央に移動していた。いつの間に大勢の人間の間を縫ってあの位置まで動いたのだろう。信じられない素早さだ。ヴァリスは驚嘆した。


 ツェツェはコーダと踊っていた学者風の横に立ち、うやうやしく「申し訳ありませんが、替わっていただけますか」と申し出た。そして、コーダに向かって微笑み、深く一礼した。


 楽団が次の曲の演奏を始めた。先ほどよりは少しテンポの早い曲だ。ツェツェはコーダの手を取り、身体を合わせた。


 手を握られた時、コーダはツェツェの指に生えている剛毛のざわっとした感触とともに、一瞬指先から手首にかけてピリッと電気が走ったように感じた。ごくわずか、ほんのわずかだ。勘の鋭いコーダだから気づいたが、鈍感な人間だったら何も感じなかっただろう。


 コーダはあらかじめツェツエの正体について聞かされていたから、それが彼の吸血行為だとわかった。ツェツェは一瞬のうちに、コーダの血を少しだけ吸い上げ、代わりに彼女をコントロールするための毒を流し込んだのだ。


 クイエートからもらった解毒剤を前もって飲んでいたコーダは毒の影響を受けないが、コーダは毒に侵されたようにふるまおうと、とろんと酔ったような表情を見せた。


 楽団は演奏のテンポを上げ、コーダとツェツェはそれに合わせてリズミカルに踊っていた。ヴァリスは二人の様子を少し心配そうに見ていた。「ここが正念場だな。コーダがうまくやってくれりゃいいが」


 コーダはうっとりした目でツェツェを見つめていた。

「女性をリードするのがお上手ですね。女性の扱いに慣れていらっしゃるのね」

「いえ、たいしたことはありません。あなたのような美しい女性相手だとつい張り切ってしまいます」

「まあ」

「美しいうえに、慈愛に満ちた心をお持ちのあなたのような方に出会えて、今日は本当に良い日だ」

「あなたのお名前は?」もちろんコーダはこの男の名を知っている、が、白々しく尋ねた。

「ツェツェ・シュミルソンと申します」

「この町の方ですか?」

 ツェツェは頭を振った。「いえいえ。この地から遠く離れたクリスタリアという国の出身です」

「クリスタリア、その名は聞いたことがありますわ。とても美しい国だとか。このフォギータウンにはどうして?」

「この町の女性と恋に落ちてしまいましてね。結婚したのですが、先日先立たれてしまいまして」

「まあ、それはお気の毒に。ショックでしたでしょう」

 ツェツェはうなずいた。「まだ、そのショックから抜けきれておりませんが、あなたとこうして踊っていると、悲しみを忘れることができます」

「でも、それだけ深く愛し合える相手に出会えたことは幸せでしたね。私などこの年齢になるまで良縁に恵まれることなく、未だに孤独な一人暮らしですもの。あなたがうらやましいわ」

「あなたの美貌と気高い心に見合う男はなかなかいないでしょう」

「どうかしら。実は、私はこうした社交の場があまり得意ではないのです。チャリティの資金を集めるために仕方なくやっていますけど、人が多く集まる場所にいるのが苦手で」

「気が合いますね。僕も人混みは苦手です。息が詰まりそうになりますよね。どこか静かな場所であなたと二人きりで話したいな」

 コーダは微笑んだ。彼女が作ることができる精一杯の色気のある表情だ。


「上に私が休憩するための部屋が用意してあります。そこでワインでも飲んで話しませんか、二人きりで」

「ええ。ぜひ」


 曲が終わった。踊り疲れて酒やつまみを取りに行く者たち、逆に踊るためにフロア中央に出てくる者たちが入り交じる中にツェツェとコーダは消えた。


「コーダはなかなかやるじゃないか」ヴァリスは暗がりの中で独りごちた。「でかい口叩くだけのことはある。これで第一段階はクリアだな」


 コーダはツェツェを連れて階段を上り、控室に戻った。二階の廊下では男性の掃除夫がモップで床を拭いていた。灰色の制服に灰色のキャップを目深にかぶり、大きなマスクを着けている。二人はその掃除夫の横を通って、控室のドアを開け中に入った。クイエートは既に帰った後だ。


「さて、ツェツェさん。まずお酒を少し飲みませんか? この町の有力者から先ほどいいブランデーをいただいたので、これをご一緒にいかがかと」コーダは棚からブランデーのボトルとグラス二つを取った。


 ブランデーはヴァリスが用意させたものだ。ここに入ったら、まずツェツェをリラックスさせろというのが彼女の描いたシナリオだ。コーダはそれに従った。


「そいつは確かに上物ですね。僕の好きな銘柄です」ツェツェはブランデーのラベルを見て柔和な表情を浮かべていたが、コーダの方を向いて表情を引き締めた。「だがその前に、お尋ねしたいことがあります」

「何でしょう?」

「君は誰ですか?」

「は?」

「この会場に来る前、僕はこの国の紳士録に目を通しました。ミスティタウンには確かにマニエラ・マルテルマンという女性が実在する。しかし、七十二歳です。そして、調べたところによるとその女性は先日乗馬中に転落して腰骨を折り、現在入院中だとか」

「!」コーダの顔から血の気が引いた。

「君が誰だか知らないが、この大げさなパーティーは僕をおびき寄せるためにでっち上げたんでしょう。ご苦労なことです。おそらく君はヴァリス・ヨルトンやラルゴの仲間ですね」

 コーダは何も言葉を出せず凍りついた。


「残念ながら、僕はそんなワナに簡単に引っかかるようなウスノロではない。ワナであることを承知の上で、僕にとってジャマな連中を片付けるために来たのです。君も僕の吸血術に落ちなかったようですね。あらかじめ解毒剤でも飲んでいたのかな。僕の毒を受け入れていれば友だちになれたのに、拒否してしまったから君も始末しなければならない」ツェツェは冷酷な表情で言い放った。


 その時、ドアが静かに開いて、何者かが入ってきた。ツェツェが振り返ってドアの方を向いた時、そこには人影はなく、侵入者は素早く移動してツェツェの後ろに回り、羽交い締めにした。それは廊下にいた掃除夫だった。


「あんたはこの部屋に入ってきた時点で既にワナにはまっているんですよ」ラルゴの声だ。彼は掃除夫に変装してツェツェが来るのを待っていたのだ。

「君はラルゴ君だね。わかるよ。はじめまして、というべきかな。それとも、お世話になります、とでも言っておこうかな」ツェツェは羽交い締めにされても余裕しゃくしゃくだ。

「あんたのおかげでひどい目に遭ったよ。その礼はキッチリとさせてもらうよ」

「フン、これで僕を捕らえたつもりなら大間違いだぜ」

「どうかな」


 ラルゴの両腕の下のわき腹から四本の腕が制服を破って飛び出し、ツェツェの身体をさらに強く締めた。クイエートの魔術によって、ラルゴは肉体も魂もインキュバスと融合していたのだ。


「なかなか面白いことをするね。お友だちの妖魔に協力してもらっているのかな。それでも君は僕に勝てないよ。この建物の周りに警官隊や腕っぷしの強い凶暴な連中を待機させている。僕がテレパシーでSOSを送れば、すぐにここへ駆けつけてくるよ。まあ、そんなことしなくても僕は負けんがね」

「ここであんたを倒す必要はない。しばらくの間、あんたが動けないよう押さえつけておけばいいんだ。あんたと結着をつけるのはここではない」


 ツェツェは上から白いものが降ってくるのに気付いた。雪のように見えるが、部屋の中に雪など降るはずがないし、肌に触れても冷たくない。ツェツェは天井を見上げて仰天した。夢魔サキュバスがヤモリのように真上に張り付いている。小さな蛾ではなく、本来の女の妖魔の姿で大きな羽根を震わせて白い鱗粉を落としている。たくさんの鱗粉をツェツェに一気に浴びせるために、妖魔の姿に戻ったのだ。


 豪雪のように凄まじい量の鱗粉がツェツェ、ラルゴ、そして少し離れて立っているコーダの上に降り注ぎ、彼らの頭は真っ白になった。


「さあ、お前たち、ねんねの時間だよ」サキュバスがつぶやくと、ツェツェ、ラルゴ、コーダのまぶたが重くなり、三人とも膝を折り、床にバタリと倒れてしまった。


 夢の世界への入り口が今開いた。

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