第541話「昆布巻き」(ライラ視点)





「──やった! 海じゃ! やったやった! これで勝てる!」


 はしゃぐメリサンド。


 一方、転移したライラの目の前ではゆっくりとベヒモスが海に沈んでいくところだった。


「なんじゃなんじゃ。そのデカブツは使わんのかの! ぷくく。まあ沈んでしまっては使いようもあるまいがな!」


「……そうだね。沈んでしまってはね」


 ベヒモスの代名詞とも言える『完全無欠』は陸上でなければ発動しない。

 見渡す限り一面の海である今回のバトルフィールドではどうやっても『完全無欠』を使うことはできないだろう。


 もちろん、以前に南の海を渡ったように、ベヒモスは水中でも活動は可能だ。

 しかし相手は海に生まれ、何百年も海で過ごしてきた、言わば海のエキスパートである。

 丸鋸サメなどとは比べ物にならないほど戦闘力も高いはずだし、全力を出す事が出来ないベヒモスではその攻撃に耐えられるとは限らない。

 ゆえにベヒモスに乗って正面から戦うという選択はとれなかった。

 どのみち沈んでしまっているので、今からでは乗り込むのも一苦労だが。





《──それでは、闘技大会本戦! 三回戦、【メリサンド】VS【マグナメルム・オクトー】! 試合開始!》









「悪いが、お主は何をしてくるかわからんのでな! わしもよくわからん赤黒いドロドロに変えられとうはない! 速攻で決めさせてもらうぞ! 『アブレイシブウォータービーム』!」


 海の上、空中に浮かぶライラに向かい、いたるところから超高速の水の帯が放たれた。

 前回伯爵の首を落とした攻撃だ。

 どうやらメリサンドは海の中にいる限り、海のどこからでもこのビームを発射する事が可能らしい。

 さすがに自分で知覚出来ないような遠くにまで影響を及ぼせるとは思えないが、これだけの事が出来るだけでも十分脅威だ。

 海の女王は伊達ではない。


 しかしライラも老いたりとは言え、かつてはレアに技を教えていた事があるほどの実力者である。

 たとえ何十本もの水のビームに斬りかかられようと、その全てを回避する事など造作もない。

 もっとも、ライラの「老いたりとは言え」という考えを祖母が聞けば、「お前の実力が落ちているのはお前がサボっているせいであって、老いが理由ではないし、そもそも老いてないし、次に老いたとか言ったら裸に剥いて軒先に吊るすからな」とか言われそうではあるが。


「ぬぐ! この密度の攻撃を躱しきるのか! どうなっとるんじゃこやつは!

 しかし、ならば面で攻撃するのみよ! くらえ『タイダルウェイブ』!」


 メリサンドの背後から巨大な津波が現れ、ライラを飲み込まんと迫ってきた。


 『タイダルウェイブ』は津波を引き起こす上位の『水魔法』だ。地上で使ってもだいたいの物は押し流す事が出来る。

 それを最初から潤沢に水のある場所で使うとどうなるかといえば、そこに元々あった水を巻き込んでさらに巨大な津波を起こす事になる。


「これならさすがに躱せまい! 飲み込め!」


 メリサンドの魔力に海というフィールドが合わさったことで大型化した波がライラを襲う。

 その波はライラが想定していたよりもはるかに大きく勢いがあった。

 『海内無双』とまでは言わずとも、似たような環境バフをメリサンドも受けているのだろうか。


 いずれにしても、こう広範囲に津波が展開していては横にも上にも逃げられそうにない。

 圧倒的な質量を持った海水がライラの姿を覆い隠した。


「──今じゃ! 『グレイシャルコフィン』!」


 さらにメリサンドはその波に向けて即死の『氷魔法』を放った。

 絶対零度のマナは範囲内の全てのエネルギーを奪い、瞬く間に海の一部を凍りつかせる。


 冷気が去った後、そこには凍り付いた波のオブジェだけが海に浮いていた。

 そしてその直後に、氷のオブジェはひとりでに粉砕し、細かい粒に変わった。


 水そのものの命さえ固めて砕く。

 この海において、人魚たちの女王が放つ即死魔法とはそれほどのものだった。


「あはははは! どうじゃ! オクトーもろとも粉々にしてやったぞ! あはははは!」


 メリサンドはイルカショーのイルカのように海からジャンプしてみせ、喜びを体中で表現している。

 歳を考えるとなかなかのはしゃぎようだが、そんなに普段ストレスを溜めているのだろうか。





「──楽しそうでなによりだよ」





 その様子を海中から見ていたライラは『邪なる手』を伸ばし、空中でくるりと身体を回転させているメリサンドを拘束した。


「──ははっ!? な、なんじゃと!? 貴様、オクトー! 津波に飲まれたのでは……!」


「そんな間抜けな事するわけないでしょ」


 ざばりと海から身体を浮かせ、『天駆』で見えない階段を上るように海上を空へと歩く。


「馬鹿な! あの『タイダルウェイブ』を躱すことなど……!」


「うん。まあ横にも上にも回避するのは無理だったよ」


「まさか!」


 横にも上にも逃げられないのなら、あとは下しかない。『タイダルウェイブ』の回避が困難だと判断したライラは海中に逃れていた。


「じゃが、ヒトの形でそんな高速で海中を移動出来るはずがない!」


 もちろんメリサンドの言う通り、人の身体は海中を移動するのに向いているとは言い難い。

 しかし、それは自ら移動する場合の話だ。

 ただの荷物として引っ張られるだけなら、もちろん水の抵抗は無視できないが、引っ張る側の出力によってはある程度の速度は出せる。


 ライラは海底に沈んだベヒモスに『邪なる手』を伸ばしており、そのベヒモスをアンカーにして自分自身の身体を海底に引きずり込んだのである。

 ライラとベヒモスの重量差は言うまでもない。余計な事をしなければ、両者を繋ぐ『手』を縮めればライラの方がベヒモスに引き寄せられるのは当然の事だった。


「出来るはずがない、っていう言葉はね。ほとんどの場合は終わってから言っても意味がないんだよ。結果がすべてだ。実際にそれが出来ているのなら、後から言っても何かが変わるわけじゃない」


 生やせる『邪なる手』のうちの実に半数をメリサンドの拘束に割きながら、ライラは残り半分を海底に伸ばしていった。今度はベヒモスを引き上げるためだ。

 何もしなければ再びライラの方が海底に沈むだけだが、何らかの余計な事をするのであればその限りではない。例えばそう、ライラが空中で踏ん張るとか。


 ライラはメリサンドの方に伸ばしている『邪なる手』を包帯よろしく巻き付けていく。

 メリサンドの下半身は今は魚類のそれになっている。

 空中で拘束しているため、特に何かが出来るわけではないと思われるが、余計なことが出来ないようヒレや両腕にぐるぐると『手』を巻き付けていく。

 ついでにエラも塞ぐ。これがあるからと言って大気中でなにか有利になるとも思えないが、どうせ最終的には全身を覆う予定である。よくわからない器官は早めに塞いでおいて損はない。


 そうやって何重にも拘束をほどこし、メリサンドはついには頭部を残して全て漆黒の帯に完全に覆われる事となった。


「お、おのれ! このわしにこのような汚い昆布を巻きつけて縛りあげるなど……!」


「汚い昆布って、人聞きが悪いな! 別に汚くないんだけど。あと昆布でもないし」


 色のイメージが悪いのだろうか。


「しかもこの質感、何やら高位の金属も混じっておるな! これでは出汁も取れんではないか! 出汁が取れるだけ昆布の方がまだましよ!」


 きゃんきゃん吠えるその内容はどこかブランに通じるものを感じる。ブランと一緒に行動し過ぎて頭がおかしくなってしまったようだ。


「……逆に聞くけど、今この状況で出汁が取れたからって一体何の役に立つって言うのさ」


「無論、何の役にも立ちはせぬ。じゃが……お主の気をらす話題のタネにはなったようじゃな!

 わしの口を最初に閉じなんだことを後悔するがいい! 『タイダルウェイブ』!」


 ブランの真似をして頭がおかしくなっているように見えていたのはメリサンドの演技であり、この魔法を撃ち込むためにライラを油断させるのが目的だったようだ。


 拘束されたメリサンドの前方の海面が突如として盛り上がり、新たな津波となってライラに向かってくる。

 ただしその規模は先ほどのものと比べるとかなりつつましい。もちろんそこらの魔法使いの放つものと比べれば十分大規模ではあるが。


 やはりメリサンドがその真価を発揮するには海中に居る必要があるらしい。現在も海の上であると言えばそうなのだが、空中に拘束されている状態では海の恩恵を受ける事は出来ないようだ。どこかの最強の海のように、平面上の座標が海ならオールオーケーみたいなトンデモ性能でなくて安心した。


「やると思った。まあ、この程度ならちょっとした防波堤があれば防げる」


「なんじゃと……って何ぃ!」


 ざばり、とメリサンドの『タイダルウェイブ』以上に海が盛り上がり、そこに巨大な金属の壁がそそり立った。

 引き上げたベヒモスである。


 メリサンドの口を封じずに放っておけば、このように魔法で反撃してくる事はわかっていた。あの妙な小芝居などあってもなくても変わらなかった。

 ライラが空中で踏ん張り、ベヒモスを引き上げようと頑張っていたのはこうして盾にするためだった。

 どうせ破壊されても試合が終われば元通りになる。

 そして海中ではメリサンドと戦えるほどの性能は期待できない。

 ならば戦力としてではなく、単純な壁として使えばいいだけである。


「ぐぬぬ……! じゃが、まだ終わっ──む!? むぐぐ! むぐう!」


「終わりだよ。圧倒的不利な状況から起死回生の一手を打つなら、その一手で片が付くってくらいの必殺の手を打つべきだよ。あの程度の苦し紛れの魔法ならやらないほうがいい。魔力の無駄だ」


 ライラはさらに数本『手』を増やし、メリサンドの頭部までをも縛りつけ完全に封印した。


 メリサンドにはああ言ったが、あえて魔法を撃たせてやったのはどうせ必殺の手などないだろうことがわかっていたからでもある。

 ただ、もし魔法以外に何かがあるならそれをやられる恐れもあった。

 とはいえ最初のメリサンドのセリフ、そして初手で殺意の高いビームを乱発してきた事を考えると、仮に何か手札を持っていたとしても、それが威力の高いものであるなら最初からやっているはずだ。

 であれば何かあるとしても大した内容ではない。

 しかも魔法と言うわかりやすい選択肢を残しておいてやれば、よほどの捻くれ者でもない限りそちらを使ってくれるだろう。そうやって行動を誘導する目的もあった。


 いまやメリサンドは全身余すところなく『邪なる手』に封印されている。たとえ他にどのような手札を持っていたとしても、もう使う事は出来まい。

 エラだけでなく、鼻や口も完全に塞いである今。

 オアンネスという人魚系種族の生態はよく知らないが、さすがにこの状態で呼吸が出来るとは思えない。

 放っておけば窒息して死ぬはずだ。


「──でも、窒息判定は確か生命力LP体力VIT依存だったかな。無駄に時間がかかってしまうな。よし時計の針を進めよう」


 せっかく苦労して引き上げたのだ。

 ここは壁としてだけでなく、鈍器としても役に立ってもらおう。


 引き上げていなかったとしても、海中でも同じ事は出来るかもしれないが、謎の環境バフが脱出のための力を与えてしまうかもしれない。

 そう考えればトドメは空中で刺すのが望ましい。


 ライラは『邪なる手』に包まれたメリサンドを高く持ち上げ、そしてベヒモスを見た。





《──試合終了です! 勝者、【マグナメルム・オクトー】! ご観覧の皆さま、素晴らしい戦いを見せてくれた両選手に拍手を!》






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