17 容疑者ラルゴ?
17
ジュスタの告別式が終わって、会場となった屋敷の大広間から弔問客の姿が消えた。壇上の中央に置かれた白い棺。その周りは、赤、白、オレンジ、ピンク、黄色など、ジュスタの好きだった明るい色の花でびっしり埋め尽くされている。ツェツェは花々に埋もれるように腰を下ろして、蓋の外された棺の中に横たわっているジュスタの美しい死化粧を施された顔を飽きることなく見つめていた。
「ご主人様」会場の掃き掃除を終えた女中頭がツェツェのもとに来て声をかけた。「広間の清掃は終わりました」
「ああ、ご苦労様。もう下がっていいよ。急なことで君たちも疲れただろう。ゆっくり休んでくれたまえ」
「ありがとうございます。ここの明かりはどういたしましょう」
「点けたままにしておいてくれ。僕がここに残っているから。誰もいなくなったらジュスタが寂しがるからね」
まあ、おやさしいこと。女中頭は感心した。ツェツェ様はジュスタ様を本当に愛していらっしゃるんだわ。
「わかりました。それでは失礼いたします」女中頭は深く頭を下げた。
「おやすみ」
回れ右して引き下がりかけた女中頭が再びツェツェの方を振り向いた。
「アレルト様はどういたしましょう。ジュスタ様の姿が見えなくなって、居間でずっと騒いでおられるのですが」
「アレルト様?」ツェツェは一瞬それが誰のことを指すのかわからなくてキョトンとした。「犬か、犬のことを言っているのか? 犬にサマなんてつけて呼ぶなよ。殺して、焼いて、ジュスタと一緒に葬ってやるかね」
女中頭はツェツェが急に表情を曇らせて恐ろしいことを口にしたものだから唖然とした。
「あ、いや、すまない。ひどいことを言ってしまったね。ジュスタがひとりで天国に旅立つのは寂しいだろうなどと考えてしまってね。本当なら、僕が一緒に行ってやりたいぐらいなんだが。妻の突然の死で動転していてとんでもないことを言ってしまったよ。すまなかった」
女中頭は表情を緩めた。「お気持ちはお察ししますわ。アレルト様は筆頭執事のゼローソ様になついておいでですので、ゼローソ様に世話をおまかせすることにします」
女中頭は広間から退出し、一人残されたツェツェはフゥッと安堵の吐息を漏らした。
女中頭が出ていったのと入れ替わりに一人の男が大広間に入ってきた。肩まで届く長い黒髪に青白い顔。ひょろ長い長身を揺らしながらツェツェに近づいていく。
「やあ、アスカリッド。待っていたよ。地獄からワザワザ来てくれてありがとう」ツェツェは男に微笑みかけた。
アスカリッドと呼ばれた男は妖魔だった。彼は棺の後ろの壁に掲げられたジュスタの大きな遺影写真を見てニヤリと笑った。
「なるほど。ツェツェ、君は首尾よく莫大な遺産と広大な土地を手に入れたらしいね」
「フン、小さな町のやせた土地と小金持ちのはした金を手に入れたに過ぎないさ。俺の目標はこんなものじゃない。この国の富と権力を独占することだ。それと、憎き姉のかたきリーチ・ヨルトンを葬り去ることだ」
「リーチ・ヨルトンは、君が奴の女房をそそのかして撃ち殺させたんじゃなかったのか」
ツェツェはうなずいた。「奴の女房は俺の思惑通り、リーチを撃った。だが、奴は死んではいないよ。奴の生命力と性欲は無限大だ。ゴキブリのようにしぶとい。たぶん、あのホテルのどこかに隠れているんだろう。このままで終わらせるつもりはない。近いうちにお邪魔してトドメをさしてやるさ」
「しかし、娘のヴァリスがいるから、それはそんなにたやすいことではないな」
「確かに。だが、俺はこの町の警察を味方につけてるからな。奴らをうまく使ってホテルに乗り込むつもりだ」
「ところで、私に聞きたいことというのは?」
「そう。これを見てくれないか」ツェツェはポケットから細い糸を取り出してアスカリッドに渡した。「一見、普通のクモの糸のようだが、それは妖魔の吐いたものだろう。違うか?」
アスカリッドは糸の端を両手で引っ張り、目の位置に持ってきてしげしげと眺めた。「確かに、この糸は虹色に光っている。これは夢魔インキュバスのものだな」
「夢魔っていうと、夢の中で女を犯すというあれか?」
アスカリッドはうなずいた。「この糸をどこで見つけたんだね?」
「妻の枕元だ。何者かが妖魔の力を借りて彼女を強姦したのかと思っていたんだが、ベッドは乱れてはいなかったし、男の匂いもしなかった」
「インキュバスにそそのかされて、君の女房と密通しようとする男はこの家に来る必要はない。インキュバスが小さなクモの姿でやって来て糸を女に巻きつける。それで女はインキュバスの創った夢の世界に引きずりこまれる。そこで男は女への想いを遂げるのだ」
「現実には身体を触れずにセックスするということか」
「そうだ。脳内には現実のセックス以上の強烈なイメージが残るがね」アスカリッドは糸をツェツェに返した。「今、地獄で懲罰をくらっているスケルツォから聞いた話を思い出したよ。奴はこの町で金髪巨乳の女ばかり犯して殺すという悪さをしたんだが、閻魔庁に引き渡したのはインキュバスと女の夢魔サキュバスらしいんだな」
「そう言えば、そういう事件があったな。ありゃ妖魔の仕業だったのか」
「スケルツォが憑いたのは役場勤めの中年男で、インキュバスと組んで奴を捕らえたのはその中年男の部下の若造だって話だ」
「そりゃいい。その若造にジュスタ殺しの罪をかぶってもらおう」
「間男されたことを怒っているのか?」
「そんなんじゃない。ジュスタがどこの誰と寝ようが、そんなことはどうでもいいんだ。ただ、ジュスタ殺しで俺を疑っている奴もいるんでな、彼女の顧問弁護士とか。夢魔使いの男を犯人に仕立てられれば都合がいい」
「そんな面倒くさいことしなくても、君お得意の吸血術を使えば弁護士など丸めこめるのではないか」
ツェツェは右手の甲を上に向けてアスカリッドの方に近づけた。すると、毛深い甲に生えた剛毛が線虫かモヤシの芽のようにユラユラと伸び上がった。
「俺がこの吸血毛を使って相手と血を交換するには、握手か相手の素肌に直接触れる必要があるが、例のトリル風邪騒ぎで握手という習慣がタブー視されてしまってな。特に、女房の顧問弁護士は極度の潔癖症で他人、特に男の手に触れようとしないのだ」
「それでわざわざ他人を犯人に仕立て上げようというのか。その若僧にとっちゃ迷惑な話だが」
「野望を果たすためにはそんなこと考えていられないよ。利用できるものは何でも利用しないとな。さっそく、明日にでも警察の連中を動かすことにしよう」
ジュスタが急死して以来、ラルゴは気の晴れぬ日が続いた。どうしても彼女の急逝は腑に落ちない。毒殺されたのではないかと思うし、警察もそう考えているようだが、クモの糸が発見されたからって、毒グモにやられたっていうのはどうなんだい。あれはおそらくインキュバスの糸に間違いないだろう。だからって僕が疑われることはないと思うが。僕自身は彼女の寝室に行ったことはないから、指紋とか証拠が見つかるはずはないんだし。
「浮かない顔だな」インキュバスが体内から呼びかけてきた。
「当然だろ。ジュスタさんが亡くなったんだ。ショックだよ」
「もう忘れろ。そろそろ次の女を見つけたらどうだ」
「そんな気分になれないよ。警察はジュスタのベッドで君の糸を見つけたんだよ」
「そんなもん、どうってことねえ。人間の警察に俺らのことがわかるわけねえんだ。お前が疑われる理由なんかないんだから安心しろ」
「でもねえ……」
その日は割と忙しい日で、次から次へと印紙を買いに町民が訪れた。夕方近く、人相の悪いブルドッグみたいな中年男が現れた。ラルゴは、その男がヤクザの親分かと思って身構えたが、男の背後から二人の制服警官がついてきたのを見て驚いた。男は警官に連行されてきたのではなく、私服警官で結構えらい立場の人間のようだ。
やってきた警官三名はまずアクート課長のところへ行った。そしてヒソヒソ立ち話をしながら、ラルゴの方をチラチラ見ている。アクートは眉をひそめ険しい表情をしている。いやな感じだ。
立ち話が終わって、ブルドッグのような私服警官がラルゴの方に歩み寄ってきた。
「ラルゴ君だね」ブルドッグ警官はポケットから警察官の身分証明書を出してラルゴに見せた。「フォギータウン警察署刑事課のオニグマだ」
ラルゴはオニグマの名に聞き覚えがあった。ラジオだ。ジュスタ事件のニュースでしゃべっていた男だ。ジュスタの死が毒グモの毒によるものだとか言っていたのはこの男の声だ。
「はあ、何かご用でしょうか?」ラルゴは無表情を装って答えた。
「ジュスタ殺害の容疑で君の身柄を拘束する」
えーっ! 表情には出さないように努めたが、ラルゴは脳みそが爆発しそうなぐらいに驚いた。それは彼の体内にいたインキュバスも同じだった。
「何か証拠があるんですか?」
オニグマはポケットから糸を出した。虹色に輝く糸。間違いなくインキュバスの吐いた糸だ。
「今日、君のアパートを捜索させてもらった。その結果、ジュスタのベッドに残されていたのと同じクモの糸が発見された」
何で一万人ほどいるフォギータウン町民の中から僕に狙いをつけてアパートを捜索するんだよ。さっぱり理由がわからないじゃないか。目撃者もいないし、指紋とかも出てこないだろ。だいいち、死因がクモの毒だと特定されているんだろうか。
ラルゴの口から様々な疑問や不満があふれ出ようとした時、オニグマはそれを制するように言った。
「ま、君にも言い分はあるだろうが、それは署に行ってから聞こうじゃないか。とにかく一緒に来てもらおう」
理不尽にもほどがあるが、何を言ってもムダらしい。
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