1-4

 その日の勉強会はどんな内容だったのか、まるで覚えていない。興味もない。サークルが終わるとすぐに活動教室を飛び出して、わたしはナナカの部屋に向かった。

 彼女の下宿先は、大学から徒歩数分のところにある高級マンション。親が金持ちだと聞いた。

 入り口のオートロックの解除に、彼女の部屋番号を打ち込む。

「わたしよ」

 それだけいうと自動ドアが開いた。

 速足に通り抜けて、エレベータのボタンを押す。タイミング悪く2つあるエレベータは、どちらも上の方にとどまっている。立ち止まっているのが嫌で、すぐ横の階段を上り始めた。

 ナナカの部屋はマンション最上階である10階にある。それでもわたしは階段を1段飛ばしで駆け上がった。額に汗をにじませて、乱れた髪と呼吸を整えながら彼女の部屋の前に立つ。インターホンをならすとドアの前で待っていたのかと思う早さで、ドアが開いた。

「いらっしゃい。遅かったけど、どうし……?!」

 わたしはナナカの唇を自分の唇で塞いで、部屋に押し入った。そして靴も脱がないで、彼女を玄関に押し倒す。苦しそうにうめいたナナカは、それでもすぐになにかを察したようだった。しばらく何も言わずにわたしの舌を受け入れて、絡めあった。

 気持ちを落ち着けようと、わたしは1度彼女から離れる。

「なにか、あったの?」

 火照った、なまめかしい表情でナナカは尋ねる。たまらなくて、もう1度唇を重ねる。彼女はその細い腕でわたしを抱きしめて、精いっぱいわたしにこたえようとしてくれている。それが健気で、弱々しくて、かわいらしかった。

 美しくて上品で強い、彼女が普段は決して見せない表情だ。私以外には決して見せない感情。

「ごめんなさい」

 唇を離す。やっと落ち着いた。わたしは立ち上がって、彼女に手を差し出す。ナナカはその手を借りて立ち上がった。軽く腰が抜けてしまったのか、少しよろけている。その手を放さないまま、わたしは反対の手を使って靴を脱ぎ捨てた。それから、2人は指を絡ませ合うように握りを変えてリビングへと向かった。

 ナナカは手を放してキッチンの方へ向かった。わたしがテーブルの前に座るとすぐに2つのマグカップが運ばれてきた。そこには暖かい紅茶が入っていた。ひとくち含む。フワリと香りが鼻から入ってくる。

「おいしい」

 わたしがそう言うと心の底から嬉しそうに、笑顔を浮かべる。あいにく、わたしにはこのお茶の価値も、種類も、良さも、何もわからないのだけれど、そんな感想を彼女は求めていない。

 ナナカはほっと息を吐いて「よかった」と呟いた。それから、

「おとこ?」

 聞こえていなければそれでもいいというような、か細い声で聞いてきた。

「そうよ」

 ナナカは特に不快な色も見せないで、「そっか」といった。わたしは珍しいなと思った。

「ナナカは、わたしのことを愛している?」

「どうしたの、突然」

 そう言って笑った。それから真剣な表情になって、

「もちろん、君を愛している」

「ありがとう、嬉しいわ。……わたしもナナカを愛しているわ」

「噓つき」

 わたしがびっくりしたのを見て、ナナカは表情を和らげた。

「嘘つきはアタシの方だね。ありがとう」

 そういったナナカは今、どういう気持ちなのだろう。よくわからないから、無視することにした。

「『愛』って何なのでしょうね」

「らしくないね。今日は、君らしくない」

 ナナカは正面から隣に移動してきて、わたしの頬にキスをした。

「アタシにとって『愛』は『許し』、かな」

 ナナカはわたしの肩に頭をあずけた。わたしは彼女の腰に手を回す。

「愛していれば、どんなことも許せる。君のどんな行いも、アタシのからだも、許せる」

 それだけ聞いて、わたしは応えなかった。沈黙がながれる。

「したい」

 わたしはいった。

「いいよ」

 ナナカはいった。

 ひとり暮らしには広すぎる部屋。ナナカは立ち上がって寝室の方へ向かおうとしたが、わたしは彼女の腕を乱暴に取って、ソファに叩きつけるように倒した。柔らかいソファにぶつかってふわりと跳ねる彼女の軽いからだ。荒々しくナナカに覆いかぶさる。

「きょうはちょっと変」

「そう?」

「アタシのこと、まるでお人形だと思っているみたいに乱暴」

「嫌なの?」

「嫌じゃない」

 そう言って、ナナカはわたしの首に手を回してギュッと抱きしめる。そしてわたしの耳元でささやく。

『許すわ』

 わたしは、さめた。

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