第574話「下の方の話」(メリサンド視点)





〈……なんじゃこりゃあ〉


 ひとり海中に身を躍らせたメリサンドは、その光景を見て言葉が出なかった。

 もちろん水中なので、元より上の口から言葉は出ない。

 つい漏らしてしまったのは下の口からだ。

 下の口と言ってもエラの事で、漏らしてしまったと言っても言葉の事である。他意はない。


 分厚い氷の下に封じられた、本来であれば暗黒であるはずの海域は、そこかしこにうっすらと金の光の筋が脈動していた。


 これは、根だ。


 氷の下には黄金龍の根が縦横無尽に伸びていた。


 この時メリサンドは知る由もなかったが、もしブランがこれを見ていれば言ったかもしれない。ヒヤシンスの水耕栽培かよ、と。


 光っているのは何だろうか。

 水中のエネルギーか何かを吸収している、ということなのだろうか。


 そういえばジェラルディンが言っていた。

 以前に見えた時よりも強大になっていると。


 その答えがこれなのか。

 もしそうだとしたら、ブランの「全然封印出来ていない」という言葉はまさにその通りである。

 いや、さすがに封印中もこのように自由自在に根を伸ばしていられたのだとしたら、封印されたままになどしておかずに自分で勝手に破って出て来ていただろうし、元々氷の下にも封印の壁は伸びており、根はその壁の中で密かに育てていたのだと考えるのが妥当なのだろうが。


 しかしながら「根」という器官を黄金龍が自ら作成した事は確かである。

 根とは普通、周囲の養分を取り込むための器官だ。

 海藻類なども海底に根付き、そこから養分を得て生長していく。


 黄金龍についての情報共有をした時、レアは「黄金龍はほとんど自然回復をしない」と言っていた。

 それは確かにそうなのだろう。

 何故なのかはわからない。

 メリサンドも普段、普通に生命力も魔力も自然回復するが、そもそもなぜ勝手に回復しているのかなど考えた事もない。


 レアによると、それはこの世界に根差して生まれた存在だからであるそうだ。

 この世界の大気中、あるいは海中でもそうだが、そこに充満している豊富なマナを呼吸などから取り込み、それによって体内に魔力が徐々に蓄積されていく。

 生命力でもおおむね同じだ。この世界の生物は取り入れた食物によって、生命力を補って生きている。

 しかし黄金龍は違う。

 呼吸をしても食事をしても、そこからエネルギーを吸収する事はできない。

 例えばこの世界の生物をその機能ごと取り込むだとか、エネルギー吸収に特化した器官を生成するだとか、そうした事をすれば話は別かもしれないが、封印から現れたイソギンチャクはそういうものが得意な様には見えなかった。


 しかし、水面下では違っていた。

 バチバチに海中の何か色々な物を吸収しているように見える。吸収し過ぎて光っているほどだ。いや吸収し過ぎると光るのかは聞いてみなければわからないが。


〈上の様子とずいぶん違うの。じゃが、これがもし海中からエネルギーを吸収している様子であるのなら、すなわちここをどうにかすれば黄金龍はエネルギー吸収の手段を失うという事でもある、か〉


 眼前に蔓延る無数の根をすべて駆逐してやれば。

 いや、常識的に考えてそれは非常に難しい事だと言わざるを得ないが。


 とはいえ、不可能だとも言い切れない。

 なにしろメリサンドの手には──かつてあの海皇が手にしていた、三叉の鉾が握られていたからだ。


 これは北の極点に赴くメリサンドに、エンヴィが貸し出してくれたものだ。

 自分は決戦の地には行けないから、せめてこれで主君であるレアの手助けをして欲しい、と。

 彼女が派遣されている西方大陸にも端末とやらは現れるらしいが、それについてはこの鉾がなくとも問題なく対処出来るらしい。それもあってレアも貸出しを許可したようだった。


 貸し出す際にエンヴィが「女王様は泳ぎも戦闘も得意じゃないみたいだけど、これがあればちょっとは戦えるから」と言っていたのが未だに引っかかってはいるが。


〈──まあ、ええわい! 唸れ! 海嘯三叉トリシューラ!〉


 メリサンドが振るったトリシューラに従い、横向きに発生した三本の渦巻く水流は、互いに互いを擦り合わせながら黄金龍の根に向かった。


 質量を伴った渦、それに挟まれた根は一瞬で細切れになり、海中にキラキラと金色の体液を撒き散らす。


〈あの光っとったの、何か吸収してたんじゃなくて黄金龍の汁じゃったか。まあダメージを与えているのであればどっちでもええか〉


 右手の鉾からは渦、そして左手からは『ウォータービーム』を放ち、次々と根を刈り取っていくメリサンド。


 聞いた話では、この黄金龍とやらは世界の敵であるらしい。

 世界そのものをして敵と認められているほどの存在だというのに、こんなに楽な戦いでいいのだろうか。

 さすがは製作者不明の伝説の鉾である。


〈ははは! こりゃええのう! 根を全部刈り取ったら、上の氷も破壊して、本体も海に引きずりこんで藻屑にしてやろうかのう!〉


 そうやって気分よく駆除を続けていると、不意に根が身じろぎをした。

 いや、身じろぎではない。伸びたのだ。

 刈り取ったはずの根が一瞬に近い短時間で、あっという間に元通りに生えてきた。


〈なんじゃと!?〉


 トリシューラによる竜巻も『ウォータービーム』も、分類としては遠距離攻撃である。

 しかしメリサンドは、根を刈りながら前進していた。

 あの巨大な黄金龍から伸びている根だ。距離を取ったまま全てを刈りとる事などできはしない。

 刈って開いた距離は詰めていかなければすぐに攻撃が届かなくなってしまう。


 しかし、それはつまり。

 刈ったはずの根がもし再生してしまえば、そこに進軍してきたメリサンドは根の中に捕らえられてしまう事を意味していた。


〈ぬお!?〉


 慌てて距離を取ろうとヒレを動かし後退しようとするも、何かに後頭部をぶつけてしまい叶わない。

 何にぶつかったのかと振り向いてみれば、そこには鈍く黄金に光る根があった。

 慌てて左右を見渡せば、視界に入ってくるのは根ばかり。


 上は当然黄金龍の本体があるから、ならば下だと視線を向けると、そちらも根が絡まった状態で塞がれている。


〈なんかめちゃくちゃトリッキーな方法で捕まったんじゃが!?〉


 生長した海藻に埋もれてしまった貝や魚卵というのは見た事があったが、再生した根に捕らえられた魚というのはさすがに見た事がない。


〈じゃが、この程度!〉


 メリサンドは『ウォータービーム』を乱射し、自身の周囲を取り囲む根を切り刻んだ。

 トリシューラは威力が大きすぎてここで使うとどうなるかわからない。

 広い所でひとりで使う分には楽しいが、大渦か大波しか起こせないのは少々使いづらい。

 やはり海皇の宝など所詮はこの程度ということだろう。

 大勢のニンゲンを乗せて移動可能なカナルキアの方が道具として優れている。


 根を切り払い、脱出したメリサンドは高速で泳いで黄金龍から距離を取る。水中での機動力には自信がある。

 エンヴィがおかしいだけで、本来メリサンドに水中で追いつける存在など限られているのだ。


 振り返ってみると、メリサンドが脱出のために破壊した根は再生していないようだった。

 先ほどの再生も常時発動していたわけではなく、ある瞬間に突然全てが再生したらしい。何かそういうタイミングでもあるのかもしれない。


 しかし、せっかく破壊してもすべて再生してしまうのではやる甲斐がない。

 再生回数に限界はあるのか、何を代償にして再生しているのか、それらがわかればもう少しやりようもあるが、現時点では情報が少なすぎる。


 と、しばらく様子を見ようか迷っていたメリサンドに向け、突然黄金龍が根を伸ばし始めた。


〈なぬ!? お主動けるのか!?〉


 なぜ今になって突然動き出したのかは不明だが、無数の根がメリサンドに襲いかかってきた。

 メリサンドにとってはのろまな動きであるため、それでどうにかされる事もないが、連携してどこからともなく黄金のウツボが現れ、メリサンドを飲み込まんと口を開けて迫ってきた。


〈これ、黄金龍の頭じゃな。どこから……あ、あの空間の罅か!〉


 黄金龍が咆哮を上げた時にできた、世界の罅割れだ。

 それが海中にも存在していたようで、ウツボはそこから現れていた。


〈真っ黒い何かが海中にあるだけじゃから、そういう海藻か何かでも漂っとるのかと思っとったわ……〉


 例えば地上で突然、大気中に黒い何かが浮かんでいれば不自然すぎてすぐに気が付いただろうが、海の中では黒い何かが浮いているなど珍しくもない。

 まさか海中に穴が開いていて、そこからウツボが出てくるなど普通は考えない。

 とはいえ、同じものは地上でも目にしていた。

 気付いてもよかったところではある。


〈ええい、これはわしが迂闊じゃったわ!〉


 ウツボは罅割れから這い出し、自由自在に海を泳いでメリサンドを狙ってくる。

 その大きさはさまざまで、おそらく罅割れの大きさに応じてバリエーションがあるのだと思われるが、這い出す瞬間を観察するほどの余裕はないため正確なところはわからない。


〈『ウォータービーム』! 押し流せ、トリシューラ! あとたまに唸れ!〉


 ウツボだけでなく、根の対処もしなければならない。

 三叉の鉾から生じた大波はウツボと根をまとめて押し込み、さらにそこに破壊の権化のような竜巻が混じり、次々とウツボと根を粉砕していく。


〈なんじゃこれ、忙しすぎじゃろ! なんでこっちはわしひとりなんじゃ!〉


 今頃上はブランやレアたちがきゃっきゃしながら仲良く戦っているのだろうな、と考えると涙が出てくる。

 せめて誰か、水棲を持つ者が他にいれば寂しくないのだが。

 そういえば、邪王ライラはラミアーに見えるが正確には蛇ではなく、あれはウナギの化身だとかウルススメレスが言っていた気がする。

 それが本当であるなら、こちらに来るとしたらあの邪王だろうか。


〈……やっぱひとりでええか。いやそれはそれとして、これじゃあ埒が明かぬ!〉


 根を切り飛ばしても定期的に再生し、ウツボは倒してもどこからか現れる。

 このままではジリ貧だ。

 今はいいかもしれないが、いずれ攻撃が追い付かなくなり、物量に押し流される時が来る。

 それまでに黄金龍本体に何とかダメージを与えるか、まとめて吹き飛ばすか、どうにかしなければならない。





 一向に好転しない状況の中、徐々に体力も魔力も消耗していったメリサンドは悩んだ。

 ブランたちと出会い、マグナメルムに参加するようになってからの事を思い出す。


 初めてブランに会った時、脅す者と脅される者の関係だった。


 あの頃たまたま拾った人間は娘のイアーラに懸想し、気持ち悪いストーカーになった。それは解決したが、今もマグナメルムで飼われているらしい。


 それまで自分の事を強者だと思っていたが、それは勘違いだった。

 ブランは「胃の中の蛙、大海を知らず」とか言っていたが、こちらは大海育ちなんじゃが? と思った。しかも胃の中の蛙、って、すでに食われているではないか。

 そう言ったらあれ? と首を傾げていた。首を傾げたいのはこっちだ。


 闘技大会とやらに出場してみた。

 勝った試合はそこそこ面白かった。負けた試合は思い出したくもない。


 色々言いたい事はあるが、まあ総合的に判断するなら、彼女らとはもう友人関係と言っていいだろう。

 王国の中で唯一無二の女王として生きてきたメリサンドには、これまで対等以上の存在はいなかった。


 襲い来るウツボや根を見やる。

 この程度の速度なら、本気で泳げば振り切るのは容易だ。

 戦場から離脱するのは難しくない。


 ここで戦っているのはメリサンドひとりだ。

 誰かが増援に来るような気配もない。

 配下の娘たちも今頃は極東の島国の周辺で戦っているはずだ。


 例えばここで、黄金龍を倒せなかったとしたらどうなるのだろうか。

 これまで通り世界は続いていくのだろうか。

 それとも。


 メリサンドは悩んだ。


〈……出来ればやりたくない。やりたくはなかった、が……〉


 そして、決めた。


〈──ええい、済まぬな、!〉





 メリサンドはその場から高速で泳ぎ去った。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る