決戦Ⅱ

 そこでふと私は気づく。今私は龍の首の根本にいる。必然的には目の前には龍の巨体がある。このまま胴体を攻撃すればいちいち首を全部落とさなくても大丈夫なのでは? 胴体にとりついていれば息で攻撃することもなくなるのでは?

 そう思った私は龍の鱗に手をかけて胴体によじ登る。そんな私の方に残った三つの首が向かってくる。そして毒を受けた首の根本にかみついた。


「!?」


 龍牙一閃、堅牢な鱗に覆われていたと思われる龍の首も一瞬で切断される。あれは人間が毒を受けたとき手や脚を斬り落とすのと同じ種類の行動なのだろうか。

 私が呆然としていると一つの首が大きく口を開き、地に堕ちた首をぱくぱくと食べ始める。あれは何の首だったか。そう言えば遠くから一度だけ見た気がする。あの首が吐いていたのは紫色の霧だった。もしかしてあれは毒の首なのだろうか。だから毒を受けた首を食べることも出来る。


 すると、奇妙なことが起こった。龍の鱗がじんわりと紫色に変色していくのである。この毒々しい色は先ほど首から吐かれていた霧の色と同じであった。もしや龍は毒を受けた首を食い、毒性を強めたのだろうか。反射的に私は龍の身体から離れる。

 もし龍が毒を受けたことで毒を操る力を手に入れたのだとすれば今度は他の手で首を落とさねばならない。それに、紫色になりつつある鱗にしがみついていて無事とは思えない。


 そう言えばシルアは無事だろうか。私も他人の心配をしている余裕はないけど、先ほどの稲妻の攻撃を受けていないといいけど。それに龍の首二つを同時に仕留めた手際は鮮やかだった。彼女を頼りに思ってしまうのは癪だったが。


 私が龍から距離をとっていると残った三つの頭がこちらを向いて口を開く。三つとも、口の中が紫色の霧に染まっていく。そういう生物なのか。仕方がないので私は近くの民家の影に隠れる。


 龍が毒霧を吐くが今回は風圧で民家が倒壊する兆しはない、と思っていると民家がみるみる紫色に染まり、朽ちた木が自然に倒れるようにくしゃりと倒壊した。そして、倒れたところから紫色の霧が流れてくる。私は身をかがめるが、頭上を流れていく霧はふんわりと漂いながらこちらに流れてくる。


 そうか、今までの吐息はまっすぐ飛んでくる攻撃だったけどこれは拡散する攻撃なのか。慌てて顔を袖で覆うものの、鼻から霧が入り込んで鼻の奥がツンとしたかと思うと私は盛大にせき込んでいた。


「うぇっ、げほっ、ごほっ」


 ふと私の顔を覆っていた袖が毒のせいだろうか、溶けているのが目に入る。


「うわあ」


 が、袖がぼろぼろになっているのに反して私の皮膚は健康そのものである。毒気が直撃したからでないせいとも言えるが、悪魔の言葉を思い出す。私はこの世界の毒には全般的に耐性があるのかもしれない。


 私は意を決して、多少毒霧に触れることも厭わずに身体を起こして走り出した。幸い、毒霧が目くらましになって龍からはこちらを視認出来ないはず。辺りを見回すと石で出来た窯のようなものがあった。鍛冶場だったのだろうか、建物はすでに倒壊して丈夫な石造りの窯だけが残っている。私はとっさにその中に駆け込んだ。


「沖田さん…」

「うわひゃあっ!?」


 突然窯の奥からささやくような声がして、思わず私は思わず間抜けな声を上げてしまう。

 思わず声のする方を見ると窯の壁だと思われた部分が盛り上がりシルアとなった。完全に気配を殺して潜んでいたのだろう、全く気付かなかった。

 あちこちにかすり傷を負い、稲妻を多少受けてしまったのか焦げた臭いもするが元気そうではあった。シルアは驚く私を見て憮然とした表情をする。


「沖田さん、魔物を見た時でもそんな悲鳴上げなかったですよね?」

「いや、完全に気配と同化してたから。私でも気づかないってなかなかないよ」


 私も他人の気配を察知することにはそれなりの自信があったけど。この能力が私のために使われたことに心の底から感謝する。シルアは立ち上がると私の身体を舐めるように見る。


「沖田さん、やっぱりスタイルいいですね」


 ふと自分を見下ろしてみると、戦闘のあれこれや毒霧のせいでところどころ服が破れて肌が露出している。我ながらひどい姿だ。


「気づかれてないんなら不意打ちして襲い掛かれば良かったです」

「斬るよ」

「冗談ですよ。ところで沖田さんは毒に強いんですよね。ここに私お手製の毒消しがあります」


 そう言ってシルアは粉末の入った紙袋を見せる。


「これを使えばあの鬼殺しですら半殺しぐらいになります」


 半殺しも嫌だけど。


「それでどうしろと?」

「これを水に溶かして頭から被れば、龍の毒気にも勝てるかもしれません」

「なるほど。火事のとき頭から水を被って救助に行くみたいな感じだね」

「まあそうですね」

「でも近づいたとして、どうする? もう毒は効かないし、私が本気出しても剣だけで頭を斬り落とせるとは思えないけど」

「そこでここに消毒薬があります。相手が毒性の生き物なら今度は消毒薬を剣に塗れば弱点になるかもしれません」

「なるほど」


 分かるような分からないような話だが、シルアは私より毒に詳しい。もとより、薬に頼らずとも私の剣技だけで斬り伏せる気で臨めばいいという話でもある。


「分かった」

「じゃあ早速この水を頭から被ってください」


 シルアはすでに毒消しを溶かした水を作っていた。

 が、シルアの目は龍と戦っていることとは違う種類の興奮に包まれているように見える。私は不穏な気配を察した。


「はい、後ろ向いて」

「ちょっ、何でですか! 沖田さんの服が透けて水がしたたるなまめかしい姿を見たら私もやる気百倍ですよ!」

「シルア、出会ったころとは違う方向性でいい性格になってきたよね」

「ありがとうございます! 褒めていただいたのに免じて後ろ向いときますよ」


 結局、私はまだ生え残っていた木の後ろに隠れて水を浴び、龍の方へと走ったのだった。後に聞いたところによるとシルアは鏡を使って後ろを向いたまま私の濡れ姿を見ようとしていたらしい。恐るべき執念であると言わざるを得ない。


 さて、全身水浸しになった私は近くの民家から分厚そうな毛布を拾ってくるとそれを羽織る。羽織ってから毛布の方を水に浸せば良かったと後悔するが時すでに遅し。私は毛布を被ったまま龍の方へ向かっていく。シルアからの変な視線を避けたかったというのもあるが、毛布の方が薬をたくさんしみこませるのにいいと思ったからだ。


 さっきまで私の濡れ姿を見ることしか考えていなかったシルアは姿を消したかと思うと遠くから龍に向かって礫が飛んでいた。龍の注意がそちらに向き、毒霧が吐き出される。その隙に私は龍へと距離を詰める。


 三つ残っている頭のうちの一つが私に向き直り、毒を吐く。肌がぞわぞわして危険だと直感が告げるが私は意を決して龍の首に一直線に走っていく。霧にふれた毛布はすぐにぼろぼろになって吹き飛ばされていく。毒霧が私の身体に直接触れて皮膚を焦がすような痛みが走る。鼻の奥がツンとして吐き気がこみあげてくる。


 しかし、それだけと言えばそれだけだった。木造家屋でさえ溶かしていく霧に飛び込んで大丈夫というのはシルアの薬がすごいのか、私の体質がこの世界でよほど特殊かのどちらかだろう。


 気合を入れて吐き気と痛みに耐え、私は龍の首の根本に到着する。予想外に私が倒れないことに慌てた龍は私を牙で両断しようと首を伸ばしてくる。

 龍の鱗でさえ一閃する牙と撃ち合って勝てる訳はない。


 だから、やるなら一瞬。

 牙が当たるより早くに龍の鱗を貫かなければならない。

向かってくる龍の頭に向けて神経を研ぎ澄ませる。ごつごつした鱗。血走った目。禍々しい霧を発し続ける口内。剣よりも大きくて鋭利な竜牙。それらが完全に視認出来るぐらいまで近づいてくる。


「ここだ!」


 私はこめかみの辺りに向けて突きを繰り出す。急所だけあって堅牢な鱗で守られており、腕に激痛が走る。

 が、間髪入れずに突きを繰り返す。ぐさり、という鈍い感触とともに剣がこめかみに沈み込み、牙は私の目の前で制止し、やがて崩れ落ちた。


「あと二つ」


 鱗は堅牢で突いた私の腕も痛むし、気を緩めると毒霧の吐き気と痛みにやられそうになる。

 が、左右から二つの首がこちらに迫る。浅い斬撃を浴びせたところで意味はない。ふと足元に今さっき倒したばかりの龍の首が転がっているのに気づく。口はちょうど人一人丸のみ出来そうなくらいに開いている。


 ならば。私はとっさに口内に飛び込む。死によって毒を分泌しなくなったのか、意外と居心地は悪くない。そんな私を死体ごと一閃しようと牙が迫る。


「!?」


 私は思わず体を喉元に突っ込む。直後、いきなり私の目の前が明るくなる。口の辺りは牙により一閃され、私が潜り込んだ喉元だけが残る形となった。

 が、攻撃を終えたところで龍の頭が正面になる。


「うおおおおおおおお!」


 私の突きが龍の脳天を襲う。同じ場所を正確に三度。突きは頭蓋骨を貫き、脳を直撃する。断末魔の悲鳴を上げてその首も絶命する。残った首は一つ。私に向かって他と同じように牙を構え、毒霧を吹き付ける。


「まだやる?」


 そこで私の身体から凄まじいばかりの殺気が放出された、のだろうか。不思議なことに龍は一瞬だけしり込みした。

 死闘の末に私は龍ほどもたじろがせる殺気を会得したというのだろうか。この好機、逃す訳にはいかない。


 次の瞬間、私の剣は龍の口内を舌ごと貫いた。剣を抜くと龍は苦悶し、やがて絶命した。


「ふう、やっと全部終わった……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る