その4

 イツキの懸念が事実であることを、ルカは素直に認めてくれた。それ自体は喜ばしいことなのだが、軽薄なまでに陽気な口調がイツキを戸惑わせた。

 イツキの予想では、ごまかすにせよ、否定するにせよ、ルカはもっと真剣に応じてくれると思っていた。

 しかし、実際のルカは、まるでイタズラを見とがめられた子供のようにおどけている。

「サプライズ失敗だなぁ」

「な……、なんで? どうして僕の学校なんて調べてるの? だって……」

「ん、ん~……、やる前にネタバレって、ダイブ恥ずかしいな。ケド、しょうがないよな。他の人にはまだナイショな?」

 ルカは計画のすべてを明かした。

 イツキの学校を襲うつもりであること。

 目的はイジメに関わった者全員に罰を与えること。

 移動手段の目処はついていて、あとは実行に移すのみであること。

「ば、ばつって、なに……? 何をするつもりなのっ?」

「まずはコレ」

 ルカが手のひらを開いて見せると、ピンポン玉サイズの風船がふわふわと浮いている。

「これ、中に気泡蛙ヴェスプーナ、あー、風に乗って移動するカエルみたいな生き物なんだけど、そいつのガスが詰まってるんだ。空気より軽くて風船にピッタリなんだけど、毒があってさ。もっとベンリなガスが手に入ってからは使わなくなったけど、こういうトキ役立つよな」

「毒!? なにそれ! まさか死んじゃうの?」

「イヤイヤ、そんな強くないんだ。2~3日、ヒドイ頭痛と吐き気と下痢になるくらい。……あ、でも小学生だったらイケるかな? 体力ないし」

「……っ」

 同級生のもがき苦しむさまを想像して息を呑むイツキをよそに、ルカはこともなげに語り続ける。

「まぁ、死ななくていいんだ。ってか、死なれたら困る。コレはまだヨキョーだから。本番はこっから。毒で動けなったところで、足にデッカイ風船くくりつけて、窓から空に飛ばしてやるんだ。ひとりずつ、ふわふわ~ってな。ポイントは逆さ吊りにするトコ。自分がどんどん地面から離れてくのがヤでも目に入るからな。ゆっくりゆっくり。上に向かって落ちていくんだ。ゼッタイ、ビビるぜ。だろ?」

 自分の着想がよほど気に入っているのか、ルカの声にも熱が入る。

「んで、いい感じにビビらせたところで風船がパーン! 真っ逆さまにドーン! 吊られてたヤツらがドカドカ落ちてくるトコがクライマックスな。今んトコ、高さは500mくらいを考えてる。たっぷり時間かけてビビらせてやりたいんだけど、あんま上げ過ぎると風で流されちゃうかもだし。やっぱ、目の前に落ちて来てほしいじゃん?」

 ルカは身振り手振りを交え、ときには笑みさえ浮かべながら、残忍な処刑方法について熱弁する。

 血の気の引く思いで聞いていたイツキは、ようやく強張った口を開いた。

「だ、ダメだよ……! そんなコトしたらダメだよ! どうしちゃったの!?」

「? なにがダメなんだ?」

「……っ!? だって、そんな、当たり前でしょ!? みんな普通の人間なんだよ? 魔法も使えないし、空だって飛べないのに。そんな高さから落ちたら死んじゃうじゃん! ダメに決まってるよ!!」

「だからさ、なんで死んだらダメなんだ?」

 さも当然のように問い返され、イツキは再び絶句した。

「……ホントにどうしちゃったの!? ルカさん、異民局の人でしょ? 人殺しは犯罪だってわかってるよね?」

「なんだそんなコトか。ダイジョウブ、俺は人殺しなんてしないよ。悪いコトしたヤツに罰を与えるだけ」

 ルカは毒風船をもてあそびながら、イツキに笑いかける。

「イツキたちがどれだけ苦しい思いをしたか分かってもらえたらそれでいい。殺そうとまでは思ってない」

 ふわふわ漂う毒風船をつまむと、台所のほうへ向かって押し出した。

「だから、もし誰か死んだとしても、それはソイツが勝手に死ぬだけ。俺が殺すわけじゃない」

「なに言ってるの……? おかしいよ、ルカさん。言ってることがおかしいよ……!」

 ゆらゆらと漂いながら部屋を横断した毒風船は、換気扇の手前に来たところでかき消えた。ルカが魔法を解除したのだ。

 風船内に詰まっていたガスは、そのまま換気扇に吸いこまれアパートの外へ拡散していく。

「僕のせい? 僕があんな話をしたから? だったらやめて! 仕返しなんて意味ないよ。そんなことしても何も変わらない。もう僕には関係ないんだ。だから学校のみんなにヒドイことしないで!」

「やっぱりイツキは優しいな。でも安心してくれ。何かあってもそれはイツキのせいじゃない。誰かがやらなくちゃいけないコトなんだ」

「そんなことない! そんなことないよ! ルカさんの言う通りなら、飛び降りたのは僕だ。僕が自分で選んだんだ。だから学校のみんなは関係ないよ。そうでしょ!?」

 イジメで受けたイツキの心の傷は根深く、アレクスを失った悲しみもまだ癒えていない。加害者への怒りも当然ある。

 だが、だからといって直接的な報復を望むかといえば、それは違う。憤激や悲嘆が必ずしも復讐心に転化するとは限らない、とイツキは思う。

 少なくともイツキの中でそれらの感情は直結しておらず、ルカの過激な発言にはとても共感できない。

「うん、それはそうだ。たしか、持ち物に落書きされたり、服を脱がされたりしたんだっけ?」

「う、うん……。でもね」

「じゃあそれもメニューに追加しよう。ケド、ひとりひとりやってると時間かかるか。……あ、そうだ、二人一組にしておたがいにやらせるか。それならすぐ終わるし」

「違うよ! 違うんだよ、そうじゃなくて。仕返しなんていいんだよ」

「でもさ考えてみ? イツキをイジメた連中は反省してると思うか? 俺はそうは思わない。イツキがいなくなったあと、別の子が標的になってるんじゃないか?」

「それは、そう、かもしれないけど……」

「なら、そんなコト許しちゃダメだ。そうだろ? だからキッチリ教えてやるんだよ。人を傷つけたらどうなるかってな。本人のためにもなる」

「でも、本人のためなら、分かってもらうだけでいいよね? 殺すことはないでしょ!?」

「そりゃそうだよ。言ったろ? 殺すつもりはないって。痛みを分かってくれればそれでいい」

「だったら……!」

「それで死んじゃうならしょうがない。そこは本人次第だな。俺には止める権利なんてないし」

「権利って……。違うよ、そうじゃないよ! 高いところから落とされたら誰だって死んじゃうんだよ! 決まってるじゃないか!」

 筋道の見えない対話が繰り返され、イツキはめまいに似た感覚に襲われる。

 ルカの言っていることは支離滅裂で、同じ言語で会話しているはずなのに、まるで言葉が通じない。

「分かってもらうだけでいいなら、やり方を変えようよ! 話し合うとか、罰を軽くするとか。やりすぎはダメだよ」

「そんなコトないさ。ヤツらが自分でしたコトなんだから。痛みを分かってもらうには、同じ痛みを与えないとダメだ。手加減したら意味がない」

「でも死んじゃうんだよ!?」

「つまりそれだけのコトをしたんだな。仕方ない」

「……っ」

 倫理も常識も欠落し、血の通わない人形のようになってしまったルカを前に、イツキは愕然と立ち尽くす。

(初めて言葉を交わしたときは、少し頼りない印象で、でも優しそうな人だと思った)

(家で料理をするといったら、スゴイことのように褒めてくれた)

(母さんの味つけを美味しいって言ってくれたときは、こんな人もいるんだって嬉しかった)

(年上なのにぜんぜんそんな風に感じなくて、いっしょに料理をしていて楽しかった)

(なのに……)

 今のルカは、イツキの知っているルカとはまるで別人だ。人として大切な何かが壊れてしまっている。

(僕のせい? 僕があんな話をしたから?)

 イジメの告白をした翌日から、ルカのようすが少しおかしいとは思っていた。自分を元気づけるために、わざと明るく振る舞ってくれているのだと思っていた。

 あんな身の上話だけで、ルカがここまで変貌するとは思えない。いったいこの2日で何があったのか。

 恐怖と不安から気が遠くなりかけたイツキは、とっさにテーブルに手をつきふらつく身体を支えた。

「どした? ダイジョウブか?」

 心配そうにたずねる声さえ、今のイツキには赤の他人が発したもののように思えてくる。

(ダメだ、何を言ってもダメなんだ。僕の話なんて聞いてくれない……!)

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