結末

 戦いの緊張から解き放たれると急に体中を疲労が襲う。鱗を貫いた衝撃でやられた手首、毒にやられた皮膚、そして吐き気と疲労。

 だが心臓さえ手に入れれば……。私はほとんど執念のみで体を動かし、心臓がありそうな箇所の鱗の隙間に剣を入れ、梃子のように鱗をはがす。


 龍の内臓や肉の奥に、不思議な七色の光を発する物体があるのが目に入った。よく分からないがこれこそが心臓だろう。私は血まみれになりながら龍の体内に侵入し、光る心臓らしきものを取り出した。触ってみると心臓は人の体温より熱く、膨大な生命力を感じさせた。これを口に入れれば、健康な身体が手に入る。


 が、心臓を口に入れる寸前で私の視界の端に倒れているシルアが映った。先ほど龍の頭の注意を引き付けていたが、その後毒霧の直撃を受けたのかそれとも普通に攻撃されたのか地面に横たわっている。私は心臓を持ったまま彼女の方へ向かう。


「シルア!」


 よほど辛いのか応答はない。確かに服がぼろぼろになり、ところどころ露出している肌は紫色に変色している。普通なら即死しているところだろうが、かすかに息はある。毒に詳しい彼女のことだから何らかの対策をしていたのだろう。頭から水を被っていたかは知らないが。


「シルア、大丈夫?」


 試しに肩に手をかけてゆすってみるが明確な反応はない。ああとかうんとかいうか細い声が漏れる程度だ。一応手首を押さえてみると脈はある。私は医療に疎いのでどうしたらいいのかよく分からない。


 いや、一つだけ確実な手段はある。私は自分の手の中でまばゆいばかりの生命力を発する塊を見つめる。今回の件は龍が召喚されたのも私が発端だし、龍を倒したのも私の都合だし、シルアはそれに協力してくれた。

 そのシルアをこのまま死なせることがあってはならない。他に助けられる手段があるのかは分からないけど、この近くに医者がいるとは思えないし探している時間があるのかも分からない。


「参ったなあ」


 惜しくないと言えば嘘になる。

 しかしここでシルアを見殺しにすることは出来ない。シルアは私を手伝って戦ってくれたのだ。その結果として彼女だけ死んで私が生き延びる。そんなことは出来ない。

 私は仕方なく左手でシルアの口を開き、右手で持った心臓を近づける。丸のみさせていいのかはよく分からないが、下手に斬ったりして効果がなくなっても困るし。

 が、その瞬間がばっとシルアが上体を起こした。


「うわあっ」


 私は思わず手にした心臓を落としそうになって慌てて抱き留める。今度は潰しそうになって慌てて力を弱める。何で急に目覚めたんだろう。


「ちょっと沖田さん、そこは人口呼吸してくれるところじゃないんですか?」

「は?」


 シルアの言葉は要領を得ない。とっさに何を言っているのか理解出来ずに私は困惑する。

 が、シルアは落胆した表情で続ける。


「私と一緒に戦った愛しのシルアはもう死にそう、でも心臓は渡せない……だったら人口呼吸して起こすしかない! ってなるところでしょう普通。何で心臓の方渡そうとしてるんですか!」


 しゃべっている途中に苛々してきたのかいつものちょっと強気な感じの口調に戻ってくる。何を言ってるんだこいつは。

 私は呆れるやらほっとするやらで感情がぐちゃぐちゃになっていくが、とりあえず初めに思ったことを口にする。


「だって毒って人工呼吸でどうにかなるものじゃないでしょ」


 ていうかそんなことしたら私まで毒にやられるんじゃ。でも、その後心臓を食べて全部治るからいいのかな。よく分からない。

 というか死にそうに見えた割に元気だな、シルア。


「いやいや、だからってそんな簡単に心臓を他人に渡しちゃだめでしょう。せっかく手に入れたのに。もっと自分を大事にしてくださいよ。沖田さんの寿命なんかもらっても全然嬉しくないですよ」

「何で自分を騙そうとした相手に怒られてるのか分からないけど、何かごめん?」

「あーあ、せっかくキス、いや、人口呼吸チャンスだと思ったのに。期待して損しました」

「それは知らないけど」


 そこで私の中に疑問が湧き上がる。


「ところでシルア、毒は大丈夫なの? なんか今すごく元気そうだけど」

「ごほっ、ごほっ、あー、死にそう。人口呼吸されないと死ぬー」


 急に三文芝居を始めるシルア。

 よく分からないけど大丈夫そうだということは分かった。昨夜の件があってから、悪い意味で開き直ってるな。


「はいはい。でもさっき脈をとったときはあんなに弱々しかったのに」

「隠密の訓練を受けた者は気配を消すために脈を遅らせることも出来るんですよ。まあ出来る人はかなり少ないでしょうけど」

「いや、そんな奥義をこんなところで使わないでよ」


 まあ、龍に狙われて無事である以上自分の身を護るのにもそういう技を使ってはいたんだろうけど。


「沖田さんの唇を手に入れるためなら奥義でも何でも使いますよ」


 シルアは当然のように言う。相変わらず彼女の価値観はよく分からない。


「え、もしくて三文芝居のためだけに死にそうな振りしてたの?」

「まあ、そうですね」

「ちょっと! 本気で心配しちゃったんだけど! あーあ、心配のし損だ、これじゃ」

「すいません、まさか心臓をくれるとは思わず……」


 私の行動は本気で予想していなかったようで、珍しくシルアは本気で申し訳なさそうにしている。


「別に、そんなことしなくても欲しかったらあげるのに」


 私はすっとシルアの唇を奪う。

 途端にシルアの顔が真っ赤に染まる。私に薬を盛ろうとしたこともあった癖に随分うぶな反応だった。


「ちょ……いきなり何してくれてるんですか! 他の女にもこうやって気軽に唇あげてるんですか!」


 火照った顔でシルアが抗議してくる。いや、他の女と言われてもシルアみたいに奇特な女はそうそういない。


「何で私がキレられてるの!? する訳ないでしょう!」

「そ、そうですか……それは良かったです」

「その生々しい照れ方やめて」


 こうして色々あったけど私は心臓を手に入れたのだった。

 周囲は七つ首の竜により荒廃していて、私たちは二人ともぼろぼろ。余韻もクソもない状況だったが、これ以上時間が経つとどんどん名残惜しさが増していきそうだった。


「じゃあ、シルアがまた変なこと企まないうちに私は帰るよ」

「そうですね。もっといて欲しいところですが、そしたらまた変なことを企んでしまいそうなので」


 そう言ってシルアは私から目を背ける。その声は少し鼻声になっていて、私の方も思わずしんみりしてしまう。彼女とももう会うこともないんだと思うと様々な感情が体中を駆け巡っていく。


 そう言って私は心臓を口に入れる。変な味でもするかと思ったが、意外なことに驚くほどの無味だった。心臓は口の中で溶けていき、私の中に温かい感覚が広がっていく。


「じゃあ、お元気で」

「何言ってるんですか。その言葉そっくりそのまま返しますよ」


 最後のシルアの言葉はことさらにぶっきらぼうだった。

 その言葉を最後に私はこの世界での意識が途絶えた。




「あーあ、シルアがガチで瀕死になってれば彼女に心臓を使って今回も帰れなかったのになー」


 悪魔は他人事のように言う。さすがに人の命をそういう風に言われるとカチンと来るが、悪魔なので仕方がない。こいつにとって命も弄ぶ対象でしかなく、そのおかげで私は寿命を手に入れたのだから。

 それに悪魔が残念がっているということは今度こそ私は無事帰れるということだろう。


「とにかく、私は健康を取り戻したんだよね? じゃあ早速帰りたいんだけど」

「まあいいか。こちらも十分楽しませてもらったしね。次はさらに楽しい仕掛けを考えておくよ」

「出来ればもうあなたとは関わらないですむといいんだけどなあ」

「そうか、じゃあ他の人をもっとひどい目に遭わせようかな」


 悪魔は意地の悪い目で私を見る。

 そういうふうに言われると私が嫌な気持ちになることを見透かされているようで、なおさら嫌な気持ちになる。


「そ、それは困るかも」

「じゃあまた君を呼ばせてもらおうかな。とはいえ今回は君の健闘に免じておめでとうと言わせてもらうよ」

「嬉しくない」

「では拾った人生、いや勝ち取った人生、せいぜい有意義に生きてくれたまえ」

「あなたに言われなくてもね」


 こうして私は目を覚ましたのだった。

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病弱剣道少女の異世界転移 今川幸乃 @y-imagawa

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