第一章 病人を救う

異世界と剣

「う……うーん……」


 目を開けると、視界いっぱいに抜けるような青空が広がっていた。周囲には私が倒れた時に周りにあったコンクリートの建物はなく、背中も固いコンクリートの感触ではなく柔らかい土の感触がある。

 気分を落ち着けるために深呼吸してみる。倒れる直前はあれほど苦しかった呼吸も今は快適だ。悪魔と会っていたときと同じで、すっかり健康な時の状態になっている。ついでに向こうでは冬だったが、こちらは初夏ぐらいなのか、少し暖かい。


 上半身を起こしてみると、周囲には見渡す限りの草原が広がっている。爽やかなそよ風とちくちくと肌を刺す草が心地いい。これが悪魔の言っていた異世界というものだろうか。空気がおいしく感じるのは異世界だからか、私の体調の変化によるものか。

 とりあえず最初に自分の姿を確認してみる。服装は最後に着ていた黒地に白の冬服セーラーのままだったが、持っていたはずのスクールバッグやスマホなどはなかった。そして私が愛用していた竹刀もなくなっている。

 代わりに、傍らにはまるでこれは私のものだと言わんばかりに一振りの日本刀が置いてあった。


「これは私の?」


 首をかしげつつも鞘を手にしてみると不思議と手の中にすっぽり収まる感覚があった。理屈ではない不思議な感覚でこれが私のものだと言われているようだ。まるで何年も使い込んでいたかのような愛着がある。

 もしかすると悪魔が異世界転生の際に竹刀を日本刀にランクアップしてくれたのかもしれない。嬉しいのかと訊かれるとあまり嬉しくないが。


「こんな物騒なもの、出来れば使いたくはないけど」


 そんなことを考えていると遠くから叫び声が聞こえてくる。かなり切羽詰まった女性の悲鳴に聞こえる。


「行くしかないか」


 私はこちらの世界に来たばかりだったものの、放っておくことも出来ずとりあえずそちらに駆け出す。

 すると背が低く全身真っ黒な背の低い人型の異形の化物たちが一人の少女を囲んでいる。皆ぼろ切れをまとっただけの半裸で手に手に棍棒を持っていた。見たこともない存在だが、ゲームに出てくる弱い敵、ゴブリンに似ていなくもない。何をしているのかは定かではないが、良からぬことをしているのは確かだろう。


「大丈夫?」


 私が駆け寄るとゴブリンたちは一斉にこちらを向く。その獲物を見るような目に醜悪な笑み。私は思わず背がぞくりとした。

 一方の少女は私に気づくと、私をすがるような目で見つめ、助けを求める。


「た、助けて!」


 少女の声は悲痛だった。こいつらはどう考えても少女に危害を加えようとしていた。そして「やめろ」と言ってやめてくれると思えない。

 私はごくりと唾をのみ込んで刀に手をかける。相手が魔物とはいえ、試合しかやってこなかった私に斬ることが出来るのか。そもそも斬ることが出来るとして、そうするべきなのか。


 が、ゴブリンたちは私の答えを待たずに手に持っていた棍棒を振り上げると、しゅーとかしゃーとかよく分からない奇声を発しながらこちらに向かってくる。

 向かってくる以上やるしかない。私は覚悟を決めて刀を構える。当然ながら竹刀と日本刀では重さや形状が違う。


 ただ、そいつらから感じられる明確な敵意に私の感覚と神経が研ぎ澄まされていくのを感じる。まるで元から日本刀を使いこなしていたかのように。

 これは私の中に元々眠っていた才能なのか、異世界に来た影響なのか、悪魔の差し金なのか、それを考えている暇はない。


 感覚を研ぎ澄ませると相手の殺気が空気と絡み合い、次の動きが見えてくる。試合の時も、集中力が極限まで高まった時は時折こういう状態があった。試合では相手は一人だが、今はゴブリンは複数いるが、その全ての動きが分かってしまう。

棍棒を振り上げて寄ってたかって殴り掛かってくるが遅い。


 気が付くと私の体は動いていた。相手の攻撃は見えているのだからそこに当たらないように動いて斬りつければいいだけだった。私は真っ黒な者たちに近づくなり刀で突く。ぐぇぇぇ、と気持ち悪い悲鳴を上げてそいつは倒れた。噴き出したのは真っ赤な血ではなく、紫色の体液だった。


 初めて化物を斬った時はさすがに一瞬ぞくりとした。


 が、次々と敵がこちらに襲ってくるのを見てその感覚もすぐに消えて私の意識は戦闘に戻っていく。そして気が付くと次の化物を斬り伏せていた。


 とにかく、私の体は目覚ましい動きを見せ、気が付くと周りには五つの人ならざる者の死体が転がっていた。無我夢中で剣を振り回していたから戦い自体は本当にあっという間だった。

 戦いが終わっても私の動悸はしばらく収まらない。しばらくの間、私は体を動かした疲労とは別のものから来るはあはあという荒い呼吸を繰り返す。


「格好いい……」


 不意に声が聞こえた方を向くと、私が助けた女の子がきらきらした目でこちらを見つめてくる。一瞬で五体の化け物を倒した私に尊敬や感謝の気持ちを抱いているらしい。


 見た目はどちらかというと日本人というよりは西洋の女の子に近い。服装も質素なワンピースだ。近くに彼女が積んでいたと思われる薬草のかごが落ちている。さっきのゴブリンといい、悪魔はゲームに出てくるようなオーソドックスなファンタジー世界を作ったのかもしれない。


 そんな彼女を見て、火照った体に冷水をぶっかけられるように、戦闘で興奮した私の気持ちが落ち着いていく。周りに誰もいなければしばらく私は昂りっぱなしだったことだろう。

 すると私の視線に気づいた彼女ははっとしたように私を見る。


「す、すみません、お礼が先ですよね。このたびは助けていただき本当にありがとうございました。あ、私、アリアって言います」


 そう言われて私は少し困る。なぜか言葉は通じているけど多分この子は日本人じゃない。やはりここは作られた世界だからある程度ご都合主義がまかり通っているということだろうか。


 だとすれば私はなんて言ったらいいんだろう。案外「悪魔に呼ばれてやってきたんですよー」とか言ったら「ああ、あなたも何ですね。最近よくいるんですよそういう方」みたいになるかもしれないが、もし「悪魔? そんなもの信じてるんですか?」みたいにドン引きされたら悲しくなる。


 結局、うまい言い訳も思いつかなかったので無難に記憶喪失ということにする。


「私は沖田霞。旅の者なんだけど、昨日頭撃ってからあんまり記憶がないんだ」

「沖田……あまり聞かない名前なんですね。確かに服もちょっと違うし、その武器も独特です。遠くの出身なんですね」

「うん……多分」


 あんまり突っ込んだことを話すとボロが出そうなので出来るだけ曖昧に話す。記憶喪失だし。


「でも記憶喪失なんて大変ですね。何か覚えてることはないんですか?」

「とりあえず、剣は体で覚えてることが分かった」


 正確に言うと私が覚えている剣とは大分違うものになっているけど。

 あと、体調も本当に全快している。元々重い病をわずらっていたことは彼女に言うことでもないが、そのことが私の気持ちをかなり軽くしている。


「旅の目的は?」


 そういえば悪魔が言っていたな。生命の実とか。少女に聞いて知っているのかな。変な顔されないといいけど。

 とはいえ、生命の実を見つけないことにはどうにもならないし最悪変な顔されたら記憶喪失でごまかせばいい。とりあえず聞いてみないことには始まらない。


「私、理由は覚えてないけど生命の実を探しているの」


 病弱なのを同情されるのは好きじゃないので、そこはぼかして話す。


「生命の実!?」


 その単語を聞いてアリアは驚いたような困ったような複雑な表情になる。何だろうこの反応は。知らないか、驚くかどちらかだと思ったけど。


「どうしたの?」

「……い、いや、珍しいものをお探しだなと」


 そしてアリアは気まずそうに眼をそらす。もしかしたら何か知っているのだろうか。それとも単に寿命が延びるというだけの実ではないとか? とりあえず私は他にも聞きたいことがあったので深くは追及しなかった。

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