第227話「闇に堕ちた者たち」(ジャネット矢坂視点)
ヤバい奴だ。ということは見た時から分かっていた。
しかしマーガレットのあの様子を見れば、止めても無駄なのもまた明らかだった。
それにもしも他のプレイヤーたちとは違う、オンリーワンなプレイができるのなら、それに乗ってみたいという好奇心もあった。
しかしまさか、これほどとは。
ジャネットはペアレ王都の高級宿屋のスイートルームで、ベッドに腰掛けながら自分の手のひらを見た。
このベッドはつい先日、例の黒幕然としたローブ姿の謎のNPC、マグナメルムが座っていたものだ。
見つめる手のひらは特におかしなところもなく、一般的な女の手として何の変哲もないが、そうではないのは自分が一番良く知っている。
この体はもう人間の──獣人のそれではない。
*
あの日、あのマグナメルムの手を取った後。
ひとけのない王都の郊外に連れ出され、そこから巨大な双頭のドラゴンの背に乗せられて、どこかの森へと連れて行かれた。
初めて間近で見る巨大なモンスターの姿には肝をつぶしたが、第七災厄がドラゴンを飼っているらしいことはSNSに書いてあったため、それほど驚きはしなかった。
そして連れて行かれた先でいかにも怪しい、マッドサイエンティストじみたドワーフによって謎の水晶の容器に入れられ、何かをされてしまったのだ。
マグナメルムの2人は実験と称していたが、どう見ても悪の秘密結社の人体改造の光景だった。
実験器具のような水晶の容器から外に出てみると、別のゲームをしているのではというほど、それまでと見える光景が違っていた。
後から分かったのだが、これは急上昇した能力値によるものらしい。
例えばAGIが急上昇してしまうと、自分の行動に自分の目がついていけなくなってしまうなどの弊害が出る可能性がある。
そういう事態を防止するために、現在の能力値に合わせて動体視力を始めとする各種感覚器官の性能を、ある程度自動で引き上げるシステムになっているらしい。
これは他の能力値でも同様で、例えばVITを全く上げずにSTRだけを上げたとしても、自分の行動によって骨折してしまうなどのデメリットが出ることは基本的にはない。何か硬いものを殴ったりすることで衝撃を受けたり、もともとそうした効果を持つ『ランスチャージ』などのスキルを発動する場合は別だが。
その全能感により、とにかく誰でもいいから戦いたいという気持ちになった。しかしそれもマグナメルムに睨まれる事で霧散した。
ただその目を開いて見つめられただけだと言うのに、一瞬意識が飛び、気がついたら膝をついていた。
抵抗に失敗した、というようなメッセージは出たものの、特にダメージを受けているような様子もなく、時間にして数秒も経っていないだろうが、ノーモーションでこのような攻撃を仕掛けられるような存在を相手に調子に乗った真似など出来るはずがなかった。
それからマグナメルムにジャネットの身体に何が起きたのかを聞いた。
まず最初に、元に戻る事は出来ないと聞いた時点で軽く絶望しかけたが、それは闇堕ちルートを選択した時点で覚悟はしていた事である。
気を取り直し、真剣に説明を聞いた。
やはり人体改造だった。
*
「まあ、戦闘力とか汎用性って意味じゃ、めちゃめちゃ向上したからいいんじゃない? これ、下手したら現行のプレイヤートップ層にも迫れるくらいのステータスだよ!」
「アリソン、トップ層のプレイヤーっていうのはね、ステータスが高いからトップなんじゃないの。トップになれるだけの実力があるからステータスが高いのよ。今のアタシたちが喧嘩ふっかけたところで、返り討ちにあうだけよ」
ジャネットは一応、このパーティのリーダー格である。一番冷静で居なければならない。
それにアリソンを諌めるためにこう言いはしたが、大げさというわけでもない。
ジャネットたちがあっさりと倒された、あの豹熊のいるダンジョンは☆1だが、有名プレイヤーであるウェインやギノレガメッシュたちのパーティは主に☆4の難易度のダンジョンにアタックをしているという。
☆4のダンジョンといえば、雑魚でさえパワーアップ前の熊並の強さがあってもおかしくはない。
そのようなところに毎日アタックしているようなプレイヤーだ。単純な能力値だけで対抗できるとは到底思えない。
現在ジャネットの部屋には他のメンバーも揃っていた。
これからマグナメルムルートのクエストを行なうためだ。
「そうかなー? いい線イケルと思うんだけどなー。マーガレットはどう思う?」
「……セプテム様……」
「ああ、駄目なループに入ってた」
マーガレットの呟いた「セプテム」というのは、マグナメルムの白ローブのことだ。
どちらか一方を呼びたい場合はどうすればよいかと質問したところ、それならばマグナメルム・セプテムとマグナメルム・オクトーと呼ぶよう言われたのである。
ジャネットは最初、わかりやすくマグナとメルムなどと呼ぼうかと考えていたのだが、それは提案する前にオクトーに先回りして断られてしまった。
しかしその名から、ジャネットは自身の推測が正しいだろう事を確信していた。
なぜならラテン語でセプテムは7、オクトーは8を意味する単語だからだ。
SNSで話題になっていた、八番目の災厄というのはどうやら七番目の姉だったらしい。
第七災厄はすでにヒルスという人類国家をまるごと飲み込んでいる。自分たちが人類からどう呼ばれているかは知っていてもおかしくない。であるなら自分が七番目であることも知っているはずだし、これはそこから付けられた名前だろう。
SNSでは長らく第七災厄の行動目的というか、最初に西に向かったのは何故だったのかは不明とされていたが、おそらく西のどこかに姉を迎えに行ったのだ。
そして何かの準備が整い、どうやったのか不明だが姉を第八の災厄として再誕させた。
妹のほうが番号が若い事も考えればおそらくそういう事だろう。
もちろん、闇堕ちプレイヤーとしてシナリオの黒幕に忠誠を誓ったからにはこれらの情報を拡散するつもりはない。そのような事をしては興醒めであるし、一般的なプレイをしている多くのプレイヤーもそんな裏ワザで情報を得ることは望んでいないはずだ。
というか、おいそれと言えない理由も出来た。
オクトーがぽつりと、
これはマグナメルムが第九災厄の誕生を目論んでいるということを示唆している。
つまり、ジャネットたちが行なう「マグナメルムの手伝い」とは、新たなワールドボスを誕生させる事なのである。
これを聞いた時、さすがのジャネットも背筋がゾクゾクし、膝が笑った。
闇堕ちしたジャネットたちのシナリオ最終目標は、第九災厄の誕生だ。
普通にプレイしていては、人類側、魔物側のどちらであってもそう簡単には関われないほどの一大イベントである。
これは非常に熱い展開と言える。
しかも今回ジャネットたちはあまり参加できていないが、現在プレイヤーたちの間でもっともホットな話題である、公式イベントの天使たちの事もある。
これは七大、いや八大災厄のひとつ、大天使による侵略だという話だ。実際、現在大陸中央にあるとされるヒューゲルカップという街で、大天使討伐のレイドボスイベントが行われているらしい。
システムメッセージで告知がされていたのは当然知っているが、自分たちの実力を考えて参加するのは見合わせていた。
しかしだからといって関連する情報を集めていないというわけではない。
SNSのイベントスレッドでは、連日この天使や大天使に関する話題がひっきりなしに語られているが、ジャネットはその中にひとつ気になる書き込みを見つけていた。
丈夫がどうとかいう覚えにくい名前のプレイヤーの書き込みだ。
それは第七災厄が大天使を討滅し、その居城である天空城を墜落させたというような趣旨の内容だった。
マグナメルム・セプテムの正体が第七災厄であるとしたら、彼女たちと大天使は対立しているということになる。
つまり、同じワールドボスと言えども必ずしも協力関係にあるとは限らないということだ。
現在、ジャネットたちの上にはマグナメルム・セプテムとマグナメルム・オクトーが存在している。そしてもしかしたらそこにノウェムも追加されるかもしれないという。
パワーバランスから考えて、そうなれば対立する敵勢力というのも同様に災厄級のワールドボスであると考えるのが妥当だ。
これは災厄対災厄、ワールドボスVSワールドボスという、世界の覇権をかけた戦いが起こる可能性があるということだ。
そしておそらく、そこに第三の勢力として参入していく予定なのがプレイヤーたち率いる人類勢なのだ。
本来であれば、ジャネットたち程度の実力ではその最前線に立つことなどとてもできなかっただろう。
今回の大天使討伐戦のように、遠くからSNSを見て満足していたかもしれない。
しかし今、ジャネットたちの手に握られているのはそのワールドクラスの大戦争の参加チケットだ。
そのために支払った代償──人間の身体──など安いものだ。
アブハング湿原で偶然マグナメルムを見かけた事に端を発する一連の特殊イベントだが、こうして先の事を考えただけで身体が震えてくる。
マーガレットの暴走には感謝しなければならない。
「セプテム様もいいけどさあ、私はどっちかっていうとオクトー様のほうがいいかな」
「は? やんのか?」
「アリソンは褐色スキーだからでしょ。セプテム様の純白もそうだけど、オクトー様の褐色も初期のキャラクリじゃ作れない色だしね」
考え事から我に返ると、アリソンたちがどうでもいいことで言い争っていた。
どちらのほうが美しいかなど、実にどうでもいい。
同じ顔をしているのだから、両方美しいに決まっている。
そんなことよりマグナメルムに言いつけられた仕事を片付ける事の方が重要だ。
「はいはい。それよりも、今はマグナメルムに命じられたクエストをこなすよ。
幸いアタシらは見た目は獣人のままだから、うまいことやれば王城にだって潜り込めるはず」
*
潜り込むだけなら簡単だ、とは実はセプテムに言われていた事でもあった。
出会ったばかりだというのに、それほどまでにジャネットたちを高く評価してくれているとは。人心の掌握に長けている。これならばマーガレットではないが、即落ちも致し方ない、と考えていたが、そうではなかった。
さり気なく王城の正門を探っていると、そこにいた衛兵がジャネットたちに気づき、手招きをしてきたのである。
どうやらこの正門の兵士はマグナメルムの息のかかった兵士らしい。
キーファの宿屋同様、どういう手段かは不明だが、協力者に仕立て上げられているようだ。
ここペアレ王国は他の国と違い、個々の住民の戦闘力が高めである。
その代わりいわゆる貴族というような階級の者は少なく、王家かその近親者くらいにしかいないという。
ゆえに貴族の子飼いである騎士団というものもなく、騎士もまた王家直属の近衛くらいしかいない。
その分一般兵士が多いのだが、この兵士の実力といえばピンキリであり、中には他国の騎士並みの実力を持っている者もいるらしい。
どうやらマグナメルムはこれらの事実について、実力はともかくペアレの兵士は忠誠心が低い、と判断したらしい。
この門兵を籠絡したのもそれが理由だろう。
兵士の中にはすでに数人の裏切り者がいるらしく、ジャネットたちはその者たちの鎧や制服を借りることが出来た。
そして最初に声をかけてきた門兵に先導され、合わせて5名で王城内に侵入した。
ちょっとした小集団だが、王城内でこのくらいの人数で兵士が行動するのは珍しくないらしく、さほどおかしな視線を向けられる事はなかった。
しばらく階段を登ったり廊下を歩いたりすると、とある部屋の前で先導の門兵に止まるよう指示された。
「ちょっと、ここで待っていてくれ。協力者が中にいるかどうかを確認してくる」
「あ、はい」
門兵の男が音もなく部屋へ入っていく。
部屋には「書庫」と書いてある。
ここであれば、文献などから目的の情報を得られるかも知れない。
その目的の情報とは、獣人の転生条件だ。特に普通の獣人が貴族階級のような一段上の存在に転生するための方法である。
ジャネットたちはマグナメルムから、その情報を探るよう指示を受けていた。
これはおそらく、この特殊クエストの達成報酬も兼ねていると見て間違いない。
転生というのはよく知らないが、確かマグナメルムと初めて会った時、熊に対して転生は成功だとか言っていた気がする。であるなら、あの熊にやったようなパワーアップの事を指しているに違いない。
つまりこのクエストを達成することで、ジャネットたちを転生させ、さらに一段上の存在へと押し上げてくれるという事だろう。実にわかりやすい報酬だ。
人類側のクエストはアイテムや金貨が報酬である事が多かったが、ジャネットのような戦闘系プレイヤーがゲームを遊ぶ目的としては、やはりメインは強くなることである。
お金や物ではなく、このようにわかりやすい餌をぶら下げてもらったほうがモチベーションが上がるというものだ。
「……いいぞ、入ってくれ」
門兵が扉の隙間から手招きをし、ジャネットたちも全員入った。
5名も入れるのか心配だったが、書庫は思いの外広く、十分な余裕があった。
「でもこれ、つまりはそれだけ調べるべき情報も多いってことよね……」
「ていうか、もう既にテンションやばいんだけど。だってさ、普通にプレイしてて一国の王城の書庫に入る機会なんてあると思う? 絶対無いよ! 間違いなくプレイヤーでこんなとこ入ったのなんてわたしらが初だよ!」
「その前に、人類側プレイヤーで闇落ちしたのもアタシらが初だと思うけど」
「ほら、エリもジャ姉も遊んでないで、調べ物するよ!」
マーガレットに急かされるままに、まずは書庫の奥へと歩いていく。
全てを調べるつもりならどこから始めても同じだが、重要で知られたくない情報を記した本を仕舞っておくとすれば、普通は奥の方だろう。
「そう言えば、協力者がいるかどうかを確認してくるって言ってましたけど、居たんですか?」
「ああ。もう話はつけてある。この書庫の管理をしている老人でな。俺たちが書庫にいる間、この部屋に誰も入らないよう取り計らってくれる事になっている」
「え? 書庫の管理人が協力者なら、最初からその人に調べてもらえばいいんじゃ」
「そこがこの国のキナ臭いところでもあってな。書庫の管理人には、代々文盲の老人しか就くことが出来ないんだ。文字が読めなければ情報を拡散される恐れもないし、老人であればこれから文字を覚えるのも難しいからという理由だろう。よほど、知られたくない事実が眠っているようだ……」
「なるほどー……」
ジャネットはこの門兵について、マグナメルムに何かをされた結果協力者にさせられたのだと思っていた。
しかし今の言いぐさから、もしかしたら以前から国のやり方に不審を抱いていたりしたのかもしれない。
マグナメルムの正体を知らないがゆえに、彼女らを一般的な人類の協力者だと捉え、むしろ自分がメインで探るつもりでここに来たのかもしれない。
「……にしても、いくら人が来ないって言っても、この量を全部調べるのは流石に……」
「ジャ姉、何いってんの?」
「何がよ」
「こんなの全部、インベントリに放り込んでスタコラサッサしちゃえばいいじゃん」
「あ」
「……そうか! 貴公らは異邦人であったな!」
解決した、らしい。
一応、ジャネットたちがプレイヤーであるということを他のプレイヤーに決してバレないようキツく言いつけられている。
これは闇堕ちする際にマーガレットが遠回しにSNSの存在について教えたからである。
もし黒幕の協力者であるプレイヤーが存在すると発覚すれば、SNSに満足に情報が書き込まれなくなる可能性がある。そうなればジャネットたちのアピールポイントである異邦人たちの情報が入手できなくなってしまう。
あの頭の切れるマグナメルムはそれを危惧したのだろう。
あるいはシナリオ的に闇堕ちの条件としてそうした制限がつけられているという可能性もあるが、ジャネットたち以外にサンプルが居ないためわからない。
と言っても協力者のNPCであれば話は別だ。
普通のNPC相手でもなるべくバレないようにと言われてはいるが、協力者なら問題ない。そもそも、この門兵は最初から知っていたような口ぶりだった。
そしてマーガレットの宣言通り、ジャネットたちは手分けして書庫の書物を全てインベントリに仕舞い込むと、何食わぬ顔で王城から出ていった。
*
宿に戻るとセプテムがジャネットたちを待っていた。
マーガレットが得意げにインベントリから大量の本を出して見せ、セプテムを大いに喜ばせていた。
アリソンは視線から察するにオクトーを探しているようだったが、彼女はすでにキーファの街に戻ってしまっていたらしい。
ジャネットたちも再び本を仕舞い、キーファの街へ馬車で戻るように言われた。
マグナメルムにとってペアレ王都でするべき用事とはこの情報の入手だったようだ。
ジャネットたちが探索したのは結局書庫だけだったが、セプテムは今回はそれでいいと言って労ってくれた。
文盲の老人などというセキュリティで固めた上で管理している書庫に置いていないようなら、おそらくもう王族しか入ることのできないようなプライベートなエリアくらいしか考えられない。
であれば現状でこれ以上出来ることはないという判断らしい。無駄な事を嫌いそうな性格がよくわかる指示だ。
馬車がキーファの街へ到着する頃には、もう大規模イベントは終了間近になっていた。
結局今回のイベントにはほとんどまともに参加することができなかったが、ジャネットたちはこれまでにない満足感と充実感を得ることができていた。
この後はすぐにメンテナンスに入ってしまうが、これほどメンテナンスの時間が疎ましいのは初めてだ。
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