【短編】赤いきつねと緑のたぬきを選べない人生

天道 源(斎藤ニコ)

 残業が長引き、自由な時間もなくなると、外で飯を食ってから帰ることすら億劫になってくる。

 たどりつくのは簡易メシ。


 俺は買い置きしていた即席カップめんを棚から取り出した。

 一つではなく、二つである。


 ――赤いきつねか、緑のたぬきか。


 昔を思い出す。

 複数の選択肢から、一つを選ぶ権利が俺にはあった。


 思い出されるのは、小学生の頃。


     *


 親は共働きだった。

 残業ばかりでいつも家に居ない。

 実は父の浮気のせいで家庭内別居が進んでいたなんてこと、小学生低学年だった俺には分かるはずもなかったけど。


 母は育児放棄をしていたわけではないだろう。

 子と二人だけで生きていく未来を憂慮し、お金を貯めたかったに違いない。

 結果、一人での夕食はこういうことが多くなる。


 机の上に、カップ麺。


『今日も遅くなります。ごめんね、朝、時間がなかったので、夕飯はカップ麺で済ませてね。お休みに美味しいもの食べましょうね』


 カップ麺は二つ。

 赤いきつねと、緑のたぬき。

 二つ食べろ、ということではなくて、好きな方を選んでねという、インスタントな心遣いなのだろう。


 正直、どっちだっていい。

 この前が緑だったから、今日は赤。それだけの理由だ。

 ざつに包装ビニールを解いて、地面に捨てる。ゴミ箱の場所だって自分で決められる。床はゴミ箱。それでよかった。


 俺は沸騰したお湯をカップに入れながら、机に座る。

 いつの間にか一人での夕飯も慣れていた。

 無意味につけられたテレビからは他人の声がたくさんした。

 食事中に見てはいけないはずの動画サイトもいくらだって見られた。

 小学校での喧騒が、鼓膜のもっと奥側から外へ響いてくる気がした。


 赤いきつねは五分待つ。

 緑のたぬきは三分待つ。


 食卓での思考はそれだけだった。だってそれ以外に何を想えばいいのだろう?


 待っていれば出来上がり。

 湯気が室内に溶けていく。

 俺は箸を手に取ると、自分の口へと運ばれるものには目もくれず、机の上のメモを見る。


 家族の温もりをくみ取ろうと、なんどもなんども母の文面に目を走らせる。


 お休みに美味しいものを食べましょうね――なんてことを言うんだろう。


 まるで、今食べている赤いきつねが不味いみたいな言い方だ。

 母も父も知らなかったのだろうか。もしくは忘れてしまったのだろう。


 もちろん、食べるものの質は、食事において重要な部分だ。

 おいしいものは、それだけでおいしい。論理が破綻するくらい、おいしいものを食べたときに言葉は不要となる


 でも。

 違うんだ。


 食事の質を決めるのは、何を食べるかじゃなくて――。


     *


「――ねえ、なにしてんの?」


 背後から声が聞こえて、ふっと我に返る。

 振り返ると、スーツを脱ぎ捨てて部屋着に着替えたパートナーの姿があった。

 お互い残業続きで、休日も同じ部屋で寝ているだけの同棲相手だが、結婚を考えるくらいには幸せな関係を築けていると思っている。


 パートナーは俺の手元を見ると、笑った。


「生活の味方だよね、カップ麺――ああ、なるほど。赤か緑か悩んでいたと」

「え? いや、そういうわけじゃ――」


 感傷に浸っていたというにはお互い疲れている気がするので、口ごもる。


「わたしは赤の気分~」

「あ」


 赤が俺の手から消え、緑が残った。


「あ、って言ってももう遅い~」

「選ぶ権利はない、と」

「わたしを選んだ以上はね?」

「うまいこと言っている風にごまかすんじゃない」

「へへ――ほら、早く食べよ」


 パートナーは次いで、俺の手から緑までをも奪うと、てきぱきと食事の準備をする。


「今日は特に遅くなっちゃったしね。さっさと寝ないとさ。お互い明日も大変だろうし~」

「ああ、うん」

「どしたの? 疲れたの? ってそんなのお互い様か」

「いや、うん」

「今度のお休みにさ、美味しいもの食べに行こうね。焼肉とかさっ」


 美味しいもの。

 パートナーの目の前には湯気があがる暖かいカップ麺が二つ、俺達に食べられるために文句も言わずに待っている。


 止めていた蓋が音もなく開く。ぼくたちだって美味しいよ、と言われている気がした。


 なんだか悪いことを考えている気がして、パートナーへと意地悪な言葉が出た。


「それ、一緒にお湯を入れちゃうと、緑が先にできあがるぞ」

「え? どゆこと?」

「赤は五分、緑は三分。できあがりに差があるのは日本の常識だからな」

「はぁ? ――って、ほんとだ……、同じ時間じゃないんだ」


 パートナーはお腹を押さえて、赤を俺のほうへ差し出した。


「あたし、お腹すいたから、緑~」

「俺も腹減ってんのに、二分もお前の食事風景を見てろと」

「いいじゃん、いいじゃん。空腹も調味料でしょ?」


 あっけらかんと言い放つと、パートナーは緑を奪って机へと戻った。

 こちらを見て、手招きする。

 

「ほら、席について」


 俺は残された赤いほうを手に取って、席へ座る。

 そこにはメモもなく、遠くからテレビの音も聞こえない。

 禁止されているので食事中はスマートフォンに触れないし、会社で何が起きたかなんて思い出すのも疲れる。


 まったく、不自由な時間の連続である。

 子供の頃のほうがよほど自由だった――でも、この時間はなかった。


 三分。

 パートナーはおいしそうに食事をしている。


 俺はそれを黙って見る。

 メモに書かれた文章を一文字一文字目でなぞっていたあの頃のように、幸せそうに食べるパートナーを眺め続ける。


 小学生の俺はすでに知っていた。


 ――食事は、料理がすべてじゃない。

 ――食事は、誰と食べるかが大事なんだよ。


 父と母に教えてあげれば、俺の人生は変わったのだろうか。

 いや、それは意味のない問いだ。人生が変わってしまえば、目の前の相手とも出会えなくなってしまうかもしれない。


 二つに一つ。

 選択の連続で俺が掴んだ、大切な時間なのだ。


 パートナーが胡散臭そうに顔を上げた。


「五分経ったんじゃない? 早く食べなよ、伸びちゃうよ?」


 すでに二分が経っていたらしい。

 それだけの時間、俺はパートナーを見つめ続けていたということだ。

 でも足りない。

 過去にできた心の穴を埋めるようにして、俺は昔ネットで見た知識を適当に口にした。


「知らないかもだけど、うどん麺は、10分ぐらい放置したほうが、うまくなるんだぞ」

「え? ほんと?」

「ネットに書いてあったから、初めて試す」

「知ったかぶりじゃん!」

「うん。だからこそ本当かどうか試してみないとな」

「そっか。じゃあ十分経ったら、一口ちょーだい?」

「やだよ、緑で満足しなさい」

「えー、いいじゃーん? 赤だって食べたいなぁ!」


 カップラーメンを囲む、笑顔の絶えない食卓。

 俺が選んだ未来だ。

 今の俺は赤か緑かを選べなくなってしまったけれど、選べる選択肢はまだまだたくさん残っているのだ。

 

 それって幸せ以外のなにものでもないよ。そうだろ? ――なんて思いながら、数分後に手を伸ばしてくるだろうパートナーの手を、笑顔で受け入る為の準備をした。

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【短編】赤いきつねと緑のたぬきを選べない人生 天道 源(斎藤ニコ) @kugakyuu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ