その6

「飛行船? どこにあるの?」

「今から作るんだ。出発前に見つかったらメンドウだからさ。作ったらスグ出ないと。イツキ、その格好でいいか? いちおう重ね着できるモノ持っていったほうがいいぞ」

 居間から出ていこうとするルカを、イツキは慌てて呼び止める。

「あ、待って。お弁当は!?」

「ベントウ!?」

 これから襲撃に出かけるとは思えない、のどかな印象をもたらすワードであった。ルカが呆気にとられた顔で振り返ると、イツキは慌てて補足する。

「あの、ほら、明日の朝のぶんだよ。あとできれば夜食も。ここからどのくらいかかるのか分からないけど、着いたときにはお腹すくんじゃない?」

「あー……、そっか、うん」

 ルカの予測では、目的地まで2、3時間程度かかる。言われてみるとたしかに小腹がすいてくる時間帯ではある。

「でも夜食って? 何かあったっけ? ってか、これから作るとしたら、時間かかるんじゃないか?」

「明日の朝用にシャケがあったでしょ。あれと、あと梅干しでおにぎり作るよ。今からご飯炊いて、だいたい2時間くらいでできるよ思うよ」

「そっか。なら弁当作ってからでもいいか。もともと早朝に出るつもりだったし」

「じゃあ、それまで休んでれば? 僕ひとりでも……」

「そうか? ……あ、シャケって先に焼いておくんだよな? だったらそれが終わったら、米が炊けるまでちょっと手伝ってくれないか?」

「……いいけど、なにを?」

「学校の見取り図作りたいんだ。教室の位置とか、屋上からのルートとか。本番一発勝負のつもりだったけど、イツキが教えてくれたらスグじゃん?」

「わかった」

 イツキが台所で弁当の準備を進めている間、ルカは自室から襲撃用の地図を持ち出し、それぞれテーブルの上に広げた。

 初めて訪れる場所、それも上空を移動するため、できるだけ目立つ目標が欲しい。

「見取り図を作るついでに、これらも見てもらいたいんだ。分かりやすい建物とか、風景があったら教えてくれ」

 手の空いたイツキに作業内容を説明しながら、ほかのノートや防寒用の着替えなどをリュックに詰めておく。このリュックも襲撃のために購入したものだが、少し大きめのサイズを選んだおかげで弁当くらい余裕で収まる。

 ちょうどルート確認の作業が終わったところでご飯も炊き終わった。必要な材料をテーブルに並べて2人で片っ端から握っていくと、20分とかからず炊飯器が空になった。

「あとは詰めるだけだし、僕がやっておくよ。その間にルカさんは飛行船を作り始めたら?」

「そう? じゃあ頼むよ、ありがとな。終わったら庭に来てくれ。こっちはそんな時間かからないから」

 イツキを居間に残し部屋を出たルカは、庭先まで下りてきたところでひとまずリュックを壁際に置き、素朴な作りの庭内をぐるりと見渡す。

 前日に庭の面積や花壇の位置などを細かく計測し、作業を行うのに十分な広さがあることは確認している。

「さて、じゃやるか」

 これから作成する飛行船は、複数種類のパーツが複雑に絡み合うため、普通の風船を作るよりはるかに難易度が高い。

 通常の方法だと、各パーツの素材や形、組み合わせなどイメージすることが多すぎて、集中力が維持できない。

 そのため、こうした大掛かりなモノを作るときは、「貯記憶メレウム」を利用する。

 これは、魔法の行使に必要な詠唱や動作を記憶にストックすることで、いつでも自動的に再現できる能力である。

「ストックできるのは完璧に習得した魔法だけ」「ストック数に応じて日常生活での魔力の消費量が増える」などの制限はあるが、魔法を使う者ならば誰しも身につけておいて損はない。

 むしろ2つ目の異世界では常識であり、魔法の適性に優れている者ほど強大な魔法を数多くストックしていた。

「はぁ!? アンタ、そんなメンドーなことしてたの? バカなの? そんなまどろっこしいことしてたら、いざってときに使いモノにならないじゃない!」

 そう言ってルカに「貯記憶メレウム」を叩きこんだ魔族の王女は、20以上の魔法をストックしていたようだが、もともと魔法の素養の無かったルカだと5、6コがせいぜいである。

 その貴重な枠のひとつをルカは飛行船に当てていた。

「2ケタ目標にガンバったけどゼンゼンだったなあ。やっぱ向こうの人とは脳の仕組みとかが違うのかな」

 などと独り言を言ってる間にも、ルカのイメージ通りの飛行船が形を成していく。

 魔力の消費量は変わらないが、別のことを考えていても魔法が中断されないのは便利このうえない。

 そして作業開始から十数分後、飛行船が完成した。

「やっぱギリギリだったな。庭が広くて助かった」

 見上げるルカの視線の先では、星空を背に黒い影が浮いている。2頭の黒鯨が寄り添うように見えるそれは、双胴式の飛行船であった。

 細長の船体はおよそ全長40m、最大幅4.5mあり、2つの船の中心にはおよそ全長5mほどのゴンドラが吊り下げられている。

「イツキ、まだかかりそうかな?」

 アパート2階の窓にかかったカーテンの隙間から居間の明かりがこぼれている。イツキがまだ部屋に残っているということだ。

 夜中とはいえ、いつ誰に見られるとも限らない。ひと目に着く前に出発したい。

 ルカは小走りで階段を駆け上がると、玄関口から室内に呼びかけた。

「イツキ、まだかかりそう? こっち終わったんで、できれば早く出たいんだけど」

「ごめん! すぐ行く」

 部屋の奥のほうでバタバタと音がしたあと、イツキが弁当の包みを抱えて走り出てきた。

「ごめん、適当な入れ物が見つからなくて」

「いいっていいって。急かせてごめんな」

 イツキが差し出した紙袋を受け取ると、ルカはイツキを先に行かせてドアに施錠する。

「すごい……!」

 階段を下りて庭まで出てきたイツキは、星明かりの下で揺れる黒影に目を奪われた。

「すごいね、飛行船をこんな近くで見たの初めて。こんな大きいんだね」

「ホンモノはもっとでかいぞ。コレ2人用だからな」

 壁際のリュックを拾い上げたルカは、弁当の紙袋を詰めながらゴンドラに歩み寄る。

「上の大きな風船に、小さい風船がいくつもついてるけどあれはなに?」

「船体、あー、あの上に並んでる2本の風船な、そっちについてるやつは緊急用。急に方向変えたり、加速したりってときに解放するんだ」

「加速? この飛行船ってどのくらいのスピードなの?」

「通常だと時速30~60kmくらいかな。最大まで加速したらたぶん音速超える」

 時間がないと急かしておきながら、ルカは飛行船の機能について詳しく語りだした。自信作をイツキが褒めてくれたのがよほど嬉しいのだろう。

「音速!? エンジンもないのに!?」

「ちゃんと測ったわけじゃないから『たぶん』だけどな。船の先っぽにツノあるの分かるか?」

 ルカに言われて注意深く観察すると、2つの船体とゴンドラ、それぞれの先端に短い突起がついていた。

「アレ、斬雲鶻ファルペレってモンスターのツノなんだけど、風の抵抗を減らす効果があるんだ。見た目こんなだけど、そのへんのスポーツカーよりゼンゼン早いぞ。あとついでに言っとくと、ゴンドラの底についてるのはミサイル的なヤツな」

 イツキは身をかがめてゴンドラの底をのぞきこんだ。丸みを帯びた舟底部の前方と後方に5本ずつ、長さ1mほどの風船がついている。

「中に氷喰鱗蜥グララケルス、なんでも氷にしちゃう魔法のブレスをはくトカゲなんだけど、そのガスが詰まってる。ガスの効果はすぐ切れちゃうけど、1発で10mくらい巻きこむから結構ハデだぞ。異世界むこうでさ、空の上から敵に撃ちまくって、平原を氷の彫像だらけにしたこともあるんだぜ。見せたかったなあ」

「……」

「と、そんなコト言ってる場合じゃなかったな。イツキは後ろに乗ってくれ。ここんトコ、引っ張れば広がるから」

 船体の下に吊られたゴンドラには、直径10cmほどの穴が2つ開いていた。とても体が入る大きさには思えなかったが、ルカに言われるままイツキが手をそえると穴は簡単に広がった。

「こっから入って、両足を広げて、そうそう、またがる感じ」

 穴の中の搭乗席はバイクのシートを思わせる形状をしていた。

 身体をねじこんだあとお尻を奥の方へつきだすと、さきほど穴をふさいでいたカバー部分が掛け布団のように背中を覆って全身を包みこむ。

「足を入れる穴わかるかな? そこに足をつっこんで、それから前のくぼみを両手で抱えこむと身体を固定しやすいぞ」

 イツキが穴の中で姿勢を整えるようすを確認しつつ、ルカは穴の少し前のあたりを手の甲で叩いた。

「穴の下からこのへん見てくれるか? 左右にボタンあるの分かるかな?」

「あ、うん、あるね、分かる」

 ゴンドラの内側に身体を沈めた状態で「天井」を見上げると、音のした位置にボタンがあった。

「右側を押すと、周りのエアバッグに空気が入るんだ。ちょっと押してみてくれるか」

 指示されるままイツキが右側のボタンを押すと、かすかにシューという音がして、背中や左右の壁が膨らみ始めた。

「それシートベルト代わりなんで、飛んでる間は苦しくない程度にしっかり固定してくれな。落ちたらヤバいから。降りるときは左側を押せばいい。それで空気が抜ける」

「わかった。大丈夫、だと思う」

 イツキが座席に収まったのを見届けると、ルカも前方の座席に乗りこんだ。

「よし、じゃ、行くぞ」

 ルカがそう言うと同時に、地面にゴンドラを固定していた風船が破裂し、双胴の巨影が音もなく浮き上がり出した。

「うわあ……」

 寝静まった町を見下ろし、イツキが感嘆の声をもらす。

 飛行船全体が真っ黒に染め上げられているなか、搭乗席のごく一部、ちょうど頭のある位置だけがガラスのように透明になっていた。

 夜の闇の中、路上の街灯と家々の窓からこぼれ出るわずかな光だけが地面を照らす。

 さえぎるもののない高所から、少しずつ遠ざかっていく地上の明かりを眺めていると、まるで夜の海を泳いでるかのような感覚になる。

 イツキが夜の町を見下ろし感動にふけっている間、ルカは細心の注意を払って飛行船をコントロールしていた。

 家屋にぶつかったり、電線に引っかかったりしないよう、船体の各所に設けられたノズルで微調整を行いながら、ゆっくりと高度を上げていく。

「そろそろいいかな」

 高さ50mほど来たところで、ルカは緊張を解いた。低層住宅が主流の24区では、これほどの高さに到達する建物はめったにない。

 あとは加速しながら上昇していけばいい。

 だが、ルカが意識を集中し、加速用風船の栓を開放しようとしたとき、聞き慣れた上司の声が飛びこんできた。

「こんな夜中に何してんの?」

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