1-2

 人で溢れかえって大変煩わしいキャンパス内は、まっすぐに歩くこともできない。障害物をよけながらジグザグに目的地へ向かう。

 どいつもこいつも、つまらないことをペチャクチャ話して、タラタラ歩きやがって。どうして生きているのかしら。みんなまとめて死ねばいいのに。

 直線で歩けば1分もかからないはずなのに、いまはその倍以上かかっている。

「あ、昨日とおんなじ服だ!」

 ほら、そのせいで面倒な女に絡まれたじゃないの。

「おはよう、マユちゃん」

「おはようございます。先輩、また男の部屋に転がり込んでいたんでしょう! いいなぁ」

 この子は後輩で、わたしと同類だ。汚くて、うすくて軽い、下品な女。

「嫌ね。似たような服着ているだけでちゃんと別の服よ。ひとのこと、服を変えない不潔みたいに言うのはやめてよね」

 だいたいなんでこいつはわたしの昨日の服装を把握しているのか。会わなかっただろうが。気持ち悪い。もちろん一切そんな素振りはみせないけれど。

 彼女は「すいません、カマかけちゃいました」と言いながら舌をペロリと可愛く出した。なんなんだこいつは。男にはこういうのがいいらしいが、わたしには全く理解できない。

「せっかくだから、今度一緒に服買いにいかない? 自分で行くとどうしても同じような服買っちゃうのよねぇ。ちょっと冒険して見たくてさ。マユちゃんみたいな可愛すぎるのはちょっと厳しいかもだけど、別の視点がほしいというか」

「え! いいんですか! 行きたいです!」

 彼女は嬉しそうにわたしの腕に抱き着いた。

「先輩大好きぃ♡」

 言葉の最後にハートが、本当に見えた気がした。

「じゃあ、ヨシト君とケイラ君もよんでダブルデートにしましょう! ケイラ君がこの前、先輩のことちょっといいなぁって言ってたんですよぉ。マユはヨシト君狙ってるんで、その辺は上手くやりましょうね。……あ、電話だ。それじゃ、また連絡しますねぇ。楽しみにしてます! ではでは!」

 大きな声で人目もはばからずに「もしもし? あ、ヤスユキ君! あのね……」と言いながら、さっき来た方向へと戻って行った。いったい何しにこちらへ歩きてきたのだろう?

 わたしは振り返らずに講義室に向かう足を速めた。

 ハァ。自然とため息が出る。さっさと講義なんて終わらないかしら。大学にいたってほんとにロクなことがない。

 やっとたどり着いた講義室の扉は開け放たれていた。何人かと入れ違いながら部屋全体を見渡す。いた。

「おはよう、カエ、ミナコ、ナナカ」

 そう言いながら、わたしはミナコの隣に腰かけた。

「遅かったじゃない」

 わたしに笑いかけたのがカエ。とってもブサイク。ほんと話しかけないでほしい。まあ、あいさつしたのはこっちからだけれど、そのくらいの理不尽、あなたなら許してくれるわよね。

「ごめん。ちょっと後輩に絡まれちゃって」

「また男?」

 素直に不快感をあらわにするきれいな顔。それがナナカ。彼女はわたしと正反対、美しくて上品で、強い。バラみたいな人。綺麗な花には棘があるって表現、わたしは結構好き。

「違うわ。女の子よ」

「ああ、マユって子か。アタシ、あの子嫌いなの」

「どうして? いい子よ」

「いい子ね。アタシはいい子が嫌いなの」

「ふふっ。そんなこと言わないの」

「とにかく、あの子とはさっさとサヨナラしなさい」

「考えておくわ」

 わたしはチラリとミナコを見た。偶然目が合う。いや、ミナコはわたしを見ていたから、当然目が合う。

「なに?」

「何も、ないけど」

 そういってから、わたしの耳元に口を近づけて、

「また帰ってないの?」

 気づかれた。昨日、カエは推しのアイドルのライブの行っていたし、ナナカはサークルの用事があったみたいで、2人とも大学にいなかった。

 日中はずっと2人で過ごしていたから、さすがにバレたみたい。そういえば、ミナコは昨日、下ろし立てのこの白いカーディガンを可愛いって褒めてくれたような。

 わたしは人差し指で自分の唇に触れてから、それを彼女の唇に軽く押し当てた。そして顔を赤らめる彼女に優しくウインクをする。さっきマユがやったことなんて比にならない、あざとさ。当然、わたしはわたしがかわいいのを知っている。

 ミナコは4人の中で一番普通の女の子。真面目に講義を受けて、友達と遊んで、彼氏とデートをして、わたしとセックスをする。退屈な女の子。でもわたしは、彼女との退屈は嫌いじゃない。退屈なのが、彼女の魅力。つまらなくないの。

 ミナコがコクリと頷いたので、やっとその柔らかい唇から手を離した。彼女は名残惜しそうにわたしの指から目を放さない。もちろん、それに気づかないフリをして前を向き、講義が始まるのを静かにまった。


「男ってマジうざいよね」

 わたしたちが学食の席に着いたとたん、カエが言った。

「男なんてなにがいいんだか」

 そう言って4人掛けテーブルで1つ空いた席を軽蔑するように見つめた。

 ミナコは、今日は彼氏と食べるからといって、講義が終わると離れていったのだった。それをいつも妬ましそうにカエは見ている。なんともまあ醜いこと。

ミナコの彼は、とてもいい男だ。でもつまらない人だった。それをミナコとナナカは知っているし、カエは知らない。ミナコの彼氏はミナコがそれを知っていることを知らない。それも醜い。

「そうかしら? 素敵じゃない?」

「不潔よ。どうせ結婚するわけでもないのに、べたべた引っ付いて。気持ち悪い!」

 と言いつつ、カエはわたしやナナカ目当てで寄ってくる男にいつも色目を使っているが、全て空回っている。彼らに嘲笑されている。カエは一生、勝手に勘違いして傷ついてを無限に繰り返し続けるのだろう。少なくともわたしたちのそばにいる限りはきっと終わらない。周りに男は溢れ続けるが、彼女の手に収まることは、決してない。とんだピエロもいいところだ。

 要するに嫉妬しているのだ。それに、わたしの遊びにも彼女だけ気づいていない。ほんとうに醜い。

「まあまあ」

 そう言ってナナカがカエを宥めた。ナナカも基本的に男が嫌いだけれど、それは恋愛的な話に限るのであって、男友達は少なくない。自分に下心を見せない男となら簡単に友達になる。彼女は小悪魔じゃない。悪魔だ。そういう素振りを見せようものなら、容赦なく切り捨てる。たぶん、わたしより遥かに質が悪い。だって美人だもの。いくら初めに何も思っていなかったとしても、あんな純粋で美しい顔を間近で何度も見せつけられれば、どんな男も、わたしだって惚れてしまう。惚れるなという方が間違っている。

 ああ、女でよかった。惚れても、彼女に拒絶されないから。

 すぐに落ち着いたカエは大きくため息をついて、目の前のパスタをクルクルとまき、食べ始めた。彼女は、食べ方だけは上品。一応褒めておくことにする。

 わたしもオムライスを、ナナカはラーメンをそれぞれ食べ始めた。そこからは他愛もない会話。つまらないわ。さっきみたいなひどく醜い話、そういうのがわたしの好み。

 食べ終わると、まずカエが立ち上がる。続いてわたしとナナカも。カエがスタスタと返却場に足を進める後ろで、ナナカがこちらにアイコンタクトを送ってきた。

 笑い返せばイエス、首を傾げればノー。いつの間にかできていた2人だけの暗黙の了解。それにわたしは微笑み返す。それで終わり。

 表情は変わらなかったが、ナナカの足取りが目に見えて軽くなった。反比例するみたいに、わたしの心は重くなる。

 やっぱり、わたしたちの関係はとてもいびつで醜い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る