第412話「血の代償」
「──もうちょっと! あと一舐め、一滴だけでいいから! お願い! 減るもんじゃないでしょ!」
「やだよ! 減るよ! もう終わり! 解散!」
レアは指先をハンカチで拭いながらジェラルディンの寝室から出た。
始源城は寝室も他と同様ハイセンスな内装で感動すら覚えたものだが、主がこの残念ぶりでは宝の持ち腐れである。
ブランはまったくそういう欲求がないというか、プレイヤーであるので当然なのかもしれないが、果物さえ与えておけば幸せそうなので気にした事もなかったが、確かに吸血鬼と言えば普通は血を求めるものだ。
このジェラルディンの反応が普通なのだろう。いや本当にこれが普通なのか。
追いすがるジェラルディンを腰にくっつけたまま、謁見の間のソファまで戻ってくると、今度は許可も得ずに座った。
ジェラルディンはレアが座る直前に腰から離れ、自然な様子でレアの腰を抱く形で隣に滑り込んできた。
それを見たケリーとマリオンは驚いていた。ずっと腰にくっついていたのでレア自身はさして気にならなかったが、確かに少し距離が近い。
「あの、ボス、寝室でいったいなにが……」
「何もないよ別に」
「そうよ。何もないわよ。ただちょっと、さっきよりも親密になったっていうだけ」
「し、寝室で親密に……?」
そこだけ切り取られてしまうと誤解を招くが、実際は要求がエスカレートしていくジェラルディンをだんだん邪険に扱うようになっていった結果、お互いの間にあった遠慮のような垣根が崩されてしまっただけである。
それを親密になったと表現してもいいのなら、ジェラルディンの言い様にも間違いはない。
何が起こったのかを簡潔に言うと、要はレアの血を舐めたジェラルディンが一瞬で酔ってしまったのだ。
酔ったと言っても酩酊状態になったわけではない。
レアにも覚えがある、お馴染みのあの感覚である。
真祖吸血鬼の種族特性「血の祝福」の効果のひとつには、どうやら血液を啜った相手によってバフ効果を得られるというものがあるらしい。
自身よりも格下の血では大した効果はないようだが、これが格上となると話が変わってくる。
空腹を満たし、吸血衝動を満たし、それらと同時に自らの全能力値が上昇する。
そうした相乗効果で例の高揚状態が訪れ、場合によっては我を失う。
どうもそういうことのようだ。
ブランからはそんな話は聞いた事がなかったが、彼女はまともに血を飲んだ事がない。多分本人も知らない仕様だろう。
ブランにもレアの血を飲ませてみれば同じように酔っぱらうのだろうか。
興味はあるが、倫理的に大丈夫なのか不安になる。このゲームは本当に審査を通っているのか。
マタタビを与えられた猫のようにレアの腰から離れないジェラルディンに、少々鬱陶しさを感じてきたレアは姉を売ることにした。
「格上、かどうかはわからないけれど、わたしの姉は邪王をやっているから、彼女の血も飲んでみたらイケるかもしれないよ」
「邪王か、邪王ね……。ううん」
「邪王はダメなの?」
「ダメ、というわけではないのだけれど。あんまりいいイメージはないわね」
伯爵は邪王について知っているような事を言っていたし、そうであるならジェラルディンも知っている相手なのだろう。
その邪王と仲が悪かったりするのだろうか。
「……昔は、まあそこそこ交流もあったのよ。共同で牧場を経営してみたりもして」
実に平和な話だ。
いや、魔物がこれほど活発な西方大陸である。牧場と言ってもどうせオーク牧場とかそういうオチだろう。
「邪王に知り合いでもいるの?」
「ええ、まあ。牧場って言っても彼女は菜食主義者だったし、彼女が始末した人類の死体なんかを私が片付けるみたいな、そういう形での経営だったのだけれど」
人間牧場だった。
邪王というと、レアやライラの例を考えれば相当な数のヒューマンをキルしなければいけなかったのだろうし、牧場のような形で大量に用意できるのであれば効率がいい。
ただこの言い方からだと、牧場というのは邪王になってから経営を始めたような印象を受ける。邪王になってからそんなに人類をキルする必要などあったのだろうか。何か目的でもあったのか。
邪王になるために牧場を作ったのか、牧場を作った結果邪王になってしまったのか、それとも邪王になってから牧場経営を始めたのかは知らないが、いずれにしてもこの大陸の人類にとっては災難な事だ。
「人間たちが逃げられないように地底に穴とか掘って、そこに牧場を作ってたんだけどね。
なんか、いつの間にか全然現れなくなっちゃったのよ。自然消滅っていうの? そういう感じで関係も切れちゃって、それっきり。
私としては結構仲良いつもりではあったのだけど、血を飲ませてもらうところまではいってなくて」
しまった。早まった。
ジェラルディンにとっては、血を飲ませてもらう関係というのはかなり親密な状態を意味しているらしい。
急にべたべたしてきたのはそのせいか。
「いつだったかしら。黄金龍が暴れてた時なんかも、呼びに行っても出てこないし。それでもういいやって感じになって。ひどいと思わない?」
黄金龍に対抗する事が当時の世界にとってどの程度の重要性だったのかがわからないため、はっきりしたことは言えないが、邪王が地底に住んでいたのなら地底で黄金龍の端末と戦っていたという可能性もある。
以前にレアも戦った黄金龍の端末。あれはマグマの満ちた火山の中でも普通に活動をしていた。
あの様子なら黄金龍の端末は地底であっても構わず現れたのだろうし、狭く逃げ場がない地底では抵抗するのも容易ではなかっただろう。
ジェラルディンの呼び掛けを無視したのではなく、応える余裕がなかっただけという事も考えられる。
そうだとしたら、その邪王が今もまだ無事でいるかどうかわからない。
ジェラルディンの様子からは、今でもその邪王には何らかの思いを抱いているように思われた。もし、ジェラルディンが邪王に思うところがあるのなら、彼女自身もその可能性を考えなかったはずがない。
ならば、今敢えて言う必要はないだろう。
「……牧場という事は、そこではその邪王の眷属なんかが飼われてたりしたのかな」
「飼われていたのはエルフや獣人、ドワーフなんかが多かったかしら。ヒューマンは経営側に回っていたから、牧場にいたヒューマンはだいたいあの子の眷属だったわ」
だから血も吸わせてもらえなかった、とジェラルディンは言った。
従業員をつまみ食いするなという事だろう。
「まあ、私の話を聞いてくれない人の事なんてどうでもいいわ。
今は私の話を聞いてくれて、血だって舐めさせてくれるお友達がいるんだし」
「いや別にいつでも舐めさせてあげるわけじゃないし、そのために来たわけじゃないんだけど」
「ええー!? じゃあどうしたらまた舐めさせてくれるの? っていうか、そういえばレアさんて、こっちの大陸に来たから挨拶しに来たって言ってたわよね。そもそもこっちに何しにきたの?」
不思議そうに問いかけながらも、ジェラルディンの目は欲望に濡れている。
この様子では、吸血をちらつかせてやればある程度の要求は飲んでくれるかもしれない。
「ああっと。そうだった。
こっちに来たのは大半は西方大陸って場所を見てみたいからって好奇心からなんだけど、真祖吸血鬼に会ってみたかったからって理由もあ──ストップ! 別に血を飲ませるためじゃないから! ステイ! どうどう!」
まるで何かの禁断症状のようなこの異常な執着心は、果たしてジェラルディンがNPCだからなのか、それとも吸血鬼は全員こうなるのか。
暴走しないように言葉選びに気をつけながら、レアは自分たちマグナメルムは黄金龍の討伐を、封印ではなく完全な消滅を狙っているという事を話して聞かせた。
そのためには封印を解く必要があり、封印を解くにはかつてマナを提供した6つの種族の協力が必要だとも話した。
「──なるほど。そういう事だったの。でも、そういうことならジェフが私のところへレアさんを寄越した理由もわかるわね」
「どういう事?」
「私、あの時黄金龍を封印することには反対だったもの」
詳しく話を聞いてみた。
黄金龍が世界を危機に晒していた時、複数の災厄級が黄金龍の脅威を何とかするために立ち上がったという。
ただし、脅威への対処方法は各々で違っていた。
聖王と精霊王は封印を。
真祖吸血鬼と幻獣王は討伐を。
それぞれがそう主張していたようだ。
とは言えどちらにしても戦力が足りない。
まずは肝心の黄金龍の居場所を突き止め、実際に本体を確認してからどちらにするかを決めるべきだという精霊王の意見を採用し、一行は北を目指した。
その途中で海皇、蟲の王と合流し、彼らの力も借りることで何とか封印まで漕ぎ着けた、ということらしい。
討伐を選択しなかったのは単純に戦闘力が足りなかったせいだそうだ。災厄級が6体いても封印が精一杯だったということらしい。
「倒しちゃえるんだったら倒しちゃったほうがいいとは思ってたのよ。だってあいつ、明らかに異常だったし。本体を封印するって言ったって、封印したところで端末まで大人しくなるとは限らなかったし。まあ結果的に封印と同時に端末も引っ込んじゃったから、それでよかったのかもしれないけど。
それにしてもあのときのゴルジェイのドヤ顔と言ったら! レアさんにも見せて差し上げたいくらいだわ! こう、両手首を腰にやって、背中を広げるみたいにポーズを取ったりして」
両手首を腰に当てて背中を広げるポーズ、というとラットスプレッドだろうか。
精霊王ゴルジェイは筋肉を鍛えるのが趣味だったようだし、ポージングの研究も欠かさなかったに違いない。どうでも良いが。
「まあ、そういうわけで、レアさんがアレを倒そうとか考えているんだったら、私も協力するのは構わないわ」
「──んふ」
レアがアレを倒す、ときた。
「え? 何? 何か私今何か良いこと言った感じ? あ、協力するっていうのが嬉しかったのかしら? じゃあじゃあ、協力するからご褒美として──」
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