第374話「きゃっ」





 一般的な漁師が沖に出るには船が必要だ。

 本当に漁を生業とする非戦闘員なら出来ればきちんとしたボートかヨットが望ましいが、能力値が高く様々なスキルを有しているキャラクターなら小舟一そうでも出かけられない事もない。


 よほど自分の力に自信があるのか、それとも金銭的な問題か、マゼランが用意したのは小さな小舟だけだった。これで手漕ぎで沖まで行くらしい。

 普通に考えれば、どんな用途だったとしても小舟だけで沖まで出て行ったところで出来る事はない。

 釣ったり捕ったりした魚を持って帰るにも置く場所がないし、なんなら作業中に網の重さで転覆してしまうだろう。


 しかしプレイヤーであればそんな心配はいらない。

 獲った獲物はシメた後インベントリにしまえばいいし、小舟が転覆しないようサポートしてくれるスキル何かもあるらしい。

 あるらしい、というか、普通に『運転』スキルだった。ツリーにあるいくつかのスキルを組み合わせると荒波の中でも船体を水平に保つことができるようだ。気になって聞いてみたら教えてくれた。


「──俺も気になる事があるんですけど、聞いてもいいですか?」


「わたしだけ聞いてばかりというのもフェアじゃないしね。いいよ、なんだい」


「あの、どうやって水の上歩いてるんですか?」


「ああ、これか。これは別に、水の上を歩いているわけじゃない。よく見てごらん。ほら、少し浮いてるだろう?」


 マゼランがレアの足元を凝視した。

 水面から少しだけ離れた位置に、革の編み上げブーツの靴底が浮いている状態だ。今日は風もなく海も穏やかなので、この状態ならまるで水面を歩いているかのように見えるのだろう。


 このままであれば問題ないのだが、風や波の状態には常時気をつけておく必要がある。急に波がうねったりしてブーツに水面がついてしまったら大変だ。

 ブーツを濡らしたくないという事もあるが、それ以上に『天駆』の仕様がまだはっきりわかっていないためだ。

 『天駆』はあくまで空中を足場として行動することが出来るスキルである。水中で発動するかどうかはわからない。

 もし靴底が海に触れてしまったとしたら、一時的に空中判定から水中判定に切り替わり、片足だけいきなり沈み込んでしまわないとも限らない。


「だからわたしが歩いているのは水面ではなく空中だということだね」


「そんなスキルが……。ちなみに、どうやって取得したとかは」


「さあ。何かの時に、気づいたら出来るようになっていたからね。どうやって覚えるのかは知らないな」


「ですよね」


 『天駆』は鎧坂さんからの贈り物だ。人類種が普通にプレイしていてどうやって取得するのかわからないというのは本当だが、覚え方が全く分からないわけではない。

 今のところ、レアの知る限りではドラゴン系の魔物は高確率で『天駆』を初めから持っている。

 旧ペアレ王国の南の遺跡の力を使えば、ドラゴン種と融合する事で人類種でも後天的に『天駆』を取得できる可能性は高い。ライラがそのパターンだった。


 そこでふと、アビゴルの事を思い出した。

 確かアビゴルの種族であるガルグイユは『水棲』か何かを持っていた。であれば水の中なら彼らのテリトリーだと言える。

 今のところレアの配下にガルグイユはいないが、生みだそうと思えばいつでも生みだせるだけの設備や素材はある。

 別に無理して海で適任者を探さなくても海を渡るだけならそれでよかったかもしれない。


 というか、そのガルグイユを吸収し、さらにウナギからいくつかの特性を得ているライラであれば、単騎で泳いで大洋横断できるだろう。

 同じような事がスガルにも言える。『繁殖』で水棲の昆虫や甲殻類の配下を生み出せば、スガルもその能力を得る事が出来るし、実際そうしている。


「……でも海の中でも陸上同様に動けるとは限らないし、泳ぐ速度もきっと魚系の魔物の方が速いだろうな」


「え、何か言いました?」


「いや別に。海では泳ぐ専門の種族が泳いだ方が速いだろうなって」


「そりゃそうでしょう。これはモワティエの現地の漁師に聞いた話ですが、なんでも鼻から細かい泡を吹きながらものすごい速度で泳ぐ恐ろしい魔物なんてのもいるらしいですよ!」


「キャ──」


 キャビテーション、空洞現象と呼ばれるものだろう。

 だとするとつまり、スーパーキャビテーション航法を天然で行なう生物がいるということだろうか。

 確かにあれなら常識を超えた速度で航行する事が出来る。しかし原理上、キャビテーションを起こせば水を掻いて推進する事が難しくなるため、尾やヒレではなくロケット推進かそれに近い何らかの推進力が必要になるはずだが、生物にそんなことが可能なのか。


「ははは、キャ、って、可愛いっすね! キャ、だって」


 違う。そういうあれではない。

 反論したかったがやめておいた。


「……そんなことより、この辺りの海にはどんな魔物がいるんだ。普段、この辺で漁か何かをしているんだろう?」


「そうですねえ。この辺で獲れるのはイワシやサバが多い感じっすかね。たまにカツオやカジキなんかも獲れますが。ああ、心配しなくてもさっき言ってたような魔物はもっと沖の方にいかないといないらしいんで大丈夫ですよ!」


 そんな心配はしていない。


「獲物じゃなくて魔物はいないの?」


「もうちょっと沖に出ればぽつぽつヤバいのも増えてきますが……。え、行くんですか? 下手したら鼻息野郎も出ますよ?」


「何だよ鼻息野郎って。……んふふ」


 マゼランはこれ以上沖には行きたくないらしい。

 しかしここにいても食べられそうな魚類しかいないらしいし、レアが欲しいのは食材ではない。


「鼻息でも青息吐息でもなんでもいいから、もっと沖に行くよ、ほら」


「ええー……。わかりましたよ。もう。あの、ほんとに日当くれるんですよね?」









「うわああああ! ででで出たあ!」


 変化は沖に向かってすぐに現れた。


 不意に水の色が暗くなったかと思うと、水面を持ち上げながら巨大な何かが浮上してきたのだ。

 水の色が暗くなったと感じられたのは錯覚で、辺り一帯の海そのものと誤認してしまうほどの大きさの魔物である。


「──なるほど。サメだな。変な歯の形だ」


 魔物は巨大なサメのようだった。

 そして巨大サメの下顎には丸鋸のような形の奇妙な歯が縦にいくつか並んでいる。

 小舟を噛み砕こうとした一瞬しか見る事ができなかったが、この歯は回転していたようにも思える。ロケット推進疑惑を持つ魔物といい、回転ノコギリの歯を持つサメといい、一体この海はどうなっているのか。


「って、いつの間にかそんなに上空に! 見てないで助けて下さいよ! 追加料金請求しますよ! あと危険手当も下さい!」


 レアが上空に逃れたのは当然である。

 海面はサメの登場によって大きく波打ってしまっている。水没を避けるためには波がかからない安全な高さまで退避する必要があった。

 その荒れた海面に小さな小舟でへばりつきながらマゼランが叫んだ。

 別に金貨ならいくら払ってやってもかまわないが、仮にも人類の敵に対してこの強気な態度は恐れ入る。漁師というのはやはり胆力がなければ務まらないのだろうか。


 そして再び、ゆっくりと海の色が黒っぽく変わっていく。サメの影だ。

 それに気づいたらしいマゼランは慌ててオールをひっつかみ、必死の形相で漕ぎ始めた。

 するとまるで手漕ぎとは思えない、ぬるりとした動きで小舟が海面を滑っていく。

 『運転』スキル関係の何かだろう。こうして距離を取って見てみるとその異常さがよくわかる。

 いつかみんなで乗った揺れない馬車も外から見ればこんな感じだったのだろうか。


 巨大サメは再びその大きな口を開け小舟を噛み砕こうとしたが、マゼラン操る小舟はからくも悲惨な未来を回避し、スイっと離れた位置まで逃げた。


「よし。『鑑定』」


 いつかのウツボと違い、今度はきちんと見る事が出来た。


「ハラヘリコプリオン? パラヘリコプリオンじゃなくて? あ、もしかして腹減りとかけてるのか? なるほど、やるじゃないか運営も」


 その名に恥じず、ハラヘリコプリオンは逃げた小舟をなんとしても腹に収めようと、口を開けたままマゼランを追って泳ぐ。

 下顎は水面下に潜っているためよく見えないが、口の中で不自然に水しぶきが上がっていることから、やはりあの丸鋸は回転しているらしい。


「た、助けてー! 俺が死んだら労災ですよー!」


 意外と余裕そうである。

 しかしこのまま高みの見物というのも外聞が悪い。SNSに妙な事を書きつけられても敵わない。


「──任せたまえ。巨大な魔物相手というのは、それに見合った戦い方というものがあるのだ」


 このサイズの魔物なら範囲魔法が多段ヒットするはずだ。

 身体の大部分は海中にあるようだが、そんなものは障害にならない魔法であれば問題ない。


「雷の雨をプレゼントしてやる。『ライトニング──』」


「えっ。待ってちょっと待ってそれはやば──」


「『──シャワー』!」


「あばっばばばば──……」









「すまない。悪気はなかった」


「……そう願います」


 港町モワティエの宿屋から黒焦げの漁師服を着たマゼランが出てきたのを見つけ、上空から降り立った。

 周囲の住民が驚いたような顔をしていたが大した問題ではない。

 例えレアがこの街で何か騒ぎを起こしたとしても、騎士団が駆け付ける事はない。


「にしても、よくここがわかりましたね」


「なに、きみのマナの色は覚えたからね。上空から似たものを探して、見つけたから降りてきただけだ」


「マナの色……。んなもん見えるんすか……」


 正確にはMPはピンク一色で見えているため、覚えたのは色というより濃度だが、大した違いはない。

 それに『真眼』で見えるLPの色を合わせれば、おおざっぱにだが人物識別は出来る。特にプレイヤーの多くはNPCより明るく見えるため、王都のような大都市でもなければ探し出すのは造作もない。


「きみは異邦人だと言っていただろ。異邦人は倒してもすぐに復活するからね。たぶんこの街のどこかから湧いてくるだろうと考えて、上から探していたんだ」


「……死んでも、じゃなくて、倒しても、なんだ……。まあそりゃそうか」


 当然だ。レアにとって友好的な異邦人──プレイヤーなど、指で数えられる程度しかいない。

 それに現在のレアは死亡してもすぐには復活できない。「死んでもすぐに復活する」よりも「倒してもすぐに復活する」の方がイメージしやすい。


「とにかく、悪気はなかったが、悪いと思っているのは本当だ。死ぬ直前のきみの言葉ではないが、今日の礼の日当に少し色をつけようじゃないか。危険手当と言っていたか。そういうあれだ」


 レアはマゼランに、上空にいる間にインベントリから取り出しておいた金貨が詰まった袋を渡した。

 適当に詰めたため数えていないが、2、30枚は入っているはずだ。

 危険手当込みだとしても、半日働いただけでこれだけ稼げれば割のいいバイトと言えるだろう。


「おお! 重い! こんなにいいん──いやいや、危険手当どころか、俺は死んじまったんすよ! 失われた命ってのはお金じゃあ……」


 曖昧な言い方だが、ロストした経験値の事を言いたいのだと思われる。

 今は大規模イベント期間ではない。死亡してしまえばデスペナルティによって総経験値の1割を失う事になる。確かにコツコツためてきた経験値のうちの1割も失ってしまったとなれば、金貨などでは割にあうまい。


 別にそこらのプレイヤーやNPCが何人死のうがどうでもいいが、レアの方から依頼しておいて何の補償もしないというのは何となく気持ちが悪い。

 かと言って経験値を稼がせてやるというのも違う気がするし、となるとここは金貨を積んでも買えないアイテムでお茶を濁すしかない。


「──わかった。両手を出したまえ」


「え?」


「いいから早く」


 もしかして言いすぎて怒らせてしまったのか、いったい何をされるのか。そんな不安げな表情を浮かべながらマゼランがおずおずと両手を差し出した。


「『解放:糸』、『解放:金剛鋼』」






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る