第339話「遺跡の方から来ました」
ブランのいるシェイプ王都にやってきた。
こうしてブランと2人で行動していると、かつてヒューゲルカップに忍び込んだ時の事を思いだす。
あの時は想定外の連続で不本意な結果に終わったが、今度こそは大丈夫なはずだ。
シェイプを治める国王には直接会ったことはないが、ライラ以上の準備体制を整えている者など考えられない。
いつか、シェイプの地下遺跡にヒデオを追って侵入した時はコウモリを利用した。しかし今回はブランが1人で執務室に潜り込んだ。
吸血鬼の特有スキル『霧散化』によって体を霧に変えたのだ。
低位の吸血鬼では一日に一度だけという制約があるらしいが、真祖ともなれば自由自在だ。風や雷に弱い性質はそのままであるにしても、使い勝手はずいぶんと良くなっている。
またこのスキルの派生で、周辺環境が濃霧の状態であればそれと同化し、霧が続いている限り、移動に際して全ての制限がなくなるというものもあるらしい。
移動に際しての制限というのは速度や距離、地形効果のことだ。つまり霧の中であれば瞬間移動さえ可能になる。
凄まじい性能だが、この前提条件の濃霧というのが実は中々珍しい気候で、少なくともレアはこれまで見たことはなかった。
ただしそれも真祖であれば力業でなんとかしてしまえる。
真祖は霧を発生させるアクティブスキルを複数取得可能だ。そしてスキルによって生み出されたこの霧というのは、全てが濃霧状態らしい。
範囲バフや範囲デバフなどの追加効果を得られる霧もあるようだし、真祖吸血鬼というのはトリッキーながら戦闘力も十分な種族と言えるだろう。
伯爵が真祖を指して言っていた、単体戦力と勢力としての戦力を兼ね備えた種族というのも頷ける。
しかし今、レアは気になっている事がある。
この『霧散化』状態の時、物理攻撃は効かないとのことなのだが、これを魔王の『魔の剣』で切り裂く事は可能なのかということだ。
もし仮にこの先、別の真祖吸血鬼と敵対するような事態になってしまった場合、これが出来るのかどうかでどれだけ有利に戦えるかが変わってくる。
試してみたくて仕方がないが、流石にブランに頼むわけにもいかない。
この件は保留だ。
現在、シェイプ王都は全域が深い霧に覆われている。
言うまでもなくブランのスキルだ。この効果範囲は吸血鬼としての格、爵位に応じて広がるらしく、真祖ともなれば街一つを覆ってしまう事もできる。
ブランはこのスキルで生み出した霧を王城の中にも充満させ、シェイプ王の居場所を探り、そして執務室らしき場所を見つけ出したというわけだ。
無事に執務室に入り込んだブランは、中にいるシェイプ王に見つからないよう密かに実体化した。この時、装備していたアイテムも共に実体化する。
剣崎一郎はブランの装備アイテム扱いになっているため、同時に実体化したはずだ。
その剣崎をターゲットにレアも移動した。
微弱ながらも意思を持つキャラクターを装備品としてスキルに巻き込み、共に霧に変えてしまった場合、そのキャラクターは一時的に仮死状態になるらしい。
この時、少なくともレアの眷属リストでは剣崎は死亡と同様の表示になっていた。
しかしスキル発動者がスキルを解除し、実体化すればこのキャラクターも霧になる直前の状態に戻る。ゆえに仮死状態というわけだ。
この仮死状態ではフレンドチャットも何も使えず、完全に死亡している状態と同じ扱いを受ける。
仮にいつかの仕様変更が無く、キャラクターがキャラクターをおぶった状態でも装備状態と認識されるままだったとしたら、『霧散化』にレアもついて行けたかもしれない。
ただしその場合、スキルを発動した瞬間にレアの眷属は全て死亡してしまう事になっただろうが。
「……王さま、椅子に座ったまま寝てるよ。体バッキバキになるんじゃないのこれ。健康に悪いと思うんだけどな」
「……多分だけど、なるべく動かないようにするためじゃないかな。消費エネルギーを抑えたいっていうか。だから椅子で寝てるのは食糧不足を作り出したブランのせいだね」
「……なるほど。じゃしょうがないな」
すでに日は落ちているが、室内の燭台には火が灯されており、かろうじて部屋全体を見渡せる程度には薄明るい。
来客用なのかソファが置かれていたため、とりあえずレアはそこに座った。
小声と言えど、同じ部屋の中で会話をしている者がいるというのにシェイプ王は起きる気配がない。
「お腹空きすぎて気絶してるんじゃないのこれ」
もはや小声でもなくなったブランは無造作にシェイプ王が力なく座る椅子に近づき、その椅子の足を蹴飛ばした。
ガラが悪い。
注意しようかと思ったが、流石にこれにはシェイプ王も飛び起き、あたりを見回した。
ブランに気づき、警戒して立ち上がる。
「何だ! ペアレの手の者か!」
言いながらも、シェイプ王は足が小刻みに震えている。
恐怖や緊張、あるいは武者震いなどではない。おそらく空腹で足に力が入らないのだ。
あるいはもう何日も椅子からほとんど立ち上がらない生活を続けているせいかもしれない。
「──違いますよー。陛下。どちらかと言えば、わたしたちはペアレ王国の滅亡を願っている者です」
ブランがそう言っても、シェイプ王はこちらを睨みつけたまま警戒を解かない。
無理もない。
いきなり一国の王の執務室にアポ無しで現れ、あなた方の敵は自分にとっても敵ですよなどと言ったところで、怪しさが無くなるわけではない。
こういう時は、怪しまれるのは織り込み済みで強引に話を進めたほうがいい。
「──まあまあ、落ち着いてください。
仮にわたくしたちが何者だったとしても、今重要なのはそんなことではないでしょう。
見れば陛下も随分とお疲れのご様子。わたくしたちの入室にも気が付かないとは、相当深く睡眠をとっておられたようですね」
その言葉でレアの存在にも気がついたらしく、ソファで寛ぐレアを睨みつけてきた。しかしすぐその顔色が変わる。
椅子を蹴飛ばせるほどの距離に来るまで、いや来ていてもなお気が付かなかったほどだ。
それはつまり、こちらがその気であれば、今頃すでにシェイプ王国は滅んでいただろう事を示している。
それに気づいたシェイプ王は青褪め、全身を緊張させた。
「お分かりいただけたようで何より。ですがそんなに警戒しないでください。わたくしたちは、何も陛下を害するつもりでこんなところまで来たわけではありません。
むしろその逆、陛下にとってよいお話をお持ちしたのです」
シェイプ王は何も言わない。
ただブランとレアを交互に睨んでいるだけだ。
「聞こえてます? この距離だし、聞こえてないわけないよね? もしかして、目開けたまま気絶してるのかな? おーい見えてますかー」
ふざけているのか真面目にやっているのか不明だが、ブランがシェイプ王の目の前で手をひらひらさせた。
それを馬鹿にされたと感じたのか、シェイプ王は無言でブランの手をはたき落とそうとする。
しかしシェイプ王の手はするりとすり抜け、勢い余ってよろけた。
「なん、なんだ……!」
薄暗い室内であるためよく見えないのだろうが、『魔眼』と『真眼』を持つレアにはわかった。
ブランは今、一瞬だけ自分の肘から先を霧に変えたのだ。
真祖ともなるとこのような器用な真似も出来るらしい。
相手の攻撃に合わせて部分的に『霧散化』して回避できるとなると、これは思っていた以上に恐ろしい能力だ。
そもそも吸血鬼系の種族は人間型の他の種族と違い、その弱点は心臓と頭部だけだ。他の臓器は弱点ではない。その代わり心臓への攻撃に関しては通常よりも高い倍率でクリティカルが入る仕様になっている。
このように部分的に『霧散化』が可能であるなら、心臓を狙われた場合でもそれが物理攻撃であればノーダメージでやり過ごす事ができる。実に倒しにくい種族であると言える。
やはり真祖に効率よくダメージを与えるには『魔の剣』の仕様が鍵になるな、と考えながらしげしげとブランを観察した。
「──そうか! この、王都を覆う不気味な霧は貴様らの仕業だな! 化け物どもめ……!」
聞き捨てならない。
化け物なのはブランひとりだ。レアは行儀よく座っているだけである。
「お待ちください。わたくしは別に何もしてないのですが。化け物”ども”っていうのはおかしくありませんか」
弁明したが、シェイプ王は聞いていない。
変わらず、こちらを睨むばかりだ。
「まあでも、あっちの子は確かに何もしてないけど、いざ何かしでかしたらわたしよりもヤバいのは確かっすね」
シェイプ王はさらに警戒した面持ちでレアを見た。せっかく言い訳したのに台無しだ。
しかし、どうせこの彼とはそう長い付き合いになるわけでもない。釈然としないが、もう気にしない事にした。
「そんなわけで、どうせ逆らっても寿命が縮むだけだし、とりあえずお話聞いてくれませんかね。あ、申し遅れましたけど、わたしたち遺跡の方から来たものです」
ブランはごそごそと自分のローブの中をまさぐると、あらかじめレアに渡されていた賢者の石グレートを取り出し、執務机の端に置いた。
水晶の容器は卵型であるにもかかわらず、机の上を転がったりはしない。
この時初めて気付いたが、どうやらわずかに浮いているらしい。
以前に誰かに渡すために同じように机の上に何個も置いたことがあったが、あの時もそういえば転がったりはしなかった。
「こちらに取り出したるは、かの伝説に謳われるアーティファクト! これさえあれば、明日からあなたも災厄級の仲間入り!
鬱陶しいペアレ王国も、あと足元で騒いでる異邦人も、災厄級になりさえすれば、いずれも敵ではござんせん!」
ブランは実に楽しそうに、セリフに抑揚をつけて朗々と語った。
ジャネットたちの小芝居に比べると若干、いやかなり古臭いイメージだ。ジャネットたちのそれも十分古かったが。
以前ウェルス王は、これに触れることで初めて何なのかを知った様子だった。
しかし、これを目にしたシェイプ王の変化は劇的だった。
目を見開き、デスクに置かれた賢者の石グレートを穴が開くほど見つめている。
「これは……! まさか賢者の石か! なぜこれを……!」
厳密には違うのだが、だいたい合っている。
触る前から知っているとは驚きだ。さすがはエルダー・ドワーフの王ということだろうか。
もし、これらの情報を書物から得たのだとしたら、この王城の書庫には興味がある。
国がジャイアントコープスに襲われた結果、なぜ急にペアレ王国を攻撃するという考えに至ったのかも含め、少し調べておいた方がいいかもしれない。
「なんだー。知ってるのか。じゃあ話は早いっすね。
これを使うと、何かいい感じのアレが起きて、なんと国王陛下は精霊王とかいうのに転生できちゃうらしいんですよ! すごくないすか?
しかもこのアイテム、本来ならこの国丸ごといただいちゃうくらいの料金するんですけど、今ならなんとタダ! もう飛び付くしかない感じっすよね!」
営業下手か。
幸か不幸か、シェイプ王はもはやブランの話など聞いていないようで、賢者の石グレートから視線を動かすことはない。まばたきさえもしていないのではと思えるほどである。
これまで唆してきた数々のNPCたちの事を思い出しながら、これは失敗かな、とレアは思った。
それならそれでも構わない。
単に精霊王が欲しいだけならポートリー王で十分だし、そちらはライラがうまく気を引いている。
元々、ドワーフ出身の精霊王となると、また妙なアーティファクトでも作りあげてしまうのではないかという不安もあった。
使えないのなら用はない。
シェイプ王の始末は何とかいうプレイヤーの国家に任せ、書庫から古文書だけ盗みだして退散だ。
「──ノウェム。なんか要らないみたいだし、それ回収して帰ろう。残念だけど営業は失敗だ」
「えー。でもほら、なんかすごい真剣に聞いてくれてる感ない?」
「ないよ。むしろどっちかっていうと話聞いてない人の顔だよそれ」
「そっかなー。まあでもレ、セプテムがそういうならそうなのかも。まあ、そういう事もあるよね。しょうがない。
じゃあ王さま、今回はご縁が無かったって事で──」
ブランがデスクの上の賢者の石グレートを取ろうとするより一瞬早く、シェイプ王がそれを掴み取った。
「おお? やっぱ要るの?」
しかし王はブランのその言葉には答えない。
思い返してみれば、この部屋に入ってから王とまともに会話を成立させた記憶がない。
もしかするとこの王は、コミュニケーションに難がある独特の性格の人物なのかもしれない。
「──なるほど、これは……。俺の知っている賢者の石とも違うようだな。そうか、なるほど……」
触れた事で効果がわかったのだろう。
ぶつぶつと呟くと、やおらその手を振り上げた。賢者の石グレートを握りしめた方の手だ。
そして頭上でアイテムを発動させた。赤い光がシェイプ王に降り注ぐ。
「ええ!? いきなり!? おっさん友達にせっかちとかって言われない!?」
「……できればもう少し落ち着いて経験値を貯めてから使って欲しかったものだけど、まあいいか。足りてるのかな経験値」
以前にペアレのゲリラを大量にキルした時のシェイプ騎士団のうち、何割くらいが国王直属の騎士なのかはわからないが、あれだけ殺したのだし余計な事に使っていなければ足りないという事はないはずだ。
ほどなく、光とともに変化が始まった。
その光が持つ輝きは、間違いなく災厄級のそれである。
経験値は足りていたようだ。
邪魔するつもりはないので、しばらくブランと2人で黙って様子を見る。
やがて光が収まると、変化を終えたシェイプ王が立っていた。重厚な椅子は後ろに倒れ込んでいる。
背から生えているあの羽根が椅子を突き飛ばしたのかもしれない。
その羽根、いや翅はまるで昆虫のそれのように薄く、いびつな形の翅脈に支えられている。
翅脈だけ見るとコウモリの羽根のようでもある。
翅の膜はうっすらと虹色に輝いており、何なら燭台のロウソクよりも明るく見えるほどだ。
頭部には角がある。
と言ってもレアやライラのような角張った形状ではない。
丸く細いものが、額から左右に頭部を回るように後ろに向かって伸びている。
サイズが大きすぎるが、孫悟空の
こっそり『鑑定』してみると、これもやはり「角」の特性を持っているらしい。効果は同じだ。
そして何より目を疑ったのは、その身長だ。
つい先ほどまでは一般的なドワーフ程度であり、レアよりも低いくらいだったのだが、今はブランより高くなっている。
それでいて元々の筋肉はそのままであるため、体積比で言えば倍以上にはなっているのではないだろうか。
主に高さ方向に伸びただけのため服が破れるようなことはないが、腕や足などはつんつるてんになっているし、臍も出ている。
もっとも腹部は毛に覆われていて臍を見る事は出来ないが。
「……色的にすごい綺麗だし、たぶん妖精の翅的なやつなんだろうけど、おっさんに生えてると虫のそれにしか見えないな。頭の角も触覚みたいに見えなくもないし」
「……翅は形状からすると、蝙蝠もモチーフになってるのかも。わたしの翼がもしカラスを模したものだとしたら、魔王は不吉の象徴としての翼で、精霊王は吉兆として蝙蝠の羽根とか。あともしかしたらトンボの翅も混じってるのかなあ。トンボも前にしか進まないから、一応縁起物って言われることもあるけど」
もしかしたらレアの翼も複数の不吉な動物の何かが混じっていたのかも知れないが、すべてが純白になってしまっているため分からない。形だけで言えばカラスのそれが近い。
これでレア同様に翅が三対くらいあり、本体ももう少しスレンダーだったとしたら、さぞかっこいいシルエットになっていただろう。
変化が終わったシェイプ王は自分の手をじっと見つめ、しばらくぼうっとしていたが、不意に笑いだした。
「──ふふふ、ふあっはっは、はーっはっはっはあ! これが、これが精霊王! これが大陸を支配するべく生まれた力か!」
「……おおう。さっきまでとは別人みたい。もうお腹すいてないのかな」
ブランでさえも引いている。
レアはもうなんというか、見慣れた光景であるため特に何も思わない。
「転生した時ってLPとかも最大値になってるし、満腹ゲージとかも回復してるんじゃない? 知らないけど」
シェイプ王は手を握ったり開いたり、その場で飛び跳ねてみたり、翅を無意味に広げたり畳んだりしている。
翅は広げるとかなり大きく、室内でむやみにやると色んなものが邪魔になる。
案の定壁に当たり、本棚の本などがばらばらと床に落ちた。
「あーあー。もうめちゃくちゃだよ」
「出来れば本は持って帰りたいな。わたしの知らない事が書いてあるかもしれないし」
シェイプ王は荒れる室内には見向きもしない。
《正道ルートのレイドボス「精霊王」が シェイプ王国 王都 にて誕生しました》
ここでアナウンスだ。
聖教会の中で、レアの手が全く及んでいないのはここシェイプ聖教会だけだが、彼らに騒ぐ元気がまだ残っているのかどうかはわからない。
しかしマグナメルムが把握できていない『霊智』持ちが仮にいたとして、その人物が流す情報と齟齬が出ても面倒な事になるため、オーラルをはじめ制御下にある聖教会にはちゃんと情報を流すよう言ってある。
先ほどの聖王についても、この精霊王についても同じだ。すぐに街なかで触れが出される事になるだろう。
その新生精霊王は、ひとしきり満足するまで自分の体を動かすと、レアとブランを見た。
先ほどまでの睨むような目付きではない。
どこか余裕があるような、こちらをバカにするかのような目だ。
「……なんか展開が読めちゃった感じ」
「……そうだね」
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