第430話「野生の黒幕が現れた」(ライラ視点)
ウィキーヌス連邦。
南方大陸で悪魔の軍勢と戦っている人類の国の名前だ。
このウィキーヌス連邦はその国土のさらに南側から、獣人たちが住むユーク帝国によって軍事的圧力をかけられているらしい。前線基地に獣人が居なかったのはこのせいだ。
つまりこの大陸においては、獣人というのはそれ以外の人類種族と敵対しているのである。
これらの事は当然ながらこの大陸では一般常識だ。この事実を不審に思われないよう自然に聞き出すには苦労したが、ライラも対人交渉には自信がある。
例えば、こういう聞き方をしたりした。
「──しかし、軍の皆さんは大変でしょうね。悪魔と戦う事だけを気にしていればいい、というわけでもないでしょうし……」
ライラとしては、戦闘以外の問題、例えば鎧獣騎の運用上の問題点やコストなどを聞き出せればと思って訊ねたことだった。
大抵の仕事において言える事だが、担当者の頭を悩ませている問題はひとつではない。こういう聞き方をすれば、聞かれた方は勝手に他の問題を思い出して話してくれるものである。
それが参謀部の人間であればなおさらだ。さぞかし毎日様々な問題に悩まされているに違いない。
「ああ、南のユーク帝国の件ですね。はい、おっしゃる通りです。というよりむしろ、あの獣人どもが攻め上げてきたからこそ北に移住せざるを得ない状況に追い込まれたとも言えますが……。そうして開拓した土地も今は大半が悪魔に奪われてしまいましたし、前線の我々がもっと頑張って何とかしなければいけないんですけどね……」
ところが返ってきた答えは予想の斜め上だった。
ただでさえ悪魔相手に優勢とは言えない戦況であるにもかかわらず、人類はどうやら獣人とも軍事的に対立しているらしい。
二面作戦どころか、これでは挟み撃ちされているも同然である。
放っておいても滅ぶ運命にあるかのようだ。
「あの広大な樹海の、ほんの一部分でも人類に分けてもらえればいいのですが……。相手が悪魔では言っても仕方がないことですが」
ライラはおや、と思った。
広大な樹海、と言っても、それほど広大というわけでもない。
確かに東西に横たわる樹海は幅広いが、その厚みは大したことはない。
ベヒモスで地中を潜航移動したところでは、おそらくポートリー王国の半分程度の厚みしかないだろう。
悪魔たちが抵抗するのも当然である。彼らにとっては、ほんの一部分でさえ人類に分け与える余裕はないはずだ。
この話しぶりからすると、人類はあの樹海のすぐ向こうに本物の海が広がっていることは知らないようだ。
たとえ彼らが悪魔たちを討ち滅ぼし、樹海領域をその手にできたとしても、いずれ獣人のユーク帝国なる勢力に押しつぶされてしまうのは目に見えている。背後に海を背負っては、もうそれ以上逃げる事は出来ない。
とにかく、このようにしてライラは南方大陸の情勢を聞き出していったのである。
自分の知っている情報をベースに、別の話題について曖昧に水を向ける。
最低限の情報は共有されているという前提で話しているつもりの相手は、勝手に曖昧な部分を補完して自分から説明してくれるというわけだ。
インチキ占い師が客の悩みを自然に聞き出すときによくやる手である。
*
ライラが前線基地に逗留している間、主な話し相手はその参謀部の青年だったが、彼は日に日に憔悴していった。
それもそのはず、普段であればすぐに戻るはずの隊長がいつまで経っても戻らないからだ。青年が悩みのタネをライラに漏らしたわけではないが、隊長が戻るわけがない事はライラが誰より知っている。
当然その間のライラの扱いは宙に浮いたままだった。
一応賓客として持て成されてはいるものの、別にそんなことを望んでいるわけではない。
恐竜型を手に入れるためには必要なことではあったが、始末してしまったのはよくなかったかもしれない。
いや、普通に考えていち基地の最高司令官がたった1人で敵陣に向かうなどと誰が思うだろうか。
あの女エルフが隊長格であるのは盗み聞きした青年との会話から明らかだったが、まさか基地の最高司令官だったとはあの時点では思いもしていなかった。
よって自分は悪くない。ライラはそう考えていた。
しかしいずれにしても、このままこの基地でぼうっとしていても得るものはない。
とりあえず基地を壊滅させ、配備されている鎧獣騎だけ根こそぎいただいて、別の基地に行った方がいいかもしれない。
アクラージオ女史の娘だと言い張れば何とかなりそうだという事はもうわかった。
次もそうすればいいだけの事だ。
「──あの、隊長さんがお忙しいようでしたら、母がいそうな場所さえ教えていただければ、私1人でも向かいますので」
ただ壊滅させると言っても、数日とは言え世話になった仲である。一応挨拶くらいはしておいたほうがいい。
それにこの青年が次席指揮官であるのなら、この青年を先に始末すれば指揮系統の混乱も狙えるはずだ。出来れば無駄な抵抗はして欲しくない。会話に紛れて暗殺すれば無力化は容易に行なえるだろう。
せっかくの鎧獣騎である。ライラの手で破壊するような虚しい真似はさせないで欲しい。
そう考えて、いつでも『邪眼』が発動できるよう準備して声をかけた。
「……いえ、さすがにそれは。移動中に悪魔に襲われないとも限りませんし、悪魔でないとしても魔物が多い地域もあります。
しかしこのままオクタヴィア様をこの基地に縛りつけておくわけにも行きませんし、私の方から紹介状を書きますので、それを持って首都まで行かれるというのはどうでしょうか。兵と鎧獣騎を護衛に付けますので」
どうやら、アクラージオ博士がいるのはこのウィキーヌス連邦の首都であるらしい。
送ってくれるというのであれば願ってもない事だ。
この基地を壊滅させるのは勘弁してやることにした。
全滅させて根こそぎ奪うというのは、別にこの基地でやらなければならないわけでもない。
なんなら首都でも構わない。
まさかな、と思っていたら、護衛の兵というのはいつかの歩哨の彼だった。
立候補したらしい。
そしてこの彼とは別に鎧獣騎の操縦者の女性も付いてきた。鎧獣騎は猫型、というかトラ型だろうか。猫というには牙が長いように見える。四肢も太い。
女性の操縦者が選ばれたのは、さすがに色に狂った男兵士とふたりきりにさせるのが躊躇われたせいだろう。
と言っても、女兵士が鎧獣騎に乗っている間、騎車──鎧獣騎が牽いている馬車のようなもの──の客室で男兵士とふたりきりになるのは避けようがなかった。
男はいろいろと話しかけてきたが、ライラにとっては全く何の興味も持てないどうでもいい話ばかりだった。
適当に相槌を打つ苦痛に耐えながら、首都への道を進んでいく。
やがて事前に予定していた休憩の時間になり、鎧獣騎が足を止めた。
そこでようやく休憩時間になった事に気付いた兵士は、客室を出ようと椅子から立ち上がり、ライラから視線を外した。
その隙にライラは『邪なる手』を発動させ、男の頭を後ろから掴み、握りつぶした。
要領を得ない自慢話を聞くのにもそろそろ辟易していたし、この男がいては出来ない事もある。
そして客室に休憩を告げようと入ってきた女兵士を『使役』し、その女に客室の汚れを掃除させ、休憩もそこそこに移動を再開させた。
ようやく1人になった客室で、ライラは紹介状とやらを読むことにした。
紹介状には封がされていたが、構わず開けた。
内容には特におかしな点はない。
ライラがあの参謀の青年に話した内容が簡単にまとめられているだけだ。
司令官不在のため満足に対処する事もできなかったが、どうか内密によろしく頼むというような事が書き添えられている。
内密にというのは、この件が政治的にデリケートな問題を内包しているからのようだ。
どうやら、アクラージオというのは国立研究所の所長をしている人物らしい。
連邦の軍事力の根幹を担う鎧獣騎、その最先端の研究をしている国立研究所の所長ともなれば、現政権にかなり顔が利く。それだけに、そういう政権中枢に関わる人物のスキャンダルというのは体制を揺るがせかねないデリケートな案件になる。
ウィキーヌス連邦という国は連邦というだけあり、複数の国家が寄り集まって形成されている。
連邦の国家元首である首長は、連邦に参加している各自治区や小国群から持ち回りで選出されるらしいのだが、その順番は決まっていない。慣例的に2期続けて同じ地区からは選出されないとされているだけである。任期は決まっているが、リコールなどが起きれば任期途中でも辞任する事があるらしい。
青年将校が恐れているのはそれだろう。オクタヴィアの存在が政敵を利する結果となり、政変のきっかけになってしまわないかということだ。
人種的に似ているらしいというだけの理由で軽い気持ちでライラが吐いた嘘によって、かなりの大事になりかけてしまっている。
やはり行き当たりばったりで適当な事を言うのはよくない。
不確定要素が絡む時はたいていろくな事にならない。
*
やがてウィキーヌス連邦首都、ウテルに到着した。
首都には検問があった。街全体も城壁で囲われている。
検問は道中で『使役』した護衛の女兵士、ペルリタが二、三言話して容易に突破出来た。
鎧獣騎を敵対勢力が使用した事はこれまで無いらしい。つまり騎車で乗り付けた時点で身内確定ということだ。
このあたりの認識の甘さというか、セキュリティの甘さは中央大陸にも通じるものがある。
とはいえ鎧獣騎そのもののセキュリティの高さを思えばわからないでもない。この兵器を外部勢力が完全な形で利用するのは難しいからだ。
参謀の青年との雑談によれば、獣人たちはそういう兵器は使わずその身一つで鎧獣騎を破壊してくるらしいし、悪魔に至っては人との違いは見れば分かる。人類に裏切り者が居ない前提ならそういう認識でも問題ないのだろう。
ただ、人類に裏切り者が居ないという考え自体は怪しいものだ。
何せ、少なくとも1人は大量殺人犯がいるはずだからだ。それも政権中枢に。
人類の邪道ルートに進むとはそういうことである。
首都を覆っていた城壁は中央大陸のものよりもずいぶんと立派に見えた。
それは街の中の建物も同じだ。
国立研究所というのも、中央大陸で言えばちょっとした城ほどの大きさがある。
やはり鎧獣騎という重機が利用できるからだろうか。
「──ふっ」
「──何かありましたか?」
「いえ何でも。ようやく母に会えるのかと思ったらつい」
「そうでしたか。まあそうでしょうな」
ライラたちが今いるのは、その大量殺人容疑者が勤めているという研究所の応接室である。
応接室で対応してくれているのは副所長だと名乗るエルダー・ドワーフの男性だが、その副所長と雑談などをしながら待たされているところである。
というのも、アクラージオ所長に「あなたの娘が会いに来た」と伝えても「心当たりがない」の一点張りだというのだ。
もちろん心当たりがないのは当然だ。ライラにもない。
ただそこは紹介状にも「隠し子かもしれない」と書かれていることもあり、副所長がライラを疑う様子はなかった。
紹介状は封を切った後、騎車を牽いていた女兵士ペルリタに預けておいた。副所長にも女兵士の手から、封筒の中から取り出した書状だけを渡されている。
これは副所長の前でペルリタが念のため書状が間違っていないか確認するという作業をしたためだ。
普通はそんな事をするなどありえないが、国営の研究所の所長のスキャンダルに関するデリケートな内容であるため、軍が責任を持って機密の保持に努めているという建前である。
ライラが封を気にせず中を盗み見たのも最初からこう指示するつもりだったからだった。
「──失礼します」
そこへ、何度目かはもうわからないが、アクラージオ女史を呼びに行った研究員が戻ってきた。彼ひとりということは、また駄目だったのだろう。
「入りたまえ。所長はなんと?」
副所長がそう尋ねると、研究員は困ったように答えた。
「それがその、そんなに言うなら連れて来いと……」
アクラージオ所長の研究室は離れにあるらしい。
離れと言っても研究棟の別棟といった感じで、ちょっとした工場くらいの大きさはある。
副所長は仕事に戻っていったが、案内してくれた研究員と護衛のペルリタと3人で別棟に入る。
この研究員はもともとアクラージオ所長の助手のようなものらしく、取次や案内を任されたのもそのためということだった。
「所長、娘さんをお連れしました」
「──娘などに心当たりはないって言ってるだろう。まあいい。入れ」
許可が出たので入室する。
あまり外部の人間に入って欲しくないという事で、ペルリタは助手に止められてしまった。
助手もそこでペルリタを見張りながら待つ事になり、ライラだけが入った。
2人きりなら好都合である。
「初めまして。お母様。貴女の娘のオクタヴィアです。──『はじめまして』」
「どこの誰だか知らないが、一体何の目的で私に近づいてきた? ──『鑑定』」
《警告。予期せぬエラーにより、処理を続行できません》
《『使役』は実行できません。対象のキャラクターはシステムにより
「……なんだって?」
「……む?」
面倒な問答をするつもりはなかった。ライラは開幕から『使役』を発動した。
しかし、予期せぬエラーとかいう聞いたことのないシステムメッセージによって拒否されてしまった。
システムによって保護されている、ということは、このアクラージオという女は運営に守られていることを意味している。
もしかしたら運営がいつか何かに使う予定のイベントキャラクターか何かなのだろうか。
「──まさか、この私の『鑑定』が抵抗されるとはな。女、お前は何者だ?」
アクラージオが鋭い目つきで問いかけてくる。
きつい目つきをしているが、非常に美しい容姿だ。
歳の頃は、人間であれば30前後といったところだろうか。
ライラと顔の造形が似ているわけではないが、2人ともが美しく、肌の色が似通っているなら、確かに血縁関係を疑うのはわかる。
それはともかくとして、何者だと問いたいのはライラの方である。
このアクラージオ所長が自身の事をイベントキャラクターだと自覚している可能性は極めて低いが、それでもわざわざ保護されているくらいだ。本人にも何らかの心当たりはある、かもしれない。それを問うてやりたい。
「……さんざん、貴女の助手君が言いに来てたでしょ。私は貴女の娘ですよ。お母様。『よろしく』──え」
問うたところで答えるとは限らない。心当たりがあろうがなかろうが、少なくともこの女がライラを警戒しているのは確かだ。
だから『鑑定』して問う手間を省くことにした。
そう考えて発動したのだが、これもライラを驚愕させた。今度の驚きは『使役』の時以上だ。
今度はシステムメッセージが聞こえたわけでもなく、抵抗された感覚もなかった。
しかし表示された博士のステータスは異常極まりなかった。
名前は見える。ベルタサレナ・アクラージオだ。アクラージオとは姓だったのか。
種族は「魔精」らしい。
スキルの一部も表示されている。
しかし、残りのスキル、特性のほとんどと、能力値の欄はすべて文字化けしていて全く確認できなかった。
言いようのない、気持ち悪さのようなものがライラを襲う。
これは妙な文字の羅列を見たせいか、それともこの博士そのものから感じられる不快感か。
「……ふん。あくまで私の娘と言い張るつもりか。……いいだろう。それほどの力だ。私に協力するのであれば、娘という事にしておいてやってもいい。種族は違うようだが……それは他人にはわかるまい」
魔精ということだが、人類系の種族はこのくらいのランクから身体的特徴が薄れてくる。ヒューマンでいえば邪人や聖人がそうだ。
エルフであれば特徴的な長い耳は短くなり、少し尖っている程度のものになる。レアの耳を見ればわかるだろう。
そしてヒューマンであればその耳もすこし尖り、やはり似たような形状になる。これはライラの耳がそうなっている。
レアの話では、精霊王となったドワーフの王の身長もスルスルと伸びていたらしい。筋肉はそのままだったようだが、それはおそらく個人的に鍛えたものだからだろう。
魔精であるアクラージオがもともと何だったのかはわからないが、今は特性を消した状態のライラと似た外見であるのは間違いない。ライラにとっては相手が邪人でない事は一見して分かるし、それはアクラージオにとっても同じだろうが、正道ルートの一般人から見ればどちらも大して変わりはない。
しかし問題なのは見えた種族ではなく、文字化けして見えなかった部分の方だ。
警戒すべき、どころの話ではない。
ライラはどこかで、いざとなったら全て破壊して逃げればいいと考えていた。
確かに、それは今でも不可能ではないかもしれない。
この博士の正確な戦闘力は不明だが、相手の『鑑定』でライラの能力を見る事ができなかったということは、少なくともライラよりは格下であると思われる。
しかし、ライラはこの博士を殺しきれるという確証は得られないでいた。
それは文字化けしたステータスのせいでもあるし、何となく感じる違和感のせいでもある。
これではよく調子に乗って失敗するレアの事を言えたものではない。
ライラに正直に話すつもりがないと知ったアクラージオは、事実は二の次にしてライラを利用する事にしたようだった。
それに乗ってやるかどうかはともかく、とりあえず先を促してみることにした。黙っていては話が進まない。
もとより、ライラはこの博士の知識や技術が欲しくてここまでやってきたようなものだ。
この博士が何者であれ、結果的に目的が達成できるのならそれでいい。他の事は目的を達してから考えればいい。
「──協力って言うのは、具体的に何? 私にもメリットがある事なら、考えないでもないけど」
「メリットは私の娘を名乗れることだが……。それだけでは不服という顔だな。強欲な事だ。
そもそも、お前は何の目的で私の娘を名乗ってここまでやってきたのだ。私に協力すれば、それも叶うかもしれんぞ」
ライラは黙って顎をしゃくり、続きを促した。
ライラが聞いたのはメリットだけではなく協力の具体的な内容もだ。それがわからない限り、迂闊に頷く事はできない。
「言うつもりはない、か。まあ、だいたい想像はつく。私に近づいてきたということは、どうせ鎧獣騎に関する情報か何かが狙いだろう。そんなもの、私にとっては大した価値はない。好きに持っていけ。
私の言う協力というのは他でもない。研究の手伝いだな。お前にはそう、研究素材の回収をしてもらいたいのだ。
私が開発している新型の鎧獣騎、その完成に必要な素材をな」
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