「大人になれなかった」少女の願い

「ロズリーヌ、お前の才が伯爵様に認められた。特別に若様と共に学ぶ栄誉にあずかったのだぞ!」


 浮足立つ父さまに連れられて会ったのは、同い年の男の子だった。まだ身分の上下なんてよく分からない歳だった私は、その子とすぐに打ち解けた。


 先生から逃げて遊びに行っては、何度一緒に怒られただろう。でも歳を重ねるうちに、私は薄々気づき始めていた。


 フェルは私のことを『親友』と呼ぶけれど、私は『女』だ。もしも私が男だったなら、父さまのあとを継ぎ家臣としてそばにいられるんだけど……男と女は、ずっと一緒にはいられないんだよね。


「大変だ、ロズリーヌ! 伯爵様がお前を若様の婚約者にどうかと仰せだ。お前は若様に望まれたのだよ!」


 フェルが、私を望んでる……?


 大喜びの両親を一瞬他人事のように眺めてから……私は急に両頬が熱くなるのを感じて、顔をおおってうずくまった。


 ……フェルと、ずっと一緒にいられる!


 その時、私はようやく気がついた。弱虫のくせに偉そうで、だけど怪我をして困ってる人を見ると、すぐに飛び出していく……そんなフェルのことが、私はずっと好きだったんだ。


 伯爵様になるフェルとは、ずっとこうして『親友』でいることはできないと分かってた。だから私は、頑張って自分の役割を変えることにした。


 私はもうすぐ十二歳で、成人まであと少ししか時間がない。でも後二年もない初心舞踏会バル・デ・デビュタントまでに、上級貴族の婚約者として相応しい『ご令嬢』にならなければいけないんだ。


「一年も、会えないのか?」


 泣きそうな顔をするフェルの頬にそっと触れると、私は笑った。


「たったの一年じゃない。なんて顔してるの? ほんと、フェルは弱虫なんだから!」


「僕は弱虫じゃないって言ってるだろ! ロズなんかいなくても、別に寂しくなんかないんだからな!」


 そうして私は、遠い王都へと旅立った。立派な『伯爵夫人』になるために。



 *****



 行儀見習いとして私を受け入れてくれたのは、三大公爵家の一角である公爵家当主のご夫人だった。『先生』であるマリヴォンヌ夫人は、ご子息が成人した今でも社交界の華と呼ばれるお方なんだけど……とても優雅でお美しい方だった。


 普通なら、上級貴族のご令嬢でもなければ、公爵家で行儀見習いなんてできやしない。でもモンベリエ伯爵夫人……つまりフェルのお母様が、特別にお願いしてくれたらしい。


『あのマリヴォンヌ様のもとでしっかりと学んだら、必ずやどこへ出ても恥ずかしくないご令嬢になれるわ』


 ――私、本当に、一年でこんなふうになれるのかな?


 不安に感じながら、それでも未来のお義母様のご期待には応えたい。私は『親友』と再会する日を指折り数えながら、一心不乱に頑張った。


 始めは失敗ばかりだったけど、だんだん褒められることが多くなってきた。嬉しくなってもっと頑張ったら、同じように見習いに来ていた他のどのご令嬢よりも、褒められることが多くなっていた。


 その頃だった。はじめは陰で笑われるくらいだったのが、面と向かって悪口を言われるようになったのは。


「モンベリエの雌猿グノン


 それが、私につけられた仇名あだなだった。


「田舎の男爵令嬢ごときが、少しばかり法力が高いからと、いい気になって」

「貴族と言っても陪臣の娘が、どのようにしてモンベリエ伯爵令息を籠絡なさったのかしらね?」

「籠絡? まさか、このご容貌で、無理でしょう?」


 今日も公爵邸の廊下で上級貴族の『ご令嬢』方に移動を邪魔されて、私は内心、ため息をついた。自分のことなら、いくら悪く言われても耐えられる。


 雌猿グノンという言葉には、醜女しこめ売女ばいたという意味もある。真っ黒に日焼けして、下級貴族から伯爵家の正夫人にと望まれた私には……最適な罵りの言葉だったんだろう。


「モンベリエ伯爵家は名門のお家柄なのに、ご嫡男はこんな雌猿を迎えねばならないほどお相手に困っていらっしゃるのかしら」

「ねぇ貴女、かわいそうだから代わりに嫁いで差し上げたら?」

「嫌ぁよ。いくら名門でも、雌猿のお古だなんて」


 ――フェルのこと、何も知らないくせに!!


 クスクス笑うご令嬢方に、私はとっさに声と手を上げようとして……でも、なんとかぎゅっと両手を握って耐えた。ここで挑発に負けたら、立場が悪くなるのは私なんかよりフェルナンだから。


「あなたたち、どうしたの? とっても醜いお顔をしていてよ?」


 穏やかな声が響いた方へ、私たちがいっせいに顔を向けると……そこには私たちの『先生』が立っていた。


「こ、公爵夫人、わたくしたちは、ブエノワ男爵令嬢の不調法を注意していただけで……」


「あらわたくし、さきほどからずっとここにいたのだけれど。誰も気付いてくれないものだから、困っていたのよ?」


「も、申しわけ……」


 顔色を変えて言葉に詰まるご令嬢方に、マリヴォンヌ夫人はにっこりと笑いかけ……だけど、ぴしゃりと言った。


「我々貴族がなぜ、父なる神から法力をさずかったのか。もう一度、よく考えてごらんなさいね。……お下がりなさい」


 慌てて去るご令嬢方を見送ってから、公爵夫人はあらためてこちらを向いた。


「ロズリーヌ、貴女はもう立派な淑女よ。初心舞踏会バル・デ・デビュタントには、モンベリエ伯爵令息の随伴で出席するのでしょう? 二人に社交界で会える日を、楽しみにしているわね」


「……はい!」



 *****



 こうして私は、長いようで短い王都での一年をなんとか終えた。


 無事に辿りついた結納の席で、久しぶりに幼馴染の笑顔を見て……私はかつてのように駆け寄りたい衝動を、ぐっと我慢した。フェルナンも嫡男として、そろそろ大人にならなければならない年齢だ。これからは私がしっかりと、彼を補佐していかなければ。


 そんな私の成長を誰よりも喜んでくれたのは、フェルナン様のご両親である、伯爵ご夫妻だった。


「やっぱり、ロズリーヌは賢いから、絶対に素敵な淑女になると思っていたのよ! 貴女が手本となってくれたなら、きっとあの奔放息子も自覚を持ってくれると思うから。どうか、これからもよろしくね」


 奥様からそう頼まれた私は、学んだことに忠実に……フェルナンの前で完璧なご令嬢の姿を演じた。だけどそんな私と彼との間は、どんどん距離が開いていった。



 *****



 フェルナンとの間がぎこちない日が続くうちに、父が『妹』を連れてきた。急に現れた異母妹ノエラの存在は複雑だったけど、まあ、貴族にはよくあることだから。


 子どもの頃だったら、許せなかったかもしれない。でも今まで私の方が父さまを独占していたんだから、この子にはんぶん譲ってあげよう。


 それに私には、フェルもいる。


 でも、フェルは……


「ロズ、いやロズリーヌ、お前ってホントつまらない女だな。ノエラの方がよほど魅力的だ。あーあ、なんで家のためにお前なんかと結婚しなくちゃならないんだよ!」


 フェルが私を望んでくれたのだと、そう思ってた。

 でも、違っていたのかな。


 それでも私は、次期当主夫人として認められたくて、懸命に頑張り続けた。そんなときだった。慈善活動に行った治療所で、患者の発疹に、気づいたのは。




 疫病患者用の病棟へと隔離された私に、母さまは、どんなに頼んでも鏡を貸してくれなかった。ただ頬をつたう涙が、そこにあるのだろう痘瘡とうそうに、ひりひりと染みた。


「フェルナン様は……今日も来ていらっしゃるのですね」


 私の言葉を聞いて、ごく小さな硝子窓がはまっただけの病室の扉越しに……母さまが言った。


「若様に、お会いしたい?」


 私は黙って、首を横に振った。

 彼には、一番きれいな姿だけを見て欲しい。


 私の病室から病棟の大扉までは少し離れているはずなのに、騒がしい声がここまで聞こえてくる。


『僕は彼女の、婚約者だぞ!?』


 ああもうフェルってば、また大騒ぎしてる。

 まだまだ子どもなんだから。


 あんなに弱虫で、立派な領主様になれるかな。私が助けてあげたかったけど、でももう、時間がないみたい。


 私の代わりは、やっぱりノエラになるのかな。本当に大丈夫? 行儀見習い、けっこう大変だよ? それとも隣領のご令嬢かしら。いい人が、見つかるといいんだけど。


 ……やっぱり、いやだな。


 本当は、まだずっと、フェルと一緒にいたかった。私こんなに頑張ったのに、ねえ、なんで!? フェルの隣は、ずっと、私だけの場所のはずだったのに……!


 でもそんなことをしまったら、優しい彼は、きっと一生気にしてしまうだろうから――




 ――これまで本当にありがとう。

 あなたの幸せを、願っています。






 ...

――――――――――――――――――――

お読みいただきありがとうございました。

同シリーズの長編に、その後のフェルナンが登場します。

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