守銭奴
翌日、私たちが宿で朝食を食べていると(シルアは金額らしきものをメモしていた)、宿の外が騒がしくなった。
「何かあったんですか?」
私は隣で朝ごはんを食べている旅人に聞いてみる。
「例の生命の実の商人が来たんだよ」
「え、本当に!?」
私は思わずテーブルに手を突いて立ち上がる。
が、彼の反応は冷ややかだった。
「お嬢ちゃんも興味あるのか? だがどうせまともに売ってはもらえないと思うがな」
とはいえ、だからといって手をこまねいている訳にはいかない。
私は慌ててスープを飲み干してパンを口に詰め込む。
「ちょっと、ご飯ぐらいゆっくり食べましょうよ」
「シルアは後からでいいよ」
「誰がお金だしてる朝ごはんだと思ってるんですか」
シルアは口を尖らせながらも目の前の朝食を口に詰め込むと追いかけてきた。
宿の外に出るとちょっとした人だかりが出来ていた。この宿は村に一つしかない宿なので旅の人は皆泊っていく。そのため、宿の前には旅人向けの店が並ぶちょっとした広場があるのだがそこが今日は混んでいた。
人だかりの中心にいるのは高そうな服を着た商人。彼の後ろには武装した護衛が六人も立っている。商人はがっしりとした体つきをした四十前後の壮年だ。良く言えば顔つきに貫禄があり、悪く言えばあくどい顔つきである。
一方、商人の前には客と思われる男が二人、女が一人。そんな彼らを囲むように野次馬の輪が出来ている。野次馬の間にはちょっとした緊張も走っている。
そんな中、商人はやや陽気に声を張り上げる。
「さあどうしますかな? アレク村の村長は金貨三十枚出すと言ってましたが」
「そんなに出せるか! こないだは金貨十枚だったじゃねえか!」
客の一人が商人につかみかかろうとするが、さっと護衛が間に入る。
「商品はより多くの金を出すものに売られていくべき。そう私は考えますが?」
「だからといって金貨三十枚は高すぎだろ! お前もそう思わないか?」
男は唾を飛ばしながら護衛にくってかかるが、護衛の男は無表情で立っているだけだ。
「くそ、何とか言えよ! 黙ってるってことはお前もこいつに加担しているってことだぞ!」
男はなおも血相変えて詰め寄るが、商人は余裕の表情で言い返す。
「では聞きますが生命の実に金貨三十枚の価値はないと言いたいのですか? 寿命が延びるのであればもっと大金を積む価値があるという方もいると思いますが? そしてもし本当にぼったくりだと思うなら買わなければいいのでは?」
「いや、そういうことではないが……」
途端に男は弱気になる。命の重さを金銭に変換すること自体に無理があるのだから当然の反応だろう。ただ、人が持っている金銭に限りがあるから自然に相場というものが生まれてくるだけで。
そしてその相場というのも、生命の実のような稀少な存在の前では意味がないかもしれない。金貨を百枚持っている人が不治の病にかかれば相場は金貨百枚になるし、金貨三十枚持っている人しか病にかからなければ相場は三十枚になる。
逆に言えば金持ちが皆自分の寿命に満足していれば、大した値段にはならないかもしれない。
「悩むということは金貨三十枚という価格は妥当かもしれないということでは? 勝手に安く買えるかもしれないという希望を抱いておいて、それが裏切られて怒るのは筋違いなのではないですか?」
「う……」
口達者な商人に男は完全にやり込められている。それに本質的に商人が自分の商品にどんな値段をつけようと本人の自由だ。この分だと無一文どころか借金中の私の出る幕はなさそうだ。そんなことを考えているとシルアが私の耳元に口を近づけてくる。
「ねえ、あの商人襲ってしまいませんか? あいつなら襲っても怒られなさそうだしあの程度の護衛、私と沖田さんなら余裕でしょう?」
これが悪魔のささやきか。一瞬シルアがあの悪魔にだぶって見えた。
確かに商人の護衛は武装しているけど、腕はどうだろう。例えば私が彼らの注意を惹きつけている間にシルアが盗む、というようなことは出来るかもしれない。
実を手に入れれば私の病気は治り、今日本に帰ることが出来る。シルアの言葉に私の心は少し動いてしまう。
「そんなこと言わないでよ、本当にそうしたくなっちゃうでしょ」
「しないんですか? この前はけなげな少女が病気の母親を助けるって話だったから奪うことは出来ませんでした。でもあの商人から実を強奪してもそんなに良心は痛まないでしょう?」
「あの商人を襲うことに良心は痛まないけど、他人を襲って物を奪うのは強盗と一緒だよ」
「強盗かそうじゃないかって自分の命に比べたらどうでもいいことじゃないですか?」
シルアの表情は真剣だった。確かにそういう考え方はあると思う。世の中の強盗も皆それぞれ仕方ない事情はあるだろう。突き詰めて考えてみると分からなくなってくる。理屈の上ではあの商人から実を盗むのは悪くないかもしれないし、例えば目の前で知らない人がそれをしたら私は止めるだろうか。
ただ、私は何となくそれをする気にはならなかった。
「うまく言えないけど……どうでも良くはない」
「そうですか」
そうは言いつつもなぜかシルアはほっとした様子だった。もしかしたら露悪的なだけで本当はいい娘なのかもしれない。だから私が悪の道に進まなかったことに安堵してくれている、ということだったらいいなと思った。
しかし盗まないとしたらどうしたものか。このままここに入っていって商人に金貨三十枚稼げる仕事をくださいなんて言ったら私まで責められそうな雰囲気だ。強盗をしたら喝采を浴びそうで(浴びないかもしれないけど)、普通に話をしにいったら責められるというのもおかしな話だけど、とりあえずこの場が終わってからにした方が良さそうだ。
「……ちくしょう、金貨三十一枚だ!」
男の絶叫が響く。まずい、悠長にしている間にどんどん値段が上がっていく。やっぱり盗むしかないのか。そんな私の焦りを見抜いたのか、またまたシルアが私の耳に口を近づけてくる。
「ねえ、趣向を変えて金貨三十二枚であいつの用心棒をするというのはどうでしょう?」
「用心棒にそんなにお金出さないと思うけど」
「腕を見せる、とか言ってあいつの護衛みんな蹴散らせばいいでしょう」
シルアはあっけらかんと言うが、全くこの娘は。
「それは遠回しに強盗してるだけでしょ」
商人の護衛と私の間ぐらいの強さの強盗が現れてくれれば金貨三十枚で用心棒に雇ってくれるかもしれないけど。当然、シルアに狂言強盗させて私がシルアを撃退するというのもなしだ。
「ばれたか」
そんなことを話していると商人は満足したのか、この広場を離れようとしている。
「ふふ、それでは他のお客様に金貨三十二枚以上の方がいないか聞いてまいります故また会いましょう」
「クソ野郎!」
「人間のクズ!」
「お前に人の心はないのか!」
男は慟哭し怒号がこだまするが、商人はそよ風が吹いた程度も動じない。広げていた普通の商品をまとめるとさっさと広場を出ていってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。