16 奇妙な夫婦

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 陽ざしがまぶしいが、頬を撫でていく微風が心地よく、暑苦しい感じは全くない。目を開くと木々の緑と湖面の青が飛び込んできた。ここは避暑地、高原の湖畔、らしい。


 ラルゴは湖畔の方を向いてデッキチェアにもたれて座っており、となりには同じチェアに座っているジュスタがいる。二人はともにコーンの上に三段に積み上げられたアイスクリームを食べている。


 ラルゴがジュスタを知ったのは、ヴァリスが役場にやってくる五日前のことだった。ジュスタもヴァリスと同じように生まれて初めて役場にやってきて、勝手がわからず右往左往しているところをラルゴが助けた。


 ラルゴは二言三言ジュスタと言葉を交わしただけで彼女のとりこになった。巨乳ではないが、全体的に丸みのあるややぽっちゃりの体型。育ちの良さを感じさせるおっとりしたしゃべり方。四十歳を超えているにも関わらず、穢れのない童女のような微笑。さっそくラルゴはインキュバスを飛ばして、その夜、ジュスタと夢空間で結ばれた。ジュスタと二人きりの世界は、真綿でくるまれたシェルターのようで、この世のすべての苦痛や悩みから解放された天国のように思えた。これまでどの女性と一緒にいてもそれほどの安らぎを感じたことはなかった。


 ジュスタはただのお嬢様ではなかった。裕福な会社社長の父とインテリアデザイナーの母の間に生まれ、一人っ子としてやさしい両親に見守られながらすくすく育ち、名門女子高に進んだが、両親が船の事故で死亡。ジュスタは卒業後すぐに父の腹心の部下だった男と結婚したが、夫は父から引き継いだ事業で失敗し、跡継ぎを残さぬまま自殺した。ジュスタは数々の悲運に見舞われながらも、持って生まれた天使のような微笑を絶やすことなくたくましく生きてきた。幸い、彼女にはまだ両親と夫が残してくれた広大な土地や莫大な資産があったので、生活に困ることはなかった。


 四十を過ぎてから、ジュスタはあるパーティで外国から来た貴族出身の男性と知り合い恋に落ちた。男の名はツェツェと言い、ジュスタより十歳年下だ。しかし、ツェツェは天文学から植物学、政治学、文学に至るまで教養豊かで、ジュスタには彼が数百年も生きてきたように思えた。


 ツェツェとジュスタは出会って一カ月足らずで結婚した。今、ツェツェはジュスタの家に同居している。


「ツェツェと私はお互いにいくら浮気しても相手を責めないっていう約束をかわしているのよ」ジュスタはストロベリーアイスをしゃぶりながら言った。「外に出て自由に恋愛しないとつまらない人間になっちゃうでしょう。そんな人生は窮屈で退屈。お互いに束縛せず自由を謳歌しようって言ってるの。ただし、浮気はあくまでも浮気。本気の相手は私にとってはツェツェだけ。彼にとっては私だけよ。そこはわきまえているの」

「ふうん。ラストダンスは私にって感じですかね。何か不思議な夫婦ですね」

「ツェツェはまれに見る美男子よ。私一人が独占するのは罪だわ。非の打ち所のない人よ。ただ一つ、残念なのは犬嫌いで私の愛犬のアレルトちゃんと一緒に遊べないことぐらいかしらね。犬の匂いがだめらしいのよ。それ以外は本当に完璧」

「ご主人を愛してらっしゃるんですね」

「そうよ。あなたと抱き合っている時もね」


 アイスクリームを食べ終わった二人は身体を寄せた。


「夫公認だからあなたは私を抱くことに罪悪感を抱かなくてもいいのよ。ツェツェにはかなわないけれど、あなたもなかなか素敵よ。坊や」ジュスタはラルゴの耳元にささやいた。

「うれしいような、拍子抜けするような、変な気分です」ラルゴは言い終わると、ジュスタを激しく抱いた。

「この前より少しやせられたように思いますが、気のせいですかね」

「あら、そう。トウガラシダイエットってのをちょっと前にやってみたのよ。今ごろ効果が出てきたのかしら、うれしいわ」

「お顔も少しほっそりされたような......」


 ラルゴの言葉を聞いてジュスタはうれしそうにしたが、ラルゴは違和感を覚えた。彼女の息の匂いも前と違うように思ったのだが、それはジュスタに言わずにおいた。


 二人が熱く絡み合い、ラルゴが勢いよくフィニッシュした後、ジュスタの魂はインキュバスの夢世界から寝室の肉体に戻って深い眠りについた。インキュバスは彼女の身体を離れ、ラルゴのもとへと戻った。


 外出していたジュスタの夫ツェツェが帰宅し寝室に入ってきたのは、そのしばらく後のことだった。

 ツェツェはジュスタを起こさぬよう、彼女の寝息や顔色、心音などを確かめた後、枕元に一本のクモの糸を見つけて、それをつまみ上げ、じっと見つめた後、納得したようにニヤリと笑った。

「なるほどね。これは面白い。使えるかも知れないな」


 ジュスタと気持ちの良いバーチャルセックスを楽しんだラルゴだったが、二日経つとまた彼女に会いたくなってきた。彼女の身体が欲しいというのもあるが、彼女と一緒にいるとこの上ない安らぎを感じられるのだ。それは他の何物からも得られないものだった。ラルゴはジュスタに対して禁断症状を覚え始めていた。


 ジュスタとならバーチャルでなく、本当にセックスしてもいいな。浮気公認とか言ってたし。でも僕にはそんな勇気ないな、残念ながら。


 そんなわけで、ラルゴは三日に空けずインキュバスをジュスタの家に送ったが、インキュバスから思いもよらぬテレパシーを受け取った。


「おい、ジュスタは死んじまったらしいぜ」

「えー、何だよそれ。信じられないな。彼女、事故にでも遭ったの?」

「屋敷の中で医者とか弁護士とか使用人たちが大騒ぎしているが、どうやら病死らしい。何の病気だか原因不明らしいが」


 最後に会った時、ジュスタは少し痩せて、顔がほっそりしていた。彼女はダイエットの効果とか言っていたけれど、ラルゴはどこか不健康なものを感じていた。そして、その時の彼女の息の匂い。あれは今考えれば、毒の匂いだ。ジュスタは病死とかではなく、毎日少しずつ毒を盛られて殺されたのではないか。あの時、バーチャルセックスではなく、生身で抱き合ってキスなどしていたら、ラルゴ自身にも毒が移って死んでいたかも知れない。しかし、毒殺だとしたら誰がジュスタに毒を盛ったのか。

「おい、どうした?」インキュバスは無言のラルゴに呼びかけた。「ショックを受けちまったのか?」

「そりゃ、ショックだよ」

 しかし、本当にラルゴがショックを受けるのはその後だった。


 翌朝、ラルゴはいつものようにごくごく簡単な朝ご飯を食べて、着替えて、出勤する準備をしていた。ラルゴはその時いつもラジオをかけている。フォギータウン唯一のラジオ局で、その時間は地元のニュースを流している。役場の職員としては、いちおう地元で何が起こっているか把握しておく必要があるのだ。


 その日のニュースでは冒頭にジュスタの死を報じていた。ジュスタはいちおう町で有数の資産家の一人で、彼女の急死について検死が行われたようだ。


 ラジオはフォギータウン警察署のオニグマ警部のコメントを伝えた。

「ジュスタ女史の検死を行った結果、自然死ではなく、毒殺である可能性が高いことが判明しました」


 やっぱり!とラルゴは思った。


「それはどんな毒なのですか?」とラジオのアナウンサーはオニグマに尋ねる。

「現在、まだ調査中ですが、どうやら虫由来の毒のようです。人を即死させるほど強いものではありませんが、少しずつ与えることによってじわじわと死に追い込むタイプの毒物です」


「ご主人のツェツェ氏にも伺ってみましょう。ベッドで何か発見されたそうですが?」とアナウンサー。

「妻の枕元でクモの糸を発見しました。これまで我が家の寝室でクモなど見かけたことはありません。犯人はきっと毒グモを操って、家内を殺めたのです」


 クモの糸だって? おいおい、それはまさか……ラルゴは上着を着ようとしたまま凍りついた。


「犯人は何のために奥様を殺害したのでしょうか?」とアナウンサーはさらに尋ねる。

「わかりません。ジュスタに対してよこしまな欲情を抱いたのか、あるいは金を奪おうとしたのか。とにかく、私の留守中に妻に近づき、クモの毒によって命を奪ったことは疑いようもありません。理由はどうあれ、あの純真で天使のようだったジュスタを殺めるなんて絶対に許せない。警察と協力して犯人を捕まえ、この代償を必ず払わせてやります」

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