第571話「罅割れる世界」





 キラキラと、砕け散ったオーロラの壁や天空の魔法陣の破片が辺りに降り注ぐ。

 しかし破片は足元の氷に到達する前に光になって消えていく。


 すると。





 ──オアアアアアアアァァァァ!





 高いような、低いような、ただ言えるとすれば、これまでに聞いたことがないほど大きいという。

 そんな名状しがたい音が辺り一面に鳴り響いた。


 その瞬間、視界が黄金に染まり、世界が震えた。


 魔法陣と共に砕け散った光の壁。

 その向こうから、黄金の何かが押しつぶさんばかりの威圧をぶつけてきた。





 ──オアアアアアアアァァァァ!





 その黄金の何かがもう一度咆哮を上げる。

 この時になって初めて、先ほど世界が震えたのはあの黄金の咆哮によるものだったのだと理解出来た。


 そして二度目の咆哮が響き渡ると同時に、上空に変化が起きた。


「空が!?」


 誰が叫んだのかはわからない。

 しかし、誰の叫びであっても同じ事だ。なぜならここにいる全ての者の心は、その一言に集約されていたからだ。


 空が突然、ひび割れたのである。


 いや、罅割れたのは空だけではない。

 視線を下せば、氷の大地も、海も、そこらの空間にも黄金の罅は現れていた。


 そしてその罅からは、無数の黄金のウツボが顔を覗かせていた。

 大きさは様々で、それに応じてLPの量も様々である。


「むちゃくちゃだなおい! よくこんなもん封印出来たな!」


 バンブが叫ぶ。レアも同感だ。

 幻獣王オーク何とかの実力から、当時の災厄たちにレアたちほどの力はなかっただろう事はわかっていた。

 しかしこれは評価を改める必要があるかもしれない。


「……いえ、昔はここまで異常な力は持っていなかったわ……! まさか長年の封印の間に、この世界の力を吸い上げたとでも言うの……?」


 絞り出すように答えるジェラルディン。


「えー先輩たち何も封印出来てないじゃん! なんかもう逆に早めに封印解いといて良かったよねって感じ!」


 このブランの言葉にも同感である。その先輩のひとりであるジェラルディンは顔をしかめていた。

 とはいえ、プレイヤーが封印を解くのだとしたら、今このタイミングではなかったとしても遅くとも2年、3年後までにはやっていただろう。レアがやらずともそのうちこうなっていたはずだ。これまでの封印の期間の長さから考えると、2、3年など誤差である。

 やはりサービス開始のタイミングとして、黄金龍が十分熟した時期を運営が見計らっていたと考えるのが妥当だ。


「SNSも盛り上がってる! この世界の罅みたいなやつ、いろんな地域で起きてるっぽい!」


「もう端末と戦闘を開始してるところもあるみたいだな!」


「俺たちも負けてられない!」


 ウェインたちも騒ぎ始めた。

 他の地域にはせっかちなプレイヤーもいるらしい。


 しかし、ウェインの「負けていられない」という言葉には賛成だ。


 ここは言いだしっぺのレアが開戦の合図をするべきだろう。


「──さて諸君。これで舞台は整った」


 レアが話し始めるとプレイヤーたちのざわめきはぴたりと止んだ。

 今日はずいぶん行儀がいいなと思いながらも話を続ける。


「敵も中々の迫力だが、ここで倒さなければこの世界に未来はない。

 なに、心配などいらないよ。こちらには他ならぬこのわたしがいるからね。

 ここはわたしが世界最強であることを証明し、ついでに世界を救ってやるとしようじゃないか。

 もちろん、きみたちの応援にも期待している。各々、存分に暴れるといい」


 そして話し終わると一拍だけ静寂があり。


「──うおおおおおおおおおお!」


 プレイヤーたちが全員、拳を天に突き出して咆哮を上げた。

 人数が多い事もあって、雰囲気だけなら黄金龍のそれにも匹敵する迫力である。

 ハガレニクセンの者たちならともかく、他のプレイヤーまで反応するのは予想外だった。レアはそこまで好かれているわけではないし、おそらく雰囲気に飲まれてついやってしまったのだろう。


 よく見るとウェインやギル何とかまで叫んでいる。

 以前はあれだけマグナメルムを敵視していたというのに節操のない事だ。


 しかしなんであれ、士気が高いのは悪い事ではない。


「ではゆくぞ、諸君。この世界が誰のものなのか、金のトカゲに思い知らせてやる」









 黄金龍本体の姿は想像していたものとはかなり違っていた。

 何となくバーガンディに近いものかと思っていたのだが、そうではなかった。


 第一印象はイソギンチャクに近い。

 根本は氷に埋まっているのか、どうなっているのかわからない。足があるのかないのか。移動可能なのかどうか。

 宇宙からこの状態で飛来した生物であるとしたら、足があるかどうかは移動には関係ないのかもしれない。宇宙空間においては足など飾りだ。慣性を利用すればバランスを取れるかもしれない点以外に意味はない。


 またその触手は一番高いものでは天に届かんばかりのものもあり、どれも相当な長さであった。これがあの封印の中に押し込められていたのだとしたら、クリスタルウォールの中はかなりパンパンだったのではないだろうか。

 その触手だが、これは全てが例の黄金ウツボと同じ姿をしていた。

 現在はほとんどの触手がレアを睨みつけている。

 レア以外では、ライラやブラン、ジェラルディンを見ているものもあるようだ。少数はプレイヤーたちに目を向けているものもある。


 まだ何もしていないのにレアが睨まれているのは何故だろう。

 封印を解いたのが誰なのかわかっているのだろうか。いや、そうだとしたらなおさら睨まれる筋合いはない。最終目的はともかく、現時点では黄金龍に有利なことしかしていないはずだ。


 あるいはこの場にいる者の中で、危険度の大きい順にマークしているのだろうか。

 いや、それならバンブやゼノビアがノーマークなのはおかしい。少なくともプレイヤーたちの集団よりはバンブの方が危険度が大きいはずだ。


「……もしかして、これはあれかな。外にいた端末の得た情報も受け取っているのかな」


「あー。そういえばレ、セプテムちゃんもオクトーさんも黄金ナントカールと戦ったとか言ってましたもんね」


 だとすればやはり、封印中であっても黄金龍は活動を停止していなかったと考えて間違いないようだ。

 レアに向けられる視線が一番多いのは、黄金怪樹の討伐に加え、ウツボ型と2回もエンカウントしていたせいだろう。そしてその2回目のエンカウントの際には一部他のプレイヤーたちもいたため、今もそちらに視線が向いているのだ。





 封印解除早々に咆哮を上げ、フィールドを自分の色に染めてきた黄金龍だが、それ以上は睨みつけるばかりで特に行動は起こさず、レアたちの出方をうかがうように数多の首をくねらせている。

 先手は譲ってくれるらしい。

 それだけレアを警戒している、という事なのかもしれない。


 なんであれ、手番を渡してくれるのなら有効的に使うだけだ。


「『解放:多脚』、『解放:金剛鋼』、『解放:巨大化』、『解放:鎧』──」


 黄金龍は巨大だ。

 人間サイズで戦ってもタカが知れている。最初から巨大化しておいた方がいい。

 ここまで相手がでかいのであれば、多少の器用度低下は誤差にもならない。


 巨大化したレアに合わせ、ライラやブランも同様に巨大化する。

 バンブも巨大化こそしないが、ローブをそこらに脱ぎ捨て、包帯は身体に巻いたまま『火魔法』で燃やした。炎の中から赤い肌が現れるのは悪くない演出だ。率直に言ってかっこよかった。とても夜間緑色に光る変質者とは思えない。

 ただ、これから決戦だというのに無駄にMPを消費したり不必要な微ダメージを受けたりするのはちょっとどうかと思った。


 ジェラルディン、ゼノビアも飛行し、戦闘態勢をとっている。

 メリサンドも同様だ。先日、ブランたちの融合を終わらせた後にひとりで祭壇で何かをしていたようだが、それによって飛行可能になったらしい。腰のあたりから大きくヒレを広げている。おそらくトビウオか何かなのだろうが、滑空ではなく普通に滞空しているため、トビウオというよりカイト型の凧に見える。


 教授がいないなと見渡すと、いつものブラウンのスーツにインバネスコートを着込み、ブランの背中に隠れるようにして浮遊していた。

 彼には別に戦闘力は期待していないので構わないのだが、それでいいのか。


 眼下ではプレイヤーたちも各々得物を構え、黄金龍を睨んでいる。ウェインたち鎧獣騎乗りも騎体に乗り込み、すぐにでも攻撃に移れるようにしている。

 彼らも初手はレアに譲ってくれるらしい。下手にファーストアタックを与えてヘイトを稼ぎたくないだけかもしれないが。

 もっとも、黄金龍が大きすぎてピンと来ていないのかもしれないが、砕け散ったオーロラの壁と黄金龍の間にはかなり距離がある。近接型のプレイヤーではかなり走らなければ戦いにすらならない。


 黄金龍は、レアたちの変貌を目の当たりにしても、警戒したまま様子を黙って見ていた。


 ずいぶんと余裕がある態度だ。

 それなら遠慮なくやらせてもらう。


「『魔の剣』」


 まずは小手調べだ。

 魔力で闇色のハルバードを下半身の巨人用に作成し、8本の脚で踏ん張り黄金龍へ突撃した。

 レアの速度と巨大化した歩幅ならば、この程度の距離は無いも同じだ。


「『ワイドスラッシュ』」


 黄金龍の目の前で横一文字に振り抜かれたハルバードは、スキルの力でオーラを纏い、そのリーチを超えた範囲を薙ぎ払う。

 レアの突進に合わせて少しだけ身を引いていた黄金龍であったが、足元が固定されているのではどうしようもない。

 また、仮に回避できる状態だったとしても、レアの振るうハルバードから逃れられたかどうかはわからない。ハルバードの間合いは薙刀に少しだけ似ている。しかもこれはレアが自ら生み出した武器だ。リーチを見誤る事など無いし、そうであるなら避けられるなどありえない。


「出たー! セプテムちゃんの、えーと、ずんばらりだー!」


 そんな技を出した覚えはまるでないが、置き去りにした背後でブランが騒いでいる。

 しかし技名こそ適当であるものの、齎した効果はまさにブランが言ったとおり。

 黄金龍の首は何本も切り落とされ、地響きを立てて氷上に落ちていった。


 さすがにこのサイズのイソギンチャクである。

 落とせた首は全体からすれば僅かなものだが、これでダメージが入っていないということもあるまい。

 事実、黄金龍は復活時と同様の咆哮を上げ、苦痛を顕にしていた。


「戦闘中に泣き叫ぶなんて素人さんかな」


「首落とされて泣き叫ばねえ方がおかしいだろ」


「いや、首を落とされてるのに元気に泣き叫ぶ方がおかしいとおもうがね」


「なんかあれみたい。エノキ?」


 ライラたちはそう言いながらも、黄金龍が怯んだ隙を突いてそれぞれ攻撃をし始めた。

 ライラは『邪眼』で動きを止め、結果的に怯み時間を延長させた。

 バンブは空中を疾走し、イソギンチャクの本体に無数の拳を叩き込む。

 ブランは巨大化した全身をすべて霧に変え、黄金龍の全方位から真紅の杭を撃ち込んだ。


「──あっ。ノウェムさんが霧化しちゃったわ。これじゃ私は霧になれないじゃない。『レヴィンパニッシャー』!」


 ジェラルディンも一拍遅れて空に舞い上がり、上空から黄金龍に魔法を浴びせかける。


「なんで霧になれないのさ。ええと、ここは麻痺の『邪眼』かな」


 ゼノビアはライラに合わせ、追加の状態異常攻撃の準備をしている。

 ライラが食らわせた『邪眼』も麻痺だったようだが、数秒しか効果が持続しない事はわかっている。そのカバーだ。


「最近気づいたことなんだけれど、2人とも霧になるとちょっと混ざりあったときに妙な気分になるのよ。それがなんか、浮気してるみたいでちょっと」


「浮気もなにも、そもそも誰とも関係なんて持っとらんじゃろうに! 『エアハンマー』!」


 メリサンドは魔法で自分の足元の氷を割り、海にダイブしていった。

 独りだけ遊んでいるというわけではなく、手っ取り早く使える水を確保しようとしているのだろう。


 他のプレイヤーたちも黄金龍目掛けて全員で駆けてくる。

 空中に現れた罅からは黄金龍の端末が顔を覗かせているが、目の前に本体がいるのに敢えて端末の相手をしようという気はないらしい。

 プレイヤーたちは脇目も振らず、一直線に本体を目指していた。


 とはいえやはり、移動手段が地上に限られているプレイヤーたちにはいささか遠い距離だ。

 しかし彼らも以前に比べれば成長している。

 それこそ、火山島でウツボを倒した時と比べてもその差は歴然だ。


 近づいてくるプレイヤーたちに、黄金龍は首のうちの幾本かを差し向け、迎撃に当たる。端末から攻撃をさせようという気配は感じられない。もしかしたら、本体と端末との情報のやり取りにはタイムラグがあるのだろうか。


 本体の首による突き攻撃はギルのライオン型がバリアを張って受け止めた。その隙に他のプレイヤーたちが側面から攻撃を加える。

 他にも数本の首が同様に攻撃を仕掛けてきたが、それを受ける他のパーティも概ね同じだ。タンク役が受け止め、アタッカーがダメージを稼いでいる。





 ひとまずは、悪くない出だしと言っていい。


 敵が余裕を見せて初手を譲ってくれた間に、少々ながらもダメージは与えることが出来た。

 首を何本も切り落としたというのに全く致命傷になっていないのは納得がいかないが、あれが首ではなくて触手に過ぎないと考えればわからないでもない、だろうか。

 少なくとも、LPは減っている。


 この調子でダメージを与えていければ、そう遠くない未来に倒すことが出来るはずだ。






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