その8

 リンの通告を聞いてもルカは動じない。今さら言われるまでもないことだった。

「平等ってなんです? そんな大事なコトですか?」

「当たり前じゃん。じゃなきゃ正義の味方なんてやってないよ」

「正義? 正義って? ……ハ、ハハッ! ァハハハハハハハハハ!」

 夜空を疾走する飛行船の中で、ルカが突然笑い出した。それに呼応して飛行船もフラフラと蛇行し始め、嵐の海に浮かぶ帆船さながらに右へ左へと傾く。

「……なに? どうしたの? なにかあった?」

「ハハハハハハハ! だって! 正義って! ハハハ! なんだよそれ! ァーハハハハハハハ!」

 揺れ動く飛行船はいつ墜落してもおかしくない有様だったが、安定感のない船の挙動以上に、どこかヒステリックに響く笑い声に、イツキは不安をかきたてられた。

「はぁはぁ……、ふぅ~……。いやまいった、ホント。まさかそんな。は~くだらね。マジでないわ」

「大丈夫? ねぇ、ルカさん?」

「ん? ああ、ダイジョウブダイジョウブ」

 ルカが落ち着きを取り戻すのに合わせて飛行船も安定し、方角を調整しながらリンの立つ煙突に進路を向ける。

「呆れましたよセンパイ。さんざん言ってくれたけど、ズレてンのはそっちじゃないですかっ。正義って。ハハッ!」

 ルカはまた吹き出した。

 これほど笑えることがあるだろうか。人のことをヒーローごっこだ何だと馬鹿にしておいて、よく言えたもんだ。

「カンベンしてくださいよ! ガキじゃないんだからさァ!!」

 飛行船が急激に船首を下げた。地上50mほどの高さを遊弋していた双胴の巨影が、眼下の赤い光目指して一気に滑空していく。

 リンとの距離がぐんぐん狭まっていくなか、残り50mを切ったところで飛行船の船首が跳ね上がり、急上昇に転じる。直後、ゴンドラの底に備えられたミサイル型風船2本が射出された。

 ルカの思念でコントロールされたミサイル型風船は、すぐさま二手に分かれ、大きなカーブを描きながら高速で煙突へ迫る。

 そして、煙突に着弾する数m手前で自爆、吐き出された氷化ガスが左右から煙突を白く包みこんだ。

「やった!」

 真上から着弾を確認したルカが歓声をあげる。

 だが、歓喜にわいたのは一瞬のことであった。

 ガスに覆われた煙突の突端で赤い閃光が瞬いたかと思うと、わずかに遅れて白いモヤの塊が内側から爆発した。

「うおっ!?」

 一瞬で氷化ガスを吹き飛ばした爆風は、勢いそのままに上空を通過していた飛行船を直撃する。

「あう! わわっ!?」

「イツキ!? しっかりつかまってろ! クソっ……! このッ!」

 下からの強烈な熱風に煽られ、飛行船が上下に激しく揺れる。

 船体のバランスを保とうと苦労するルカのそばを、苟且霊ペクスがひらひらと飛び回る。

「炎の精霊皇の加護を受けた聖鎧膚サンクティスに、たかがトカゲのゲップごときが通じると思った?」

 飛行船を見上げるリンは、さきほどとまったく変わらない姿勢で立っていた。その背中には、赤々と燃え盛る炎が左右に広がり、まるで巨大な翼のようにはためている。

「抵抗するのはいいけど、まわりのメーワクも考えなよ? 罪が重くなるだけだからね」

「そっちこそ!」

 船体各所の姿勢制御用風船を使い分け、ルカはようやく船体を安定させた。

「正義を名乗るならやるコト逆でしょ! 加害者を野放しにして、被害者を抑えつけるのが正義なんですか!? イジメを無くすのが正義でしょ!」

「私は正義なんて名乗ってないよ。正義の味方してるだけ」

「ヘリクツだ!!」

 ルカの怒声と同時に飛行船が爆音を立てる。船体後方に設置された加速用風船2本が開放されたのだ。

 先端部のエアインテークから風船内に入った空気が、内部の特殊ガスと反応し、爆発的な推進力を生み出す。

(抜けたらこっちのもんだ! いちいち相手するまでもない。このまま島から脱出だ!)

 飛行船はジェット機にも似た爆音を上げながら、月明かりの下を爆走していく。

「逃さないって言ったじゃん」

 円柱の上でゆっくりと向きを変えたリンは、左手の神刀を飛行船の遠ざかっていく方角に向ける。

たぎり立て、赤霜ルベイナ

 折り紙の口を通してそのつぶやきを耳にしたルカは、はるか前方、島の北端にあたる海岸線のあたりで巨大な炎の柱がそそり立つのを見た。

「なにあれ!? 火山!?」

「違う! たぶん!」

 ルカはゴンドラの内側で首をわずかに傾け、後部席のイツキに向かって叫んだ。激しい空気抵抗のせいで、後ろを振り返るだけでも体力を削られる。

 奇怪な炎は地上から少し浮いた位置に出現している。そこから竜巻のように渦を巻きながら、ぐんぐんと空に向かって伸びていく。

 高さもさることながら、大きさも尋常ではない。周囲の建物と比較すると、炎の大きさは家一軒すっぽり収まるほどのサイズで、しかも徐々に大きくなっていくのが遠目にもはっきり分かる。

 さらに驚くべきことに、柱はひとつではなかった。最初の1本目を中心に、左右に1つずつ、続いてその隣に1つずつ、と見る見る増えていく。

 そして火勢が強まるにつれて柱同士が結合し、炎の壁となってルカたちの行く手をふさいでいる。

「囲む気か!?」

 炎の壁は直線に広がるのではなく、ゆるく曲線を描いていた。壁の広がる速度から計算して、今から飛行船の進路を変えても間に合いそうにない。炎の円から抜け出す前に包囲が完成してしまうだろう。

「……!」

 退路を探すルカの視界の隅に不吉な光景が映りこんだ。

 後方の夜の闇の中で巨大な炎の翼が舞っている。ルカたちの行く手をふさいだリンが、おもむろに追撃に移ろうとしているのだ。

「くそっ! なら、上だ!」

 だがすでに炎の壁は高さ200mにまで達し、まだまだ止まる気配がない。

 ルカは飛行船の船首を上げ船体をほぼ垂直状態にさせると、8本残っている加速用風船のうち6本を一気に開放した。

 天に向かって反り上がった巨影は1秒後に時速100kmに達し、夜空を切り裂いて加速し続けていく。

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