15 ヨルトン・ホテルの秘密

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 インキュバスがヴァリスの髪に乗っかってラルゴのもとを離れてから三日が経過した。その間、一度もラルゴにテレパシーを送ってこなかった。こんなことは初めてだ。いつもなら女にくっついていった日の夜には、糸でぐるぐる巻きにして夢の世界に落とし込むのに。

 あの美女のことをじっくり調べているのかな。そうならいいけど……、ラルゴはインキュバスの身に何か起こったのではないかと心配になった。


 三日目の夜、ラルゴがベッドに入って眠ろうとする間際にインキュバスが呼びかけてきた。


「よう、待たせたな」

「どうしたの? 連絡してこなかったから何かあったのかと思って心配したよ。今、どこにいるの?」

「目を閉じてみろ」

 ラルゴは言われた通り目を閉じた。


 インキュバスの目を通してラルゴの脳裏に映し出されたのは、室内、大きな部屋だ。インキュバスは天井の端にくっついて部屋全体を俯瞰している。部屋は建物の角に位置しており、前方と右側に大きな窓がある。窓には薄いピンク色をしたレースのカーテンがかかっており、右側の窓から淡い月光が差し込んでいる。天井から吊り下げられた、ウェディングケーキを逆さにしたようなシャンデリアが照らしているのは、部屋の中央に置かれたダブルいやトリプルサイズのどでかいベッドの上で、仰向けになって両手両足を思いっきり広げ、いびきをかいて眠っているゴワゴワのパジャマを着たヴァリス・ヨルトンだ。


「ここはあの女の寝室だ」

「大きな部屋だね。お城みたい。そこはフォギータウン町内なの?」

「そうだ。ここは町のはずれ。となり町との境だ」

「そんなところにお城があるなんて知らなかったよ。お城ってことは昔からあったんだよね」

「違うんだな、それが。この城はいかにも古城って感じだが、実は最近造られたもんらしいぜ。ヴァリスのオヤジが建てたらしい」

「へえ、その人の別荘なの?」

「そうじゃない。これはホテルなんだ。しかも、ただのホテルじゃない。ラブホテルだ」

「ラブホテルって、あの男と女がアレするために行くところでしょう?」

「ヴァリスのオヤジってのは外国の貴族で、ラブホテルを何軒も経営してるラブホテル王だったらしいぜ」

「だった、ってことは今は違うってこと?」

「詳しいことは俺にもまだよくわからないが、ここに着いてから、俺が見聞きしたことを教えてやるからよく聞け」

 そう言って、インキュバスはヨルトン・ホテルのことをラルゴに話し始めた。


 役場を出たヴァリスとマルカは車を雇って町外れまでやって来た。ヴェリスの頭に乗っかって車を下りた俺は、霧の中からこつ然と姿を現した古城に驚かされたね。四階建てで、二つの立派な尖塔もある。これがこの女の家かと。だが、近づいてみると、玄関の上の壁にデカい看板が掛けられており、『JOLTON HOTEL』とある。城を囲む鉄柵には札がかかっていて、これが料金表らしい。『お泊り5千イエン、ご休憩2千イエンより』とある。俺は笑っちまったぜ。近くで見ると、これが歴史的建造物じゃなくて、わりと最近作られた安っぽい建材を使ったビルだってことがわかった。しかし、霧のベールに包まれていれば、いかにもロマンチックな中世の城にしか見えない。この浮世離れした古城もどきのホテルで一夜の思い出を作ろうってカップルがいるのも納得できる。


 このホテルを作ったのはクリスタリア公国の貴族、リーチ・ヨルトンだ。貴族のくせに商売っ気たっぷりの奴で、世界各国に中世風のラブホテルを建てて成功したんだが、所詮は殿様商売。客に貴族気分を味合わせてやろうと、ホテルの部屋の内装や家具にやたら金をかけ、客に高級ワインをサービスするもんだから出費がかさみ、赤字続きで、フォギータウンの一軒を残して後は全部潰れちまったらしい。フォギータウンのホテルだけが残ったのは、霧に包まれた神秘的な雰囲気がいいからなんだろうねぇ。

 金回りの悪くなったリーチは金銭トラブルを起こして母国に居づらくなり、妻子を連れてフォギータウンのヨルトンホテルに移り住んできた。


 ところが、リーチってのは金遣いも荒いが、女にもだらしない奴で、よりにもよって自分のホテルの部屋によその女を連れ込んでよろしくやってるところを女房に押さえられて、激怒した女房に銃で何発も撃たれたんだってさ。女房はそれ以来行方不明。リーチはたんまり銃弾を撃ち込まれたにも関わらず死んでなくて、入院もしていない。このホテルのどこかにいるらしいんだな。俺はまだその姿を見ていない。このホテルの謎の一つだ。


 このホテルには何人か従業員がいるんだが、けったいな奴ばっかりだぜ。一人は役場に来ていたマルカって重量級のおばさんだ。あれは元女子プロレスラーらしい。リーチがどこかに姿を隠し、ヴァリスはいい加減でテキトーな女だから、実際にホテルを仕切っているのはマルカだ。


 調理を担当しているのはハブって中年男だ。こいつは元ヤクザで、全身に入れ墨が入っている。だが、料理の腕は確かで、こいつの作った料理を目当てにやってくるカップルもいるらしい。


 変わり種が客室の管理や清掃を担当しているジェームスって奴だ。こいつは人間じゃない。機械じかけで動くブリキ人形だ。ロボットっていうのか、話には聞いたことがあるが、自由に歩き回ったり階段を昇り降りするし、人間と同じようにしゃべったりするのを見て驚いたぜ。どうしてこんな優秀なロボットがこんなラブホテルにいるのか、これも謎の一つだ。


 あと一人、コリスっていう何の変哲もない若いボーイが一人いる。こいつはひょろっとしていて、ラルゴ、どこかお前に似ているよ。こいつもおそらく童貞だ。あと、スリーピーボーイっていう文字通り日がな寝てばっかりいる雑種犬と、ヴィエナっていうヒョウ柄の猫がいる。この猫の眼はヴァリスと同じエメラルドグリーンで思わず見とれてしまうほど美しいんだ。


 とにかく、俺はホテルの中を這いまわって、従業員たちの会話に聞き耳を立て情報収集したが、ヴァリスについて詳しいことはわからなかった。彼女は何か普通の人間にはない能力を持っているはずだと思うんだが、従業員たちはそれを知らないのか、あるいは決して口外しないのか、どっちかだな。


 そんなわけで、ヴァリスの正体は未だに見極められていないんだが、性格はともかく、あれだけの美貌とスタイルの女だ。とりあえず一度夢の中に誘い込んでみよう、そうすれば正体がわかるかも知れないと思って、昨夜、酔っぱらって帰ってきたヴァリスがこの部屋でフンフンと鼻歌唄っているところを糸で巻こうとしたんだよ。


 そしたら、ヴァリスが右手の親指と人差し指で俺をピッと捕まえたんだ。考えられない素早さだよ。これまで普通の人間でそんな風に俺を捕まえた奴は一人もいない。


「何だ、おめえは?」ヴァリスはエメラルドグリーンの瞳でジッと俺を見て言った。「ただのクモなのか、それとも妖魔のたぐいか?」

 小グモの姿でいる時の俺は無力だ。軽くつかまれているだけでも身動きが取れない。

「まあいい。アタシは非力な生き物を殺すのは好かない。今日のところは見逃してやるよ。ただし、また今度現れたら容赦しない。ひねりつぶすよ。失せな」

 ヴァリスは俺をポイと投げ捨てた。俺はあわてて部屋から逃げ出したが、改めてヴァリスへの興味が湧いてきたね。あの女はやはりただものじゃない。


「それで、お城のラブホテルからは逃げなかったんだね」とラルゴ。

「ああ、ヴァリスが熟睡した時を狙って夢の世界に落としてやろうと思ってな。それが今だ。今なら、昨夜のようなドジは踏まなくて済むだろう。お前もヴァリスと一発やってみたいと思うだろ?」

「どうかな。確かにすごい美人だけど、あまり美人過ぎて何か現実感がないんだよね」

「そうかね」

「それに、僕の勘だけど、熟睡していても、彼女に近づいたら昨夜と同じようにビシッと捕まえられちゃうんじゃないの。恐ろしく感覚の鋭い人なんだよ、きっと」

「そうかも知れん」

「それより、こっちに帰ってきてよ。もう一度あの人に会いたいんだ」

「あの上品なマダムとまた寝たいのか。お前、よほど彼女が気に入ったようだな。つくづく年増好きだな、お前は」

「単に寝たいっていうより、一緒にいると気持ちが安らぐんだよね」

「まあいい。じゃあ、これから戻るわ」


 インキュバスは窓の隙間からヴァリスの部屋を出て、糸をたなびかせ空を飛んだ。

 


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