3 世界最強の童貞

  3

 ラルゴはアパートに帰り、シャワーで泥まみれの体を洗い流すとさっぱりした気分で眠りについた。


 翌朝は何事もなかったかのように役所に出勤し、いつも通りに仕事をした。

 昼休みに食堂へ行くと、いつもと変わらずフェルマータが食券売り場に座っている。ラルゴはいつもと変わらず声をかける。


「やあ」

「……」

 返事がない。ラルゴと目を合わそうとしない。そうか、好きな男がほかにできたから、僕が未練がましく誘ってくるのをはねつけようとしてるんだな。

 ラルゴはそれ以上余計なことを言わず、「スパゲティ」とだけ言って硬貨を置き、食券を受け取って食堂に入っていった。


 ラルゴが刑務所のような長テーブルに座って、黙々とプレーンなスパゲティを食べていると、向かいにスタッカート課長が座った。彼のランチもプレーンなスパゲティだ。


「ラルゴ君、表情がさえないね。昨日は楽しそうだったのに」

「課長は何か楽しそうですね。いいことあったんですか?」ラルゴは口をモグモグさせながら言った。

 スタッカートは頭を振った。「僕みたいにずっと絶望し続けているとね。絶望も快感に変わってくるんだよ」

 ラルゴはスタッカートの言葉に返答のしようがなく、ただ苦笑いした。

 スタッカートは早飯食いが常で、ものの三分ぐらいでスパゲティを平らげると、「じゃ」と言って席を立った。


 ラルゴも食べ終わったが、すぐには食堂を出ず、自動販売機で紙コップのコーヒーを買って、ゆっくり飲みながら入口の方を見た。

 フェルマータが愛想笑いを浮かべながら、作業服を着た年配の職員としゃべっている。昨日まではラルゴともあんな風に、いやあれ以上に親密に言葉を交わしていたのだ。でも、ラルゴがそれ以上に近づこうとした途端、彼女は背を向けてしまった。蜜の香りに誘われて近づいたら花びらをピシャリと閉じられた蝶になったような気分だ。


 フェルマータのあどけない表情と対照的な、ブラウスの上からでもその大きさがわかるおっぱいがラルゴの視線を引きつける。うまくやれば彼女は自分のものになったかも知れない。そう考えると余計に彼女を抱いてみたいという感情が高ぶってきてペニスが硬くなった。


「あれがお前をふった女なんだな。なるほど、なるほど」インキュバスが話しかけてきた。「あの女にふられたからお前は死のうと思ったわけだ。だが安心しろ。俺が思いを遂げさせてやるから」

 上を向いたペニスがムズムズしてきた。インキュバスが小グモの姿で体内から出てくるのだ。

「鼻の穴から出てくればいいじゃない。何でそんな狭いところから出なくちゃいけないの」

「昨夜も言っただろう。これは夢魔出陣の儀式なんだよ。ロケットが発射台から飛び出すみたいに、ここから出ていかなくちゃ気分が出ない」

 インキュバスはペニスの先端からピョンと出て、パンツ、シャツの中を通って、ラルゴの肩の上に乗った。

「お前があの女の前を通り過ぎる時、俺は彼女の髪に飛び移る。そして、髪の中に隠れて家までついていくよ。ここじゃ女を眠らせるわけにはいかないからな。あの女との情事は今夜のお楽しみということだ」


 ラルゴは席を立って、食器を洗い場に運んでから出口に向かった。

 ラルゴはフェルマータの方を見ないようにして真っ直ぐに通り過ぎた。フェルマータも知らんぷりしていたが、ラルゴが目の前を通過する時、「フッ」とあざけるように笑った。その声はラルゴの耳に届いたが彼は無視した。もう何も言う気はない。何もしなくても、君は今夜、夢の中で僕のものになるのだ。君は気づかなかっただろうが、今、夢魔が君の髪に飛び移ったよ。

「じゃあな。今夜、楽しみにしとけよ」インキュバスはフェルマータの頭の上から、持ち場に戻るラルゴを見送った。


「ラルゴ」

 インキュバスが呼びかけてきたのは、ラルゴが一日の仕事を終えてアパートに戻り、近くの屋台街に夕飯を食べに行って帰ってきた頃だった。彼は夕飯は家で作らずにいつも屋台街に食べに行く。屋台街に行けば色々な屋台の料理から好きなものが選べるし、その方が材料を買ってきて家で作るより安いからだ。

「今どこにいるの?」

「フェルマータって女の家だよ。目をつむってみろ」


 目を閉じると、いきなりプルルンと揺れる白くて大きなむき出しのおっぱいが見えたのでラルゴは驚いた。インキュバスはフェルマータの部屋のベッドの隅にいるらしい。インキュバスの八つの目を通してラルゴが見ているのは、部屋の中央で着替えしているフェルマータのバスタオルを首から引っかけただけの裸身であった。ラルゴのぺニスは一瞬にしてダイヤモンドのように硬くなった。


「準備万端だな。昨夜の中年女の時とは段違いの張り切りようだ。さすが本命の女相手だと違うな」インキュバスは愉快そうに言った。「さっきシャワーを浴びてたんで、お前に見せてやりたかったんだが、あいにくこの体だと水に流されてしまうんでな」

「彼女はもう寝るのか。ずいぶん早いな」

「さあな。ベッドに入ったら、すぐに糸を彼女に巻きつけて眠りに落とすよ」

 しかし、フェルマータはパジャマを着る様子はなく、下着の上にTシャツとホットパンツを着て、簡単に化粧をした。どこかに出かけるわけでもなさそうだが、まだ眠る様子はない。


「おっと、誰か来たようだ」インキュバスが部屋の外に人の気配を感じた。ほどなくラルゴの耳にもドアをノックする音が聞こえてきた。


 フェルマータがバタバタと走っていってドアを開ける。入ってきた男を見てラルゴは驚いた。油でギトギトに固めたチリチリ頭。人をバカにしたような薄ら笑い。それは間違いなく役場で営繕係をやっているプレストだった。どうしようもない不良で毎日遊び歩いていた男だが、町会議長を務めている親父の口利きで役場に勤務することになった。しかし、サボってばかりで仕事らしい仕事は全くしていない。それでも、上司や同僚は彼のことを注意しない。プレストは町会議長が可愛がっている一人息子だから、自分の将来を危うくするようなマネはしたがらないのだ。


 フェルマータはプレストに抱きついた。よりによってプレストのようなクズ野郎がフェルマータの恋人だなんて。プレストには役場内に別のガールフレンドがいると聞いたことがある。何で女の子はそんな不誠実な男に魅せられるのだろう。おかげでラルゴのような童貞にはなかなか順番が回ってこない。


 プレストとフェルマータは長くキスをした後、ベッドに座って話し始めた。


「ラルゴのやつ、食堂で私に話しかけようとしてきたのよ」

「未練がましい奴だな。彼氏がいるって言われたらあっさりあきらめろってんだ」

「よっぽど私のことが好きなのかしらね」

「それだったら何度もデートしたのに何で手を出さないんだ?」

「あんたなんか初対面で手を出してきたのにね。ラルゴはやり方がわからないんじゃない」

「あいつきっと童貞だな。キスもしたことがねえんじゃないか。小学生なみだな。俺より年上のくせして」

 そう言って二人は爆笑した。ラルゴの頭に血が昇ったのは言うまでもない。


 ラルゴをネタにしてひとしきり笑った後、プレストとフェルマータは再びキスをして抱き合った。

 上になったり、下になったり、激しく攻めるプレスト。大きなあえぎ声を出してそれにこたえるフェルマータ。ベッドでの二人の取っ組み合いを間近に見せられてラルゴは大いに興奮した。


 事が終わると、プレストは時計を見てそそくさと服を着始めた。

「どうしたの?」フェルマータは素っ裸のままプレストにすがりついた。「明日は休みだから、泊まっていけば?」

「すまねえ。ダチと飲む約束をしてたのを忘れてたんだ。また来るよ」

 服を着終わったプレストはフェルマータに短くキスをして部屋から出ていった。

「ありゃウソだな」インキュバスがラルゴに語りかけた。「あの男の下半身のエネルギーはまだタップリ残っているぜ。これから別の女に会うんだろう。タフな野郎だぜ」


 フェルマータは不足そうな表情でふて寝しようとしていた。

「女の方も欲求不満のようだ。お前が満足させてやれ」

 インキュバスはちょこちょこと白いシーツの上を這い、フェルマータのホットパンツから出ている太股にひょいと飛び乗って糸を伸ばした。天井を向いて大あくびをしているフェルマータはそれに全く気づいていない。


 インキュバスが胴回りを計るように、糸を伸ばしながらぐるりとフェルマータの体を一回りすると彼女はコトリと眠りに落ち、ラルゴの意識のスイッチも切り替わった。


 インキュバスの仕組んだ夢は、田舎道を歩いていたフェルマータが四人組の山賊に襲われて小屋に連れ込まれ輪姦されそうなところを、通りかかったラルゴが助けに入るという設定だ。なぜフェルマータがそんなところを一人で歩いているのか、またラルゴが都合よくそこに通りかかるのかさっぱり不明だが、とにかく、ラルゴは超人的な強さで四人の賊を蹴散らし、彼らは「覚えてろよ」と型通りの捨てぜりふを残して去っていく。夢ならではの都合のいい展開だ。


「ラルゴ、あんた強いんだね。見直したよ」床に座り込んでいるフェルマータは目を潤ませてラルゴを見上げた。彼女の服ははだけ大きなおっぱいが半分はみ出ている。

「たいしたことはない」ラルゴはフェルマータを抱き起すと、いきなり強くキスをした。フェルマータはたいそう驚いたが拒否することなくラルゴの舌を受け入れた。


 手を握ることもできなかったラルゴがこんなに大胆に迫ってくるなんて……

 ラルゴは躊躇することなく、フェルマータの服を脱がせ大胆に攻めたが、彼女を乱暴には扱わなかった。彼は夢の世界では既に童貞ではない。昨夜、アレグレットから指導を受けたおかげで、どこをどのように触ったら女が喜ぶのかよく心得ていた。

 フェルマータはまたまた驚いた。うぶな童貞男だと思っていたラルゴがこんなテクニシャンだったなんて!


 ラルゴは、パワーとスタミナで押しまくるプレストにはたどり着けぬ次元へフェルマータを連れていった。それは、フェルマータをセックスフレンドの一人しか考えていないプレストと、彼女への想いをたぎらせてきたラルゴの違いでもあった。

 ラルゴが勢いよくフィニッシュした時、フェルマータは絶頂に達し一瞬頭の中が真っ白になった。


 フェルマータはハッとして目を覚ました。夢だったのか。しかし強烈な夢だったな。おっぱいはもまれたり吸われた感触が残っている。彼女は股間に手をやってみた。当然のことながら、男の精液がこびり付いたりはしていない。自分の体から出たものだけで濡れているだけだ。


 激しいセックスだったが、相手は誰だったんだろう? プレストじゃないことは確かだ。ラルゴに似ていたような気もするが、まさかあんな童貞男が出てくるはずがないし……。

 寝ぼけてボーっとしているフェルマータをよそに、インキュバスはベッドを離れ、少し開いた窓から外へ飛び出した。


 ラルゴはベッドから起き上がり、精液で濡らしたパンツをはき替えた。

 あれほど恋焦がれ、ふられた時は死のうとまで思ったフェルマータだったが、ことが終わってみると、気持ちは良かったものの、それほどの感激もない。僕はただ彼女の体に魅かれていただけで、恋していたわけじゃなかったんだな。


 ラルゴは窓を開いた。インキュバスが間もなく帰ってくるだろう。

 ラルゴが月を見上げていると、空中にいるインキュバスが話しかけてきた。

「お前、なかなかやるじゃないか。昨夜一夜にして女を喜ばせるコツを呑みこんだようだな。やはり、お前は俺が見込んだ通り、世界最強の童貞だぜ」


 ラルゴはほめられているのか、からかわれているのかわからなくて妙な気分だった。


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