20 コーダとの再会

   20

 晴れた日の昼過ぎに一台の車がヨルトン・ホテル前に停車していた。運転者はマルカ。この世界の車は生ゴミや木くず、牛ふん、馬ふんの類から絞り出したバイオマス燃料で動く。発車前にコリスがバイオマス燃料で車を満タンにした。準備が整ったところで、ヴァリスともう一人、地味な灰色のワンピースを着て、ピンクの縁のメガネをかけた長い髪の少女がホテルから出てきた。


 少女というのは見かけだけで、実はその正体はラルゴであった。カツラをかぶり、度の入っていないメガネを掛けて、マルカが入念に化粧を施して女装させたのだ。


「いやー、いい女になったじゃないか。とても男には見えない。男どもから声をかけられるかも知れないぜ」部屋から出てきたラルゴを見てハブはそう評した。

「女に見えるなら大成功だが、あまり目立つのは困るんだけどな」ラルゴを従えて歩くヴァリスは言った。


 ヴァリスとラルゴが後部座席に乗り込むと、マルカはすぐに車を発車させた。

「行く先はどちらですか?」マルカが尋ねた。

「町立図書館でいいんだよな」ヴァリスがラルゴに確認した。

「はい。そこにコーダというサキュバスのパートナーがいるはずなんで」


 町の地理に精通しているマルカは迷うことなく道を選んだ。

 途中の道路で、ラルゴはイヤというほど自分の顔を見せつけられた。すべての街路樹や街灯に、自分の顔写真の入ったポスターが貼り付けられているのだ。


 車は町の文化ゾーンに入り、図書館の正面で停車した。隣りのコンサートホールの壁の時計を見ると午後二時五分ほど前。ちょうどいい時間だ。前夜にインキュバスがサキュバスにテレパシーを送り、ジュスタ殺しの真相について説明し、事件解決に協力してくれるようコーダにお願いしにいきたいと伝えた。サキュバスは了承し、図書館まで来るように言った。その約束の時間が午後二時だ。


 ラルゴとヴァリスは車を下りて図書館の中に入った。図書館の職員も利用者たちも、ラルゴの女装に疑いの目を向けることはなく、指名手配中の容疑者であることに気づくものはいなかった。特に男性は、老いも若きもヴァリスに目を奪われ、ラルゴには目もくれなかった。


「コーダさんにお目にかかりたいんだけど」ヴァリスは貸出受付の窓口に座っている女性に尋ねた。「二時に約束してるんで」

「館長室におられます」女性は奥のドアを指差した。


 ここの館長だったヴィーデがスケルツォに殺されて、コーダは後釜として館長代理に任命されたのだった。尊敬していたヴィーデが殺されて出世するなんてコーダも複雑な気分だろうな、とラルゴは思った。


 奥のドアを開けると廊下に出て、その突き当りに「館長室」という大きな金属の札を貼り付けた重厚なドアがあった。


 ヴァリスは館長室の前まで行って乱暴にドアをノックした。

「サキュバスから聞いていると思うが、ヴァリス・ヨルトンだ。ラルゴも一緒に来ている。入っていいな?」


 ずいぶんぶしつけな人だ。コーダが気を悪くしてつむじを曲げなきゃいいけど。ラルゴはひやひやした。


 数秒後に中から「どうぞ」という声が聞こえた。確かにコーダの声だ。


 ヴァリスとラルゴは部屋に入った。思ったほど大きくない部屋に置かれた幅の広いデスクに座っているコーダはあんぐりと口を開いた。ラルゴの女装を見て唖然としたのだ。


「こいつの女装を見て驚いたろ。こうでもしないと街中を歩けないもんでな」ヴァリスが説明した。

 二人はコーダのデスクに歩み寄ろうとした。彼女の肩の上には小さな蛾が止まっている。サキュバスだ。


「ストップ!」コーダが突然叫んだ。「それ以上、近寄るな」

 コーダの顔や手がサーっと赤らんだ。彼女の男アレルギーは治っていなかったのだ。ラルゴとは肌を重ね合わせセックスするところまで行けたのに、あれは月光のマジックによって引き起こされたひと時だけの奇跡だったらしい。


 ラルゴはびっくりして後ろにぴょんとジャンプし、彼の鼻の穴から出てきたインキュバスが言った。「やれやれ、やっぱりあんたは永遠の処女だな。サキュバスが見込んだだけあるぜ」

「あんた、面白いな」ヴァリスはガハハハッと高笑いし、コーダはムッとしてヴァリスをにらんだ。


 デスクをはさんでコーダの向かい側にヴァリスが座り、そこからできるだけ離れて、ドアのすぐ前にラルゴが座って、コーダとサキュバス、ラルゴとインキュバス、そしてヴァリスという五者会談が行われた。最初にヴァリスがツェツェという男の正体、そして彼の仕組んだ罠に落ちて、ラルゴがジュスタ殺しの罪をなすりつけられた経緯について話した。


「しかし、そのツェツェって野郎はこの町の警察やヤクザを全部味方につけてるのかい?」サキュバスが尋ねた。「そりゃ手ごわいね」

「ああ。奴は握手するほんのわずかな間に、体毛で相手の血を吸い、自分の毒の血を注ぎ込むことができるんだ。その血で相手を催眠状態にして操るも、病に陥れて命を奪うも自由自在なのさ。おまけに格闘術にもたけてるからね。かなりやっかいな相手なんだよ」

「それで、夢の中の世界にその男を引きずり込んで倒そうということですか?」コーダが尋ねた。

「そうだ。奴とともにラルゴを夢の中に送り込んで、ラルゴにツェツェを倒させるんだ。そうすれば警官たちは奴の呪縛から解放される」

「またラルゴ坊やの登場かね。あんた大丈夫かい?」とサキュバス。

「ラルゴの童貞力を見くびるんじゃないよ。こいつはあのスケルツォを倒したんだぜ」インキュバスが息まいた。「それに今度はちょっとした手も考えてるんだ。普通、妖魔の魂は夢の世界に入れない。だが、スケルツォはスタッカートの魂と融合して夢の中に入ってきただろ。あの手は使えるなと思っていたんだよ。つまり、俺がラルゴの魂と融合すればいいんだ。そうすれば夢の中でラルゴと一緒にツェツェと闘える」

「そりゃいいが、その後、二つの魂を分離できなくなる可能性があるよ」

「ああ、そりゃやってみなくちゃわからない。だが、やってみる価値はあるなってラルゴと話していたんだ」

「インキュバスと力を合わせて闘えるのなら、それほど心強いことはないよ」ラルゴは言った。「その後のことはちょっと心配だけど、まぁ何とかなるんじゃないかと思ってね」

「私も一緒に闘います。夢の世界では私が女王ですから」コーダは毅然とした表情で言った。「財産を奪うために女性を殺めて、罪を人になすりつけるような男は許せません」

「しかし、そのツェツェって奴は相当用心深いんじゃないか。私の鱗粉攻撃を簡単に受け入れるかね」サキュバスは心配そうに言った。

「案ずるな。ツェツェをある場所に誘い込み、ラルゴやインキュバスとともに夢の世界に導くプランを立ててあるんだ」ヴァリスは自信たっぷりだった。


 ヴァリスたちが図書館で密談しているのと同じ時刻、ヨルトン・ホテルの料理人ハブはフォギータウン唯一の新聞社、フォギータイムズ社を訪れていた。手には大きな封筒を持っている。


 ひまそうにしていた受付の中年女性は、目付きの悪いいかつい男がいきなり現れたのでギョッとした。こういう風体の男がやってくるのは、だいたい、新聞記事にケチをつけてカネを脅し取ろうというのが狙いだ。ろくなもんじゃない。


「ど、どちら様でございますか」

「俺ぁヨルトン・ホテルのハブって者だが」

「はぁ、は、ハブ様でございますか。どのようなご用件でございましょうか」

「タンティーノ編集長に会いに来たんだ。呼んでくれないか」

「編集長ですか。どういうご用件でございましょう?」

「俺はタンティーノの個人的な知り合いなんだ。いいから呼んでくれ」


 ハブは受付女性を正面から見据えて、目力で押した。ハブの目力の強さはヤクザ稼業で培ったものというより、持って生まれた能力で、ヴァリスなど少数の例外を除いて他人を威圧することができた。この受付女性も例外ではなく「は、はい。ただちに呼んでまいります。少々お待ちください」と言って、そそくさと奥へ引っ込んでいった。


 しばらくして、赤ら顔で腹の出た男が先ほどの受付女性に導かれて現れた。

「ハブさん、どうしたの。僕の職場に来るなんて初めてじゃない」

 その男、タンティーノ編集長はハブのポーカー仲間で、二人とも同じ賭博クラブの常連だった。


「まさか、借金の取り立てにここまで来たんじゃないでしょうね?」タンティーノは少し顔を曇らせた。

 ハブは笑って頭を振った。「そんなんじゃないよ。ちょっと頼みがあって来たんだ。というか、新聞記事のネタを提供しに来たんだよ」


 二人は玄関ロビーの応接テーブルに着いた。ハブは持ってきた封筒の中身をテーブルの上にぶちまけた。出てきたのは手書きの原稿だ。


「ミスティタウンに住んでいる大富豪、マニエラ・マルテルマンって女性が近く、フォギータウンのダンスホールでチャリティのパーティーを開くんだ。そのことをおたくの新聞で大々的に報じてほしくってな」

 タンティーノは原稿を手に取って目を通した。国でも有数の財閥一族出身のマニエラは各地で孤児を救済するためのパーティーを開いており、フォギータウンでも富裕層に参加を呼びかけて寄付を募るつもりらしい。


 原稿はタイプではなく、大きな読みやすい字で手書きされていた。実はこれは、マルカがヴァリスが考えた文を聞き書きしたものだ。最初はヴァリス自身が書いていたのだが、あまりにひどい字で他人が読めそうにないので、マルカが代筆したのだ。


「何でこんな記事をハブさんが持ってくるの?」タンティーノは怪訝な顔をした。「このマニエラさんってハブさんの知り合いなの?」

「そうじゃないが、ある人からぜひ載せるよう頼んでくれって言われてな」

「わかった。ほかならぬハブさんの頼みだから載せるようにするよ。一応、ウラを取ってからな。それで紙面の枠取りして数日中に載せるようにするよ」

「そんなヒマはねえ。明日の朝刊に載せてくれ」

「何でそんなに急ぐんだよ」

「理由は聞くな。明日の新聞に載せてくれたら、ポーカーの借金を帳消しにしてやるよ」

「え、ホント?」


 それはタンティーノにとってあまりに魅力的な提案だった。バクチ好きだが勝負弱いタンティーノはハブにカモられっぱなしで借金がかなりかさんでおり、女房にもにらまれているのだ。まあ、事件性のある記事じゃないし、何とか今からでも明日の朝刊の紙面をどっか空けさせてねじこむか。

「わかった。明日の朝刊に必ず載せるようにするよ」

「ありがとう。恩に着るぜ」

 こっちこそ恩に着るよとタンティーノは思った。こんなので借金がチャラになるならお安いものだ。


 久しぶりに外へ出て、慣れない女装姿で、指名手配中の容疑者だとばれやしまいかとドキドキしながら半日過ごしたラルゴは、ヨルトン・ホテルに帰ってきて夕食を食べ終わると精神的にくたびれて寝てしまった。

 退屈したインキュバスはラルゴの身体から出て、夜のホテル内を探索することにした。


 一時期、トリル風邪が猛威をふるい、国から営業自粛命令も出されてヨルトン・ホテルは閑古鳥が鳴いていたが、トリル風邪が終息に向かいつつある現在はその反動で大忙しの状態だった。夜はラブホテルにとって最も忙しい時間帯だ。ハブは調理の手を休める暇もなく、コリスやジェームスはキッチンと客室の間を目まぐるしく往復していた。そんな中で、マルカだけが異なる動きを見せた。


 一階の天井にくっついていたインキュバスは、マルカが火のついたロウソクを立てた燭台を持っていることを怪訝に思った。


 あいつ、どこへ行くんだろう。あっちには地下室に降りる階段があるのか。地下には客室はないはずだ。今頃、倉庫に何か取りにいくのか? 何か妙だな。好奇心に駆られたインキュバスはマルカの後を追った。


 マルカは階段を降りていく。ロウソクの炎が照らしているのはマルカの周り1メートルぐらいで行く先は真っ暗だ。しかし、インキュバスの八つの目のうちの二つは闇の中でも物を見ることができる。階下にあるのはワインセラー、そして米や小麦粉、調味料などの食材、食器やナプキン、テーブルクロスなどの備品をストックしている棚だ。やはり地階は全体が物置になっているようだが、何者かがそこに潜んでいる気配をインキュバスは感じ取った。


 階段を下りきったマルカはそのまままっすぐ歩いていった。暗い倉庫の中を歩くのに慣れているようだ。ワインセラーの間の狭い通路を迷うことなく歩いていく。インキュバスは彼女の真上の天井を這い進んでいった。


「おお、マルカよ。来てくれたのか」闇の中から声がした。男の声だが、水の中でしゃべっているかのようにくぐもっている。


 何だ? 人間がいるのか。しかし、インキュバスの眼にはマルカ以外の人影は映らなかった。すると、妖魔だろうか。だが、妖魔の気配も感じられない。


 何かが床を這う音が聞こえてきた。音はマルカに近づいていく。

「お待たせしました。リーチ様」マルカが男の声に返事をした。「すみません。ここのところ、何かと忙しかったもので」


 インキュバスは驚愕した。リーチだと。ヴァリスの父親はこんなところに隠れていたのか。しかし、人影が見えないのはどうしたわけだ?


 マルカは一番奥まで進んだ。そこには人が寝ころべるぐらいの広さのスペースがある。マルカはそこで立ち止まり、燭台を床に置いた。


「ツェツェがまた悪さをしているというのは本当か?」また男の声がした。

「はい。ヴァリス様がツェツェを成敗する計画を立てておられます。リーチ様の恨みを晴らすのも間もなくかと」

「わしの身体がこんなになってしまったのは奴のせいだ。わしはタンランを恨むつもりはない。悪いのはタンランをたきつけたツェツェだ。ヴァリスには奴を徹底的に痛めつけてほしいわい」


 驚いたことに、マルカはメイド服を脱ぎ捨てた。さらに下着も脱いで素っ裸になった。そして、彼女の前に異様な生き物が現れた。巨大なウミウシ、あるいは平べったいナメクジのような生き物だ。


「おお、マルカよ。お前はいつ見てもうまそうだな」その声は明らかに巨大ウミウシが発していた。「たっぷり栄養価の高い夕食を取ってきただろうな。お前が貧血でも起こして倒れたら、私も飢え死にだ。元の人間の姿に戻って普通に食事できるようになるまで、あと五年はかかるからな」


 こりゃびっくりだ。あの軟体動物がリーチなのかよ。インキュバスは唖然とした。

 マルカはたくましい足を女相撲の力士のように大きく開いた。すると彼女の股の下にリーチが入り込んだ。


「いくぞ、マルカ」

「はい。リーチ様」


 リーチのぬめっとした背の一部が大きく盛り上がった。太い棒のようになって上に伸びていく。先端が丸くふくれている。あれはリーチのペニスなのだ。リーチのペニスはマルカのヴァギナを目指して伸び続け、グイっと彼女の体内に入った。


 するとマルカは突っ立ったまま、大きく固い乳房を自分でもみながらあえぎ始めた。リーチの身体も小刻みに揺れている。

「おお、マルカよ、お前は最高の女だ。私に最高の快感を与えてくれる。そして、その血も極上のワインのようにうまい」


 インキュバスはあきれたように二人の性交を見守っていた。なるほどな。ヴァリスがあそこから女の血を吸うように、親父のリーチはペニスで女の血を吸うのか。ボロボロになるまで銃で撃たれてあんな身体になってもペニスだけは健在なんだな。やれやれ、まったくすごい親子だぜ。


 次の日の朝、既に十時を過ぎたが、寝室で朝寝を楽しんでいたツェツェのもとに、女中が新聞と郵便で届いた封筒を持ってきた。新聞はフォギータイムズである。ツェツェは寝ぼけまなこで新聞を手に取った。一面に、外国での紛争勃発やとなり町での列車脱線事故と並んで、町内でマニエラ・マルテルマンによる慈善パーティが開催される旨の記事が出ている。タンティーノ編集長は一面に載せれば、ハブがポーカー勝負で手を緩めてくれるのではないかと期待して特別サービスしたのだ。


 ツェツェはパーティーの記事を読み終わると、封筒を開いた。タイミングの良いことに、それはまさにその慈善パーティの招待状だった。

「こいつはいい。面白いことになりそうだ」ツェツェはニヤリと笑った。

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