第4話冬の終わり
付き合いはじめてから二日…僕と美雨は、以前より倍多く連絡を取り合うようになった。
「美雨ちゃんへ。今日は晴れていて寒さもあんまりないね。でも、体調には十分気を付けて!仕事も頑張ってね!」
送っておきながら、少々恥ずかしい。でも、気持ちはすごくいい。
今まで敬語だったのも、今は恋人同士らしくタメで話していて、僕らは本当に付き合ってるんだって、ちょっぴり嬉しくなる。
好きな人と付き合って、こうやってやり取りして…。
これは、他の誰にも崩せない一つの幸せと宝物だった。
携帯が鳴る。美雨からだ。
「はーい。京水くんも頑張ってね!体調も崩さないように!」
あー可愛い、もう可愛すぎるよ。
これほど短い文章であっても、僕を幸せにできる彼女はやはり天才だ。
この幸せがずっと続くのかと思うと、笑わずにはいられなかった。
決めたんだから―
あの子は、僕が必ず幸せにするんだと…。
ある日僕は、美雨を食事に誘った。
その日が、彼女の誕生日だったからだ。
ものすごく仕事を頑張ってお金をためて、誕生日プレゼントも買った。
気に入ってくれるかは不安だけど…。
「来てくれてありがとう」
「ううん。こっちこそ、私の誕生日のためにわざわざ…」
「いいんだよ。恋人の誕生日なんだから、これくらいやらせてほしかったんだ」
食事ははじめてだった。
だから正直、すごく緊張した。でも、彼女の笑顔を見たらそれは自然と消えて、二人は予約しておいた小さな洋風レストランに足を踏み入れた。
もちろん、手を繋ぎながら…。
店内に入ると、淡い色のライトが全体を照らし、ほんのり温もりを感じられた。
「なんでも食べたいの頼んでいいから」
こんなセリフ僕らしくない、全然。
彼女の前ではちょっとカッコつけたくなってしまう。男はみんなそうだろう?
でも、目の前の恋人の笑顔のためだったらまったく気にしなかった。
笑ってくれるなら…もうそれでよかった。
注文をし、くるのを待つ。
しかしやはり、経験が浅いのが表に出てしまい、どうも会話がはじまらない。
笑顔のためとは思っていたけど、会話もまともにできない僕は…まったく成長していなかった。
「あの…」
美雨が口を開き、一瞬固まる。
「京水くんは…どうして私を好きになってくれたの?」
意外な質問だった。理由なんて、数えきれないほどありますよ。
気になっていたのだろうか?びっくりしていたもん、僕が告白した時。
「僕、今まで恋愛とかあまりしたことなくて。本ばっかりだったんだ。でも…美雨ちゃんに出会ってから変わった。まさか僕が、女性に恋をするなんて。可愛くて優しくて、素敵なきみを好きになれて…本当に嬉しい」
恥ずかしい、こんなにしっかりと想いを伝えたのははじめてだ。
でも、これらがあって今僕は、好きな人の彼氏として生きてこれている。
「そっか…」
美雨は、恥ずかしそうに顔を赤くしながら聞いていた。
「それこそ…きみはどうして、僕の告白を受け入れてくれたの?」
僕こそ知りたかった。
こんな弱虫で、いつもネガティブな自分を好きになってくれたのが、嬉しいようで不思議だった。
「京水くんと一緒…。私もこれから先恋なんてしないと思ってたけど、京水くんは違った。私を惚れさせたの。京水くんを好きになれてよかった」
恥ずかしがりながらも、ちゃんと言ってくれた。
嬉しくて恥ずかしくて、気持ちが落ち着かなかった。
料理がくると、二人で手を合わせて一口食べる。
「どう?美味しい?」
僕が聞くと
「うん!美味しいよ」
そう言って微笑んでくれた。
「そうだ美雨ちゃん」
「ん?」
僕はカバンの中から、小さな箱を取り出した。
「それなに?」
「ん?これはね…」
僕は箱の蓋を開けた。
「え…ブックカバー?」
「うん。誕生日プレゼント」
彼女へのプレゼントに選んだのは、花柄の淡いピンク色のキルトのブックカバー。
「すごい…可愛い」
「どうかな。気に入ってくれた…?」
僕が聞くと、美雨は嬉しそうに言った。
「うん!すっごく可愛い!ずっと…大事にするね」
喜んでもらえた…。
もう…これだけで僕は、幸せだよ。
「あれ?もしかして泣いてる…?」
「泣いてないよっ!でも嬉しい…ほんとに嬉しいの」
「わかってるよ…」
最初の食事は、僕にとって一つの大きな思い出…小さな幸せとなった。
そんなある日、美雨はまた熱を出した。
「嘘ぉ…」
体温計を見て、ため息を漏らさずにはいられない。
以前よりはるかに高く、三十八度五分だった。
食欲もわかないし、頭もぼーっとする。
しかし仕事を休むわけにはいかず、周りには迷惑をかけないように具合悪いのを表に出さないように、なるべく笑顔で振るまっていた。
注文を受けコーヒーを淹れている間、後ろから声をかけられた。
「藤崎さん。調子はどう?」
このカフェのオーナー、羽瀬川孝一だった。
「オーナー…」
「もー何回も言ってるでしょ?そろそろ名前で呼んでくれって」
「羽瀬川さん…」
「そうそう」
羽瀬川さんは、優しくて穏やかで頼よりになる、アルバイト時からお世話になっているオーナーだ。
「大丈夫?なんか顔色悪いけど…」
「そ、そうですか?」
「うん。心配だよ」
さすが羽瀬川さん…隠しているつもりでも、この人にはバレバレのようだ。
「ちょっと体調が悪くて…けど、大丈夫です」
大げさに笑うが、目の前の真剣なまなざしに気が引けてしまう。
「倉野さんから聞いたよ。最近藤崎さんが元気ないって」
百合子…言わなくてもいいのに。
彼氏ができたことを伝えてなかったことが幸いだ。
「たまには休んだほうがいい」
そう言われ、我に返る。
「でも、迷惑かけるわけには…」
「ううん、きみは迷惑なんてかけてないよ。僕は店員の体調を一番に考えてるから」
そうは言っているけど、どうも自分に納得がいかない。
「病院で検査してもらったら?」
「はい…」
この前行ったばかりなのにな…。
「時間が空いたら行きます」
「僕も行こうか?」
「結構ですっ」
もー羽瀬川さんったら…。
どうせなにもない…よね?まさかそんな。異常なんてないだろう…。
変な冷や汗が出る。
「だめだめ。集中しないと…」
淹れたてだったコーヒーは、いつしか冷めてしまっていた。
仕事が終わる頃にはあたりは真っ暗で、いつもと違う静けさが町を漂っていた。
あの後病院に行こうかものすごく悩んだのだが、自分にもどこか不安なところがあり結局来てしまった。
待合室で待っている間、携帯が鳴った。
京水からだった。
『美雨ちゃんへ!仕事終わった?僕は今終わったところ!まだまだ体調には気を付けてね』
ちょっとだけ安心した。
疲れてもそれを忘れさせてくれる存在が、私にはいる。
「藤崎さん」
呼ばれて診察室に入ると、先生がいつものようにパソコンの画面を見つめていた。
今日も愛想悪いな…。
「藤崎さん、カフェで働いてらっしゃるんですよね?」
突然質問されて、戸惑ってしまった。
「そうですけど…」
「オーナーの羽瀬川さんと知り合いなんです。親戚でして」
「そうなんですね」
先生は珍しく美雨の顔を見ながら喋る。
「毎日頑張ってると聞いてますよ」
羽瀬川さん…恥ずかしくて顔を伏せたくなった。
「一度、検査してみましょうか?」
「は、はい…」
そんな話しを聞いたら、気持ちが雲みたいに浮いてしまって落ち着かなくなった。
検査を終えて、部屋に戻る。
どうしよ、重い病気だったりしたら。でも…さすがにないよね?
先生が戻ってくると、美雨は尋ねた。
「あの、なにか異常でもあるんですか?」
「いや…」
いやと言う割には、険しい顔をしている。
なにを宣告されるのか、わかるはずもなかった。不安はさらに募っていく。
しかし、不安は当たっていた。
すでに美雨の体は、少しずつ脅威にむしばまれていたのだ…。
羽瀬川は、一人カフェで片づけをしていた。
カフェには彼だけで、静かな空気がちょっぴり自分を心細くさせた。
羽瀬川の携帯が鳴ったのは、そろそろ店を閉めようと思っていた矢先だった。
「もしもし」
「もしもし?」
「市立病院・臨床検査担当の、遊澤です」
相手は、美雨の診察を担当している市立病院の医者・遊澤春成だった。
「あー遊澤さん。お世話になっております」
「いえいえ…こちらこそ」
「どうしたんですか?」
「一つご報告したいことがありまして…」
その言葉の後、彼は黙ってしまった。
「遊澤さん?」
「藤崎さんの検査のことでして」
羽瀬川は嫌な予感を覚える。
「なんでしょう?」
「……藤崎さんは…ALSの可能性があります」
「……え?」
理解するのに十分な時間を費やした。
ALS…?聞いたことはあるが、実際に詳細は知らない。
「どういうことですか」
「臨床検査をしたところ、異常が見つかりまして。早い段階で発見できたのでまだだいじには至っていませんが…いつ悪化するかわからない状態です」
いつ悪化するか?そんなに重い病気なのだろうか。
「本当はご本人に直接言うつもりだったんですが…」
羽瀬川は言葉を失う。
「明日お時間ありますでしょうか?詳しくお話したいので、来てもらえるとありがたいです」
「…わかりました」
羽瀬川はそう答えると、電話を置いた。
すぐに携帯で病気を調べる。
『ALSとは、運動神経に障害が出るもので、進行すると筋力が衰え動かなくなり、寝たきり状態になることが多い』
寝たきり…?まだ彼女は二十二歳だぞ、あるわけがない。
死に至るものではないのか?だめだ、もうわけがわからない。
本当にそうだとしたら…少しづつ恐怖が追ってくる。
彼女になんと言えばいいだろう。言えるはずがない、きみは病にかかったなんて。
可能性だ…まだ決まったわけじゃない。
羽瀬川は自分をしっかり落ち着かせながら、明日を考える。
気づけば冬は終わりを迎え、春がはじまりを告げていた。
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