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部屋に着くと、エプロン姿のミナコが迎えてくれた。
「いらっしゃい。さすが、いいタイミングで来るね。ご飯ちょうどできたところだよ」
ミナコと結婚した男は、きっと毎日幸せなのだろうと思った。なぜならば、こんな素敵な妻に毎日迎えられるのだから。そしてすごく哀れでもあると思う。男はこの笑顔が自分にしか向けられないと思い込んでいるから。わたしとミナコの関係なんて知らないまま生きていくのだろうから。
「ただいま」
なんとなくわたしがそういうと、ミナコの機嫌はさらによくなった。
「おかえり。あなた、さきにお風呂にする? それともわたし?」
なんちゃってと言って、ミナコは恥ずかしそうに舌を出した。
「ご飯冷めちゃうでしょ? 早く食べちゃいましょう」
「うん!」
玄関でスリッパに履き替える。ミナコの部屋はナナカの部屋ほどではないが、女の子のひとり暮らしということでそれなりにいい部屋である。きっとミナコの両親は、ミナコのことが大切で仕方がないのだろう。
部屋の構造上、リビングに入る前にキッチンの横を通ることになる。そこでは、すごくいい匂いがした。
「今日はあなたの大好きな肉じゃがなの」
わたしがリビングに荷物を置いていると、ミナコがキッチンから覗き込んだ。
「そうなの。嬉しいわ」
「すぐによそうから、ちょっと待って」
「わたしも手伝うわ」
「それじゃあね、お茶碗にご飯よそってくれる?」
「お安い御用よ」
こういう時にミナコはやっぱり普通だ。わたしを変にお客さん扱いしない。わたしは食器棚からお茶碗を取り、炊飯器のご飯を盛り付けてからテーブルに運ぶ。もう一度キッチンに戻って、ミナコが盛り付けてくれたおかずをテーブルに運ぶのを手伝った。料理が全て並ぶと、わたしたちは向かい合ってテーブルにつき、手を合わせた。
「「いただきます」」
肉じゃがをひと口食べる。
「うん、すごく美味しいわ」
わたしがいうと、ミナコはとてもうれしそうだった。
ミナコは本当に退屈な女だ。平凡な女だ。けれど、本当に魅力的な女だと思う。つまらなくない女だ。
「ねえ、愛って何なのかしら」
わたしはミナコの頭を洗いながら尋ねた。
「どうしたの? 急に哲学に目覚めたの?」
ミナコが少しからかうように訊き返してきたから、わたしはシャワーを顔にかけて嫌がらせをした。ついでにそのままミナコの髪を洗い流した。彼女の髪は長いので結構な重労働だった。今度はわたしがミナコに洗われる番だ。
「じゃあ恋バナ?」
ミナコは優しくもしっかりとした手つきでわたしの頭を洗いながら訊く。
「違うわ。愛の話」
「ふーん、噂の後輩君のことなのかと思った」
「……まあ、そうなのだけれど」
「やっぱり恋バナじゃん!」
「違うって言っているじゃない」
「えー?」
そう言いながら、ミナコはわたしの髪を洗い流した。それから少しふざけ合いながらお互いの身体を洗い合って、向かい合う形で湯船に浸かった。広くない浴槽の中で2人の足が絡み合う。少しいちゃついた後、話を戻した。
「それで、ミナコは愛って何だと思う?」
「そうだね……私にとって愛は、現実的で日常的なものかな。逆に、恋は非現実で非日常的なもの。ほら、恋って胸をドキドキさせるじゃない? 他にも、その人のことをいつも考えちゃう! みたいな。でも愛だったら、そうはならないでしょ? 愛は心を穏やかにするし、いつもその人のことを想っているから、別に特別に考える必要もないでしょう? 私の言っていることわかる?」
「なんとなくね。けれど珍しいわ。愛を恋と相対させて定義するなんて」
「そう? 恋と愛は相対的に語られがちだと思うけど? ほら、『愛は育むもので、恋は落ちるもの』みたいな。それに恋は冷めるっていうけれど、それも恋が熱されている状態、逆を言えば、常温じゃない状態ってことでしょ? それに対して愛は冷めないし加熱もしないと思うの。維持するために恒常的なエネルギーが必要かもしれないけれどね」
「……ミナコはわたしに恋をしているの? それとも愛しているの?」
ミナコは優しい目になって、わたしにもたれかかるようにして膝に座った。先ほどまで交錯していた足が重なり合う。
「どっちも、っていったら卑怯かな」
そういってミナコはわたしの手を取って、自分の胸に触れさせた。
「だってほら、こんなにドキドキしてる。けど、あなたに抱き締められると、すっごく心地いいの。ずっとこうしていたい。あなたと過ごす日々は刺激的で非現実的で、それでも確かに現実で。……ねぇ、これってどっちなんだろう?」
わたしは答えなかった。応えられなかった。わからなかったから。
「いいの。別に。何も言わなくていいから。だからお風呂から出たら少しお酒を飲みましょう。それから今夜も、私をめちゃくちゃにして」
わたしは黙ってミナコを抱き締めた。強く優しく激しく穏やかに、抱き締めた。
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