金貨の重み
さて、私も商人を追いかけようかな、と思ったときだった。広場で天を仰いでいた金貨三十一枚の男が私の方を見た。これは嫌な予感がする。何となく私はそう思った。
「そこの旅人のお二方!」
私がその場を去る前に声をかけられてしまう。正直、この男と下手に親密になってしまうのは嫌だ。なんせこいつは実をめぐって争うライバルなのだから。
が、男はそんなこととは知らず疲れ果てた目をしながらこちらへよろよろと歩いてくる。ちょっと無視して去っていくことは出来ない。私は仕方なく答えを返す。
「何でしょう?」
「見たところお二方ともかなりの使い手とお見受けします。そこでお願いがあるのですが、あの商人を殺して実を奪ってきてもらえませんか?」
「何言ってるんですか。冗談はほどほどにしてください、私たち初対面じゃないですか!」
そう言いつつも私は男の目が本気なのを感じていた。頼むから私の断るという意志を察してさっさと諦めてくれないかな。どれだけ頼まれても依頼を受ける訳にはいかないし、泣き落としにでも遭ってしまえば辛くなるだけだ。
「ですが、あなたはかなり腕が立つようにお見受けしますし、こちらの方は人を斬ったこともあるような雰囲気がします!」
そう言って男は私とシルアを順番に見る。シルアは男の言葉に一瞬表情をこわばらせたが、特に否定も肯定もしなかった。
「いや、そういう問題じゃ……」
「さっきのあの商人のやり方を見ただろ! このままではいたずらに実の値段がつり上がってみんなが不幸せになるだけだ!」
男は激高して叫ぶ。私が何から反論したらいいか分からずに困っていると傍らのシルアが口を開く。
「それで、あなたは私たちに金貨を何枚払うんですか?」
「……十枚」
男は目をそらしながら答える。
途端にシルアの目がつり上がる。
「ちょっとそれ馬鹿にしてるんですか! 実は金貨三十一枚の価値があるんですよ、そんなはした金で依頼を受けるぐらいなら商人を殺しても実は私たちのものです!」
「いや、三十一枚でもやらないからね?」
シルアの言葉は男を拒絶させるための方便だと思っているが、一応釘を刺しておく。
「だろうな……ああ、さっきは勢いで金貨三十一枚なんて言ってしまったが本当はそんな金貨ある訳ないんだ。くそ、娘は助からないだろうな。あいつのせいでみんなが不幸になるんだ……」
そう言って男は落胆した様子を見せる。本当に落胆しているのか、私の同情を惹こうとしているのかはよく分からない。とはいえ、仮に前者だとしても私の気持ちは変わらない。
「私は部外者だからこんなことを言うのもなんだけど、人には皆寿命がある。それに無理に抗おうとするよりも、残された時間をどう使うかの方が大事じゃないかな」
なんて、悪魔の力を借りて天命に抗っている私が言ってもお笑い種だけど。
ただこれだけは言える。悪魔に会う直前、病死を控えていた状態のときでも私は同じことを言ったはずだ。少なくとも私は商人から実を奪い取ってまで寿命を延ばしたいとは思わない。
「寿命? そんなもの認められるか! 自分の命ならいざ知らず、大切な娘の命なんだ! 俺は絶対に諦めない!」
男の目は血走っていた。
私は走り去っていく男に何の言葉もかけることが出来なかった。言われてみれば私の場合は自分の命だから自分で納得出来るけど、もし他人だったらどうだろうか。家族やまだいないけど恋人だったら。
が、想像してみてもすぐに答えは出来なかった。
「気持ちは分かりますけど、いきなり部外者にあの報酬でこんなこと頼むなんてどうかしてますね」
シルアは呆れ顔だ。呆れ方はどこまでも打算的だけど。
「さっきは助け船を出してくれてありがとう」
倫理的な論点で男に反論するのは難しい。だからシルアはあえて金銭的な理屈で男に反論してくれたのだろう。
「いえ。単純に、損得勘定を判断の基準にすると生きるのが楽だということですよ」
「そうだね。あーあ、さっきの男も最後に金貨で娘さんにおいしいご飯でも食べさせてあげたりしてくれるといいけど」
とは言いつつも残念ながらそんな風には見えなかった。こういう時、すぐに諦めるのは薄情なのだろうか。大切な人のためなら犯罪に走ることも辞さない方がいいのだろうか。本来はだめだけど、相手が悪人の時だけ許されるのだろうか。
色々なことを考えてみるが答えは出ない。
「……当初の予定通り、オズワルドを追いかけましょうか」
私が暗い気分になったのを察したのか、シルアが気分を仕切りなおそうとしてくれる。
「そうだね、そうしよう」
オズワルドの一行はたくさんの荷物が載った馬車を曳いているため遠目からでもすぐに分かった。商人だけあって移動速度はゆっくりだったため、私たちは村から出てすぐにオズワルドに追いつくことが出来た。
「すいませーん」
私が声をかけるとオズワルドは私を振り返る。
「おや、あなたは確か……先ほど広場にいた旅の方ですな」
ほう、あんなやりとりをしつつもちゃんと周りには気を配っているのか。私は少し感心する。まあ、そのくらいでないと闇討ちとかに遭いかねないからかな。他人の恨みをかうというのはそういうことでもある。
「その通りです。実は私、金貨三十枚以上の仕事を探してまして。商人さんならご存知でないかな、と」
「金貨三十枚ねえ……」
オズワルドはそれを聞いて何かを察したようだった。
「ちなみに何が出来る感じですか?」
「剣なら人相手には負けません」
そこまでの自信はなかったけど、金貨三十枚の仕事をもらうためには多少の誇張も必要と思って断言する。
一瞬、「剣ならここにいる護衛全員より強いです」と言おうかと思ったが自重する。そう言ったらどうなるのかはちょっと興味があるけど。
「ほう……とはいえ私は商人。そこまで剣の腕は必要としていません。一応ここらで出没する熊の皮は都に持っていけば高く売れます。一頭につき金貨一枚で買いましょう」
オズワルドは愛想笑いを浮かべながら言った。
「なるほど、熊を三十頭狩ればいいんですね?」
「そ、そういうことになりますね」
オズワルドは愛想笑いを浮かべながらも引いている。金の勘定が出来ない馬鹿娘を黙らせるための方便で、まさか私が本気にするとは思わなかったらしい。
かなり引いているのにそれを隠す愛想笑いを浮かべるのはさすがというべきか、凄腕商人の愛想笑いの上からでも透けて見える引き加減がすごいというべきか。
ちょいちょいとシルアが私の袖を引っ張る。
「何?」
「何、じゃないです。熊三十頭も狩るなんて無理ですよ。大体、世の中そんなに熊だらけだったらこの近くの村みんな滅びてます」
そう言われるとぐうの音も出ない。
「……山奥とか探したら見つからないかな?」
「いないと思いますよ。でも、とりあえず一頭狩って私への借金返済と今後の路銀にあてましょう」
「ごめん、そうだったね」
金を稼ぐ以前の問題だった。
そうなると三十一頭、いや、さっき金貨三十一枚になったから三十二頭以上狩らないといけないのか。先が遠すぎる。
「では、私はしばらくこことアレク村を往復してますので」
オズワルドはそう言って手を振る。実を欲している人が何人いるか知らないが、一人を除いて全員が諦めるまで値を吊り上げてから売るつもりなのだろう。村を往復するだけで売り上げが金貨数枚単位で増えていくのだからすさまじい。金貨一枚当たりの価値はよく分からないけど。
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