7 スケルツォを探せ

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 コーダは首都クラウディシティの中流家庭に生まれた。父は高校の化学教師、母は美術館の学芸員であった。兄弟は3歳年下の弟が一人。ごくごく普通の平和な家庭で育った。


 コーダは、母のすすめで物心がつく前からピアノを習い始めたが、これが後々彼女の人生を狂わせることになる。


 最初にピアノを教えてくれたのは、近所に住む音楽大学の女子学生。とてもやさしい先生で教え方がうまく、母親が見込んだ通りコーダは音楽的才能に恵まれていたのだろう、ぐんぐんピアノの腕を上げていった。


「この子は将来きっとすごいピアニストになります。私なんかじゃなく、一流の先生に教えてもらった方がいいと思います」と言う女子大生の薦めにより、小学3年生の時、コーダは彼女が通う大学の男性教授の家に通って指導を受けることになった。


 ところがこの教授がとんでもない人物であった。

 コーダにピアノを教えながら、彼女の背中や尻を触りまくったり、手を握ったり、耳もとに臭い息を吹きかけたりするので、コーダは怖くなって、教授の家に行くのがイヤになってきた。極めつけは、コーダがピアノを弾いている時に、教授が彼女の背中に股間を押しつけてきたことだ。


 頭のてっぺんから足の先まで悪寒が走り、コーダは思わずピアノから離れて逃げ出した。家まで走って帰った時、彼女の全身にじん麻疹ができていた。


 その教授はしばらく後にほかの女生徒へのわいせつ行為で逮捕され、刑務所へ送られた。コーダはその後も音楽への愛情を失うことはなかったが、弾こうと思っても鍵盤に向かうことができなくなりピアニストへの道を断念せざるを得なくなった。


 それ以来、コーダは父親と弟、祖父以外の男に近づかれるとじん麻疹が出るようになった。性的に未熟な子どもや枯れてしまった老人なら大丈夫なのだが、叔父までは何とか耐えられるものの、年長のいとこが隣りの席に座っても大騒ぎするので親族の集まりでは顰蹙を買った。


 小学校を卒業すると、当然のごとく、コーダは女子校に進学した。入学時から卒業するまで、男性教師が彼女の担任になることはなかった。それは学校側がコーダの両親の要望を聞き入れた結果だった。


 ピアノに代わって、コーダが情熱を傾けたのは読書だった。昼休みや放課後、クラスメートや担任が彼女を探すときは必ず図書室に行った。そこ以外に彼女が行くとすればトイレぐらいしかないからだ。


 コーダは古代史から宇宙論、料理のレシピ、詩集、魚類図鑑に至るまであらゆるジャンルの本に親しんだが、最も好きだったのはロマンチックな大河小説だった。いつまでたっても男アレルギーは治らなかったが、心の中では燃えるような恋に憧れた。レスビアンのクラスメートに誘われたこともあったが、その気にはなれなかった。2メートル以内に近寄れないにも関わらず、彼女の憧れの対象はあくまでも男性だった。彼女はその矛盾に苦しんだ。


 高等部から女子大学までストレートに進学したコーダのクラスメート達にも次第に彼氏ができ始めたが、コーダはと言えば、素敵な男性を見つけても遠くから見て憧れるのが関の山だった。読書に没頭することで、恋愛のことは忘れようとするのだが、妄想は頭の中で膨らむばかりであった。


 コーダは大学の図書館司書課程を首席で修了したが、就職先探しには苦労した。優秀な彼女は国立図書館から誘われたが、館長以下職員の8割が男性という国立図書館に勤める気にはならなかった。


 コーダは国中の図書館を調べて、館長が女性で職員の女性比率が多いところを探した。その結果、最終的に彼女が選んだのが、ヴィーデが館長を勤めるフォギータウン町立図書館であった。フォギータウン図書館職員の男女比率は半々だったが、ヴィーデはコーダの男アレルギーに理解を示し、コーダが男性職員に接近しなくてもいいように配慮してくれた。


 コーダはフォギータウンに越してきた年に、男アレルギーを克服しようと皮膚科や心療内科など何人もの女医にかかったのだが、いっこうに回復しなかった。アレルギーを治そうと思い立ったのは、業務上不都合なこともあるが、図書館にやって来た男に恋をしたからである。


 男は船乗りで、長い航海を終えて町に帰ってきていたのだった。よく日焼けした精悍な顔、たくましい上腕部。コーダが昔愛読した冒険小説から抜け出てきたような人物で、ひと目見た時から彼女はハートを射抜かれた。


 男は独身らしく、長い休暇を持て余して毎日図書館に本を読みに来ていた。何とか彼に近づきたい、話をしてみたい。手をつなげたら素敵だろうな。キスされたら、強く抱かれたらどんな気分だろう。遠くから男を見つめてコーダの妄想は大きく膨らむのだが、彼女のアレルギーは例外を認めなかった。


 ある夜、船乗りのことを想いながら悶々としているコーダの情念が妖精の森にいたサキュバスを呼び寄せた。


 サキュバスは小さな蛾の姿になって処女の身体の中に潜むことができる。処女が好みの男性に出会って性欲が刺激されると、サキュバスは処女の身体から出て、お目当ての男のもとに飛び、鱗粉で眠らせて夢の中に誘い込む。そこで処女と男は交わるのだ。


 サキュバスの妖力によって、コーダは船乗りとのドリームセックスを何度も体験した。それは文字通り夢のような体験だった。全く触れ合っていないのに、夢からさめた後、本当に触れ合ったような感触が肉体に残っていた。コーダには結婚願望などない。快感が得られればヴァーチャルで十分だと思った。


 船乗りはやがて海へ戻ったが、性の快楽を覚えたコーダは好みの男性を見つけると、次々に夢の世界に引っ張り込んだ。昼間は好きな司書の仕事に没頭し、夜は夢の中で望み通りのパートナーと睦み合う。まさに充実した人生を送っていた、ヴィーデが強姦魔に殺されるまでは。


 コーダにとって、ヴィーデは単なる上司ではなかった。彼女がいなければ今の自分はない。実の母親以上に愛情を持って接してくれた慈母のような存在だった。そのヴィーデを無惨に犯して殺した奴を絶対に許すことはできない。必ず罪を償わせてやる、コーダは心に固くそう誓った。


 ラルゴとその中にいるインキュバスはコーダのアパートに招かれた。簡素なキッチンとバストイレのほかには、だだっ広いワンルームだけのシンプルなアパートで、コーダとラルゴは部屋の対角に離れて座った。


「どうもこう離れてちゃ、その坊やの声が聞こえにくいね。コーダの体から出るよ。インキュバス、あんたも出てコーダに挨拶しなよ」サキュバスが言った。

「ちょっと、今出てくるの?」コーダは赤面した。「イヤだ。恥ずかしい」

「いいだろ。あいつだって同じなんだ。恥ずかしがることはないよ」


 コーダはソファにかけていたバスタオルをスカートをはいた脚にかけた。そして、脚を少し開くと、くすぐったそうな表情で手をタオルの下に入れてもモゾモゾした。

しばらくするとコーダの脚の間から薄紫色のちっぽけな蛾が飛び出してきて、彼女の肩の上に止まった。ラルゴは奇術を見ているような気分だった。


「すまないが、お姉ちゃん。ちょっとだけおっぱいを見せるか、スカートをまくるかしてくれないか」インキュバスはコーダに話しかけた。「こいつがおっ立たないと俺が出ていけないんでね。すまねえが頼むよ」


 コーダとラルゴは同時に赤面した。


「鼻から出てくれよ。今は夢魔として出動するわけじゃないから、こっちから出る必要ないだろ」ラルゴは股間を押さえた。

「夢魔としてレディの前に出るための礼儀ってもんがあるんだよ。ハナクソみてえに鼻から出たんじゃさまにならねえだろ」


 コーダは顔をしかめてスカートの裾を上げ、白い太股をチラリと見せた。


 その間、わずか一秒だったが、ここ数日射精していなかったラルゴのぺニスは即反応し直立。インキュバスはピョンとぺニスの先から飛び出し、ズボンの裾から出て、コーダの肩の上のサキュバスと相対するようにラルゴの肩に乗った。


「それで、インキュバス、どうやってクソ野郎を捕まえるんだね?」サキュバスが尋ねた。「計画を聞かせてくれよ」

「単純なことさ。お前は夢の中に二人の男を引っ張りこめるよな」

「まあね」

「お前の鱗粉で殺人鬼を眠らせる。妖魔は夢の中に入れないから、引きずり込まれるのは憑かれている男だけだ。スケルツォは入れない。そこで、先に鱗粉を浴びて夢の中で待ち伏せていたラルゴが男を叩きのめす。どうだ簡単だろう」

「ちょっと待て。この坊やはそんなに強いのかい?」

「夢の中じゃ肉体的な強さは関係ない。精神力が問われるんだ。このラルゴの童貞力は相当なもんだぜ。歴史上の聖人たちに匹敵すると俺は思うね」

「だが、強姦魔の方も相当な精神力の持ち主じゃないのか。あのスケルツォが選んだ男だ。かなりの欲求不満パワーを蓄えていると思うね」

「まあ、やってみなければわからねえが、ラルゴに賭けてみようじゃないか、なあ、おいラルゴ、任せとけってんだよな」


 ラルゴは、いささか不安を感じた。「もし、夢の中でやられちゃったらどうなるの?」

「夢の中で殺されたら、魂が死ぬんだ。現実世界のあんたは廃人だ。生ける屍だよ」サキュバスは脅すような口調で言った。「怖いのならやめとくんだね」

「いや、やるよ。同僚だったフェルマータを始め、善良な市民が何人も殺されてるんだ。怖がっている場合じゃない」ラルゴは若干不安げな顔つきながらキッパリと言った。


「で、どうやってスケルツォを見つけるんだね、インキュバス。あたしには奴を見つける能力はないよ」とサキュバス。

「どうにかしてここにおびき寄せるしかあるまい」

「どうやっておびき寄せるんだね?」

「コーダが奴の目に止まるようにするんだ。今、トリル風邪の自粛とやらで皆引きこもっているから、町を歩き回れば目立つだろう」

 インキュバスの説明を聞いてサキュバスは笑った。「奴は金髪巨乳しか襲わないんじゃないの?」


 ラルゴとインキュバスはコーダを見た。黒髪で貧乳(のようにみえる)な彼女がいくら歩き回ろうが、スケルツォのターゲットになる確率は限りなく低いのではないだろうか。そう言いたげなラルゴの視線を受けて、コーダは腕を組んで胸を隠し、ムッとしてにらみ返した。


「まあ、何とかなるんじゃねえか」インキュバスは言った。「金髪はかつらをかぶればいいし、胸も何か詰めとけばごまかせるだろう。金髪巨乳も少なくなってきてるし、きっと奴は飛びつくぜ」

「でも、スケルツォはどうやって標的になる人を探しているんだろうね。ずっとうろつき回っているのかな」ラルゴが尋ねた。

「地獄の妖魔はそんなめんどくさいことはしないね。おそらく、使い魔に探させているんだろうよ」サキュバスが答えた。

「使い魔?」

「動物の姿をした低級な魔物のことさ」インキュバスが説明した。「スケルツォのような地獄の妖魔は使い魔を何匹も従えていて、下働きさせてるんだ」

「どんな動物の姿をしているの?」

「オオカミとかコウモリなんかが一般的だが、そういうのが街をうろついてると目立つから、もっと小さいのを使っているのかも知れない。トカゲとかハエとかな」


 協議の末コーダは、図書館での勤務終了後、金髪のかつらをかぶり、胸にパットを入れて、夜の町をうろつき回ることを不承不承承諾した。ラルゴは毎夜、スケルツォ来襲に備えてコーダの部屋に待機する。コーダはラルゴが室内に寝泊まりすることを拒否したので、ベランダで夜を過ごすことに決まった。


 話し合いを終えて、ラルゴが夜の町に出ると雨は既に上がっていたが、名物の霧が町を覆い始めていた。人通りは本当に少ない。ラルゴは歩いていくうちに、霧の中に浮かび上がる、マスクをつけていない男の顔と何度もすれ違った。


 それはあのプレストの顔だった。本人ではない。実物と同じぐらいのサイズの顔写真が街灯の柱や建物の壁に貼られている。フェルマータが殺された夜以来、行方不明になっている彼を心配して、町会議長である彼の父が尋ね人のポスターを町の至るところに貼らせたのだ。


 ポスター写真のプレストは笑っている。いやな笑いだとラルゴは思った。童貞のラルゴをバカにした時のように、今も自分を笑っているように見えた。ラルゴはプレストの甲高い声が聞こえたような気がした。


「お前なんかにスケルツォが捕まえられるものか」


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