18 ヴィエナとヴァリス

  18

 ラルゴが連れてこられたのは警察署でなく、拘置所だった。妖魔の森からほど近いところにある崩れかけたような古ぼけた建物で、ラルゴは取り調べを受けることなく、いきなり独房に放り込まれた。


「こんなばかなことってあるかよ」ラルゴは鉄格子のはまった部屋で床にへたりこんで嘆いた。

「この件に妖魔がからんでいることは間違いなさそうだな」インキュバスが言った。

「妖魔が?」

「ああ。女の部屋で俺の糸を見つけたからって、どうしてすぐにお前んとこへ来るんだよ。そんなのおかしいじゃないか」

「そりゃそうだけど。あのオニグマって刑事が妖魔に憑かれているのかな」

「その気配はしなかったが、何か妙なものは感じたな。きっと何かある」


 拘置所の中は暗く、ジトっと湿っており、こんなところに長く閉じ込められていたら頭がどうかなりそうだった。一度だけ、ヤクザっぽい大柄の男がパンと水を持ってきただけで、ほかには誰もやってこない。両隣の房には誰もいないようだ。何の音も聞こえてこない。ほかに収容されている者はいるのだろうか。


「俺が妖魔の姿に戻れば、こんなぼろい壁ぶち破れるぜ。やってみるか」インキュバスが提案した。

「そんなことをするとよけいにまずい事態になるかも知れないから、もう少し待とう」


 ラルゴは冷たい床に横たわり少しだけ眠った。


 鉄格子のはまった小さな窓が外に向いた壁の高い所にあり、そこから空だけが見えるので、時間の経過ぐらいは察しがついた。ここに入れられた時、私物の腕時計は取り上げられてしまったのだ。


 今はおそらく深夜0時ぐらいだろうか。

 ラルゴは鉄格子越しに月を見ていた。半月刀のように鋭く、冷たい銀色をした三日月だ。その三日月が突然何かに隠された。上から窓に何かがバサッと落ちてきたのだ。


 小さな動物だ。そいつは鉄格子の間に頭を通すと、スタッと独房の床に降り立った。暗い中ではっきりとは見えないが、灰色の地に豹のような文様が入った毛並み。そしてわずかな光に反応して美しいエメラルドグリーンに輝く両眼。そいつは猫だった。その辺の野良猫とは思えない、上品な佇まいの猫。いったいどうしてどこからこんなところにやってきたのだろう。ラルゴは目を見張った。


「こりゃ、ヨルトンホテルにいた猫だぜ」インキュバスが言った。「確か、ヴィエナって呼ばれてたな。このヒョウ柄の模様、エメラルドグリーンの眼、間違いないぜ」


 ヴィエナは可憐な声でミャァ一声鳴くと両眼を閉じて低く伏せった。それと同時に猫の背から女の姿が煙のように浮かび上がった。像は最初、ぼやけた墨絵のように色彩を持たなかったが、徐々に輪郭がハッキリし、色づき始めた。金色の髪、碧色の瞳、一度見たら忘れられない女がラルゴの目の前に現れた。


「ヴァリス・ヨルトン!」ラルゴとインキュバスは声を揃えて叫んだ。


 幽霊のように現れたのは、確かに役場に来たのと同じ美女なのだが、少し違っている。がさつきわまりなかったあの時のヴァリスと違って上品な感じだ。表情が引き締まっている。そして、右のこめかみに小さな星印のようなほくろがある。ヴァリスにはそんなものはなかった。


「私はヴァリスではない。ヴィエナ・ヨルトン、ヴァリスは私の双子の妹だ」

「しかし、あんた霊体だろ。猫の中に入っているのか?」インキュバスが尋ねた。

「その声は誰だ? その子の中にいるのか? 妖魔だな」

 インキュバスはラルゴの鼻の穴から出てヴィエナに自己紹介した。

「あ、あの僕は……」ラルゴも自己紹介しようとしたが、ヴィエナはその必要はないと言った。

「ラルゴだろう。フォギータウン役場の印紙係、ラルゴ」

「どうして知っているんですか?」

 ヴィエナは笑った。「今では町中の誰でも君のことは知っているさ。ジュスタ殺しの容疑者として報道されているからね」

「おい、よかったな、ラルゴ。お前も今や有名人だな」ラルゴの肩の上に乗ったインキュバスが茶化すように言った。

「バカなこと言うなよ」

 ヴィエナも自己紹介した。彼女のストーリーはちょっと複雑だ。


 ヴィエナは双子の姉としてヴァリスより数十分先に生まれたが、わずか三日間しか生きられなかった。心臓に重大な欠陥を抱えていたのだ。


 父親のリーチは何とかヴィエナを生き返らせようと友人の魔術師を呼んだ。魔術師はリーチに、ヴィエナと同じ時刻に生まれたメスの動物を連れてくるように指示した。そうすれば、その動物にヴィエナの魂を宿らせて、魂だけでもこの世に居続けられるようにしてやろうと言った。


 当時、世界屈指のホテル王としてアケロニアという国に豪邸を構えていたリーチはホテルの従業員や屋敷の使用人たちを総動員して、ヴィエナと同じ時刻に生まれた動物を探させた。


 使用人の一人が近所の農家で生まれたメスの子猫を抱いて戻ってきた。眼はまだ開いていない。どこにでもいるような茶トラ模様の雑種猫だ。元気満々の様子で甲高い声で鳴き続けている。


 魔術師は床に広げた赤い布の上にヴィエナの死体と子猫を並べて置き、香を焚き、長い長い呪文を唱えた。リーチはその様子を傍らで固唾をのんで見守った。


 魔術師の呪文が途切れた時、香の匂いが変わり、それとともに子猫の体毛が茶トラからヒョウ柄に変わった。そして、両目がゆっくりと開かれた。その瞳は鮮やかなエメラルドグリーンだった。その時、リーチは確信した。天国に昇りかけていたヴィエナの魂が呼び戻されたのだ。


 それから猫に生まれ変わったヴィエナと、双子の妹ヴァリスはすくすくと成長した。ヴィエナの魂は精神を集中すれば数十分の間、猫の体から出て、今やっているのと同じように人の姿を結ぶことができた。その時のヴィエナはほくろを除けばヴァリスにそっくりだが、ヴィエナの方がおしとやかで落ち着いていて聡明だ。(ヴァリスもがさつな見かけによらず、頭の回転は速く案外思慮深いのだが)


「で、あんたは何のためにここに来たのかね?」インキュバスはヴィエナに尋ねた。

「あんたらを助けるためよ。この町で、少なくとも私たち姉妹はラルゴがジュスタを殺していないことを知っている。私たちは真犯人を知っているのよ」

「真犯人は誰なんです?」ラルゴが尋ねた。

「夫のツェツェよ。間違いないわ。あいつはジュスタの財産を奪うために近づき、結婚して殺したのよ」

「どうやって殺したんですか?」

「奴は特殊な体質でね。体内で毒を作って、人の血管に流し込む能力を持っている。その毒によって、人を眠らせたり、思うように操ったり、病気にしたり、生命を奪ったり、自由にできるのよ」

「ずいぶんとその男について詳しいんだな」とインキュバス。

「ツェツェは私たち家族にとって因縁の相手でね」


 ツェツェはクリスタリア公国の没落貴族シュミルソン家に生まれた。両親は仲が悪く、毎日罵りあい、ツェツェが十歳の時に剣で斬り合って二人とも死んでしまった。

ツェツェを支えてくれたのはただ一人の親族である十二歳年上の姉、モスティク。たぐいまれな美人でツェツェにいつもやさしく接してくれた。


 その後、モスティクは同じ公国の貴族リーチ・ヨルトンに見初められ結婚。ホテル経営で成功しつつあったリーチとの結婚により、モスティクの将来は輝かしいものになる、はずだったが、残念ながらそうはならなかった。


 ツェツェの見方によれば、リーチはとんでもなく女にだらしない男で、献身的なモスティクを裏切り続け、モスティクが両親から相続したシュミルソン家代々の財産を女遊びに注ぎ込んだ。あげくの果てに、リーチはタンランというの女と激しい恋に落ちて外国へ逃げてしまった。裏切られ失意のどん底に沈んだモスティクは火山の火口に身を投げて自殺した。


 ツェツェがリーチに対して復讐の炎を燃え上がらせたことは言うまでもないが、モスティクやリーチの近くにいた友人知人によれば、モスティクにはツェツェの知らない顔があったようだ。淫乱な吸血鬼一族の血を引くモスティクは結婚後も男漁りを止めることができず、最初は彼女を裏切るつもりがなかったリーチもあきれて、モスティクへの愛がさめていった。財産にしろ、派手好みのモスティクはすでに結婚した時点で親の遺産を使いつくしていた。むしろ、リーチの稼ぎを自分の贅沢な遊びに費やしていたのは彼女の方であった。


 だが、そんなことはその頃まだ純情な少年だったツェツェの目や耳には入らない。ツェツェにとってモスティクはやさしく純情で慈愛に満ちた天使なのだ。そしてリーチは許すべからざる悪の権化だ。全てを失って生活に困窮したツェツェは、成長に伴い自分の中に目覚め始めた吸血鬼の能力を駆使して、クリスタリアの貧民街の中で生き抜き、大人になる頃には貧民街の顔役になっていた。


 何年経っても、リーチへの復讐心は弱まることはなかった。かなりの金をため込んだツェツェは国を出て、リーチの行方を探りながら世界中を歩き回った。そしてフォギータウンにただ一つ残ったヨルトン・ホテルにリーチと彼の妻となったタンラン、そして二人の間に生まれた娘のヴァリスが暮らしていることを突き止めた。


 ツェツェはフォギータウンに滞在し、リーチの動向を探った。思った通り、リーチの浮気癖は治っていない。普段はおとなしいがいったんキレると怖いタンランを恐れて、こそこそ楽しんでいるようだ。ツェツェは、一人で買い物に出たタンランを巧みにナンパして、リーチが浮気していることを教えた。ツェツェは女好きではないが、自らの美貌と吸血術を活かして女を引き付け、自分の思い通りに操ることに少年時代から長けていた。タンランもツェツェの術中にはまり、自分を裏切ったリーチへの憎しみをたぎらせて、ツェツェの思惑通り、リーチの浮気現場に踏み込んで彼にありったけの銃弾を浴びせた。


 ツェツェは長年の恨みを晴らした。だが、本当にリーチは死んだのか。彼の一族と同様にリーチも毛色は少し違うが吸血鬼であることに変わりない。ツェツェはしばらくフォギータウンで暮らしながら様子をうかがうことにした。世界有数の有力者にのし上がるためにこの町の女たちを利用しながら、もしまだリーチが生きているなら今度こそ完全に息の根を止めてやるのだ。


 一方、ツェツェの術が解けたタンランはもはやヨルトン・ホテルにはいられないと、娘のヴァリスとヴィエナに事の次第を告げ、町を去った。


「この事件のおかげで私らはツェツェがどこに潜んでいるのか知ることができた」ヴィエナは言った。

「しかし、俺たちがどこに囚われているのかよくわかったな」とインキュバス。

 ヴィエナは窓の鉄格子の間に見える小さな空を指差した。「私たちの古い友人が教えてくれた。仲間の妖魔があそこに閉じこめられている。助けてやってくれとね」

 窓の外から羽ばたきが聞こえてきた。そしてキィキィという甲高い鳴き声。黒く大きなコウモリが三日月を隠すのが見えた。

「レジェロか、奴には何度も助けられるな」インキュバスは上空のレジェロにテレパシーで感謝のメッセージを送った。

「女にだらしないクソ親父だが、母をそそのかしてひどい目にあわせたツェツェにはキッチリと報復して、この町から追い出さなくちゃ私らの気が済まない。あんたらをここから出してやるから協力してくれないか」

「ジュスタさんを殺して僕に罪をなすりつけたツェツェは許せない。もちろん協力するよ」ラルゴは言った。

「だが、どうやってここからラルゴをここから出すね。俺だって、本来の妖魔の姿に戻ればこんな壁ぶち壊せるんだが、こいつはそんなことをすれば、またとっ捕まって裁判で不利になるんじゃないかって心配するもんでな」とインキュバス。

「裁判なんか行われやしないよ」ヴィエナはそう言って笑った。「ここは拘置所じゃない。いや、元は拘置所だったところだが、今は使われていない。あんたら以外とっ捕まってる奴はいない」

「どういうこと?」ラルゴは尋ねた。

「ツェツェはあんたを正当な裁判にかけるつもりなんかない。そんなことしたって、あんたが犯人だという証拠は何一つないんだからね。奴はあんたをここに閉じ込めておいて、そのうち始末するつもりなんだよ」

「そうとわかりゃ、こんなところでグズグズしていることはない。サッサと壁を破って抜け出そうぜ」インキュバスは興奮して言った。

「待ちなよ。ここで騒ぎを起こすのはまずい。今、ヴァリスがこっちに向かっている。そろそろつく頃だ。入り口には屈強な見張りがいるが、ヴァリスなら難なくそいつから鍵を奪って、ここからあんたを出せるだろう」

「ヴァリスさんって、そんなに強いの?」ラルゴは目を丸くした。

「強い?」ヴィエナは苦笑した。「そうね。強いわね。たいていの男はかなわないわよ」

「あの女は何か特別な吸血術を持っているんだろう。あいつも吸血鬼の一族なんだよな」インキュバスはラルゴの肩から床にヒョイと飛び降りた。「見に行ってこよう。興味がある」


 かつて拘置所であった建物の入り口を入ったところにある管理人室には図体のデカい男が一人座っていた。彼は警察官でも公務員でもない。ツェツェに雇われたヤクザ者である。


 男は数日の間、誰も入ってこないよう、そして万が一ラルゴが牢を破って出ていかないよう、ずっとこの部屋で見張っているよう命じられた。退屈な仕事だ。牢にはしっかり鍵がかかっているから、ラルゴが出られるはずはなく、ラルゴがここにいることは誰も知らないから、助けに来る者などいるはずがない。


 男は部屋から出るなという言いつけを守りながら、居眠りしたり、情婦に持ってこさせたサンドイッチをパクついたり、漫画本を読みながら気楽に過ごしていた。

 大あくびをしながら漫画本を読んでいた男は何やら甘い香りが漂ってくるのに気づいて鼻を鳴らした。鼻の穴を通して頭の中にピンク色の霧が入り込んでくるような気がした。男がトロンとした目で外を見ると、暗い中を人影が近づいてくる。かなりの長身だ。


 人影が建物の玄関を照らす明かりの下に入った。それはヴァリス・ヨルトンであった。上は身体の線にフィットしたグレーのキャミソール一枚。下はブルージーンズという姿で堂々と元拘置所に入ってくる。


「何事だ」男はあわてて立ち上がり、ドアを開けて外へ飛び出そうとして立ち止まった。ヴァリスとぶつかりそうになったのだ。彼女は既に管理人室のすぐ前まで来ていた。男の顔のすぐ前に長身のヴァリスの乳房があって、男の頭の中のピンクの霧は濃くなっていた。何とも言えぬ甘い香りが男の鼻の奥をくすぐる。彼の情婦がつけている安物の香水とは段違いの上等な香水の香りだ。

 ヴァリスは男を見下ろしてほほ笑んでいる。


「な、何か用か?」男はようやく声を振り絞った。

「いえ、別に。ただ、ちょっと今夜いっしょに楽しめるいい男がいないかなと思って歩いていたら、精力に満ちた男のいい匂いがしてきたので、ついフラフラとここに来てしまったのよ」

 こいつ、娼婦か。男はキャミソールの胸にぽっくりと突き出ている乳首に見とれた。股間が熱くなってくる。この美貌と若さならかなり高額かも知れないが、べらぼうな額でなければ遊んでもいいかな。


「いくらだ」男はすでに今持っている有り金でヴァリスと遊べるなら、全て投げ出す覚悟を決めていた。

「フッ」ヴァリスは左手で男の頬をなでた。「あたしはあんたからお金を取るつもりはないよ。ただ、あんたがほしいだけなんだ」


 男にとってヴァリスの言葉は信じがたいものだった。彼は十代の頃から女にもてたことがなかった。ぐれて義務教育をまっとうすることなくヤクザとなって以来、暴力と金で女どもを屈服させてきたのだ。こんな言葉を女から聞くのは生まれて初めてだった。


「このあたりにはホテルはないが……」男は息を荒くしながら言った。

「そんなとこ行かなくても、ここでいいじゃないか」ヴァリスは甘い息を男の口元に吹きかけ、右手で男の股間を撫でた。

 その時、男の脳裏に「これは何かのワナかも知れない」という考えが一瞬浮かんだが、既にヴァリスの仕掛けた蟻地獄に吸い込まれており、抜け出すことは不可能だった。


 理性も警戒心も吹っ飛んでしまった男は、ヴァリスをソファーの上に押し倒し、唇を奪い、キャミソールを脱がし、形の良い乳房にむしゃぶりついた。ヴァリスは手際よく男の服を脱がせ、自分のジーンズとパンティも脱ぎ捨てた。

「うまそうね。あんた、本当にうまそうだわ」ヴァリスは男のペニスをやさしくなめてやった。既にギンギンで今にも勢いよく噴出しそうだ。これは早くしないと、こいつ漏らしちまうな。


 ヴァリスは体勢を入れ替えて自分が上になり、男のペニスを自分の中に収めた。

 男は頬を火照らせ、恍惚の表情を浮かべた。自分が腰を動かさなくても、ヴァリスが激しく上下に動いている。これまで女とセックスしてこれほどの快感を得たことはなかった。違う。何かが違う。本当に天国に昇り詰めたような気分だ。


 男はたまらず発射した。それと同時に、赤かった顔色がスーッと青ざめていった。ヴァリスはペニスを外して立ち上がったが、男は魂を抜かれたように動けない。両目を半開きにしてぼんやり天井を見ている。口をかすかに動かして何か言おうとしているが何も言葉は出てこない。


 ヴァリスは周りに散らばった衣服を拾い集めて身に着けると、天井の一角に目をやった。

「おい、のぞき魔のクモ野郎。ずっと見てたんだろ」

「わかってたのか。勘のいい女だな」天井の隅にずっと止まっていたインキュバスが動き出し、ヴァリスの方に近寄った。


「あたしの寝室に入ってきた時に、お前の気配は覚えたよ」

「別に俺はあんたの裸を見に来たんじゃないから勘弁してくれよ」

「わかってるよ。レジェロから話は聞いた。お前は夢魔なんだな。あの役場の若い子の相棒なんだろ。あの子もとんだ災難だったな。人妻と夢の世界で楽しく遊んでたつもりがツェツェにまんまと利用されちまった」


 ヴァリスは男のデスクに置いてあった牢屋のカギを取った。「だが、アタシとヴィエナが助けてやるよ。ツェツェのクソ野郎の悪事は見逃せないからな」

「あんたも吸血鬼なんだな。吸血鬼ってのは皆人間の喉笛に食いついて血を吸うのかと思ってたが、あんたは下の口から吸うんだな」インキュバスはソファーに仰向けになったまま、口を半開きにして阿片中毒者のように虚ろに天井を見ている男に目をやった。男の顔や身体からは血の気が失せて真っ白だ。


「しかし、よくこんな脂ぎったスケベ男とセックスできるな。カギを奪うだけならほかの方法もあっただろうに」

「これはセックスじゃない。食事だ。こういうギトギトオヤジの方が血がうまいんだよ。アタシだって、好きな男とは普通にセックスできるんだよ。肉体が求める食事と愛のあるセックスは別さ」

「そういうもんかね。俺には同じように睦み合ってるとしか見えねえが」

「そんなことより、早くラルゴって坊やを外に出すよ。誰かに見られたらまずいだろ。ラルゴは殺人の容疑者ってことになってるからな」

「どこへ行くつもりだね?」

「ひとまずアタシらのホテルにラルゴを隠そう。そこで、どうやってツェツェをとっちめてラルゴがシロだってことを皆にわからせるか策を練るんだ。アタシの忠実な部下がここへ車を回すから、夜が明けぬうちにホテルへ戻るよ」


 インキュバスはヒョイとヴァリスの肩に乗り、ヴァリスはラルゴの閉じこめられている独房へ急いだ。




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