第11話 異世界後遺症の癒やし方

その1

 ──オガサワラ事変。

 狭義には、強大な能力を有した帰還犯とそのシンパによって引き起こされた国家転覆計画を指し、広義には、そこから派生した数多の暴動やテロ事件、秘密工作などを含む。

 ニホン全土を巻きこんだこの人災によって、延べ100万人以上の人命が失われ、主だった都市部や港湾部の多くが破壊され、経済、物流、生産、医療などに甚大な被害を被った。

 その爪痕はいまなお各地に刻まれたままで、災厄を生き延びた人々の心に暗い影を落としている。

 政府主導のもとで復興が進められているが、首都移転を始めとする政治的・経済的復旧が優先され、被災者の生活再建支援は遅々として進んでいない。

 そのため復興の進展状況は地域格差が激しく、直接的被害が少なかったことから早々と活気を取り戻した地域もあれば、復興計画の遅れから地域住民の転出が相次ぎ半ばゴーストタウンと化した地域もある。

 また、異民局や警察などの活躍により、事変の主犯格グループの殲滅には成功したものの、全国に潜伏する下部組織すべてを根絶やしにするには至らず、混迷と動乱の種火はそこら中に散見される。

 現在、ブンキョウ区護国寺付近一帯を騒がしている騒動も、そうした種火のひとつであった。

 ブンキョウ区の北西部にある護国寺交差点は、トシマ区につながる音羽池袋線と、タイトウ区へ至る不忍通りが交差する地点であり、近くには地名の由来になった護国寺や歴史上の人物たちが眠る霊園、有名女子大学などがある。

 平日の昼下がり、奇跡的に被災を免れ、近現代の歴史の積み重ねが感じられる旧都心の一角が、ひとりの帰還犯によって騒然となっていた。

 交差点の周囲一帯は数十人の警察官と事態を見守る野次馬でごった返し、交差点内にはパトカーだけでなく、特型警備車や特型遊撃車といった特殊車両も集結し、厳重なバリケードを構築している。

「居住困難区域の非常線が突破されました! 現場は負傷者多数とのことで救援要請が入っています!」

「暴走車両は、依然、音羽池袋線を南下中! なお、道路を封鎖していたパトカー4台を取りこみ、さらに巨大化した模様!!」

「このままでは再生拠点区域に突入されます! 住民の避難が間に合いません!」

 矢継ぎ早に報告してくる部下の声は悲鳴に近かった。

 現場の指揮をとる第9機動隊隊長河東かとうそう警視は、暴走車両の来る方角をにらみつけたまま無言でうなづく。

 身長190cmという恵まれた体躯の持ち主で、隊で唯一の女性でありながら、居並ぶ男性隊員たちより頭ひとつ抜きん出ている。

 多少細身の印象を受けるものの、ヘルメットや防護ベストをまとい、危機的状況下でも毅然と振る舞う勇姿には、部下たちの動揺を抑えこむに十分な効果があった。

 だが、彼らが信奉するほど、彼女も落ち着いているわけではなかった。

(後手後手に回った結果がこのザマだ! 異研のボンクラどもが……っ)

 河東は騒動の元凶である連中に心の中で毒づいた。

 本音を言えば今すぐにもこの場から逃げ出したい。仕事にかまけて会話の機会が減っている息子のことを思うと、こんなところで死ぬなんて真っ平ごめんである。

 しかし警察官としての矜持が、彼女をこの場に留まらせた。

暴走車両ヤツの目的は不明だが、これ以上、進ませるわけにはいかん!)

 ここを突破されたら、もはや暴走車両を遮るものは何もない。無人の野を征くが如く再生拠点区域へ乱入され、ようやく再建を果たした人々の平穏な日常が破壊されてしまう。

 そんなことは断じてあってはならない。である以上、部下に逃げろと命じるわけにもいかない。

「待機中の救急隊員を六ツ又に向かわせろ。犯人と遭遇しないよう坂下通りを使え。本部にも救援要請を回しておけ。すぐに人手が足りなくなる」

 指示を受けて動き出す部下たちを横目に、河東はかたわらにいる副官に問いかける。

「異民局の連中はまだか? 出動要請はどうなってる?」

「先ほど署長の許可が下りたと連絡がありましたが、それからは……」

「確認しろ。グズグズしているようなら尻を蹴飛ばしてやれ」

「ハッ!」

 連日連夜、帰還民の奇行・犯行に悩まされている警察内部では、帰還民で構成される異民局に批判的な意見が圧倒的多数を占めるが、河東は少数派に属していた。

 といってもあくまで「毒をもって毒を制す」という類のもので、消極的中立といったところだが。

 今回の騒動の発端となる脱走事件について、河東が知ったのは2日前のことだ。上司から脱走犯の名を聞かされた河東は、その場で異民局への出動要請を提案した。

 脱走した羽勝木わかつき勝堂しょうどうは、これまでに判明しているだけで10件以上の破壊活動に関与している危険人物だ。

 それほどの凶悪犯が収監されずにいるのは、羽勝木が異術研究会議の特別研究員だからである。

 ──異術研究会議。

 内閣府の特別機関のひとつで、異世界知識の収集研究を目的とする。同会議の特別研究員に招聘された帰還民は、内閣府の管理下に置かれ、警察はもとより異民局の管轄からも外れる。

 国家の安全保障を理由に、職員の人数や施設の場所、総予算額など多くの情報が非公開となっている現代の「神域」である。

 その神域経由で、羽勝木の施設脱走の通報があったのは、発覚から3日も経過してからのことであった。その間、関係各所で醜い責任のなすりつけ合いがあったことは想像に難くない。

「我々の手に余る輩ですよ。異民局の連中に対処させるべきです。ヤツらを飼ってるのは、こんな時のためでしょ?」

 河東はそう主張したが、上司や同僚たちの反応は鈍かった。

「そこまで焦ることもあるまい? 羽勝木の使う、なんだ、錬鎔術れんようじゅつだったか。アレは材料が無ければ何もできんのだろう? なにやら作り出す前に捕まえてしまえばいい。そのためにいま所轄の連中が居場所を必死に探しとる。我々の出番はそのあとだ」

羽勝木ヤツはハミガキ粉から爆弾を作るような異常者ですよ。3日もあったら戦車だって作れるでしょうよ」

 河東は再反論したが、誰からも賛同は得られなかった。治安を司る警察官としての意地ゆえか、それとも「異民局に手柄を取られる」というナワバリ意識ゆえか。

(たぶん両方だな)

 河東はひとりごちた。同じ警察官として、異民局に対する上司たちの嫌悪感も理解できるからだ。

 だが結果として、この判断は誤りだったわけで、警察組織の中からも誰かが詰め腹を切らされることになるだろう。

 報告によれば、特別研究員用の宿舎を脱走した羽勝木は、その後、サイタマのとある復興工事現場に潜伏していたらしい。

 作業に従事していた作業員たちを殺害したあと、現場で使用されていた工事車両を使って逃走に必要な武器を作成したと思われる。

 今朝方、工事を受注した会社から「現場にいるはずの従業員と連絡が取れない」と通報が入り事件が発覚、現場に赴いた警察官が複数の遺体を発見した直後、羽勝木は自作の車両で逃走を図った。

 どこに向かっているのかは不明だが、羽勝木の乗る暴走車両は、荒川を渡ってトーキョーに入ってからはひたすら南下を続けている。

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