11 五人目の勇者

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 ラルゴは魔法陣の外側の柔らかな土の上に大の字になって伸びていた。完全に意識を失ったわけではないが、シトゥルにしこたま殴られ蹴られて全身が痛むし、何より三人の勇者にあっさり負けてしまった挫折感のために起き上がる気になれなかった。


「それじゃ、これで終わりにするかね。我々三人に勝てないのならグンデルと闘ってもムダだしね」ブドゥックはかたわらに立ちラルゴを見下ろして言った。「すまないが、女王陛下がおっしゃったように王宮から出ていってくれるかね」


 そうするしかないかと、ラルゴが起き上がりかけた時、空に異変が起こった。抜けるような青空の天頂が激しく点滅したかと思うと、大地を轟かす雷鳴とともに、太い稲妻が花壇の中に一本だけ生えていたヤシの木を直撃。一瞬で黒焦げにしてしまった。


 起き上がりかけたラルゴは魂消て尻もちをついた。驚いたのはラルゴだけではない。四勇者も口をあんぐり開けてヤシの木の無惨な姿を見つめた。彼らはこれが自然現象でないことをすぐに悟って、視線を王宮の三階の窓に向けた。この雷は我らが神聖なる女王様が落とされたのに違いない。女王様は怒っておられるのだ。


 コーダは腕組みをして、不機嫌そうな表情で下をにらんでいた。彼女の不機嫌の対象は四勇者ではない、ラルゴだ。


「これが私の処女力だ」コーダはラルゴに向けて言い放った。「処女力とは純粋なるものを信じる力、汚れなき精神が生み出す極限の力だ」

 ラルゴはマッチ棒の燃えカスのようになったヤシの木を見てゾッとした。ものすごい力だ。コーダがこんな力を持っているのなら、自分がここに来る必要はなかったんじゃないか。四勇者だって必要ない。コーダ一人でどんな怪物だって退治できるだろう。


「ラルゴ、あんたはなぜ自分の童貞力を解き放たないのだ。男は女を知り世慣れすると、常識にとらわれ童心を失う。世の中はこんなものだと見限ってしまうのだ。だが、童貞は違う。童貞は無限の想像力の源である童心を失わない。世の中の固定観念を打ち破るパワーを持っているのだ」

 説教師のようなコーダの言葉を聞いているうちに、何だかわからないがラルゴの心の中から勇気が湧いてきた。童貞だからって、自分が純粋かと問われるとはなはだ自信はないが、ここは夢の世界なのだ。現実世界の常識にとらわれる必要はない。コーダが雷を落とせるのなら、自分だって火を吹いたり、対戦相手を凍らせるぐらいのことはできるはずだ。思うがままにとことんやってやろうじゃないか。


 ラルゴはゆっくり立ち上がった。「続けましょう。あと一人残ってますよね」

 グンデルが魔法陣の中央に進み出た。「俺が最後だ。俺はほかの三人と違って手加減はせんぞ。覚悟しろ」


 ラルゴはグンデルを見据えながら魔方陣に進み出た。「僕がこの人に勝てないわけがない。僕の方がずっと速く動けるんだ」ラルゴはそう自分に暗示をかけた。

 軽く眼を閉じ、再び開く。グンデルが自分に殴りかかろうと向かってくるが、その動きは極めてゆっくりに見える。まさにハエが止まるようだ。いや、グンデルの頭の横を飛んでいるハエすらも実にゆっくりと空中を移動している。ラルゴは周りと異なる時間軸の上で動いていた。


 グンデルの岩のような拳が目の前に迫ってきたが慌てることはない。ヒョイと避けて、パンチを頬に食らわす。軽いパンチだが、グンデルの目にはかなりのスピードに見えているはずだ。しかし、ブドゥック同様面の皮が相当厚いのか、頬骨が鋼鉄で出来ているのかまるで効かない。ラルゴは指の骨にジーンと響く痛みを感じた。


 グンデルの方はたいして痛みを感じていないようだが、ラルゴの意外なほどの速さに驚いて若干狼狽の色を見せた。しかし、闘争本能の固まりのような男なので、ひるむことはない。間を置かず、ラルゴの側頭部を狙って後ろ回し蹴りをかけてきた。


 しかし、その動きもラルゴの眼にはスローモーションに映る。グンデルのかかとが顔に向かって近づいてくる間に、さて次にどうしたものかと考える余裕があった。

 要はこの男を魔方陣から出せばいいのだ。強烈な張り手でも食らわしてやろう。僕の張り手は突風を巻き起こすほど強烈だ。ラルゴはそう強く念じた。

 グンデルのかかとがラルゴのこめかみを砕く前に、ラルゴはまず右手で、続いて左手でグンデルの胸を張った。右脚を大きく上げていたグンデルはバランスを崩して吹っ飛んだが、何とか魔方陣内にとどまった。


 グンデルは動揺していた。前の三人との闘いを見ていて、何の武道の心得もないガキだと思っていたラルゴが急にこんな強くなるとはどういうことだ。コーダ女王の雷でこいつの眠っていた能力が目覚めたのだろうか。動きが目に止まらぬほど速くなった。しかし、他の奴らが何なく退けたラルゴに俺が負けるわけにはいかん。グンデルは焦った。


「グンデル、お前も情けないぞ。それでも最強の勇者か」コーダが上から叱責の声を浴びせた。

「ははっ、申し訳ございません」グンデルはうやうやしく頭を下げた。

 その時ラルゴは、グンデルを見下ろすコーダの両眼が赤く光るのを見た。彼女は最強の部下に「何か」を送ったのだ。その「何か」が何であるのかはすぐにわかった。頭を垂れていたグンデルの体が電撃を食らったようにガクンと揺れたかと思うと、空気を注入したかのように膨れ上がった。背が三十センチほど高くなり、腕は丸太のように太くなり、髪の毛はヤマアラシのように逆立ち、黒く硬い体毛が全身を覆った。まるでゴリラだ。ムスっとした表情は飢えた野獣のそれに変わり、熱く生臭い息をラルゴに向かって吐きかける。


 野獣と化したグンデルが闘牛さながらに突っ込んできた。先ほどまでとは段違いのスピードだ。ラルゴはギリギリのところで身をかわした。

 グンデルは、ラルゴに休む間を与えることなく突っ込んでくる。最初は驚いたラルゴだったが、すぐにその単調な攻撃パターンに慣れた。目が慣れればスピードも大したことはない。

 所詮は見かけだけのことだ。それぐらいのことならこっちもやってやろう。


 ラルゴはフェルマータの姿を思い浮かべた。金髪に童顔、その顔とかなりアンバランスな大きなおっぱいとお尻……ラルゴは彼女の裸体を頭の中に思い描き、自分の体に重ね合わせた。


 野獣と化してラルゴに体当たりを食らわそうとしていたグンデルは、目の前の標的が女に変わったことに一瞬たじろいだが、そのまま前進を続けた。

 ラルゴは麻の衣を脱いで大きく真上にジャンプした。下には何も着ていない。大きく柔らかいおっぱいが揺れるのに目を奪われたグンデルは思わず足を止めてしまった。

 ラルゴは跳び上がったまま空中で静止したかのように見えた。そして、そのまま体をひねり、右足の踵でグンデルの鼻を思い切り蹴った。これは効果があった。グンデルは鼻血を吹き出しながら魔法陣の外まで飛ばされた。

 着地したラルゴも、仰向けにブッ倒れたグンデルも元の姿に戻った。


「何とも破廉恥な勝ち方だが、いちおうあんたの勝ちだな、ラルゴ」窓から見下ろすコーダはあきれ顔だ。「とりあえず、これで約束通り、ラルゴはこの王宮を守護する五人目の勇者だ。いいな、お前たち」

 四勇者はコーダの方を向いてひざまづき頭を下げた。「仰せの通りに」


 その時、槍を持った衛兵が花壇を駆け抜けて魔方陣の中に入ってきた。

「ご報告します。怪物が市中に出現し暴れております」


「とうとう来たか」ラルゴはコーダの方を見上げ表情をうかがった。

 コーダはうなずいた。「間違いない。サキュバスがあのおぞましい男の魂を送り込んできたんだ」

「我ら四名で怪物とやらを退治しに参ります」ブドゥックが言った。

 コーダはうなずいた。四勇者は脱ぎ捨てた甲冑を再び身に着けた。


「ラルゴ、君も来るかね」スリンが言った。「君はその怪物を倒すためにここに来たのだろう?」

「もちろんです」

「待て。ラルゴはここに残れ」コーダが命じた。「お前は王宮を守る最後の砦となるのだ」

 四勇者は走り去り、ラルゴ一人が魔法陣に残った。


「僕も行った方がいいんじゃないかな。そのためにこの世界に来たんだし」ラルゴはコーダを見上げて言った。

「慌てることはない。じき奴はここに来るよ。あいつらでは押さえきれないから」

「ひどいな。彼らを信用してないの?」

「ただの強姦野郎なら四勇者が縛り上げるだろうが、妖魔スケルツォでは彼らの手に余る」

「スケルツォ?」ラルゴは驚いた。「妖魔は夢の世界に入れないんじゃないの。宿主の男の魂だけがこの世界に引きずり込まれるってインキュバスが言ってたけど……」

「サキュバスからのメッセージが届いた。スケルツォと男の魂は完全に一体化している。分離することはできない。だから一緒になってこの夢の世界に飛んだと」

「そりゃ大変だ。僕で勝てるのかな。一人じゃ自信ないな、正直なとこ」

「だからこそ、私はあんたをここに残した。場合によっては、あんたの童貞力と私の処女力を合わせてスケルツォを倒す必要があるかも知れない」


 何かを派手に壊すような音、そして叫び声が遠くから聞こえてきた。それらの音は断続的に聞こえてきて、しかも段々と近づいてくる。


 ラルゴのいる所からは王宮の壁にさえぎられて見えないが、三階の窓辺にいるコーダは壁の向こうの様子が見えていた。コーダは音のする方をジッと注視している。

「スケルツォなのか?」ラルゴはコーダに尋ねた。

「そうらしい」コーダは苦々しい表情を見せた。「何ともおぞましい。私はあんなものと向き合う気にはなれない。とりあえずあんたに任せるよ、ラルゴ。あんたはそのためにここに来たのだから。あんたがやられそうになったら私も手を貸すよ」

 コーダは部屋の奥に引っ込んでしまった。


 スケルツォは王宮まで迫ってきたようだ。インキュバスの眼を通して現実世界で見たときは、仮面をつけたただの男だったのに、今聞こえてくるのは地響きを伴うゾウ、いや恐竜のような足音、猛獣の咆哮のような荒い息遣い、そしておぞましい妖気が漂ってくる。

 衛兵の怒号、そして悲鳴が聞こえてきた。北の門の方だ。いったい四勇者は何をやっているのだ?


 スケルツォはいとも簡単に門を破ったようだ。大きな足音は迷うことなくラルゴのいる方に近づいてくる。花壇の向こうから迫ってくるスケルツォの姿が見えてきた。

 ラルゴはあんぐりと口を開け、言葉を失った。花壇を踏みにじって魔法陣に入ってきたのが予想をはるかに超えた怪物だったからだ。


 身長が三メートルを超える巨人。セーニョの部屋で見たのと同じ白い仮面で顔を隠している。衣服は何も身につけていない。毛むくじゃらの素っ裸だ。脚はマンモスのようにたくましい。尻からは先の尖った長いシッポが伸びている。さきほど変身したグンデルの比ではないスケールだ。何よりも異様なのはむき出しになっているペニスだ。スケルツォの股間からは何と八本のペニスが生えている。どれも大蛇アナコンダのように長く、太く、それぞれが意思を持っているかのようにクネクネと動いている。コーダがこれを見て気分が悪くなって奥に引っ込んでしまうのも無理はない。


 四勇者はどうしたのか? その答えはスケルツォの姿を見てすぐにわかった。

 八本のぺニスの先は蛇の口のように裂けている。四本のぺニスは赤黒い物をくわえている。それは血塗られたブドゥック、グンデル、シトゥル、スリンの首だった。彼らが飛び出して行ってから十分も経っていない。その間に、スケルツォはあっさりと四勇者の首をちぎり取ってしまったのだ。


 呆然と立ちつくしているラルゴの前でスケルツォは動きを止めた。ラルゴの顔を見て驚いた様子だ。

「ラルゴ、何でこんなところに?」仮面に隠れた表情は見えないが、スケルツォは動揺している様子だ。

 一方のラルゴも驚いた。何でこいつは僕の名を知っているんだ? 直接顔を合わせたことはないはずだぞ。

「そうか、あのクモみたいな夢魔のパートナーはお前なんだな」スケルツォは大きく頭を振った。「やれやれ、下っ端公務員にとって中途半端な正義感は大ケガの元だぜ。強い者には逆らわないのがお前のためだ」

 何なんだ、こいつは。僕のことをよく知ってるような口ぶりだな。

「誰だ、お前?」ラルゴは叫んだ。

「誰でもない。しいたげられ、欲求不満に苦しんでいる世の男たちの代表さ」動きを止めていた八本のペニスが再びウネウネと動き出した。「俺をこんな夢の中へ送り込んだのは、お前の夢魔とは別の、蛾みたいなやつの仕業だな。夢の主はこの王宮の中にいるんだろう。サッサとそいつをブッ殺して元の世界に戻るぜ。どきな」

「元の世界なら僕が戻してあげるよ。あんたをここでブッ倒して、向こうに戻ったら警察につき出す」

「妖魔スケルツォを警察につき出すだと、笑わせるな。やってみろ」


 四勇者の生首を吐き捨てて、全てのペニスがラルゴに向かってきた。ラルゴは動作速度を二倍にしてかわすが、ペニスも速度を上げてラルゴを追う。四倍速、八倍速、十六倍速……いくら加速してもスケルツォのペニスは追いついてくる。かわしきれずにラルゴは噛みつかれた。右手、左手、右足、左足、右脇腹、左脇腹、右太もも、左太ももに食いつかれて動きが取れなくなったラルゴは宙に持ち上げられた。


「なかなかやるね、ラルゴ君」スケルツォは余裕しゃくしゃくだ。「そのパワーの源は何かね」

「童貞力とやら、らしい」ラルゴは自信なさげに答えた。彼自身にも童貞力がどういうものなのかよくわかっていないのだが。

「ハッハ……ラルゴ、お前童貞だったのかね。さもありなんという感じだな」

 何でこいつは僕のことをよく知っているような口のきき方をするんだ。ラルゴはいぶかった。

「童貞をあなどるなよ」ラルゴはもがいて八本のぺニスを振りほどこうとするが、ぺニスの口にはサメのように細かい歯がビッシリ生えており、ラルゴの体にしっかり食いついている。もがけばもがくほど出血がひどくなった。

「さっき突っかかってきた騎士みたいな連中は一瞬で首をちぎってやったが、君もそうなりたいかね」

「残酷な奴だな」

「ここは夢の世界で、あんなのは想像の産物に過ぎないじゃないか。残酷なんて大げさな」

「あんたにとっちゃ夢の世界も現実の世界も同じだろ。簡単に生命を奪う」

「どうにも青臭いね、キミは。気に食わんな。一瞬で殺しちゃつまらんからズルズルと血を吸い取って、ユックリと殺してやろう」


 スケルツォはペニスの口に力を込めて、ラルゴの血をすすり始めた。

 そういうことなら……ラルゴは面白いことを思いついた。自分の血を赤トウガラシのエキスに変えてみたらどうだろう。ラルゴは思わずニヤリと笑った。

「ひっ」スケルツォは思わず声を上げた。いきなり強烈なトウガラシの辛さの刺激が脳天を貫いたのだ。八本のペニスは口をラルゴの体から離して、ペッペと血を吐き出した。宙に持ち上げられていたラルゴは地面に落とされた。


「何しやがるんだ、この野郎」スケルツォはまだ強烈な刺激が抜けずにゼェゼェあえぎながら言った。「ひでぇことしやがる」

 ラルゴは考えていた。こいつをギャフンと言わせるにはどうすればいいだろう。こいつの弱点は何だ?

 スピードで圧倒することは難しい。力比べをしても意味がない。何かこいつのいやがることをするにはどうすればいいだろう。そう考えていたラルゴの目に、スケルツォの白い石膏の仮面が映った。そう言えば、何でこいつはこんなお面をつけているんだ。正体を隠すためなんだろうが、よっぽど素顔を見られたくないんだろうな。あの面を割ったらどうなるだろう?


 魔法陣の中央でスッと立ち上がったラルゴはそのままジッとして反撃しようとしなかった。仮面を割ろうとしていることを気づかれないように、石像のように立ちつくしている。高いところにある奴の顔にできるだけ近づくチャンスをうかがっているのだ。


 トウガラシの血をまた喰らったら大変だと、スケルツォはペニスでなく両手でラルゴをつかまえに来た。とてつもなく大きな両手のひらでがっちりラルゴの胴を捕らえると、目の前まで持ち上げた。

「お前にはよくしてやったつもりなのに、俺のジャマをしやがって……」スケルツォはラルゴの腹を締めつけた。

 よくしてやったってどういうことだ?


 ラルゴの目の前にはスケルツォの白い仮面がある。ラルゴは腹を締めつけられているが、両腕は自由になる。しかし、仮面までは手が届かない。

「おいッ……@%$*」ラルゴは小声でブツブツ言った。

「あん?」スケルツォはラルゴが何を言っているのかわからず顔を近づけた。「何言ってんだ?」


 ラルゴは右手の指を固く結んだ。僕の拳は鋼鉄の塊だ。ここでは、思いが強ければ何だってその通りになるのだ。右ストレートを繰り出すと、ラルゴの右腕はグーンと伸びて、鋼の拳が仮面を撃った。


「え?」思いもよらない攻撃にスケルツォはうろたえ、思わず捕まえていたラルゴを放して、仮面を手で押さえた。

 素顔だけはさらしてはならない。仮面は割られてはならない。スケルツォは両手の指で押さえつけたが、すでに仮面は砕かれていた。指の間からボロボロと白い石膏のかけらがこぼれ落ちる。

 仮面の大半がこぼれ落ちてもなお、スケルツォは正体を隠そうと指で顔を覆っていたが、それはムダな努力であった。ラルゴは、フォギータウンを震撼させた凶暴で残忍な強姦殺人犯が実は自分の身近にいる人物であることを知った。


 気弱そうな下がり眉毛、血色の悪い肌、たるんだ頬……獰猛な殺人鬼のイメージからはほど遠い中年の小市民の顔がそこにあった。


「スタッカート課長?」ラルゴは仮面の下に現われたのが上司の顔であったことに驚愕した。「どうして……」

「やれやれ、とうとう私の正体を知っちゃったね、ラルゴ君」スタッカートは照れ臭そうに笑った。「君は優秀な部下だし、可愛がっていたつもりだったから、こんなことになって残念だよ、ホントに」

「残念って、僕の方こそ残念ですよ。何であんなひどいことするんですか? 課長が強姦殺人の真犯人だったなんて大ショックです」

「君のような若僧にはわからないだろうが、大人の男はひじょーに大きなストレスを抱えていてね。家じゃ女房にうるさく言われ、娘には疎まれ、職場に出てくれば、上司に怒鳴られ、部下たちからは突き上げられて、実につらい日々を過ごしているのよ、わかる?」

「だからって強姦殺人やってもいいってことにはならないでしょ。世の中の中年男性はそれに耐えて普通に生活してるんだから。どうして金髪巨乳の女性ばっかり襲ったんですか?」

「少年時代に金髪巨乳の女性をすんごく好きになったんだが、あっさり袖にされたばかりか、さんざん侮辱されてね。固く復讐を誓ったんだが、その思いを果たせぬまま大人になった。しかし、その女から受けた屈辱は片時も忘れたことがなかった。


 そしたらある夜、スケルツォが目の前に現われてね。恨みを晴らさせてやろうっていうんだ。その女はもうすっかりおばさんになっていたけどさ、うれしかったね。圧倒的な力で誰にも知られることなく、女を犯すことができたんだ。女を犯しながらビシビシ叩きまくっていたら死んじゃってさ。こりゃ大変だってあわてたけど、スケルツォと一体化していれば警察に捕まることなんかない。それで癖になっちゃってさ……」

「次々と金髪巨乳女性を襲ったわけですね」

「だって、捕まりっこないもんね」

「僕が課長を捕まえて警察に突き出しますよ。法の裁きを受けてください」

「僕は妖魔スケルツォと一体化してるんだ。もう人間じゃないんだよ。人間の法律じゃ裁けないね」

「とにかく、捕まってもらいますよ」

「やれるもんならやってみな。君の青臭い童貞力じゃ私の膨大な欲求不満パワーに勝てないよ」

「どうですかね」


 ラルゴとスケルツォは魔法陣の上で限界のない闘いを繰り広げた。スケルツォがライオンになれば、ラルゴはトラになる。ラルゴが竜巻を起こせば、スケルツォは地中から溶岩を噴き上げる。夢の世界では何でもありで、精神力が全てだ。スケルツォ=スタッカートの言った通り、彼の欲求不満パワーは凄まじいもので、ラルゴは圧倒されながらも何とかこらえた。


 何とかこの強大なスケルツォのパワーを封じ込める手はないものか。ラルゴは考えあぐねた。答えは見つかりそうにない。やはり童貞力では大人の欲求不満パワーは押さえられないのか。


「奴の心の奥底を探れ」ラルゴの心の中に女の声が響いた。コーダの声だ。

 ラルゴはちらと上を見た。部屋のカーテンの陰に隠れて、スケルツォのおぞましい姿をまともに見ないように横目で下をうかがっている。

「どういうこと?」ラルゴも心の声で尋ねた。

「サキュバスからの伝言だ。スケルツォには弱点はない。だが、奴と一体になっているスタッカートは所詮人間。どこかに必ず弱点を持っている。それを探るんだ」

「そんなことが出来るの?」

「インキュバスは自分の持つ八つの目のうち二つをあんたの中に残した。それは人の心の中を透かして見ることのできる目だ。それを使え。念ずれば、その目の力は起動する」

「そんな目がどこにあるの?」

「眉毛の上だ」

 ラルゴは両手の人差し指で左右の眉の上を触ってみた。確かにそこには現実世界ではなかったホクロのようなものがある。「これか」


 スケルツォはラルゴの前に立ち、闘いの最中にボンヤリしている彼を不審そうに見ていた。股間からは巨大なペニスが一段と長さを増し大蛇の群れのようにうごめいている。ただし、すさなじく辛いラルゴの血を吸ってひどい目にあったのに懲りて全てのペニスは口を堅く閉じている。


 ラルゴは目を閉じた。それと同時にインキュバスが与えた目が起動する。それによって、目の前から怪物スケルツォの姿が消え、貧弱な体格の中年男が見えた。普段のスタッカートの姿だ。スケルツォの中に隠れているスタッカートがレントゲン写真のように透けて見えている。だが、これでは彼の弱点が何なのかわからない。もっと深く透視する必要があるようだ。


 ラルゴは心眼を凝らした。スタッカートの体が透けて、様々な人の像が彼の中に浮かんで見える。その中にはラルゴ自身の姿もあった。

 一番奥に大きな女の姿が見えた。機嫌の悪そうな顔をした中年女。ショートカットの金髪で、巨乳といえば巨乳だが、おなか周りも負けずに巨大だ。

「それはおそらく、その男の女房のデフォルメされた姿だ」頭の中でコーダの声が響く。「そいつが全宇宙で最も恐れるものだよ」

 よし、それじゃ……ラルゴは精神を統一した。今、見えているスタッカートの女房の姿を自らの上に転写し始める。


「おい、どうした。かかってこないのか?」スケルツォは動かないラルゴを訝り、やる気を無くしたかと余裕をかましていたが、次の瞬間、絶句した。スタッカートが最も恐れる存在が突然目の前に現われたのだ。

「ペザンテ……」スケルツォ、正確にはスタッカートは妻の名を口にした。勢いよくうごめいていた八本のペニスがシュンと萎えた。


「あんた、何やってんのさ?」ペザンテの姿になったラルゴが言った。それはラルゴ自身の声ではなく、紛れもなくスタッカートがこの世で最も恐れる妻の声であった。

 ラルゴはスタッカートの心の中からペザンテの姿かたちだけでなく、声や思考パターン、決まり文句、どういった言動がスタッカートを縮み上がらせるかという記憶を転写していた。

「いや、別に何も……」

「他の女に色目を使ったりしてるんじゃないだろうね」


 スタッカートは自分が強姦殺人鬼であることを妻に知られてはいない。ペザンテは夫が大きなことをする勇気のない小心者だと思い込んでいるから、彼が凶悪な犯罪者であることなど想像もできないのだ。

「いや、そんなことはないよ。僕は君ひと筋だから……」

「フン、そんなこと言いながら、もう何年もの間、あたしの体に触れようともしないじゃないか」

「それは……君が看護師の仕事で疲れていたら悪いかなと思って……」


 ペザンテはスタッカートが二十代の頃、盲腸で入院した時に世話をした看護師であり、スタッカートが初めてまともに会話した金髪巨乳女性であった。顔は彼の好みではなかったが、とにかく金髪巨乳であることに魅かれて、一世一代の勇気を奮って彼女にアタックし、それまで男と付き合った経験がなかったペザンテを口説き落として結婚まで漕ぎ着けた。


 しかし、結婚する前はまずまずスタイルも良く、つつましやかな性格に思えたペザンテは結婚後に豹変。いや、本性を現した。ろくに家事をしない。大酒を飲む。財布は完全に自分が握り、夫には一日コーヒー一杯分ぐらいの小遣いしか渡さない。気に喰わないことがあるとスタッカートをなじり、物を投げつける。新婚三か月でスタッカートは結婚したことを深く後悔した。


 ペザンテの剣幕にひるむスタッカートの頬にラルゴは強烈なパンチを喰らわした。ペザンテの姿でいる限り、スタッカートはラルゴに反撃できそうにない。スタッカートが金髪女ばかり狙って強姦殺人に及ぶのは若い頃の苦い思い出のせいもあるだろうが、ペザンテに口答えできない腹いせを他の女にぶつけているのだろうか。


「あ、あ、あ……」ラルゴに連続パンチを浴びせられて後ずさりするスタッカートの額の左半分の血管が黒く膨れ上がり、顔の左側の表情だけ険しくなった。泣きっ面の右側とは全く違う表情だ。


「何をやっている、バカ者」スタッカートの口から低くくぐもった声が漏れた。スタッカートの醜態に業を煮やしたスケルツォの声だ。「こいつはお前の女房に化けた小僧に過ぎん。ぶちのめしてやれ」

「そうは言っても、やっぱりペザンテの顔には違いないし……」スタッカートはどうしても反撃できそうにない。

「意気地のない奴だ。引っ込んでおれ」


 スタッカートの顔全体に黒い血管が広がり、表情は完全に妖魔そのものに変わった。しなだれていた八本のペニスが勢いを取り戻し、イソギンチャクの触手のように上を向いてくねり始めた。

 しかし、ラルゴは動じなかった。スケルツォのすばやい攻撃をひょいひょいとかわしていく。


「このこざかしい小僧が」スケルツォは全身の力をこめて、最速のストレートパンチを繰り出した。これはラルゴもかわしきれず、真正面から鼻を砕かれた……かに思われたが、あと数ミリのところで拳は止まった。寸止めだ。

 スケルツォが自分の意志で止めたわけではなく、彼自身はペザンテの鼻を砕いてやろうとするのだが、拳はどうやっても前に進まない。かといってラルゴがバリアを張っているわけでもない。スケルツォの攻撃を止めているのはスタッカートだった。スケルツォと一体になっているはずの彼がスケルツォに抵抗して、ペザンテに姿を変えたラルゴへの攻撃を拒否しているのだ。


「バカ者、何をやっているんだ」スケルツォは一つの体の中に同居しているスタッカートを罵った。

 ラルゴはペザンテの顔で余裕の笑みを浮かべた。「スタッカート課長、やはりあなたは奥さんを攻撃できないようですね。それは、奥さんを怖がっているというだけではなく、何だかんだ言いながらも愛していらっしゃるからでしょう。僕はあなたから毎日のように愚痴を聞かされる中でそのように感じていました。奥さんのことが本当に嫌いなら家を出れば済むことですからね。奥さんにどうしても向けることができない怒りの矛先を他の女性に向けて、あのような事件を起こしたのですね」

「わかったような口をきくな。ペザンテへの変身を解け!」スタッカートが金切り声で叫んだ。

「そうはいきません」


 ラルゴはペザンテのたくましい脚で、拳を突き出したまま固まっているスケルツォの股間を思い切り蹴り上げた。

 スケルツォは悲鳴を上げて吹っ飛ばされ花壇に仰向けに倒れた。


 起き上がってこない。気を失ったのか? ラルゴが近づいてくるのぞきこんだ時、スケルツォはイカのような墨を口から猛烈な勢いで吹き出して、ラルゴの顔に浴びせかけた。この墨がとてつもなく臭い。ラルゴは顔をしかめ、思わずペザンテへの変身を解いた。


 ラルゴは眼が見えなくなり、顔にべっとりこびりついた墨を手でぬぐうが、なかなか目が晴れない。

「童貞小僧、たっぷりとっちめてやる」

 ラルゴがペザンテへの変身を解いたので、スタッカートも戦意を取り戻したようだ。スケルツォと再び同調してラルゴに殴りかかってきた。


 まいったな、これは。本当にきりがない。どうしたものか、どうやればスタッカート=スケルツォに引導を渡せるのかラルゴは迷った。


 その時、「もういいかげんにしてよ」という女の絶叫が天から降ってきた。声だけではない。お姫様のドレスではなく、銀の甲冑を身に着けたコーダが自分の身長より長い斬馬刀を振りかざして落ちてきたのだ。その全身は雷光に包まれている。


 明らかにコーダは怒っている、おぞましい姿で暴れ回るスケルツォにうんざりしている。彼女はスケルツォのおぞましい姿を見ないよう目を閉じたまま、自らを稲妻と化してスケルツォの真上に落ち、斬馬刀で体を真っ二つに割った。スケルツォは叫び声を上げることもできなかった。処女力の勝利だ。コーダはヴィーデの復讐を果たしたのだ。


 墨で汚れた目でその強烈な一瞬を目撃したラルゴは尻餅をつき、そこで彼の意識は途切れた。

「終わった……」

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