第201話「正義の騎士」(別視点)





 ユスティースは騎士に憧れていた。


 現実にある創作物などに登場する、弱きを守るかっこいいナイトに、である。

 このユスティースというキャラクター名も、正義や法というようなニュアンスから命名したほどだ。

 有名な騎士が多数出てくる古い物語は不倫や裏切りでわりとドロドロしているが、それもまた人間らしくて悪くない。


 このゲームは一般的なファンタジー世界をモチーフにしており、ゲーム内にはもちろん騎士も登場する。

 クローズドテスト前の第一報、そのキービジュアルとして発表されていた3D動画で、騎士らしきキャラクターが剣を振っていたのだ。それを見たからこそ応募したとも言える。


 残念ながらテスターの選考には漏れてしまったが、正式サービス開始初日からゲームを開始することが出来た。

 その日からユスティースの騎士道物語が始まる、はずだった。


 はじめに意外に感じたのは、システムとしてジョブやクラスなどの、いわゆる職業が存在していなかったことだ。

 だとすれば、仮に騎士のような振る舞いをしていたとしても、それはあくまで自称であって、本物の騎士ではないことになる。

 つまり闇医者のようなものだ。

 ユスティースがなりたいのはそんなアウトローな存在ではない。社会的に認められた、要は公務員としての騎士階級である。


 そんなユスティースが最初に選んだ国は「オーラル王国」だった。

 この国はヒューマンの国の中では国内に出現する魔物が比較的強めであり、そのため騎士団の実力が高めである。オーラルを選んだのはそう公式サイトの国家の説明にあったからだ。

 どうせなら強い騎士団に入りたい。


 最初のランダムスポーンで飛ばされたのは荘厳な城がそびえる、歴史情緒あふれる街の近くだった。

 ヒューゲルカップ、というらしい。

 王都かと思ったが違った。しかし住民NPCの話では王都よりも歴史があるらしく、さらにごく最近だが新しい領主が就任したとのことで、街は活気にあふれていた。


 いかにもファンタジー世界の大都市といった雰囲気だ。最高だ。

 ランダムでこの街を引き当てたのは幸運だった。


 街なかを歩いてみれば、職業システムは存在していないはずなのに、まるで騎士のような格好と振る舞いをするNPCとよくすれ違った。

 まさかNPCがごっこ遊びをしているわけはないだろうし、あれはおそらくちゃんとした騎士なのだろう。

 つまりシステムとしては存在していないものの、社会的地位としては確立されているということになる。


 ならば目指すべきはそういう存在だ。


 そこでユスティースはまず、騎士らしきNPCたちの行動を監視することにした。


 彼らの任務、人となり、行動パターン。

 普段どういう生活をしているのか、どんな層の人間と付き合っているのか。

 不正のようなものはあるのか、給料はどのくらいなのか。

 給料については生活レベルからおおよそ推し量る事が可能だ。


 しかしこの時はそこまでは調べることが出来なかった。

 というのも、騎士たちが店で金貨を支払うような機会を目にすることがなかったためだ。

 どうやら食事をはじめとする最低限の生活環境については国だか都市だかから満額の補助が出ているらしい。

 食事の際には店主に木札のようなものを渡し、それを以て支払いに変えていた。これは銭湯のような建物でも同様で、女騎士の後をつけて同じ湯船に浸かったりもしてみたのだが、その彼女たちも金貨を支払ったりはしていなかった。


 流石に装飾品の類などには補助が出ることなどないだろうと、アクセサリの店にも尾行していったりもした。

 しかしアクセサリも装備品としての扱いになるらしく、これもなにかの紙のようなものにサインをすることで、支払いをすることなく品物を受け取っていた。


 給料がわからないのでは就職先として選択肢に入れようがない──などと頭を抱えかけたが、冷静に考えれば別に就職するわけではない。

 あくまでゲームの中での話だし、騎士プレイが出来ればそれで満足なのだ。


 少なくとも彼らの任務に関しては街の治安維持や郊外に時折現れる魔物の討伐、犯罪者の捕縛など、騎士と呼ぶにふさわしいものばかりだったように見えた。

 付き合いのある住民も善良そうな者たちばかりで、スラムのような、後ろ暗い者たちが集まるエリアには任務以外では近寄ったりもしなかった。


 それに衣食住が国によって補助されているのなら、娯楽の少ないゲーム世界において──というのも何だかおかしな話だが──不満に感じることなどない。

 つまり騎士というのは就職先としても素晴らしいということだ。公務員万才である。


 また彼らは傭兵組合にもよく出入りしているようだったが、これはどうやら傭兵向けのクエストなどを騎士が代わりに片付けているようだった。


 このヒューゲルカップのように、魔物の領域が側にない街の場合、ゲームスタート直後のプレイヤーが経験値を得る手段というのは限られている。

 敵を倒して経験値を得るのが難しい以上、傭兵組合に掲示されている依頼をこなすことで、クエスト報酬としての経験値を受け取るしかない。

 この経験値は厳密には報酬として設定されているわけではなく、クエストという一連の行動をなぞることで、その内容に応じて結果的に経験値が得られるというだけである。そのため固定値というわけではなく、プレイヤーが経験値を消費して成長してしまえば得られる額も減っていく。


 ヒューゲルカップの側には魔物の領域は無いが、少し離れた場所にはあるらしい。

 クエスト報酬によって成長したプレイヤーであれば適正と思われる程度の敵が出る場所だ。クエスト報酬で得られる経験値が減ってきたなら、そちらへ足を伸ばし、魔物を倒すことでさらなる成長を図ることができる。

 そうやってステップアップしていくのが、こういった領域に隣接していない大都市での序盤の動きになる。

 しかしこの街ではその序盤のクエストが騎士たちによって片付けられてしまう。

 もちろん依頼を受けたい旨を伝えれば騎士たちは傭兵、プレイヤーたちに譲ってくれるようだが、住民たちは騎士が依頼を受けているのを見て知ってしまっている。

 どうせ騎士がやることになるのなら、組合を通さずに直接騎士団に頼んだほうが早いのではないか、と考える者も出てきてしまう。

 そして徐々に依頼そのものも減り、初心者プレイヤーも減り、そのため中堅プレイヤーは生まれず、この街は大都市にしては異例なほどプレイヤーの少ない街になっていった。

 しかしユスティースはこの街から離れる気にはなれず、調査を続けていた。


 ユスティースが次に行なったのはその騎士たちと仲良くなる事である。

 彼ら彼女らがどのようにして騎士へと至ったのか、それを知るためだ。

 しかしいきなり聞いてしまえば絶対に警戒されるはずだ。まずは地道に好感度を上げ、心の垣根を低くしてやる必要がある。


 これについては自信があった。

 なにせその手のゲームは数多くクリアしてきている。

 もちろん攻略対象が騎士であるジャンルばかりだが。





 そうしてユスティースは少しずつ騎士たちと仲良くなり、ある時、おそらく重要であろう情報を入手することが出来た。

 隣国ヒルスの興亡に関する噂である。

 噂と言っても、国に仕える騎士の言うことである。一定の信憑性はあるだろう。


 さっそくSNSでその事について調べてみたが、どうやら公式サイトからヒルスの文字が消えているようだった。

 情報は正しかった。やはり隣国ヒルスは滅亡したのだ。


 しかし公式サイトを閲覧できるプレイヤーならばともかく、このゲーム世界の技術水準で、隣国の滅亡をこのタイミングでしかも末端の騎士が知っているというのは明らかにおかしい。

 ヒルスに間者でも放っていたというのなら、例えば伝書鳩のような物を使えば可能かもしれないが、いずれにしてもそんな情報が騎士にまで回ってくることはないだろう。

 しかもその騎士も別段隠す風でもない。聞かれたから答えた、という感じだ。


 この時は気にはなったが、それ以上調べることも出来ず、そのうち忘れていった。





 それから数日後、オーラル王都でクーデターが勃発した。


 と言ってもユスティースがその事実を知ったのはSNSでだ。そして知った頃にはすでに終息しつつあった。

 ユスティースが驚いたのはクーデターそのものではない。

 それを敢行した首謀者、いや首謀者の一番の協力者とされている人物だ。


 その人物はなんと、ユスティースのいるこのヒューゲルカップの領主らしい。


 もしかしたらあの噂、ヒルス滅亡の噂を広めたのは、オーラル王都の首脳部の目を隣国ヒルスに向けさせることで、内憂への監視を緩めさせる事が目的だったのかもしれない。

 NPCでありながらそんな事を考えるキャラクターがいるなんて。

 ユスティースはその領主と、領主の仕える新たな女王という存在をひと目見てみたくなった。


 オーラル王都まではかなりの距離がある。しかし幸いイベント期間中は限定転移サービスというものを利用することで、一日に一度だけ隣の都市に移動が可能だ。

 ユスティースはイベント限定転移サービスを駆使し、何とか翌日にはオーラル王都に滑り込み、新女王即位の式典を見学することが出来た。


 その時、新女王の隣にいた全身鎧の騎士。それこそがヒューゲルカップ領主であった。


 体型から言って女性だ。この事実もこの時初めて知ることだった。騎士になりたいユスティースは、騎士のことばかりを調べることに集中しすぎて、肝心の仕えるべき相手について全く調べていなかった事を反省した。


 領主のまとう鎧は太陽の光を反射して黄金に煌めき、堂々たるその立ち姿はまるで一枚の絵画のようだ。

 式典の最中だというのに兜は被ったままであり、バイザーすら上げようとしない。おそらく前王の刺客を警戒しているのだろう。

 いくらクーデターを成功させたとしても、前王は何らかの目的があってまだ生かされているとの事だ。それはつまり、前王の配下もまだ生きている事を意味しており、完全に前政権が消え去ったわけではないという事でもある。

 ここで前王派に新女王をしいされてしまえば元の木阿弥になる。

 女領主はそれを警戒しているのだろう。まさに常在戦場の精神だ。領主という高い地位にありながら、彼女以上の騎士など存在しないのではとさえ思えた。


 この頃にはユスティースも、ゲームの仕様として職業騎士はどうやら貴族階級の「眷属」というものにならなければ就くことが出来ないらしい事は知っていた。

 眷属になってしまうと、自分で経験値を得ることが出来なくなってしまう。しかし死亡した時の経験値のロストは無くなる。

 一長一短の仕様と言えるが、それ自体はユスティースにとってさほど重要な事ではない。

 経験値を給料と考えれば非常にしっくりくるシステムだ。

 宮仕えとはそういうものだ。


 ユスティースは思った。

 どうしても、あのヒューゲルカップの領主の眷属になりたい。


 ユスティースはしばらくそのまま王都に留まっていたが、領主の帰還に合わせて自分もヒューゲルカップに帰っていった。









 それから何週間もの時が過ぎ。

 第三回のイベント、天使襲来の最中に、ユスティースはヒューゲルカップ城に呼ばれることになった。





 その日もいつものように騎士団詰所へ赴き、天使討伐の証である濁った宝石を提出していた。


 SNSにあげられている限りでは他の国ではそういうことはないようだが、ここオーラルではこの天使の落とした濁った宝石──清らかな心臓という名前らしい──を騎士団や衛兵の詰所などで引き取っており、その提出数に応じて国への貢献度を定めている。そして提出数が多い者には貢献度が高いとして報奨金が出る。

 提出時には不正を防止するためか直筆のサインが必要になっており、ユスティースも毎回記名していた。

 この制度のためか、このイベント中はプレイヤーたちもここヒューゲルカップに若干戻ってきている印象があった。


 オーラル以外でも、例えばヒルスには商人組合というものが結成されているらしく、その商人組合が清らかな心臓を買い取っているそうだ。街の住民に聞いた限りでは心臓はロクな使い道はないそうなので、それも要するにオーラルと同じ、もっと傭兵たちに天使を倒してほしいという目的で行なっているのだろう。

 ヒルスにはもはや国家が存在しないため、住民代表として商人組合が立ち上がった、というわけだ。


 またウェルス王国では聖女と呼ばれるNPCが現れ、王都を中心に天使や魔物たちと戦い人々を守っているらしい。

 この聖女は非常に美しいとのことで、これもまた、それを目当てのプレイヤーを引き寄せる結果になっている。

 そんなウェルスでは聖女を擁する聖教会がやはり同様の金額で清らかな心臓を引き取っているらしい。


 これらの件についてユスティースは、種族として比較的弱めであるヒューマンたちをプレイヤーに積極的に守らせるため、運営が意図的にその三国に注目させる目的でテコ入れをしているのではないかと考えていた。

 賢しげに披露するつもりはないが、この自説はわりと当たっていると思っている。

 優れた騎士には優れた推理力も備わっているものなのだ。まだ騎士ではないが。


 ともかく、そうしていつも通り心臓を提出して記名をしていると、普段はあまり見かけない、領主直属として働いている騎士が声をかけてきた。


 その騎士が言うには、騎士や兵士が優秀なオーラルにおいて、その騎士たちに引けを取らない活躍をしている異邦人──プレイヤーのことを指しており、ここオーラルではそう呼ばれることが多い──の名が領主の目に止まったとの事だった。

 もし良ければ、ヒューゲルカップの騎士として仕えてみる気はないかと。


 ユスティースは飛びあがらんばかりに喜んだ。

 多くのプレイヤーたちはただ報奨金目当てでこの心臓を納めているが、ユスティースは違った。

 国への貢献度、という部分が引っかかっていたのだ。

 プレイヤーたちの貢献度を量っているのなら、もしかすればそこから騎士への道が開かれるかも知れない。

 そういう打算があってイベントに力を入れていた。

 この騎士からの申し出は、まさにその思いが実った結果だと言える。


 あの提出時の記名も、不正防止だけでなく、領主側で提出者のランキングを作成する目的もあったのだろう。

 おそらくそこでユスティースが上位に入ったのだ。





 騎士たちのエスコートで城に入ると、外から見ていた通りの荘厳で立派な内装だった。

 といっても華美に過ぎると言うわけでもない。調度品はどれも年季が入っており、古いものを大切に磨き上げているという風情が感じられる。


 逆に新しいものはひとつもない。

 今の領主に代替りしてから、余計な調度品は一切購入していないということだろう。

 そうした部分からも領主の人となり、騎士らしい質実剛健さがうかがえる。


 そのままいくつもの廊下を通り、階段を上がり、角を曲がって、通されたのは執務室のような部屋だった。

 部屋の中もまた年季の入った本棚や執務机が置かれており、領主と思われる女性はその机に向かって何やら書類仕事をしているようだった。


 長い黒髪を束ねもせずに背中に流した、優しげな美人だ。

 鎧を着ていないせいか、あの日見た姿とはどうもイメージが重ならないが、まさか別人が領主のふりをして執務室に座っているなどあり得まい。

 着ている服装も貴族らしい洗練されたデザインではあるものの、華美というほどでもなく、どこか機能的というか、これまで見てきた城のイメージ通りのものだった。


 騎士やユスティースが許可を得て入室したのを確認すると領主は立ち上がり、ユスティースの元まで歩み寄った。


「君がユスティースか。噂は聞いているよ。非常に優秀だそうだね。それだけでなく、異邦人にしては珍しく積極的に街を守ってくれていると。おっとすまない、別に異邦人の方々を差別するつもりはないんだが」


「あっいえ! 勝手な奴が多いのは事実なので!」


 プレイヤーであるため仕方のない事だ。

 といっても街を拠点にしようと思えば住民NPCからの好感度は当然高い方がいい。

 そうした一切が面倒だというプレイヤーは魔物プレイか、ギャングや盗賊なんかのアウトローなプレイをすればいい。


「あらましは聞いているかと思うけれど、今日君をここへ呼んだのは、君に私の騎士になってもらえないだろうかと考えてのことでね。もちろん、断ったとしても君に特に何かをするというようなことはないし、別途これまでの働きに対する礼は用意しよう。

 君たち異邦人にとってはどうなのかは前例を聞いたことがないのでわからないが、我々にとっては誰かの眷属になるというのは一生を左右する問題だからね。考える時間は十分に取ってもらって構わない」


 考える時間など必要ない。


「大丈夫です! よろしくお願いします! 私をあなたの騎士にしてください!」


《個体名:ライリエネ・ヒューゲルカップに眷属申請をしますか?》


 ユスティースの言葉に反応してか、システムから確認のメッセージが届いた。もちろんイエスだ。

 さっきは名乗ってもらえなかったが、このライリエネというのが領主の名前で間違いない。姓に街の名前が付いている。


「──! っと、……なるほどこれか。

 いいのかい? もしその気持ちが確かなら、この場で今すぐ任命することもできるけれど」


「大丈夫です! 気は確かです!」


「……きみ、ちょっと知り合いの子に似てるな。まあ、そこまで言うのなら。では許可しよう。──よし、これで君は私の眷属となった。これからよろしく頼むよ」


《個体名:ライリエネ・ヒューゲルカップの眷属になりました》

《プレイヤーが眷族となった場合の仕様についてはヘルプを参照してください》


 参照する必要はない。

 その仕様を知った時からよく読み込んである。


「本当なら簡易にでも任命式を執り行いたいところだけど、今は非常時であるため許してほしい」


 非常時というのは第三回イベントの最中だからということだろう。天使が攻めてきている中で呑気に式典なんてやっていられるはずがない。


「おかまいなく!」


「……そう言ってもらえると助かるよ。ではまずは、支給品かな。追加で装備を購入する場合はこちらの台紙を使ってくれ。使い捨ての写し紙が挟んであるから、サインをしたら直筆の方を店に、写しの方を経理に渡してくれればいい。経理の場所は後でカークス、あー、君をここまでエスコートした騎士だが、彼に聞いてくれ。写し紙には表裏があるから間違えないようにね。それから──」


「あの、すみません。写し紙とは何ですか?」


「おっと、申し訳ない。最近近くの街から輸入するようになった品物でね。ほら、これなんだが……。このように、薄い紙の片側にだけ特殊な塗料が塗られている紙だよ。これをこう、書きたい紙と紙の間に挟んで硬い机の上で文字を書くと……」


 領主ライリエネは執務机の上で紙を3枚重ねてサインをした。

 すると本来一枚目にしか書かれていないはずのサインが、三枚目の紙にもまったく同じ筆跡で写し取られていた。


「なんですかこれ! スキャン? コピー? そういうマジックアイテムとかですか?」


「いや、この間に挟んだ、片側だけ黒い紙があるだろう。これのおかげだよ。こうして間に挟んで文字を書くと、この黒い塗料が筆圧によって向かい合わせた紙に転写されるようになっているんだ。だから挟む時は黒い面が下側を向くように挟まなければならないからね。注意するように」


 魔法やスキルでもなく、純粋な工業技術によってサインのコピーが可能だとは驚いた。

 と言ってもその塗料の作成自体には『調薬』や『鍛冶』などの技術が必要らしいとの事だが。

 このようなアイテムは現実でも見たことがない。もっとも直筆のサインをするようなことなどないし、なんならサインのコピーどころか、一般的な材質で出来ているものなら紙だろうが金属だろうが合成樹脂だろうが3Dプリンターで丸ごとコピーを作ってしまえる現代においてはまったく必要のない技術ではある。


 サインのコピーに特化した特殊な技術体系、いわゆるガラパゴス進化とかそういうものだろう。

 このゲーム世界ならではの発明だ。


「それからこれ、食事などの際に使う割符わりふだ。無くさないように。この割符と対になるものをこの街の食事処に配ってある。この割符には特殊な魔法がかけられていて、対になるものと合わせると文字が光る仕組みだ。この割符を出せばたいていの店で食事ができる。代金は一括して城の経理から支払われるから気にしなくていい。湯屋も同様だ」


 普通なら一度にこれだけ説明されても覚えきれないだろうが、これまでずっと騎士たちをストーキングして行動を調べてきたユスティースである。すでに知っている内容も多いし、この程度を覚えるのは朝飯前だ。


「説明しておかなければならないのはこのくらいかな。寮には後でまた別の騎士に案内させよう。一応異性厳禁ということになっているのでね。カークスでは女子寮は案内できない。

 異邦人は眠りの時間が時に不規則で長くなることがあるというのも承知しているから、君の部屋には原則誰も立ち入らせないよう周知しておくから安心してくれ」


 それは正直助かる。

 またプレイヤーの事情についてそこまで斟酌しんしゃくしてくれるということは、この領主の騎士になるというイベントは特定の条件下で起こせる特殊イベントなのかもしれない。

 この情報をSNSに流せばプレイヤーの同僚も増えるかもしれないが、それもなんだか惜しいような気もする。


 普段は雑談スレなどに、ひとことふたことくらいしか書き込んだりしないが、SNS自体はチェックしている。

 メインのイベントスレや各国の本スレなどでは、たいていひとりかふたりは、まるで主人公なんじゃないかというくらいの体験をしているプレイヤーがいたりするものだ。


 例えば隣国ヒルスで有名なウェインというプレイヤーなどだ。

 彼のイベントボス遭遇率の高さは異常である。もともとヒルス滅亡の引き金となった件で最前線にいたということもあって、どうやらNPCであるそのイベントボスにさえ個体認識されているらしい。また君か、などと声をかけられたとかパーティメンバーの人が言っていた。


 正直言って、羨ましい。

 自分もそういう、特別なプレイヤーになってみたい。


 このオーラルにおいて有名プレイヤーといえばヨーイチとモンキー何某なにがしだが、彼らはどちらかといえばイロモノコンビというか、特殊枠と言える。王都で起きたクーデターにも関わったりはしていなかったようだ。


 ならばここらで、このオーラル王国の「主人公」を決めてもいいのではないだろうか。


 そして主人公といえば、やはり冒険者か騎士だろう。間違ってもナース服や全身タイツの変た、特殊性へ、まあ、不審人物などではないはずだ。


「では次に、装備を支給しよう。お揃いの鎧というやつだな。胸部と盾に我が領の紋章が刻まれた逸品だ。君は異邦人だから、というわけではないが、デザイン自体はお揃いだが他の者たちとは違った素材で作られている物を渡そう。ちょうど新式の装備の実戦テストが必要でね。まあ、最初の任務の一環だと思ってひとつ試してもらいたい」


 そのまま領主自らの案内で、城の地下、武器庫か何かのようなひんやりとした部屋に連れて行かれた。

 廊下までは薄暗かったが部屋の中は明るく、見上げれば魔法照明がふんだんにとりつけられていた。

 魔法照明と言えば安いものではない。それを考えれば街では見たことのないほどの贅沢さだと言える。

 と言っても城のイメージや領主の性格から考えて、無意味に金をかけているとは思えない。

 街を守る騎士たちの装備を保管しておく武器庫として、最高の環境を整えてあるということなのだろう。


「これだな。君が知っているかどうかは知らないが、この鎧には2種類の金属が使われている。ベースになっているこの白金色の部分はミスリルといって、軽くて魔法親和性が高い金属だ。ただし強度はそれほどでもない。もちろん鉄や魔鉄よりは強いけどね。そしてそのミスリルの外側をガードしている、この黒い金属はアダマスという。こちらは魔法親和性は低く、非常に重いが、その分頑丈だ。物理攻撃に対しても魔法攻撃に対しても高い防御性能を持っている」


 このゲームの中ではあまり聞いたことがないが、どちらもファンタジー金属として有名なものたちだ。かろうじてミスリルは前回イベントの報酬として受け取ったプレイヤーがいたとか聞いたが、アダマスは完全に初耳である。有名であるにもかかわらず聞いたことがないということは、これは非常に希少で高ランクな素材なのではないだろうか。


「それから剣と盾だ。こちらも同じ素材で作られている。特に剣は芯金にミスリル、皮金にアダマスを使うという独自の技法で打たれたもので、これまでに膨大な試行錯誤を繰り返して作られたものだ。これがその完成品第一号になる。ぜひ君にテストしてもらい、今後に活かしていきたいと思っている」


「あの、これはその、もしかしてものすごく貴重なアイテムなのでは……」


「ふふ。そんなに緊張しなくてもいいよ。すでに作成技術自体は確立されているからね。材料さえあればいくらでも作れる。あとはブラッシュアップしてより完成度を高めていくだけさ」


 そのブラッシュアップのための試用を君にお願いしたいのだ、と領主は言った。


 まずい。

 これはもしかして特殊イベントの初回クリア特典とかそういうものかもしれない。

 いや絶対にそうだ。

 バレたらPKに狙われてしまうかもしれない。

 最悪自分だけなら構わないが、自分を信じてこの装備を託してくれた領主に合わせる顔がなくなってしまう。

 この件についてはSNSに情報を流すようなことはできなくなった。


「あとあの、なんかちょっと鎧から甘い? 匂いがするような──」


「……あー。まあ以前私が使っていたものを再利用している部分もあるからね。すまない」


「いえ! ぜんぜん! ありがとうございます!」


「? まあいいならいいけど。さて、渡した装備から想像がつくかもしれないが、私が君に求めているのはいわゆる魔法剣士というものだ。オールラウンダーと言ってもいいが、剣も魔法も共に高い水準で完成された万能戦士だな。これらの装備はそのために必ず必要になると思っている。

 もちろんそのために必要な他のもの、教師役やサポート役などは可能な限り用意しよう。それから君の成長に役立つだろうクエストもいくつも考えているんだ。例えば──」







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る