12 初体験?

   12

 ラルゴはインキュバスとサキュバスが話し合っている声で目覚めた。夢があまりに鮮明だったので眠ったという感覚はない。どこか遠いところに旅して帰ってきたような気分だ。今は間違いなくコーダの部屋にいる。彼女のベッドの下に転がされて眠り続けていたのだ。まだ夜は明けていないようだ。ずいぶん長い間夢の世界にいたように思うが、現実世界ではほんのわずかの時間だったらしい。


 ラルゴはベッドの下から這い出した。部屋の中央にはインキュバスがいた。小グモの姿ではなく、本来の妖魔の姿に戻って腰を落とし、床に仰向けに倒れている男の体を調べている。男は気を失っており、夢の中と同じように白い仮面が割れて正体をさらしている。やはり強姦殺人犯の正体はスタッカートだった。夢の中で雷に打たれたせいか、スタッカートの顔は黒ずみ、髪の毛はやや縮れている。口を半開きにして居眠りしているようなその表情は、いつも役所で見るスタッカート課長と変わりなくどこかとぼけており、凶悪な強姦殺人犯にはとても見えない。


 誰でも心の中に闇を抱えているものなのだろうが、この人は運悪く凶悪な妖魔にそれを利用されてしまったのだろう。自分だって、インキュバスでなくスケルツォに憑かれていたらこの人と同じ運命をたどったに違いない。気の毒な人だ。ラルゴはスタッカートに同情した。


 インキュバスの反対側から女の妖魔がスタッカートの体を調べている。長く伸びたクジャクの羽根のような二本の触角、紫色の長い髪、大きな複眼、全身を覆うふさふさした茶色い体毛……ラルゴは初めて目にしたが、それがサキュバスの本来の姿であることは容易に想像がついた。


「よう、目が覚めたか」インキュバスはラルゴに気付いて声をかけた。

「スタッカート課長、いやスケルツォは死んだの?」ラルゴはスタッカートの赤黒く膨らんだ顔をのぞきこんだ。

「いや、死んじゃいねえ」インキュバスが答えた。「ショック状態でしばらくは目を覚まさねえだろうがな」

「あんたに夢の中で手ひどくやられたようだからね。ダメージが大きいんだろうよ」サキュバスが言った。

「いや、スケルツォをしとめたのはコーダで……」

「ラルゴだよ」目を覚ましたコーダが身を起こして言った。「ラルゴが勇敢に闘ってくれたおかげでこの殺人鬼を倒すことができた。私はこいつの姿をまともに見ることも出来ずに隠れていたわ。ラルゴが手こずっていたので最後の一撃に手を貸しただけよ」

「フッ」インキュバスは笑った。「お前らはなかなかいいコンビじゃないか」

「その男をどうするの?」ラルゴは尋ねた。「警察を呼んだ方がいいんじゃないかな」

「人間の警察じゃこいつは裁けないね。この男はもう人間じゃない。妖魔スケルツォに取りつかれて一体化してるんだ。スケルツォそのものなんだよ」サキュバスが答えた。

「じゃあ、どうするの?」

「こいつを裁けるのは地獄の閻魔だけさ」インキュバスが言った。「俺がこいつを閻魔庁に引き渡しに行ってくるよ」

「あたしもついていくよ。あんたは地獄の獄卒どもと反りが合わないからね。あたしがうまく説明するよ」とサキュバス。


 インキュバスはスケルツォを肩に担ぎ上げた。

「少しの間、留守にするぜ」

 スケルツォを担いだインキュバスに続いてサキュバスも外に出た。コーダのアパートの裏には小川が流れている。インキュバスとサキュバスはその川に降りていって、川の真ん中を流れに逆らって歩いていった。川はごく浅く、幼児が入ってもひざまで達しないはずなのに、インキュバスとサキュバスの身体は上流に向かうにつれ、どんどん沈んでいった。ひざまで浸かり、腰まで浸かり、首まで浸かって、やがて二人とも完全に姿が見えなくなった。


 ラルゴとコーダは窓辺に並んでその様子を見守っていた。あれだけのことをしたのだから仕方ないが、ラルゴにとっては親切な上司だったスタッカートが地獄に引っ張られていくのを見るのは忍びない。


 インキュバスとサキュバスの姿が完全に消えて、ラルゴはふとコーダの横顔を見た。もう彼女は金髪のかつらも胸パットもつけていない。野暮ったい部屋着を着て、化粧もしていない。夢の中の世界の尊大な女王とは大違いの、ただのカサカサしたインテリ女だ。だけど、月光に照らされたコーダの横顔はステキに見えた。年上にもかかわらず可愛く思えた。

 コーダは、ラルゴが自分の顔を見ているのに気付いて横を向いた。今まで妖魔たちに気を取られていて気付かなかったが、ラルゴは自分から十センチも離れていない位置に立っている。なのにじん麻疹が出ない。不思議だ。普通なら、体中の皮膚がザーッと赤くなって、「ひゃーっ」と叫び、あわてて飛びのくはずなのに。

 ラルゴとコーダは月に魔法をかけられたように、淡い月光の中で見つめ合った。二人とも、自分が現実の世界にいるのか夢の中にいるのかわからなくなった。

 ラルゴはそっと手を伸ばしてコーダの手を握り、彼女の方に体を寄せた。コーダはいつも夢の中でしているように、顔をラルゴの方に向けて目を閉じた。


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