19 ヨルトン・ホテルにて

   19

 ラルゴとインキュバスはヨルトン・ホテルにかくまわれた。客室の一つをあてがわれ、そこから出ないようにしろとヴァリスに命じられた。


 ラルゴが独房から脱走したことは、翌日にはツェツェや警察に知られ、ラジオのニュースで流された。そして翌々日には街中に指名手配のポスターが貼り出された。前に、プレストが行方不明になった時に、彼の顔写真入りのポスターを至るところで目にしたが、あんな風にラルゴの顔がいやでも目につくようになったのだ。


「いいか、ラルゴ、決して部屋から出るなよ。客に見られたら、警察に通報されるかも知れないからな」ヴァリスはきつく命じ、ラルゴもその指示に従ったが、不自由も退屈もしなかった。


 ラルゴとは役場で既に顔見知りだったマルカが甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたし、ロボットのジェームスはラルゴの必要なものをスピーディに用意し、どんな質問にも即座に答えてくれた。見かけこそ、その辺のゴミ捨て場から拾ってきた金属ゴミを荒っぽく溶接してくっつけたブリキ人形だが、AIの頭脳はすこぶる優秀だった。どうしてこんなスゴいロボットがこのラブホテルにいるのかラルゴは不思議に思ったが、マルカの話によると、ジェームスはヴァリスの恋人の工学博士の作品で、ヨルトン・ホテルの手助けになるようにとヴァリスの誕生日にプレゼントしてくれたのだそうだ。ストウ・レンジというその博士は国でも一二を争うロボット研究者だが、乗っていた飛行機が山に墜落して行方不明になってしまった。死体はまだ見つかっていない。ヴァリスはストウ博士のことを本当に愛していて、彼はきっとまだ生きていて、彼女のもとに必ず帰ってくると信じているらしい。


 元ヤクザの調理師、ハブの料理は一級品で、ラルゴはこれまでの人生でこれほどうまいものを食べたのは初めてだった。それを毎日食べられるのだから天国にいるような気分だ。ずっとこのホテルに閉じ込められて一生を過ごすのもいいかも、とさえ思った。


 ボーイのコリスや犬のスリーピーボーイはラルゴの良き遊び相手となった。コリスはラルゴより三歳年下だが、インキュバスが言ったように、二人は良く似ていた。身長は同じぐらいで、ひょろっとして頼りなげなシルエットは遠くから見ると区別がつかない。ヴァリスは「お前ら兄弟みたいだな」と言った。山村でわんぱくな自然児としてのびのび育ったラルゴに対して、幼い頃、海難事故で船員の父親を亡くし、母と再婚した義父に虐待され、母も交通事故でなくすという悲惨な人生を歩んできたコリスは内気な性格だったが、二人は妙に気が合い、コリスがオフの時間には、ラルゴの部屋で将棋やすごろくなどのゲームをして遊んだ。


「どうやらあいつは童貞じゃないみたいだな」ラルゴの体から出たインキュバスはコリスが部屋から出ていった後、ラルゴに言った。インキュバスはそういうことには鼻が利くから、きっとその通りなのだろう。


「へえ、そうなの。おとなしそうに見えて彼女とかいるのかしらね」

「そんなんじゃないだろうな。同世代の女性と知り合う機会はなかなかないだろうからな」インキュバスは天井を見上げた。「相手というか、手ほどきをしたのは、おそらく……」


 ラルゴの部屋の上にはヴァリスの部屋がある、というか上の階は全てヴァリスの部屋だ。

 ラルゴは思った。初体験の相手があのヴァリスというのはうらやましいような気もするが、あそこから血を吸う吸血鬼にペニスを差し出すのはちょっと怖いな。僕らのようなやせっぽちの若造から血を吸うことはないだろうけど、ヴァリスとセックスするのはやっぱり勇気がいりそうだ。


 雑種の黒い中型犬、スリーピーボーイはヨルトン・ホテルの番犬ということだが、一日の大半を寝て過ごしており、起きている時はプップッとおならをしながらホテルの廊下をのんびり気ままに歩き回っているだけで、番犬として役に立ちそうには見えなかった。しかし、ホテルの人たちがいそがしく働いている時はよくラルゴの部屋に遊びに来て、退屈をまぎらわせてくれた。


「しかし、ヴァリスの父親のリーチってな、どこにいるんだろうな。顔を見せねえな」インキュバスが言った。

「銃でボロボロになるまで撃たれたらしいから、どっかで寝込んでるんじゃないの」とラルゴ。

「まあ、なこたどうでもいいけどな」


 そんなホテル暮らしをラルゴが結構楽しんでいたある夜のこと。「作戦会議だ」と言って寝間着姿のヴァリスが勢いよくドアを開けてドカドカと部屋に入ってきた。その後をヴィエナがシャナシャナとついてくる。


「作戦会議、ですか?」

「そうだ。お前もこんな部屋にいつまでも閉じこもっていたら息が詰まるだろ」

 ラルゴとヴァリスは部屋の中央に置かれている大型のダブルベッドに腰かけ、インキュバスはラルゴの肩の上に乗った。ヴィエナはひょいとベッドに飛び乗ると伏せて目を閉じた。すると、独房にいた時と同じように人間の姿の霊体が浮かび上がった。ヴァリスと同じ寝間着姿だ。


「いやあ、ここでは皆さん親切にしてくださるし、ハブさんの料理はおいしいし、なかなか居心地がいいかと……」

「そんなのんきなこと、いつまでも言っていられないぞ。今、町中にお前の人相書きが貼られているが、それでも効果がないとわかれば荒っぽい手段に出てくるだろう。町中の家や建物をしらみつぶしに探して回るはずだ。ローラー作戦ってやつかな」ヴァリスは脅すように言った。「ツェツェは警察幹部に自分の血で催眠術をかけて操っているが、その効果はそれほど長くは続かない。効果が切れれば、警察官どもは自分らを操っていたツェツェを怪しむだろう。だから、奴はそれまでにお前を挙げて死刑台に送り、この事件の幕引きをはかろうとするはずだ。ツェツェも必死なんだよ。だからこっちも急がなくちゃならない」

「どうすればいいんでしょうか?」

「ツェツェと対決して奴を再起不能の状態に追い込めれば、警察官の催眠が解けてお前の疑いも晴れるだろうが、それはそんなに簡単なことじゃないな。奴は独りでも強いし、この町の警察全体を動かせる」

「それに、あの拘置所の見張り役みたいなヤクザ者たちを金で雇って味方につけているはずよ」とヴィエナが付け加えた。

「それじゃ、勝ち目ありませんね。僕はこの町から逃げ出すしかないんでしょうか」

「いや、それでも手はある」ヴァリスは力強く言った。「夢魔の作った夢世界の中にツェツェを誘い込み、そこで奴にダメージを与えるんだ。そうすればテレパシーを送ることができなくなり、警察官たちをコントロールできなくなるはずだ」

「夢世界であなたが闘うのよ、ラルゴ」とヴィエナ。「あなたは地獄の猛者スケルツォを倒したんでしょ。ツェツェにだって勝てるはずよ」

「あんたの出番だよ。奴を夢世界に誘い込むんだ」ヴァリスはインキュバスに言った。

「無理だ。俺が夢世界に誘えるのは女だけ。男を眠らせるぐらいのことはできるが、夢の中に連れていくことはできない。ツェツェを夢の中に連れていくには女の夢魔が必要だ」

「サキュバスだね」とラルゴ。「コーダにまたお願いしなくちゃいけないね」

「よーし、決まりだ。女の夢魔に手伝ってもらって、ラルゴが夢世界でツェツェで闘うって線で計画を進めようじゃないか」とヴァリス。「ツェツェを眠らせるのは、アタシらの手の届くところがいいな。ラルゴが夢の中でツェツェの魂を痛めつけた後、アタシらが奴の実体を始末するんだ。楽しみだせ」


 ツェツェは屋敷の談話室にアスカリッドと向かい合って座り、紅茶を飲んでいた。そこへオニグマ警部が報告にやって来た。


「警部、どうかね。あれだけ街中に指名手配のポスターを貼りまくったんだ。二三人ぐらいラルゴを目撃した者が出てきただろう」ツェツェは視線をアスカリッドの方に向けたまま言った。

「それがですね、ツェツェ様。全く通報がないんです、一件も」オニグマは申し訳なさそうに言った。

「全くないのか?」

「はい。そうなんです。あれだけ人相書を貼り出せばいやでも目につくと思うんで、それでも誰も気がつかないということは、ラルゴは既に町を出たのではないでしょうか」

「そうかも知れん。だが、まだ町内に残っている可能性は捨てきれない。署員を総動員して、町内の廃工場とか倉庫とか、隠れ場所になりそうな所をしらみつぶしに調べてみてくれ」

「了解いたしました。直ちにかかります」

 一礼して退室しようとしたオニグマをツェツェは呼び止めた。

「例の拘置所の見張りに置いていた男だが、貧血で倒れていたそうだな?」

「はい。失血死寸前まで血を失っていたそうです」

「しかし、斬られたり、撃たれたり、殴られた跡は全くなかったのだな?」

「その通りです、ただ......」

「ただ、どうした?」

「医者の話によると、ペニスにいくつか針で突いたような小さな穴が空いていたそうです。それが貧血と関係あるのかどうかはわかりませんが」

「そうか、わかった。下がっていいぞ」

 オニグマは部屋から姿を消した。


「今の話によると、見張りを倒してラルゴを出したのは......」アスカリッドが言った。

「そう、ヴァリス・ヨルトンに間違いないだろう。どういうつもりかわからないが、ヴァリスは見張り役の男とまぐわって血を吸い、カギを奪ってラルゴを連れ去ったのだ」ツェツェは答えた。

「だとしたら、ヨルトン・ホテルに乗り込んでいけばいいのでは?」

「それは強引すぎるな。ラルゴを犯人に仕立てただけでもかなり強引だったのだから。それに、相手がヴァリスならなおさらだ。危険な橋を渡るわけにはいかない」

「じゃあ、どうするんだね」

「こちらからは何もしないさ」

「何もしないのか?」

「君の話では、ラルゴという若僧は夢魔インキュバスと組んでいるんだったな」

「そうだ。その若僧とインキュバスがスケルツォを倒して地獄の獄卒に引き渡したのだ」

「だとしたら、ヴァリスとラルゴ、インキュバスが組んで僕に勝負を仕掛けてくる可能性大だな。ラルゴは自分に罪をかぶせた私を恨んでいるだろうし、ヴァリスは母親をそそのかしてリーチを撃たせた私を恨んでいるだろう」

「私もそう思うよ。で、どうするんだ。逃げるのか?」

「馬鹿言っちゃいけない。もちろん受けて立つよ。このツェツェ・シュミルソンをなめてもらっちゃ困る。奴らを返り討ちにして、リーチへの復讐とジュスタ殺しの件に同時にかたをつけてやる。早く来てほしいね。警官どもにかけている催眠はそう長くは続かないからね。少しでも早く次の金持ち女を見つけてここを出ていきたいんだ」

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